ロイデン王子VSサン
冷たい液体が口内から喉を通リ抜けて行く。その冷たさに私は身を震わせる。
「あぁ…」
私の声に反応するように唇が荒々しく重ねられ、再び冷たい液体が喉と体を潤す。そして離れるかと思った唇はそのまま深く口づけし続けた。
息苦しさに目を開けるとロイデン王子の顔がすぐそこにあった。私は王子の胸を力なく叩くが、疲れて腕を下ろしてしまう。
その様子に気がついた王子は漸く私から唇を離す。
「なにを…」
全体的に疲労感が強すぎて私は言葉が出てこない。気付けば私はまだガウンを体の上にのせているだけの姿まま、寝台の上王子の腕に抱かれていた。
「…サン」
「パパス殿はいません。医師を呼びにいかれました」
心地よい声のトーン。だがその話し方にユリナとの距離を感じる。
「…王子」
私の言葉に王子の表情が曇る。そう言えばさっきも同じような顔を浴室で見た気がする。
「・・・婚儀の後、私の事はロイと呼んで下さいとお願いしたはずです」
碧眼が私を見つめる。
婚儀? その言葉に以前見た映像が前回よりも鮮明に頭に浮かぶ。
ユリナと王子が共に並び、祭壇の前に立つに人に頭を垂れている。2人は向き合うとキスを交わし、それと同じくして何処からともなく鐘の音が鳴り響く。
これってまぎれもなく結婚式だよね…多分、年下の旦那様でそれも王子。ゲームの話ならおいしいけど、実際となれば話は違ってくる。
私はユリナではない。だがこの先、王子と夫婦生活をしなければいけなくなる。いや、体は彼女そのままなので問題はないけど、中身が私なのにユリナとして王子と過ごしていいのだろうか…胸の奥がザラつく。
「ユリナ」
愛しい想いを込めて王子が名を呼ぶ。
それは何かを思い出した訳でもなく、とても自然に私の口から零れた。
「・・・ロイ」
嬉しそうに目元を緩め、ロイはそっと両腕で私を抱きしめる。
「・・・ここに着いて貴女を見るまで、生きた心地がしませんでした。山に入り行方がわからなくなったと連絡を聞いた時は目の前が真っ暗になって、とにかく貴女を探しに戻らなければと早馬で駆け続けた」
移動手段は馬なんだ。
「途中、貴女は見つかったが生死を彷徨っていると再度連絡を宿にて受けて…」
王子の声が詰まり、温かな滴が私の背中を濡らす。
いったい彼は何日かけてここに辿り着いたのだろうか。てっ言うか何しにどこまで行ってたの? ユリナも王子が居ない時に山に行ったり、どうなってるんでしょうこのふたり。
「そして屋敷に着いて貴女が無事だと知り会いに行けば、湯船に沈んでるし…」
それってユリナや私の所為じゃないし、そもそも命を狙われたのものぼせたのも不可抗力。
抱きしめる王子の腕の力が強くなり、濡れた衣服越しに彼の体温を感じる…特に下半身。このまま済し崩しで事に及んでもらっても困る。私は彼の耳元で呟いた。
「…ロイ、山で何者かが私をナイフで狙ってきました。そのナイフには毒が塗られていたんです」
彼の身体がゆっくりと離れ、私を凝視する。
「どういう事ですか」
私は足元のガウンをめくり、浴室で見つけた右足の腿についた傷を見せる。
「今の所私にもわかりませんが、体調が回復次第調べるつもりでいます」
なんか色色含めて知りたい事だらけなんで。
「貴女が、モーリテス家の当主だからでしょうか?」
私が瞼を閉じるとユリナのモーリテス家の記憶が倍速で頭の中に流れていく。
「…それは、ないと思います。私が今亡くなってもモーリテス的には困る事の方が多い…」
瞼を開け、私は王子を見つめる。
「ロイ、貴方はどうです?」
「…僕を疑ってる?」
んっ『僕』? 王子、さっきまで自分の事『私』って言ってましてよね。もしかして『僕』の方が彼の素なのかもしれない。
「ユリナ?」
「貴方は私の夫、それだけでも私を狙う要因にはなるでしょう?」
サスペンスの王道。遺産目当ての夫が妻を手にかける。まあ、この世界にそういう事があり得るかどうかわからないけど。
「本当に、僕を…」
碧眼の瞳が哀しげに潤んでいる。
そんな顔しなくても、私は可能性の話をしているだけですけど。
「僕は、こんなにも貴女を・・・怖いのに」
何が怖いの?
王子の両手が私の首元に伸びて、その指先が鎖骨に触れる。
ピクッと私の肩が跳ねる。
「この気持ちは、僕だけですか?」
鋭く光る物が私の視界に入った。私の身に緊張がはしる。
「ロイデン様、お嬢様から手を離して寝台から降りてください」
サンが握る短剣が王子の首元に光る。
びっくりした…心臓に良くないし、それって王子が腰に差してた物だよね。
「私は彼女の夫だし、問題はないと思いますが」
「モーリテス家において、当主の配偶者となる方には守っていただけなければならない決まりがあったのをお忘れですか?」
決まり? 私は首を傾げる。婚儀を挙げただけじゃ駄目なのか。
王子が切なげに私を見て息をつく。
「貴女とのお預けなら別に苦にはなりませんが、身体には堪えますね」
そっと頬に触れるキスをして王子は私を体から放し、寝台を下りた。
サンは寝台から離れた王子に短剣を返す。
「お着換えの後、どうぞ、遠征にお戻りください」
「だが…」
心配そうに私に振り返る。
「お嬢様の心配でしたら遠征先でも可能です」
サンが王子に若干厳しいような。
「屋敷内では、命を狙われる事もないでしょう」
「そう言い切れるのか?」
「モーリテス家に仕えている者達をご実家と一緒にされませんようにお願いいたします」
「・・・私の家?」
キョトンとした表情を王子には構わず、サンは部屋のドアを開ける。
「わからなければどうぞお気になさらず、私の戯言だと聞き流して頂きたく」
いや、これはかなり厳しいしサンが怖い。
「サン殿、言いたいことがあるならはっきりと」
「お見送りは他の者が致しますので。お嬢様」
「はい!」
サンの視線が私からロイへ。
「・・・ありがとう、ロイ。気を付けて戻ってください」
「ユリナ、愛してる」
ストレートな言葉に私の心臓は大きな音と共に跳ね上がった。
私はどんな表情をして王子を見送ったのかわからないが、彼は満面の笑みで部屋を出て行った。
「・・・なんか疲れた」
「お嬢様、浴室の鍵はお閉めになりませんようにお願いします」
「えっ、なんで?」
「今回のようなことがあるからです。鍵が開いていればロイデン様の手をお借りすることもなかったでしょうし、お嬢様のあられもない姿をお見せすることもなかったと思います」
あれってもう恥ずかしいって次元こえたよね。だらか意識手離したんだけど。
「てっ言うかそれ今言う事?」
「他にも言いたいことがありますが、お嬢様の体調を考えて敢えて今は口にしないだけです」
お願いですからずーと言わないでください。
私はサンが掛けてくれた別のガウンを着ると、彼女の手を借りて濡れている寝台から降り長椅子に腰かける。
「サン・・・」
「はい」
「この先、もしかしたら私が以前の私と違うと感じる事があるかもしれない」
サンは私の前にしゃがみ込み、瞳を覗くこむ。
「変わらないものなどいませんし、ありませんよ」
「そう簡単な話でもないんだけど・・・」
「ユリナ様がユリナ様でなくなっても、誰もお嬢様を責めたり怒ったり叱ったりしません。なぜならどんなユリナ様でもユリナ様だからです」
?マークが浮かんだ私の顔にサンが微笑み、その手が優しく私の頭を撫でる。
「要は、どんなユリナ様でもお側にいると言う事です」
涙が零れた。この涙は私、楓自身が流したもの。その頬の涙をサンが手で拭ってくれる。
「・・・約束ね。変わらずに側にいてちょうだい」
「この命に掛けて」
サンは私の手を取り、頭を垂れた。
「ありがとう、サン」
顔を上げたサンは驚いたように私を見たが、すぐに笑みを返した。
ユリナであっても私は私でいい。そういってもらえた気がして心が楽になった。
そして、部屋の外で待ち続けていた医師の診察を受け終わると私はすぐに眠りに落ちた。