魔女の呪い(2)
どうするのが一番良い方法なのか。そんなこと、もうわかっている。誰も傷付けずに済む解決策。そろそろいい加減決断しなければいけない。
翌日。私は雪乃からの夕食の誘いを断った。次の日も、次の日も。
「千秋、ちゃんと食べてんの?」
「食べてるよ」
「ウソ。昨日コンビニの袋提げてる所見たよ」
目ざといな。確かに、この三日間ずっとコンビニで弁当を買って食べている。
「お母さんも心配してた。何かあったんじゃないかって」
「美雪さんが?」
「うん。もしかして、悠二と何かあった?」
「いや、何も」
悠二とは何もない。昨日だって、普通に一緒に帰っている。
「元気ないけど、どうかした?」
悠二にそう訊かれ、私は咄嗟に「何でもない」と答えた。まさか、他に好きな人ができて困っている、なんて彼に相談できるはずもない。
そう、問題なのは私の心。
今の問題を解決するためには、私が美雪さんに会わないのが手っ取り早い。そうしていれば、いつか彼女への気持ちも薄らいでいくはずだ。それまでは雪乃の家にも行かない方がいい。そう思ってとった苦肉の策だった。
「本当になんでもないから」
「なら、別にいいけど」
そう言いつつ、雪乃の疑いの目は晴れない。
「もしかして、原因はうちのお母さん?」
「えっ?」
図星を突かれて、心臓が飛び出るんじゃないかと思った。まさか、雪乃に美雪さんへの想いがバレたんだろうか。
しかし、そうではなかったらしい。
「ほら、うちのお母さん天然だから。昨日もスマホが無いって言って、自分のスマホ右手に持って探してたからね。だから何か千秋の気に障るようなことしたのかなーと思って」
なんだ、そういうことか。思わずホッと息をつく。
「いや、美雪さんのせいじゃないよ。料理も美味しいし、天然なのも昔から知ってるから。ただ、そろそろ自立しないとと思って。いつまでもお世話になるのも悪いしね」
「そんなこと気にしなくていいのに。お母さん寂しがってたよ。娘が一人減ったみたいって。元から一人だっつの」
雪乃のツッコミに苦笑いしつつ、内心は飛び上がりそうなほど心が躍っていた。
美雪さんが寂しがってくれていた。私がいないと。そんなことで私のこの心は簡単に喜んでしまう。これじゃダメなのに。
「ねえ、前から不思議だったんだけどさ」
「なに?」
「なんで千秋は、うちのお母さんを名前で呼ぶの?」
「それは……」
際どい質問だった。てっきり、雪乃はべつに気にしていないと思っていたのに。いけない、動揺するな。
「前に、子どもを産んでから名前で呼ばれなくなって寂しい、って言ってたから。だから、私くらいは呼んであげようかなって」
本当は、ただ彼女の名前を呼びたいだけだ。そうすることで、少しだけ美雪さんの特別になれた気がするから。
家に帰り着いて、居間のソファへと身体を沈ませる。そして一つ息を吐いた。
会わなければ、この熱い想いはゆっくり冷めていくと思っていた。きっと、いつか親友のお母さんとして接することができると。
でも、会えなければ会えない分だけ、美雪さんのことを考えてしまう。想いがどんどん募って苦しい。
「会いたい……」
まだたった三日しか経ってないというのに。これじゃあまるで何かの呪いみたいだ。
そんなことを考えていた時、突然家のインターホンが鳴った。そういえば、雪乃が後で私の様子を確認しに来るとか言ってったっけ。それにしては早すぎないか。
不思議に思いつつも、そのまま玄関へと移動する。そして扉を開けた先に立っていた人物を見て、私の呼吸は止まってしまった。
「こんばんは、千秋ちゃん」
「みっ……おばさん、どうしてここに」
そこにいたのは美雪さんだった。彼女はいつもの美貌をたたえたまま、心配そうに私を覗き込む。
「最近千秋ちゃんが来ないから、心配で顔を見に来たの。もしかして、私何かしたかしら?」
「いえ、おばさんは何もしてません」
「じゃあ、私のご飯もう嫌になった?」
「そんなことありません。いつも美味しくて好きです」
「それなら、私のこと嫌いになった?」
その質問に、私は思わず顔を上げる。すると、美雪さんは少し悲しそうな顔をしていた。
「……嫌いなわけ、ないじゃないですか」
むしろ、好きすぎて自分すら持て余しているというのに。
思わず口を突いて出てきそうな言葉を、私はなんとか飲み込んだ。
これはダメだ。言ってしまったら、すべてが終わってしまう。そう私が拳を握って我慢していた、その時。
「そう。なら良かった」
そう笑うと、美雪さんはふわりと私を抱きしめた。突然のことに、私は対処することもできずただ棒のように立ち尽くす。
シャンプーの甘い匂い、柔らかい肌の温もり、優しく心地よいその声。そのすべてが私の中に激しい衝動をかき立てる。
「千秋ちゃんは、私にとってもう一人の大切な娘みたいな存在なの。だから、嫌でなければまた夕食を食べに来て。でないと、やっぱり寂しいわ」
もしかしたら美雪さんは、魔女なんじゃないかと思う。
本当は私の気持ちとか全部知ってて、それでいて知らないフリをして、私を弄んで楽しんでいるんじゃないだろうか。たまにそんな気分にさせられる。今みたいに。
「どうかしら?」
この手を振りほどかなきゃ。でないと、私はいつか悠二と雪乃を傷付けてしまう。大切な二人を失ってしまう。そうなってしまったら、もう元には戻れない。
意を決して、私は突き放すために腕を伸ばした。しかし、震える手は途中で止まってしまった。
「千秋ちゃん、私のこと名前で呼んでくれるでしょ? あれ、本当はすごく嬉しいのよ。だから、また呼んで。ね?」
美雪さんが私の耳元でそっと囁く。その悪魔のような甘い誘惑に、私の心臓に重く冷たい鎖が絡まっていった。
そう、ついに私は魔女に捕まってしまった。
「美雪さん、美雪さん、美雪さん……っ」
溢れる想いを叩きつけるように、私は美雪さんにしがみついて、そしてその名を呼んだ。
心が、本能が、彼女を欲しくてたまらないと叫んでいる。触れたくて、独り占めしたくて、気が狂いそうになる。こんなの、自分ではもう止めることはできない。
これは呪いだ。相手の心ごと飲み込んでしまう、とても危険な代物。それですら、どこか甘美に思わせてしまう、甘い劇薬。
「あらあら、そんなに呼ばなくてもいいのに」
美雪さんは、子どもにするように私の頭を撫でる。私にはもう、振りほどくことはできなかった。
「じゃあ、うちに夕飯食べに来る?」
「……はい、行きます」
こうして私はまたかかっていく。
解き方を知らない、甘く危険な魔女の呪いに。




