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百合三昧(短編集)  作者: 渡辺純々
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それはまるで歌うように(2)

「キシャァァッ」

 一匹の魔物が勢いよくこちらに突進してきた。勢いを殺せず私は体をよろけさせる。そんな無防備になった私の左肩を、魔物はその大きな口で噛みついた。

「ぐあっ」

 魔物はそのまま私を押し倒す。剣で振り払おうにも魔物の左手が私の剣を器用に掴んで離さない。

 身動きが取れない。焼けるような激痛が私の左肩から全身へと駆け巡る。

「あぁぁっ」

 魔物が噛みちぎらんばかりに顎に力を入れる。その度に鋭い歯が私の左肩に食い込んで激痛を走らせる。

 ダメだ。このままじゃやられてしまう。

 ぶれる視界の中、本能的にシューカ様を見る。そして私は目を大きく見開いた。

 一匹の魔物がシューカ様に襲いかかろうとしていた。大きな羽をバタつかせ、一直線にシューカ様めがけて飛んでいく。

「シューカ、様……にげ、て!」

 そんな私の声も聞こえないのか、シューカ様は同じ場所で歌い続けている。

 シューカ様が危ない。なのに、どうしてこの体は動かない。すぐに駆けつけれない!

 私はシューカ様を守れないのか。シューカ様の隣にいてはいけないのか。

 力が、意識が、遠のいていく。闇に体が沈んでいく。もうダメかもしれない。

 意識が完全に落ちる、その間際。

 閉ざされていく世界の中で、シューカ様の優しい笑顔が淡く浮かんだ。

(メア)

 シューカ様!

 私は今何を考えていた? 何を諦めようとした?

 しっかりしろ、私はシューカ様の護衛だろ。

「こ……ぉぉ」

 私はシューカ様に誓ったのではなかったか。守ると約束したのではなかったか。必要としてほしいのではなかったか。信じてほしいのではなかったか。

「く……ぬぅぁ」

 だったら、私はシューカ様の護衛として何をすればいい。いや、そんなことわかりきっている。

 居場所を、シューカ様を失ってもいいの?

 なにをバカな。そんなの、いいわけ――

「あ、る、かぁぁ!」

 私は剣を握っていた右手に、ありったけの力を込めた。魔物の左腕が綺麗に縦に裂けていく。

「ギヤァァッ」

 肩から魔物の口が離れた。私にはそれだけで充分だった。

「どけえぇぇ!」

 自由になった右手の剣で私は目の前の魔物の左胸を貫いた。そして灰になるのを待つことなく、私はシューカ様を襲おうとしている魔物へと風のように疾走していく。

「我を包み、我を受け入れ、我を溶かす」

 魔物がシューカ様の喉めがけて右手を突き出す。ほぼ同時に、私は魔物の喉めがけて右手で剣を構えた。

 シューカ様、シューカ様、シューカ様、シューカ様!

「汚い手で触れるなぁぁぁ!」

 その攻撃は、相手の喉を貫いた。

 間一髪、私の剣が魔物の喉を突き刺していた。魔物の繰り出した右手の長い爪は、先っぽがシューカ様の首に触れたところで止まっている。

 魔物が灰になって消えていく。その向こうには、怯えるでもなく、逃げるでもなく、まったく同じ場所でいつものように微笑んでいるシューカ様が立っていた。

「その名は、光」

 シューカ様が最後に「セレ」と唱える。すると、森全体にまばゆい光の波が発生。それはあっという間に周囲の魔物のみを破壊していく。

 それだけではない。その光は黒と紫色だった上空に亀裂を発生させた。それはまるで割れたガラスのようにひび割れていく。そして一つ大きな音をあげると、それらは雪のように粉々に散っていった。頭上には少し前の青空が戻り、薄暗い森に光を差し込んでいく。辺りは通常の世界に戻っていた。

「すごい……」

 魔物百体以上、しかも同時に高位の魔法結界を破壊してしまうなんて。普通の魔法師には無理だ。これが大魔法師とまで称されるシューカ様の実力。思わず鳥肌が立った。

「メア、大丈夫?」

 シューカ様のその声にふと我に返る。見ると、シューカ様が心配そうに私の左肩を見つめていた。

 そういえば左肩を噛みつかれたんだった。しかし、シューカ様の姿を見て、そんなことがどうでもよくなるほど私の胸の中に激しい何かが込み上げてきた。

「待ってね、今治癒魔法を――」

「どうして」

 治癒魔法を発動しようとしていたシューカ様を私は制した。シューカ様は「え?」と小さく呟く。

 私は、感情が抑えられなかった。

「どうしてあの時逃げなかったんですか! あなた様にもしものことがあったら、私は、私は……っ」

 緊張の糸が切れたからか、今頃になって猛烈な恐怖に襲われた。それは魔物に襲われたことではなく、シューカ様を失ってしまうかもしれないという怖さ。

 本当に紙一重だった。私の足が、剣が、少しでも遅れていたら、魔物の長い爪はシューカ様の柔らかい喉を突き刺していた。それを思うとゾッっとする。

 それなのに、どうしてシューカ様は微動だにせず微笑んでいられたのか。魔法を紡ぎ続けることができたのか。怖くはなかったのか。私にはわからなかった。

 木の葉が擦れる音がする。どうやら風も戻ったらしい。

「メア」

 シューカ様の優しい声が降る。でも、顔を上げる勇気がない。

 すると、シューカ様は私の両頬に手を当てて無理矢理顔を上げさせた。そして、私の唇に自身の唇をそっと押し当てる。

「……っ!」

 一瞬、何が起きたのかわからなかった。シューカ様の顔が見えない。わたあめのような甘い匂いがする。ふわふわの髪が私の頬をなでてくすぐったい。シューカ様の唇は柔らかくて、熱い。

 お互いの唇が離れる。そして目が合った瞬間、私の全身がカッと熱くなった。

「な、なななな、なにを! あ、いたっ」

「キスっていうのよ。知らない?」

「知ってますとも!」

 問題なのはそこじゃない。

「傷が悪化するわ。動かないで」

 顔を真っ赤にしてワナワナ震えている私をよそに、シューカ様は冷静に治癒魔法を私に施し始める。強制的に血と肉と骨を再生するものだから、ちょっと、いや、かなり痛い。

「なんで……」

 治癒魔法に集中しているシューカ様に、涙目の私は小さい声で尋ねた。

 なんで突然キスなんかしたんですか。おかけで、私の心臓は張り裂けんばかりに急稼働中です。このままじゃ、いくら治癒しても私は左肩からの出血多量で死んでしまいそうだ。

 シューカ様は、そうねえ、なんて人差指を顎に当てながら考える素振りをしてみせる。

「何か落ち込んでいるみたいだったから。励まそうと思って」

 それでキス? シューカ様の思考回路がよくわからない。

「はい、終わり」

「ありがとう、ございます」

 高位の治癒魔法をかけてくださったからだろうか。治療はものの五分で終わった。すごい、ちぎれんばかりに噛まれた傷が跡形もなく消えている。

「さっきの質問の答えだけれど」

 左肩をグルグル回している私に、シューカ様はそう前置きをした。

 さっきのって何だ。そう私が訊く前に、シューカ様は先に口を開く。

「私が逃げなかったのは、メアを信じていたからよ」

「え?」

「あなたが私を守ると言ってくれた。だから、私はそれを信じた。ただそれだけよ」

 そう言って、シューカ様は微笑んだ。

「信じて……」

 くれたんですか。私のことを。魔物に囲まれても、喉を刺されそうになっても、最後まで私のことを信じて動かなかったんですか。きっと私が助けにきてくれるだろうと、そう信じて。

「メアがいつも側にいてくれて、私はとても心強かったわ。だから、これからも私の側にいて、心の支えになってちょうだい」

 その顔がとても優しくて。私の胸の奥がシューカ様の優しさで満たされていく。すぐにそれは満杯になって、耐えきれなくなって私は泣いた。

「はい……はいっ」

 シューカ様の肩に顔を埋める。そんな私をシューカ様は何も言わず、ただ頭を優しく撫でてくれた。

 シューカ様は私を信じてくれていた。もしかしたら、最初からそうだったのかもしれない。ただ、私が怖がっただけ。シューカ様を信じて裏切られること、そして自分自身を信じることを。

 でも、もう迷いはしない。シューカ様の隣、そここそが私のこの世で唯一の居場所。心安らげる暖かな光。それが確認できて、今とても嬉しい。

 どれくらいそうしていただろう。やっと泣きやんだ私は、ゆっくりとシューカ様から顔を離した。

「さて、戻りましょうか」

 私は立ち上がって歩き出す。

 主の前で、子どものように泣いてしまった。恥ずかしくてシューカ様の顔が見れない。

 シューカ様は笑顔のまま、「はーい」と手を挙げて私の後ろに続いて歩く。

「ねえ、メアは私に質問してきたんだから、私からも質問していいわよね?」

 だって不公平じゃない。なんて言って、シューカ様はちゃっかり私の服の袖を引っ張る。まずい、これは質問させないと、帰らない、とか言い出しそうな雰囲気だ。仕方なく、私は「どうぞ」と促した。

「メアは、私のことどう思ってる?」

「あー、シューカ様のことですか? それはですね……って、はい?」

 私は思わず仰け反った。この人はこんな場所で何を訊いてるんだ。シューカ様はジーっと私の顔を覗いている。

 私が、「あー」とか「うー」と言葉を濁していると、シューカ様はそれをピシャリと遮った。

「ちゃんと答えないと、護衛から外すわね」

 なんと無慈悲な。せっかく自分の居場所を再確認したところなのに。

 シューカ様は微笑んでいる。しかし、それには有無を言わせない迫力があった。そんな笑い方も出来るんですね。ちょっとビックリです、私。

 思わず上を向く。そこはちょうど木と木の間がポッカリ空いている場所で、暖かい日差しがまるでスポットライトかのように、私達二人を照らしていた。

「わかりました」

 私は大きなため息を吐いた。呼吸を整えるのと、その後に気合を入れるためだ。

 シューカ様の隣を外されるのは困る。私はありったけの勇気を振り絞った。

「いつも笑顔なところとか、お優しいところとか、国民想いなところとか、天然なところとか、それでいて芯の強いところとか。そういうシューカ様を、私はお慕いしています」

 心臓が爆発してしまいそうだった。このまま恥ずかしさで死んでしまうかもしれない。それくらい、私の全身は熱にうなされていた。

「よかった」

 シューカ様は笑った。今までに見たことのない、無邪気な笑顔で。それがあまりにも綺麗すぎて、もしかしてこれは夢なんじゃないかと錯覚した。シューカ様は実はこの世界を創造した女神の化身で、今私の目の前に降臨してきたんじゃないかと。

「メア?」

 シューカ様のその声でハッと我に返る。何か息苦しいと思っていたら、どうやら息を止めていたらしい。シューカ様はそんな私の姿を見てクスクス笑った。でも、嫌な気分じゃない。

 私は恥ずかしさを隠すため、一度咳払いをした。

「私にも質問が。シューカ様は私のことをどう思っていますか?」

 こうなったら遠慮せず訊こう。最初に振ってきたのはシューカ様なのだから。

「言わなくても、励ました時のでわかると思うけど?」

 シューカ様はそう言うと、人差指を唇に当てて悪戯っぽく笑った。ふと思い出して、私の血液が再沸騰する。いや、そんなことで逃がしはしない。

「直接シューカ様の口から聞きたいんです」

 これは私がシューカ様にする初めての我がまま。一度くらい私の願いを聞いてくれてもいいんじゃないだろうか。

「しょうがないわね」

 シューカ様はそう言うと、少し照れたような笑みを私の顔に近づけた。そして耳元でそっと囁く。優しくて、それでいて熱の込もった声で。

 それはまるで歌うように。


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