それはまるで歌うように(1)
「待って」
歳のかわらないその女の子は、私を地面に押し付けていた護衛二人を片手を挙げて払った。私は上体を起こして、そして彼女を見上げる。肌は色白で、髪の毛はふわふわ。昔食べたわたあめみたいだと思った。
「あなた、お名前は?」
柔らかい口調。子どものくせに品の良さをうかがわせる。
バカな奴。これはチャンスだ。この距離なら、護衛が再び私を取り押さえる前にこいつを殺せる。
こいつを殺せば、私も殺されるだろう。でも、それでいい。私にはもうどこにも居場所なんてないのだから。もう疲れた。
服の下に忍ばせていたナイフに手を伸ばす。その時、何か暖かいモノが私の頬に触れた。
「私と一緒に来る?」
目の前には優しく微笑む女の子の顔。まるですべてを見透かすかのような、澄んだ瞳。
「私が、あなたの居場所になってあげる」
その時の顔は、亡くなった母の面影と重なった。外は身を裂くような寒さなのに、胸が熱くて苦しい。
耐えきれなくなって、私は泣いた。その子の手を、きつく握りしめて。
今日が最終日だから。
そう言われ、半ば強引に隣街まで歌劇観賞に行く途中。
「止めて」
それまで外の景色を楽しそうに眺めていたシューカ様が、急に馬車を止めさせた。そしてシューカ様は、私達が制止する間もなく流れるようにそこから降りる。慌てて従者二人と後を追いかけたら、魔物の群れの真ん中で肩を寄せ合い怯えている母子を見つけた。
「私が囮になるから、二人を安全な場所へ」
「ちょ、ちょっと!」
シューカ様は私のセリフを奪い、控え目ながらも所々にレースの入ったピンクのドレスをはためかせながら、薄暗い森の奥へと走っていく。
「ああ、もうっ」
シューカ様の専属護衛である私は、母子を二人の従者に任せ主の後ろ姿を急いで追いかける。そしてシューカ様に追いついたと思ったら、気付けば周囲を魔物に囲まれていた。
「自由勝手すぎます」
私は遠慮なく苦言を呈した。普段は時と場所と相手をみて我がままを言うシューカ様だが、こと国民のことになると後先考えず動きだす。それに振り回される私達はハラハラだ。
眉間にシワを寄せている私を見て、シューカ様は「あら」と言い返す。
「メアは、国民を蔑ろにする私と、今日みたいな私と、どちらが好き?」
「それは……後者です」
「でしょ?」
シューカ様は満足そうに、ふふふ、と笑う。私がそう答えるとわかっているから、わざと質問して自分の正当性を主張しているのだ。シューカ様は私の扱いをわかっている。そういう頭の使い方を普段の社交場で行えば、もっと周囲の待遇が変わるだろうに。シューカ様を見ているとたまにそう思う。
世界七大先進国の一つ、シュマロッティ国第二王女。それがシューカ様の肩書き。
ウェーブがかった長い髪に、柔らかい物腰。いつもニコニコしていて雰囲気も春の陽だまりのようにほんわかしている。だからだろう、子ども達から“わたあめ王女”などと言われていた。それでも、シューカ様は怒ることもなく、美味しそうね、と微笑み返していた。身内びいきを抜きにしても、シューカ様ほど国民に慕われている王族はいないだろう。
だが、シューカ様はそれだけではない。
靴を履いているにもかかわらず靴はどこかと訊いてきたり、何の前触れもなく急に笑い出したり。シュマロッティ国には四季があるのだが、わざわざ雪の降る冬にバーベキューなんか催してみたり。
そう、シューカ様は天然……いや、かなり変わった性格の持ち主だった。だが、そういう王女らしくないところも国民に愛されている一因だと思う。
「キシャー、キシュー」
魔物の鳥肌が立つような不快な鳴き声に我に返る。三メートルはあろうかという身長に、先の尖った大きな翼。全身は毛むくじゃらで、両手両足に生えている爪は長く鋭い。目は丸くギョロギョロ動き、口は大きく裂け、無秩序に並んだ歯は波打つように蠢いていた。
「くそっ」
私は鞘から剣を抜いて構えた。一体だけなら一瞬で倒せる雑魚だが、それが群れだと形勢は変わってくる。少なく見積もっても軽く百体は超えていそうだ。
上を見る。木々の間から見えるのは青い空ではなく、黒と紫をマーブル状に混ぜたような色の空間。
「高位の魔法結界か」
「どうやら、閉じ込められたみたいね」
シューカ様のその言葉に私は軽く頷いた。この結界を破るには、この中から術者となる魔物一体を見つけて倒すか、これ以上の強い魔法を使うしかない。残念ながら、どちらも簡単にはいかないだろう。なるほど、魔物達は本気で私達を狩る気だ。
「シューカ様は私の後ろにいて、離れないでください」
ここは私が守らなければ。そう思うと握っている剣の柄に力が入る。しかし。
「メアったら変な顔。そんな怖い顔してたら美人が台無しよ?」
まるで世間話をするかのようなシューカ様のトーン。思わず緊張感が緩む。
「どうしてあなた様はいつもそうなのですか」
今のこの状況をきちんと把握していますか。友人の家でお茶会をしているんじゃないんですよ。
そんな気持ちを声に乗せてみたのだが。シューカ様は知ってか知らずか、暢気に周囲を見渡す。
「ほら、敵よ」
シューカ様の細くて長い指が前を指す。見ると、目の前に一体の魔物が襲いかかってきていた。
「くっ」
反射的に相手の爪を剣で受ける。近づいてくる魔物の口からは、ヘドロのような匂いが漂う。
「く、さい、んだよ!」
私は剣ごと魔物を押しやる。そして爪が剣から離れた瞬間を見逃さず、相手の胴に横薙ぎの一閃を食らわした。
上下に分けられた胴。斜めに落ちていく上半身の上から別の一体が襲いかかる。相手の振り下ろしてきた右手の爪を剣で受けたが、今度は右手もそのままに空いた左手を私の右脇腹に突きたてようとする。私は右手で鞘を抜いて、爪が脇腹に届く寸での所で受け止めた。
両手が塞がった。それをチャンスとばかりに後ろからもう一体が攻め込んでくる。私は両手の力を抜くと同時に体を沈めた。その時一つに括っている長い髪が爪を掠めたが、魔物はお互いの爪で相手の顔や胴体を貫き、二体とも灰になりサラサラと消えていった。
一息吐く間もなく、私はシューカ様の元へとダッシュする。そして、シューカ様に襲いかかる三体の魔物を風のごとき一太刀で全部蹴散らした。三体とも灰となって地面へ落ちていく。その間シューカ様は微動だにせず、先ほどと寸部違わぬ姿で立っていた。
「さすがメア。カッコイイわ」
「それはどうも」
パチパチと手を叩くシューカ様を無視して、私は鞘を腰に戻し再び剣を正眼に構える。私のこの動きを見てどう思ったのか、魔物はすぐには襲ってこない。出方をうかがっているようだ。
しかし、どうしたものか。魔物は三六〇度、しかも上空にまで所狭しと蔓延っている。今は良くても、長引けば形勢はこちらに不利になるだろう。最悪、シューカ様だけでもこの空間から逃がさなければ。
私がそう覚悟を決めた時、ふとシューカ様の手が私の右肩に触れた。
「私も手伝うわ」
その言葉に思わず後ろを振り返る。シューカ様は真顔だった。
「いけません!」
「あら、どうして? 戦闘経験なら二度あるわ」
「そういうことではなくっ」
「では、どういうこと?」
「それは……」
「キシャァァー」
言葉に詰まっている間に、魔物がチャンスとばかりに襲いかかってくる。私はその魔物を縦に真っ二つに切ると、シューカ様の手を取って走り出した。一旦落ち着く場所が必要だ。
追いかけてくる魔物を剣で薙ぎ払い、二人が隠れられるくらいの木の下に身を潜める。
シューカ様は呼吸を整えると、「それで?」と続きを促した。私は仕方なく口を開く。
「シューカ様の力を、信じていないわけではありません」
シューカ様は、王女でありながら魔法師の資格を持っている。王族でありながら魔法師の資格を持つことは、この世界ではほとんど例がない。
魔法師とは、火、水、木、金、土、風、音、雷、重力、再生、光、闇といった自然界を司る十二の神将全てと契約を交わし、なお且つある一定の魔力を保持している人間に与えられる、取得の難しい資格である。中でもシューカ様は世界でも五本の指に入る程の大魔法師だ。だから、私が不安に思っているのはそこではない。
「私はシューカ様に戦ってほしくない。傷ついてほしくないのです」
今はまだいい。しかし、いつ隣国と戦争が起こるか、魔物が襲ってくるかわからない。その時シューカ様が戦争の道具にされるのではないか。私にはそれが怖いのだ。
先代の王、つまりシューカ様のお父上が亡くなられ、代わりに王の座についたシューカ様の兄である現国王は、シューカ様のことを警戒している。なぜなら、一旦下火になったと思われていた反政府軍の動きが、ここ最近再び活発になってきたという報告が上がってきたからだ。
私は頭が良くないので詳しくはわからない。ただ、国民の話を要約すると、貴族に甘く、平民に厳しい今の国の体制に、多くの国民は不満を持っている。そんな時に、大魔法師とまで称されるシューカ様が国民側につくとなれば、大規模な反乱が起こるかもしれない。
そう危惧している国王は、邪魔なシューカ様の存在を消すため、国を守るためにと理由をつけてはシューカ様を戦地へ向かわせている。
まだ二回とも魔物討伐だったからいい。しかし、これがもし隣国との戦争だったらどうだろう。あの心優しきシューカ様に、人を殺すことができるだろうか。その苦しみに耐えることができるだろうか。私はそれをシューカ様に味あわせたくない。
上空を飛ぶ魔物の羽音が聞こえる。結界の中だからか、風はまったく吹いていなかった。
シューカ様がそっと私の頬に触れる。
「ありがとう。でも、メアが私に思うように、私もあなたに傷ついてほしくはないの」
頬に触れていた手がスルリと落ちて、私の右肩に触れる。見ると、そこから血が流れていた。きっと、さっき魔物と交戦した時に付いたものだろう。集中していてまったく気付かなかった。
シューカ様は、私の血で染まった左手をきつく握る。
「だからお願い。私にも戦わせて」
そう言って、私の目を一直線に捉える。その瞳は力強く、逸らすことも出来ない。
ああ、ダメだ。こうなってしまったら、シューカ様は頑としてご自身の意志を曲げない。
きっと私の言葉の真意を、シューカ様は全部理解している。それでもなお、私と一緒に戦うことを望んでいるのだ。
ふと、シューカ様が魔法師を取ると決意した時のことを思い出した。
(メア、私決めたわ。魔法師の資格を取る。もう二度と私の目の前で人が死ななくてすむように、今度は私がみんなを守る)
灰になり、跡形も無くなった村を見下ろしながらシューカ様はそう言った。
慈善事業の一環で、孤児院も兼ねた教会がある村を訪問した翌日、そこが魔物の群れに襲われた。その村は緊張状態の続いている隣国との国境付近にあったため、関係がこじれることを恐れた国は軍を派遣しなかった。そこはシューカ様の大好きな場所だったのに。
魔法師の資格を取るのは本当に難しい。毎日血の滲むような努力が必要だった。それでも、シューカ様は弱音一つ吐かずにそれを続け、最終的には目的を果たされた。私が師匠の厳しい剣の修行に耐えられたのも、側でシューカ様の努力と決意の強さを見ていたからだと思う。
普段はニコニコしてて、ふわふわしてて、天然ボケなくせに。
どんな出来事にも動じないところとか、国民のためにその身を犠牲にするところとか、私と同じ位置に立とうとするところとか。そういう簡単に折れない強い芯を、シューカ様はその心の内に持っている。だからみんなシューカ様に惹かれるのだろう。むろん、私も例外ではなく。
「わかりました」
仕方ない、というように私は苦笑した。
「ですが、約束してください。けして無理はしないと」
「約束するわ。ありがとう」
シューカ様はそう言って立ち上がる。私も同じく立ち上がった。
「作戦はいたってシンプルよ。私が魔法を発動させる。それまで、メアは私を守って」
「はい」
魔法を発動させるためには呪文詠唱が必要だ。呪文詠唱には時間がかかる。強力な魔法であればある程、その時間は長くなる。その間魔法師は無防備だ。そのため、呪文詠唱中に自身の身を守れるよう、大抵の魔法師は剣士とペアを組むことが多い。今の私とシューカ様はまさにそれだった。
「あなた様は、私が必ずお守り致します」
「ええ、信じてるわ」
シューカ様はいつものように微笑む。しかし、その姿がどこか凛々しい。
「それじゃあ、いきましょうか」
勇ましく前を歩くシューカ様。その後ろ姿を見ていて、何故だろう、急に胸が苦しくなった。
シューカ様は強い。そしてとても大きい。では、その側にいる私は? 私は、シューカ様の隣にふさわしい人間なのか?
「我、契約せしものの名は”光の神”」
シューカ様が呪文を唱え始める。風は無いはずなのに、魔力が空気に振動を起こし、シューカ様の髪や服を凪いでいく。
私はシューカ様を守るため、襲いくる魔物へと向かった。
魔法とはイメージだ。例えば、炎といっても火の玉や火柱など形は様々にある。どんな形でそれを出したいのか、そのイメージを固定させるために呪文はある。
想像力は人によって違う。そのため、呪文も人によってまったく異なる。
シューカ様の呪文詠唱は、まるで歌うようだった。
詩人が愛を語るように、歌人が希望を歌うように、呪文は紡がれていく。私はそんなシューカ様の呪文詠唱が好きだった。
「はあぁぁ!」
目の前の魔物を、右肩から左脇腹にかけて斜めに切る。迫りくる魔物を倒しながら、私の心は内側へと潜り込んでいった。
一度だけ、幼い昔に私はシューカ様の命を狙ったことがある。
その頃早くに家族を失くした私は、流れ流れてシュマロッティ国に僅かに残っていた反政府軍にいた。
ある日、そこの幹部に私はシューカ様の暗殺を命令された。私は了解した。だって、私の居場所はそこにしかなかったから。
「その光、闇を照らして導かん」
シューカ様の声が聞こえる。そう、優しくて、暖かい声。あの時もそうだった。
所詮は子どものやること。暗殺は見事に失敗。私は護衛に捕まり殺されそうになる。それを救ってくださったのが、シューカ様だった。
「このっ……くそっ」
右に迫る魔物の口に剣を刺し、左斜め上を飛んでいる魔物の腰から下を薙ぎ払う。いけない、少しずつ息が上がり始めている。私はシューカ様を一瞥した。
普通なら自分を殺そうとした人間を助けたりはしない。ましてや、自分の近くに置いておくなど考えられない。
それでも、シューカ様は私を側に置いてくれている。私はそんなシューカ様に感謝していた。
初めはメイドとしてお世話をしていたけれど、シューカ様が魔法師の資格を取ると決意してから、私は剣の道を志した。良い師にも恵まれ、気付けばシューカ様の専属護衛という地位を射止めていた。身に余る光栄だった。
その時、この命に代えても私はシューカ様を守る。そう忠誠を誓った。
しかし。
「迷いし我は、闇」
周囲の人間は、一度シューカ様の命を狙ったことのある私を快く思っていなかった。また同じことをするのでは、と疑った目で私を見ている。それは仕方のないこと。それが当然だ。
他の誰に疑われてもいい。でも、シューカ様に信じてもらえないのは正直言って辛い。私の居場所は、シューカ様の隣だけなのに。
シューカ様は、私のことを信じてくれているのだろうか。その隣は私でいいのだろうか。
一瞬、ほんの一瞬だけ集中力が途切れた。それがいけなかった。




