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百合三昧(短編集)  作者: 渡辺純々
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スローライフ(2)

 晴れて先生と付き合うことになり、この時の私は有頂天だった。

 初めて好きな人と両想いになれた。振られるんじゃなくて、いいよと気持ちを受け入れてもらえた。それがただ嬉しくて。文芸部の部室へ足繁く通っては、先生との密会を重ねる。それがただ楽しかった。

 でも、しばらくして気付く。いつもキスをするのは私の方。私が好きだと言うと先生も頷いてはくれるけれど、彼女の口から「好き」という単語を言われたことがない。

 もしかして、好きなのは私だけなんじゃないだろうか。先生はやっぱり、同情で私と付き合ってるんじゃないだろうか。

 そんな思いが爆発して、ある日私は先生にその不満をぶちまけた。

「先生、ほんとほ私のこと好きじゃないでしょ? キスだっていつも私からだし、私先生から好きって言われたことないし」

「そんなことないわ」

「じゃあ、好きって言ってみてよ」

 すると、先生は何故か辛そうに口を引き結んだ。それだけでもう答えは出ている。

「うん、もういい、わかった。もう別れよう」

「由香里、待って!」

「好きでもないくせに付き合って、どれだけ私が傷付いたかわからないくせに! あんたに私を引き止める権利なんてない!」

 悔しかった。自分の気持ちを踏みにじられたような気がして。両想いになれたと勘違いして、浮かれて。私、バカみたいじゃない。あまりに子どもすぎて、惨めじゃない。

 部室の扉まで走り、鍵を開けようと手を伸ばす。しかし、その時背後から先生が私に抱きついてきてそれを阻止した。

「離して!」

「嫌! 行かないで……行かないで、由香里」

「……先生?」

「ちゃんと話すから。どうして私が好きって言えないのか、その理由を。あなたにだけは話すから。だからお願い、行かないで」

 先生の私を抱きしめる腕に力が込められる。今までこんなに強く抱きしめられたことなかったのに。こんな、絶対に離したくないっていう感情、先生から感じたことなかったのに。

 私ってダメな奴。別れてやるって思ってたのに、こんなことされて嬉しくて泣きそうになってるなんて。でも、意思が弱くなるほど先生のことが好きなんだって、今改めて自覚した。

「わかった、話聞く」

「ありがとう」

 扉の鍵から手を離し、私は先生と向き合う。そこに立っていた彼女は、どこか怯えているように見えた。

「前に、私の両親は幼い頃に亡くなったって言ったでしょ? あれね、本当は一家心中だったの」

「心、中……?」

 信じられない真実に、野球の金属バッドで頭を殴られたような衝撃が走った。先生は私にかまわず話を続ける。

「両親と私で車に乗って海に飛び込んだ。でも、たまたま夜釣りをしてた人達がそれを見ていて、奇跡的に私だけ助かったの。目を開けたらそこは病院で、そばで祖母が泣いてて。お葬式の時に周りの人達の噂話を聞いて、私はやっと両親が心中しようとしてたんだって気付いた」

「辛かった?」

「正直ね。両親を失って悲しいって言うよりも、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。私だけ生き残っちゃってごめんなさいって」

「そんなことない! なんで先生が謝らなきゃいけないのっ?」

「だって、三人一緒に天国に行きたかったはずなのに、私だけが生き残って。両親だってほんとは生きたかったはずなのに、私だけが助かって。そんな罪悪感が強かったからかな、お葬式の時も、両親の亡骸を見ても、不思議と涙は出てこなかった」

 よく見ると、話す先生の両手は小刻みに震えている。この真実を話すという行為が先生にとってどれだけ重いことか、それを見ただけで痛いほど伝わってきていた。

「生きたかった両親の分も、私は生きよう。どんなに辛いことがあっても、それは生き残ってしまった私への罰だから、絶対泣かないようにしよう。そして、私だけ幸せにならないようにしよう。それが亡くなった両親への、生き残ってしまった私ができるせめてもの償いだから。そう心に決めて今まで生きてきた」

「償いって……」

「でも、由香里と出会ってから、その決心が揺らぎ始めた。顔を合わすようになって、話しをするようになって、一緒にいるようになって。そんな毎日を繰り返すたびに、あなたと一緒にいることが楽しくなってる自分に気付いた。そんな日々に幸せを感じるようになってしまったの。だからこそ怖くなった」

「どうして怖いのよ。いいことじゃない」

「全然良くない! 私は、幸せになっちゃいけないのに。そんな資格ないのに。でも、由香里のことを好きだって認めてしまったら、私は幸せになってしまう。抱きしめて、キスをして、好きだと気持ちを確かめ合って。あなたの隣にいられる喜びを受け入れてしまったら、私はきっと生きていることを感謝してしまう。こんなの、両親が許してくれるはずがない……っ」

 悲痛な叫び。見ているこっちまで胸が苦しくなるほどの。

 もしかして、私はずっと先生を苦しめてきたんだろうか。何も知らないまま自分の気持ち押し付けて、その裏で先生がどれだけ傷付いていたか知りもしないで。

 バカだ、私。あまりにも子どもすぎて、かける言葉も見つからない。大好きな人ひとり守ってあげられないで、なにが優等生だよ。悔しい……悔しいよ。

「わかった。先生を苦しめるくらいなら、私はもう気持ちを押しつけたりしない。付き合うか付き合わないかは先生が決めて。私はそれに従うから」

「由香里……」

「だって、大好きな人が傷付いて苦しんでる姿なんか見たくないもん。別れるんなら、ちゃんと先生のこと諦める」

「…………」

「あー、でも……諦められる自信ないや」

 泣くなんて卑怯なことはしたくなかったのに。それでも、やっぱり悲しくて涙が溢れてくる。

 従うなんて殊勝なこと言って背伸びしたって、所詮私はまだ子ども。自分の感情が優先してしまう。

 別れたくない。先生とずっと一緒にいたい。だって、好きだから。先生の話を聞いた後でも、まだこんなにも好きが溢れて止まらないから。

 好き、大好き。ずっと、先生の隣にいたいよ。

「由香里って、残酷なことするのね」

 そう呟いた後、先生は私の涙を優しく拭う。そして、少し寂しそうに笑った。

「あなたを引き止めた時点で、私の答えは決まっているのに」

 それはつまり、両親への償いより、私を選んでくれたということ。私と一緒にいたら、罪悪感と葛藤し続けることになって、辛くて、苦しくて、心が痛いはずなのに。

 それでも、先生は私と一緒にいることを選んでくれた。生きていることを感謝する未来を選んでくれた。そんな先生の熱い気持ちが、私には痛いほど伝わってきて。

「先生!」

 涙もそのままに、私は先生を抱きしめた。力強く、ギュッと、ギュッと。

「もしご両親が先生が幸せになることを許さないって言うんなら、そんな奴ら私が塩で退治してやる」

「し、塩で?」

「でも、先生をこんなに優しい人に育ててくれた人達だから、きっと悪い人達じゃないと私は思う。だから、たぶん、ううん絶対ご両親は先生の幸せを願ってるよ」

「私の、幸せを……」

「両親への罪悪感なんか忘れちゃうくらい、私が先生のことめいっぱい幸せにしてあげる。生きてて良かったってこれでもかって感謝させてあげる。そんで、ご両親に見せつけてやろう? ほらね、生きてた方が何倍も何十倍も幸せだったでしょって」

「由香里……」

「私を選んでくれてありがとう。私は今すごく幸せだよ。先生が生きててくれて良かった。大好きな先生と巡り会わせてくれたすべてに私は感謝します」

 本当に嬉しくて、私は心から笑った。

 普段神様なんてまったく信じていないけど。今日だけは感謝してあげてもいいかと思う。私の大好きな人を生かしてくれてありがとう、私と巡り会わせてくれてありがとうって。いつか、先生もそういう風に思ってくれたらいいな。

 そんなことを思っていたその時、何も言わず先生が急に私を抱きしめた。その後で強引に私の唇に自身のそれを押し当てる。

「せ、先生……んっ」

 私に驚く暇も与えず、今度は先生の舌が私の中に滑り込んでくる。そして、私の舌と激しく絡み合い始めた。

 深いキス。まるで、先生の情熱を与えられているような、私の想いを貪られているような、そんな不思議な感覚。熱くて、気持ち良くて、身体に力が入らない。意識が飛びそう。

 しばらくして、先生の舌が引き抜かれる。そして、彼女は再び私を強く抱きしめた。

「由香里、大好き……っ」

 そう叫んだ直後、先生はそのままの体制で泣き崩れた。ハンカチでちょっと拭うどころではなく、慟哭に近いくらい、声を上げて激しく。

 たぶんこれが、先生が今までずっと我慢してきた感情のすべて。痛い、痛いよって、心で叫んできた苦しみの重み。それを今、先生はようやく吐き出している。やっとちゃんと泣いている。

「千里、よく頑張ったね」

 そう囁いて、私は優しく先生の頭を撫でた。

 気付けば、窓の外はもう薄っすらと暗くなり始めていた。


 あの日から、先生は少し変わった。

 私に対して「好き」と言葉にしてくれるようになったし、先生からキスしてくれるようにもなった。たまに大人のキスも。

「なんていうか、泣いたら色々吹っ切れたのかも」

 なんて言って、先生は少し照れたように笑った。

 本当は、まだ色々葛藤しているんじゃないかと思う。それでも、私のことを選び続けてくれていることが嬉しい。私は、先生にとって特別なんだって実感できる。

 二人でお出かけもしたし、先生宅にも遊びに行った。もちろん、キス以上のことはしなかったけど、それは私に魅力がないからではないらしく。

「私も、こう見えて色々我慢してるのよ」

 先生はそう言って、顔を赤くしてため息をついた。どうやら、私と一緒にいるために先生なりに努力してくれているらしい。それが嬉しくて、卒業まではあまり困らせないようにしようと思った。

 さすがに卒業式当日の呼び出しはドキッとしたけれど。

 先生は潜在的に家族を欲している。だから、私と別れることで先生が一番欲しいモノをいつか手に入れられるのなら、それを受け入れるのも有りかと思っていた。

 でも、やっぱり先生の顔を見たらそんな優等生みたいな考えは一瞬で吹き飛んで、一緒にいたいとわがままを言ってしまった。

 結局私の勘違いだったけど。でも、家の合鍵渡すだけなのにあんなに神妙な顔して。誤解させんなと後で怒ったら。

「だって、断られたらどうしようと思って不安だったんだもん」

 だそうだ。そんなの私が断るわけないのに。私だって、先生になかなか会えなくなるのはすごく寂しい。だから、在学中に何度頼んでもくれなかった先生家の合鍵を渡された時、先生はちゃんと私のこと好きなんだって実感できてすごく嬉しかった。絶対、私はこの人を幸せにするんだってその時誓った。

 でも。あれから四年。私は、先生を幸せにしてあげられているだろうか。

「これで荷物は全部です」

「はい、ありがとうございました」

 そう言って、私は引っ越し業者の人達に微笑んだ。そして、その背中を見送った後で新居の中へと入っていく。

 廊下や各部屋にはダンボールが山積みされ、寝室には新品のダブルベッドがでんと鎮座している。そんなダンボールの山を避けながらリビングへ着くと、同居人がダンボールの荷解きを始めていた。

「ちょっと千里、今日はもう遅いから、荷解きは明日にしようって言ったじゃない」

「ごめん、由香里。でも、食器とか下着とか、今日使いそうな物は今出しておかないと困るでしょ?」

「食器なんか使わなくてもコンビニで弁当やペットボトル買えばいいし、夜は裸で寝れば必要ないじゃない」

「は、裸っ?」

「なに照れてんのよ。今さら恥ずかしがることでもないでしょ」

「それはっ……そうだけど」

 私があっけらかんと言うと、千里は真っ赤になった顔をダンボールに埋めた。夜の時は千里の方が積極的なのに。彼女にも別人になるスイッチがどこかにあるんだろうか。

 照れる千里が可愛くて、私は彼女の頭にキスをする。なんとなく良い雰囲気になりかけていたけれど、千里の身体が小刻みに震えているのがわかった瞬間、その魔法は解けた。

「大丈夫? 寒い?」

「ちょっとね。やっぱり、三月はまだちょっと苦手かな」

 千里がちょっと困ったという風に笑う。それがなんだか切なくて、私は後ろから彼女を優しく抱きしめた。

「こうしてたらあったかいよ」

「……ほんとだ、あったかい」

 三月は、千里のご両親が心中事件を起こした月でもある。だから、毎年この時期になると千里はどこか落ち着かなくなる。ふとした瞬間に不安そうな、切なそうな表情をのぞかせる。そんな彼女を見るたびに心配で仕方なかったけれど。

 これからは、そんな千里のそばにいてあげることができる。予定を合わせる必要もなく、家に帰るだけでこうやって抱きしめて、いつでも安心させてあげることができる。それがたまらなく嬉しい。

「来週から由香里も社会人か。なんか早いな」

「年寄りみたいなこと言わないでよ。これからバリバリ働いて、めっちゃお金稼いでやるんだから」

「そういえば、大学生の時も実家通いなのにすごくバイトしてたよね。そんなにお金貯めてどうするの?」

「まずは引っ越し代。さすがに千里にだけここの敷金礼金は払わせられないでしょ?」

「私はべつにそれでもいいって言ったのに」

「ダメよ。ここは二人の新居なんだし。それに、私は千里と対等でいたいの。いつまでも学生扱いしないで」

「はい……すみません」

 本気でシュンと落ち込むところが千里らしい。この続きは恥ずかしくて、もうここで話を切り上げたかったけれど。そういう時に限って千里はしぶとい。

「それで? まだ他に理由あるんだよね、貯金したい理由」

「それは……」

「教えてくれないと、今日裸で寝てあげないよ?」

「なっ、なんでそうなるのよっ」

「ねえ、教えて。由香里のこと全部知りたい」

 こういう時の千里は、やけに大人っぽくて意地悪になる。

 私のことを知りたい。そんなことを言われたら、教えずにはいられなくなるじゃない。

「……家を建てたいの。私と千里の」

「家を?」

「海外か、日本の田舎、どっちでもいい。知らない土地で、千里と二人で住む家を建てたい」

「どうして?」

「千里と家族になりたいから」

 私の答えに、千里は目を大きく見開く。私は彼女の手を握った。

「千里、結婚しよう」

「結、婚?」

「今じゃないけど、近い将来。そんで、家建てて、そこで二人のんびり暮らそう。お互い仕事辞めなきゃいけないとかリスクはあるけどさ。私はどこでもやってける自信あるし、なんなら会社興すし。千里は専業主婦でもいい」

「専業主婦って……」

「とにかくさ、知らない土地で千里と二人、ゆっくり暮らしたいんだ。朝おはようって言って起きて、一緒にご飯食べて、二人でダラダラ過ごして、そんで夜は一緒に寝る。それってすっごく幸せなことだと思うんだよ。だからどうかなって」

 高校生の時に思い描いた、くだらないと笑い飛ばした夢。自分のことを誰も知らない土地に行きたいと願った、私の幼い幻想。

「もしかして、ずいぶん前に話した、私を知らない場所に行きたいって話、まだ覚えててくれたの?」

「うん。私も同じこと考えてたからさ、これってつまり二人の夢じゃん? そう思ったら無性に叶えたくなっちゃって」

「だから家」

「そう」

 迷いなく頷く。すると、千里はクスクスと笑い始めた。

「なんで笑うのよ、人の夢を」

「違うの。ただ、嬉しくて。覚えててくれたことも、叶えたいと思ってくれたことも」

「ダメかな?」

「まさか」

 千里はそう否定すると、空いているもう片方の私の手を握った。

「場所なんて関係ない。私は、由香里と一緒にいられるだけで幸せだから。だから、由香里と私のその夢、絶対叶えようね」

「うん……ありがとう」

 そして二人、約束のキスを交わした。

 いつか満開の桜の下、実現させた二人の夢の結晶のもと、千里と二人笑い合う日を夢見て。


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