スローライフ(1)
先生の第一印象は、ダメ教師だった。
「ちーちゃん先生、おはよー」
「ちゃ、ちゃん付けはやめてください」
「いいじゃーん。そっちの方が可愛いし。ねっ、ちーちゃん」
「えぇっ?」
またある時は。
「相模先生! この資料今日中に仕上げてって頼みましたよねっ」
「す、すみません!」
「まったく。しっかりしてください。これなら生徒会長の足立君の方がまだマシですよ」
「すみません……」
生徒にはなめられ、他の教師からは叱られ、まったく良い所が見つからない。こんな人が人にモノを教えるなんて、この学校も終わりだ。そこまで私に思わせるほどの醜態ぶりだった。
その認識が変わったのは、高校二年の秋の終わり頃。
小学生の時に好きな男子に告白したら、「思ってたイメージと違う」と言われ振られてしまった。どうやら、彼は優等生がタイプだったらしい。それ以降、恋をすることに臆病になり、この優等生の仮面も外せなくなった。
「バカみたい」
屋上の縁に座り込み、一人空に呟いてみる。
世間一般にある優等生あるあるみたいな悩みが一切無いかと問われればウソになる。でも、これは自らの保身でやっていることであり、今さら誰かに本当の自分とやらをわかってほしいとも思わない。ただ、言いようのない虚しさだけは、ずっと私につきまとっていた。
「いっそ、海外にでも移住するか」
そうすれば、私を知っている人間はいないから、破茶滅茶なことをしても誰も何とも思わない。良い大学に入って、良い会社に就職して。そしてある程度お金が貯まったら、一人で海外に移住して、悠々自適なスローライフを送ろう。経営のノウハウを勉強して、現地で会社を立ち上げるのも悪くない。
そこまで考えて、私は大きなため息をついた。
「バカみたい……」
たぶん、それを実行に移したところで、この心のモヤモヤは解消されないだろう。私が変わらない限り、世界は何も変わらない。
「なんかもう面倒くさいな」
そう、小さく呟いた直後だった。
「早まっちゃダメ!」
「へっ?」
突然、誰かに後ろから抱きつかれた。そのまま、屋上の中へと引きずり込まれる。そして、抵抗する間もなく、私は屋上で仰向けになっていた。すると、一人の女性の顔が空に割り込んでくる。それは、例のダメ教師、相模千里だった。
「何があったか知らないけど、自殺なんかしちゃダメ! 絶対ダメ!」
「はあ? 自殺? 私が?」
「え、違うの?」
私が横になったままコクンと頷くと、彼女の顔はみるみる真っ赤に染まっていった。
「ごごご、ごめんなさい! あんな所に座ってるから、つい自殺しようとしてるのかと……」
「すべての人間がそうだとは限らないでしょう。早とちりもいい加減にして。まったく、ほんとにダメ教師なんだから」
「え?」
しまった、ついうっかり家族と話す時の口調でしゃべってしまった。恐る恐る先生を見ると、目を丸くしてポカンと口を開けている。これはマズイ。
他の人に言うだろうか。優等生で生徒会長でもある足立由香里は、実は優等生でも何でもない、ただのどこにでもいる平凡な一般人だって。
まあ、それならそれでいいか。この学校に居づらくなったところで、あと一年ちょっと頑張ればおさらばできるのだから。
そう、覚悟を決めていたんだけれど。彼女の口からこぼれたのは笑い声だった。
「あははははははっ! 足立さん、ギャップが、面白っ……ははっ」
「ちょっと、笑うことないでしょ!」
なんだこいつ。ギャップが面白いって、いきなり笑い出したりして。気持ち悪い。
でも、どうしてだろう。本当に可笑しそうに笑う彼女を見ていたら、なんだか心のモヤが少し晴れたような気がした。
「はー、笑った。ごめんなさいね、笑ったりして」
「今さら遅いわよ。ほんと失礼」
「ごめんなさい。だって、あの足立さんがこんな気軽な話し方するとは思ってもみなくて」
「悪かったわね。みんなに言えば?」
「そんなことしないわよ。どうせ私が言ったって、誰も信じてくれないでしょうし」
「よく自分のことわかってるじゃない」
「手厳しいなぁ。でも、だから今のことは私だけの秘密にしておくね」
そう言って、先生は人差し指を口元に立てて嬉しそうにウインクしてみせた。どうしてだろう、その仕草がどこか憎めない。
「……先生、変わってる」
「よくみんなに言われる。頼りないとか、情けないとか、オドオドしてるとか、ドジっ子とか」
「全然良い所無いじゃない」
「そうなのよ。だから、足立さんみたいにしっかりした人には憧れちゃう」
「私、そんなにしっかり者じゃないわよ。みんなに嫌われるのが怖いだけの、ただの臆病者よ」
虚しい毎日が嫌なら、優等生の仮面を外せばいい。そうしたら楽になる。でも、それができないから、今こうして屋上でダメ教師に愚痴っているのだ。
ああ、ヤダな、こんな自分。そう思った時。
「そっか、臆病者なんだ。だったら私と一緒だね」
「……え?」
「いや、私と一緒じゃないか。足立さんは私に素の自分を見せてくれたんだもん。その時点で足立さんの方が一歩リードか」
「あの、先生?」
「大丈夫! 足立さんはきっと強くなれるよ。だって、今私に普通に話しかけてるんだもん。ハードルなんて一つ飛び越えちゃえば、あとはなんてことないもんだよ」
そう言うと、先生はまるで陽だまりのように優しく笑った。その顔があまりにも綺麗で。
綺麗事なんて大嫌いだった。そんなのは劣等感を抱いたことのない人間が、カッコいいと勘違いしてほざく戯言だと思っていたから。
でも、不思議と先生の言葉だけは私の胸にストレートに響いてくる。本当にそうなるんじゃないかという気にさせられる。先生のそのあまりの温かさに、気付けば涙が頬を伝っていた。
「えっ、足立さん大丈夫っ?」
「なんで、涙なんか……っ」
「じゃ、じゃあとりあえず私の胸貸してあげるから、思いっきり泣いていいよ」
先生は返事も聞かぬまま、私を思いっきり抱きしめた。
本当は、じゃあとりあえずってなんだ、とツッコミを入れたかったけれど。後から後から溢れ出す涙のせいでそれはできなかった。
意識して見だすと、相模千里という女性は、思っていたほどダメ教師ではないようだった。
「この前、ちーちゃん先生にダイエットが上手くいかないってつい愚痴ったの。そしたらさあ、次の日にこーんな束の用紙持ってきて。見たら全部ダイエットのことなの。夜調べてみたっつっててさ」
「うわ、ちーちゃん先生やりすぎ」
「私もビックリしちゃった。でも、なんかちょっと嬉しくて。私の何気ない愚痴でもこんな親身になってくれるんだなーって」
「あー、それちょっとわかるかも。ちーちゃん先生話しやすいし、些細な悩みごとでも真剣に聞いてくれるからね」
「たまに的外れだけど」
「はははっ、わかるー。でもさ、不思議とちーちゃん先生に、大丈夫、って言われたらそんな気になっちゃうんだよね」
「そうそう。だから、私ちーちゃん先生のこと好きー」
クラスメイトの話し声から、たまにこんな先生の話が聞こえてくる。確かにみんな先生のことを友達感覚で見ている節はあるけれど、不思議と否定的な意見は耳にしない。むしろ、生徒の中では話を真剣に聞いてくれる良い先生という評価の方が高い。
「相模先生、根性ありますよね。どれだけ鈴木先生にシゴかれても、弱音一つ吐かず食らいついてる。結構辞めてく若者も多いのに。今どき珍しいですよ」
「仕事はまだまだだけど、たぶん誰よりも生徒のことを想ってる。あれは将来良い先生になるだろうな」
鈴木先生は生活指導を任されるほど厳しくて有名で、相模先生もよく怒られているけれど。それでも彼があんな風に誰かを褒めるのは珍しい。その言葉はウソではないだろう。
そんな風に周りの評価はそんなに悪くはないのに。当の本人はというと。
「はあ……私ってほんとダメ人間。足立さんの爪の垢を煎じて飲みたい」
そう呟きつつ、壁にもたれかかり大きなため息をつく。私がそんなことないって言っても、そんなことないって否定してくる。元がネガティブな人は、自分の良い所を見つけるのが極端に下手なのかもしれないと、先生を見ていて思った。
「やっぱりここにいたんですね」
「足立さん、また来てくれたんだ」
「今日は生徒会の仕事もないですし、勉強しようにも周りがうるさいもんですから」
「足立さん、人気者だもんね」
「ええ。ここは先生しかいないので、勉強するにはもってこいです」
「どうぞ、どうぞ」
屋上での一件以来、なんとなく私と先生は話すようになり、気付けば文芸部の部室で二人話すようにまでなっていた。
「べつに無理して敬語使わなくてもいいよ。足立さんが楽なようにして」
「……べつに、無理してないし」
「そっか」
なんて言って、先生はへへへっと笑う。そんな様子が何故か憎めなくて、私は部室の扉を閉めると、向かいのパイプ椅子に座った。
先生の隣は居心地が良い。自分を繕わなくていいから楽に呼吸ができる。だから正直な話、適当に理由を作って先生に会いに来ていた。
「足立さんは、大学志望?」
「うん。両親は家から通える範囲の大学にしてほしいみたいだけど」
「足立さんは違うの?」
「正直迷ってる。通える範囲に行きたい大学はあるけど、自分のことを知らない県外もいいかなあって」
「ああ、その気持ちわかるかも」
「そうなの? なんで?」
「えっ……」
私の質問に、先生は言葉に詰まった。そして、しばし目を泳がせる。
「その……私幼い頃に両親を亡くして。そのことで周りの人達が気を遣ってくれたりして。それは嬉しかったけど、なんだか居心地が悪くて。だから、誰も私のことを知らない場所に行きたいって思ったし、実際県外の大学を調べたこともあったよ」
「……なんかごめん。辛いこと思い出させちゃった」
「気にしないで! 謝られると逆に辛い。それに、去年まで祖母と一緒に暮らしてたから」
「去年までって……」
「去年の冬にね、老衰で亡くなったの。兄弟もいないし。天涯孤独ってやつかな」
突然の重い話に、心が追いつかなかった。開いた教科書の文字は頭に入らず、手にしたシャーペンはノートを走らず空を彷徨う。
まさか先生にそんな重い過去があるなんて思いもしなかった。だって、いつもヘラヘラぽにゃぽにゃしていて、そんな素振り周りに見せたことなかったから。
私はいったいどんな顔をしていたんだろう。先生は慌てた様子で、今のなしと言いたげに両手を振った。
「ごめんね! 生徒のあなたにこんな話して。聞きたくなかったよね。なんで話ちゃったんだろう。あぁ、私のバカ……」
そう言って、頭を抱えてため息をつく。その失敗したと言いたげな様子がなんだか面白くなかった。
「べつに生徒とか関係ないでしょ。それに、今の話不快だなんて思ってないし。むしろ、先生のことが知れて嬉しいし」
「え、嬉しいの?」
聞かれてハッと我に返る。私は今なんでそんなことを言ってしまったんだろう。これじゃあまるで、私が先生のこと好きみたいじゃないか。
「……え?」
私今なんて言った? 誰が、誰のことを好きみたいだって?
「足立さん、大丈夫?」
声をかけられ、反射的に顔を上げる。すると、不思議そうな顔をしている先生と目が合った。その瞬間、カッと全身が熱くなる。
「あ、あの! 急用を思い出したので、今日はもう帰ります」
「へ? あ、うん……さよなら」
挨拶を返す余裕もなく、私は先生の顔を見ないよう急いで部室を後にした。
「ウソでしょ……ウソでしょっ?」
同性で、しかもあのダメ教師のことが好きなんて。絶対違う。これはきっと何かの間違いだ。天涯孤独な先生に同情して、それを脳が恋と勝手に勘違いしているんだ。そう必至に自分に言い聞かす。
でも。屋上で見た先生の優しい笑顔を思い出した瞬間、胸がキュッと締めつけられて苦しくなった。
この感覚は知ってる。好きだった男子のことを想っていた時の私の反応と一緒だ。そんな、まさか、じゃあ本当に私は先生のことが好きなんだ。
「勘弁してよ……」
相手は教師。しかも同性。私は生徒。こんなの、どう考えてもこの恋は叶いっこない。またあの時と同じで、きっと振られるに決まってる。
こうならないよう、ずっと優等生を演じて周りを牽制してきたのに。誰も好きにならないよう、心の中の一線を越えさせてこなかったのに。
それなのに。先生は軽々と私の一線を飛び超えてしまった。いつの間にかそこに居座って、バカみたいにヘニャリと笑って私を心を占めていった。一旦気付いてしまったら、もう無かったことにはできない。
「はあ……最悪」
その日から、私は先生を避けるようになった。廊下ですれ違っても挨拶程度しか言葉を交わさず、文芸部の部室にも行かないようにした。
先生はというと、私と会わなくなっても平気そうだった。いつものように生徒と話し、先輩教師に怒られてヘコんでいる。
それはそれで複雑な気分だった。もし先生が私に会えなくて寂しい素振りを見せてくれたら、それだけで私は嬉しくて叫んでしまいそうなのに。でも現実はそう甘くなく、先生の中での私は数多いる生徒の一人。そう考えただけて、お弁当を食べる気にもならなかった。
「会長、最近元気ないですね」
「もしかして、具合でも悪いんですか?」
「何か悩み事でも?」
窓の外を見てため息ばかりつく私を見て、生徒会のメンバーが心配そうに声をかけてくる。個人的には、ほっといてくれ、という気分なんだけど。優等生で通っている分無下にはできない。
「そうですね。勉強がなかなかはかどらなくて。少し寝不足かもしれません」
「そうなんですか? だったら、保健室でお休みになられては?」
「いえ、そこまで深刻なものでもありませんから。大丈夫ですよ」
「ですが、明日は卒業式です。当日会長に倒れられては困ります」
鬱陶しいな。大丈夫だからほっとけっつの。こういう時、相手が先生だったらそう吠えられるのに。なんだか息苦しい。まるで、世界にたった一人取り残されたみたいだ。
(大丈夫!)
ふと、屋上での先生の言葉が蘇ってきた。呼吸が楽になり、思わず頬が緩みそうになる。
「心配してくれてありがとう。大丈夫、たとえ私が倒れたとしても、きっとみんながカバーしてくれると私は信じてるわ」
『会長……っ』
ああ、これはもう重症だ。一人じゃまともに呼吸すらままならないなんて。
先生に会いたい。会って話がしたい。その声を聞いて、他愛もないことで笑い合って、お互いの存在を確認して安心したい。たったそれだけのことが、こんなにも難しいだなんて。
卒業式当日。式は無事に終わり、生徒会も解散したところで、私は一人文芸部の部室へと入っていた。そのままパイプ椅子に座り、遠慮なく長机に突っ伏す。
「疲れた……」
さすがに寝不足の身体で卒業式という一大行事での生徒会長の仕事はキツい。ふと睡魔が襲い、私の瞼はどんどん重たくなる。
部室には、文芸部が発行している部誌が棚に乱雑に置いてあり、古い紙の匂いがする。それは嫌いではないけれど、私は無意識に別の匂いを探していた。
先生の、優しい陽だまりのような匂い。キツくもなく、薄くもなく、嗅いでいるだけでほっこり落ち着くような、そんな優しい香り。
「先生……会いたい」
夢の中なのか、実際に呟いたのかわからない。それでも、私がそう願うと、不思議なことに先生のあの優しい匂いが漂ってきた。
ああ、これはきっと夢だ。深層心理が私の欲望を夢の中で叶えようとしているんだ。今だって、誰かに頭を撫でられている感触がある。
「私も会いたかった」
先生の優しい声。ほらね、先生がそんなこと言うわけないもん。それにしても、私の脳は優秀だな。匂いだけでなく声まで完璧だなんて。
「先生、好き……」
「えっ?」
そのちょっと驚いたような声で、私の意識は一気に覚醒した。目を開けてがばりと起き上がる。すると、すぐ目の前に大きく目を見張った先生が立っていた。
「え、先生いつからそこにっ?」
「それは……」
その間で答えはわかってしまった。急に恥ずかしさが込み上げ、私の顔は真っ赤になる。
「……聞いてたのね、私の寝言」
「ごめんなさい。聞く気はなかったんだけど……。でも、会いたいって言ってくれて嬉しかった。私も足立さんに会いたかったから」
「ウ、ウソよ。だって、私に会えなくても先生平気そうだったじゃん」
「そう見せてただけ。本当はちょっと怖かったの。足立さん、私の身の上話を聞いてから避けるようになったでしょう? やっぱり重く感じちゃったのかなって」
「え、全然そんなことないけど。言ったでしょ、先生のこと知れて嬉しいって」
「じゃあ、どうして私を避けてたの?」
「それは……」
何て答えたらいいんだろう。もしかして、これは絶好の告白チャンスなんじゃないか。一瞬そう思ったけれど、私は口を引き結んでそれに耐えた。
振られるのは目に見えている。今告白したって、また傷付くだけだ。
そう思い、私は無言のまま床を睨む。そんな私の態度をどう受け取ったのか、先生はふっと笑った。
「言いたくないんならいいわ。足立さんも会いたいって思ってくれてたんだってわかっただけでも、私には十分だから」
「そうなの?」
「そうよ。足立さんが私を避けるようになってから、なんだかずっと物足りなかった。あなたとここで話をして、怒られたり笑ったりして、同じ空間に一緒にいられるのがいつの間にか楽しみになってて。それができない間は、ずっと寂しかった」
「寂しかった……」
「ダメな大人ね」
先生は最後にそう付け加えると、ちょっと恥ずかしそうに笑った。それを見て、私の中のがんじがらめに巻いていた鎖が、どんどんひび割れて崩れていく。
ああ、もうダメだ。先生への想いがこの胸から羽ばたいていっちゃう。
「好きです」
「え?」
「私、先生のことが好き。だから、私と付き合ってください!」
これ以上ないってくらい身体が熱い。緊張と恐怖で心臓が張り裂けそうなくらい痛い。
それでも、もう言ってしまった。先生へのこの想いを。余裕なんてない。逃げ道も用意してない。こうなったら、覚悟を決めて先生の答えを待つ。そんな思いを込めて先生を見つめる。
きっと、答えはノーだろう。それでも、ちゃんと受け止めよう。そう思っていたけれど。
先生の答えは意外にもイエスだった。
「えっと……私でいいの?」
「え?」
「いや、足立さんの付き合う相手が私なんかでいいのかなって」
自分の顔を指して、先生は自信なさげにヘラリと笑う。その彼女の言い方にカチンときた。
「先生、それ私に対して失礼。私は先生だから、相模千里だから好きになったの。私なんかで、なんて言って自分の価値を勝手に下げないで。私にとっては恋するに十分値する相手よ」
「そ、そんなたいそうな人間じゃないよっ」
「あーもう、面倒くさいなあ! 付き合うの、付き合わないの、どっち?」
「つ、付き合います! 足立由香里さんと付き合います」
「ほんとに? 同情とかならよしてよ」
「ううん、同情なんかじゃなくて。誰かに好きって言われたことなかったから。その……純粋に嬉しいの」
その本当に嬉しそうに微笑む先生の顔があまりにも可愛くて。
熱い何かに背中を押されて、私は先生へと詰め寄る。そして、その唇にキスをした。
柔らかくて、熱い。もしかしたら、私のこの鼓動まで伝わってしまうんじゃないだろうか。
そっと唇を離す。目を開いた先にあったのは、顔を真っ赤にした先生の顔だった。
「もしかして、初めてだった?」
「うん……」
「私も。キスって良いもんだね」
「……うん」
そう微笑みつつ、私達はもう一度キスをした。
この時の私は浮かれすぎてて気付かなかった。先生の微笑みの中に、少しの翳りが混じっていたことに。
「スローライフ(2)」に続きます。




