プレゼント
由香里と付き合い始めたのは、今からちょうど一年前。彼女の方から告白してくれて、思わず私はイエスと答えた。
好きだと言われたのは初めてだったし、顔を真っ赤にした余裕のない彼女の姿に、普段とのギャップを感じて可愛いと思ってしまったから。
でも。たぶん今は私の方が彼女のことを好きだと思う。
「由香里先輩! ご卒業おめでとうございます」
「またいつでも学校に遊びに来てくださいね!」
「ええ、もちろんよ。ありがとう」
まとわりつく後輩達の群れを、その花のような微笑み一つでノックダウンさせながら、由香里は私を一瞥した。
何か言いたそうな顔。それでも、すぐさまクラスメイトに声をかけられ、彼女はそちらへと向かってしまった。私はそんな彼女の後ろ姿を見送りながら、校舎の中へと入っていく。
才色兼備で隙がなく、運動もできて大人っぽい由香里は生徒に絶大な人気があった。生徒会長も歴任したし、そのしっかりした態度に生徒だけでなく教師からの信頼も厚くて。
生徒からは「ちゃん」付けで呼ばれるほどなめられ、先輩教師からは叱られることの多い私が隣に並ぶと、どっちが教師かわからなかった。
「はあ、情けない……」
そう呟きつつ、名ばかりの顧問である文芸部の部室へと入る。週に一度しか活動しないこの場所は、鍵をかけてしまえば由香里との逢引にはもってこいだった。
「卒業、か」
はじめは、早く卒業してほしいと思っていた。教師と生徒、ましてや同性同士。二人の関係がバレてしまうのが怖かったし、それ以上に年齢的にも色々な制約があったから。
でも。月日が経つにつれて、まだ卒業してほしくないという思いに変わっていった。今までは、学校にくれば当たり前のように毎日会えていたのに。これからはそうもいかない。私には仕事があり、由香里には大学生活が待っている。毎日気軽には会えなくなるだろう。
「やだな……」
会いたい。いつものように抱きしめて、声を聞いて、その柔らかい唇に口づけて。毎日顔を見て大好きだよって伝えたい。そして照れた顔の由香里から、好きだというその気持ちをこの耳で聞きたい。
それなのに、もう明日からそれが叶わないなんて。
会えない時間が増えれば、そのうち会わないのが当たり前になってきて、いつか由香里の心が私から離れていくだろう。いや、将来有望な彼女にはもっと相応しい相手がいて、そのことに気付いた彼女が、いつか私を捨ててしまうかもしれない。
でもそれは、きっと若い由香里の将来を考えればとても大切なこと。だから私は今日、二人のために先手を打ったのだ。
「やっぱりここにいた」
軽やかな声に思わず振り返る。入ってきたのは、嬉しそうに微笑んでいる由香里だった。彼女は部室の扉を閉めると、そっと鍵をかける。そのいつもの仕草に胸が詰まった。
「みんなとのお別れの挨拶はもういいの?」
「ええ。みんな嫌いではないですけど、そこまで思い入れもありませんから」
彼女は一生徒としてそう答える。その後で、まるでスイッチを入れ替えたかのように迷わず私に駆け寄ると、なんのためらいもなく私に抱きついた。
「やっと二人きりになれた」
「うん」
ふわりとシャンプーの甘い香りが私の鼻をくすぐり、彼女を抱き返す腕に力が入る。そんな私に違和感を感じたのか、由香里はすぐに私から離れた。
「それで。話って何?」
「それは……」
いきなり核心を突くのか。どうしよう、緊張して口が上手く動かない。手が震える。そんな私の様子に何かを感じ取った由香里は、あからさまに不快そうな顔をした。
「まさか、別れ話じゃないよね」
「え?」
「だって、付き合ってる教師が卒業式の日に相手の生徒を呼び出すなんて、よくある別れ話のフラグじゃない」
「そうなの?」
「とぼけないで。言っとくけど、先生と別れる気はさらさらないからね。私の将来のことを考えてとか、マジでウザい。自分のことくらい自分で決める。先生が隣にいない人生なんて、私にはあり得ないんだから。……たとえ今別れたとしても、私はずっと先生のこと想い続ける」
「由香里……」
「きっと死ぬまで先生のこと想い続ける。そしたら、結婚できないし、家庭も持てないし、好きな人を作ることもできずに、私は一人寂しく孤独死するの。それなのに、私にそんな悲しい人生歩ませようとするなんて。悪いとは思わないの? 一ミリでも良心の呵責があるんなら、私と別れようとしないで。私は、こんなにも先生のこと大好きだから。ずっとずっと、大好きだから」
泣きそうな、それでいて必死な顔。
私以外の人の前では、ベストオブ生徒会長と周りに言わしめるほど凛々しくてカッコイイのに。そんな彼女が、今は駄々をこねる子どものようにわがままを言っている。そんな由香里の姿を見て、私は笑いが堪え切れなくなった。
「ふふっ……由香里、優等生の、仮面、剥がれてる……ふははっ」
「ちょっ、なんで笑うのよ! こっちは真剣なのに!」
「ご、ごめ……っ」
「それに……先生の前で優等生の仮面なんか被ったことないわよ」
由香里は恥ずかしそうにぷいと顔を逸らす。そんな仕草が可愛くて、たまらず私は彼女を抱きしめた。
「ごめんね、笑ったりして。ただ、由香里があまりにも的外れなことを必死に言ってくるから、聞いてるうちに可笑しくなってきちゃって」
「的外れ?」
「私、由香里と別れる気はないわ。だって、私も由香里のこと大好きだし、私には由香里が必要だってちゃんと自覚してるもの」
「は……はあっ? 別れる気はないって……じゃあなんでわざわざ呼び出したのよ」
「それは、これを渡したくて」
そう言って、私は上着のポケットから、赤いリボンの付いた鍵を取り出した。
「これって……」
「私の家の合鍵。卒業祝いのプレゼント」
由香里の手を取って、その中に鍵を落とす。彼女はまるで珍しい宝石でも見るかのように、その目を丸くしてまじまじと眺めていた。
「私ね、全然大人じゃないの。年甲斐もなく取り巻きの彼女達に嫉妬したり、卒業して由香里と会えなくなるのが寂しくて仕方なかったりしてて。最初は、由香里の将来のために別れるのも一つの選択肢だと思ってた。でも、私も由香里と同じで、あなたが隣にいない人生なんて考えられなかったの」
「本当っ?」
「ええ。だからね、会えないって諦めるんじゃなくて、少しでも会える時間を作る努力をしようと思って」
「それがこれ?」
「うん。合鍵があれば、講義やバイトに関係なく、いつでも好きな時に気軽に会いに来れるでしょ? 私がいない間も部屋で待つこともできるし。だからどうかなって」
家に帰ったら由香里がいて、「ただいま」って言えば「お帰り」って返してくれる。それはなんて素敵な日常。
好きな人が家にいてくれる。たったそれだけのことで、それまでの会えない時間が全部チャラになるような、そんな幸せ。私的にはナイスアイデアだと思ったんだけれど。
由香里は眉をひそめたまま、ピクリとも反応しない。そんな態度に不安が募る。
「ダメだったかな?」
「うん、ダメ」
「えっ?」
「先生の家の合鍵じゃダメ。それくれるくらいなら、もういっそ一緒の鍵を作ろうよ」
「一緒のって、どういうこと?」
「もう、先生鈍いなぁ。一緒に住もうって言ってんの!」
「一緒にって……えぇっ、同棲っ?」
まさかそこまで話が飛ぶとは思ってもみなかった。私は慌てて否定する。
「ダ、ダメだよ! まだ早いっ」
「なんで? 私達付き合ってもう一年経つし、私は今日無事卒業したし。悪いことなんて何もないじゃない。それに、合鍵なんかもらったら、きっと私先生家に入り浸ると思うし。だったら、初めから一緒に住む方が効率いいでしょ?」
「それはそうだけど……」
「なに、先生は私と一緒に住みたくないの?」
「ううん、一緒に住みたい」
「だったら!」
「由香里、ちょっと落ち着いて」
一緒に住んで、大好きな由香里と同じ人生を歩んで。きっと、それ以上に幸せなことなんて私にはない。でも。
「私も由香里と一緒に暮らしたい。でも、たぶんそれは今じゃない。今から一緒に住むってなっても、この時期の物件探しは難しいだろうし。それに、もともと由香里は実家から大学に通う予定だったんでしょ。だったら、ご両親にはなんて説明するの? 在学中に付き合ってた学校の先生と同棲しますって話す?」
「それは……先生に迷惑がかかるからダメ」
さすが、学年トップの優等生。冷静さを取り戻せば、彼女はすべてを言わなくても私の話を理解してくれる。
「私的にはご両親に説明してもいいけれど、きっとこのタイミングだとあまり良い印象は持たれないでしょう? それはちょっと寂しいかなって」
「私も、家族に先生の悪口言われるのはヤダ」
「だったら、もう少し落ち着いてから一緒に暮らそう。会える時間は減っちゃうけど、それはすごく寂しいけど、その分由香里のことめいっぱい愛すから」
「本当?」
「本当」
「本当に、私に会えなくて寂しい?」
「すごく寂しい」
「そっか……先生も寂しいって思ってくれてたんだ。だったら、それだけでもすごく嬉しいかも!」
そう言って、由香里は本当に嬉しそうに無邪気に笑った。それを見て、私の中に熱い衝動が駆け巡る。
由香里はズルい。いつも簡単に私の理性の鍵を壊していく。
私は自分を抑えきれなくて、思わず由香里を抱きしめた。そしてそのまま、彼女の唇を奪う。
「……せ、先生?」
「続きをしてほしいなら、名前で呼んで」
親指で由香里の頬を撫でながら、大人っぽく意地悪を言ってみる。彼女は耳まで真っ赤に染めながら、震える唇を動かした。
「ち、千里……」
「うん、よくできました」
ご褒美として、開いた口に自身の舌を滑り込ませる。
熱くて、深いキス。今日は由香里が無事卒業した日で、なおかつ私達が付き合い始めて一年の記念の日だから。いつもより長めに愛情を注いであげた。
「んっ……はあっ」
唇を離す。のぼせたようなトロンと蕩けた顔の由香里が可愛らしい。また好きが溢れてきたけれど、今度は額へのキスで我慢した。
「由香里、可愛い」
「先生の……千里の前でだけなんだからね」
「うん、わかってる」
嬉しくてクスクス笑う私を、由香里は恨めしそうに睨む。しかし、すぐさま私と一緒に笑ってくれた。
大丈夫。たとえ由香里が卒業したとしても、私達はお互いを信じ合える。会える時間は減っても、その分大好きだって伝え合える。だって、こんなにもお互いのことを必要とし合っているのだから。
「それで。この鍵はどうするの?」
「卒業祝いのプレゼントなんでしょ? もちろんもらうわ」
「良かった」
由香里の手の中で、合鍵が嬉しそうにキラリと光る。
大丈夫。由香里がいつ寝泊まりしてもいいように、荷物が置けるスペースはもう確保してあるから。
そのことは、まだ彼女には秘密にしておこうと思った。




