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百合三昧(短編集)  作者: 渡辺純々
30/42

愚痴大会

 私は人間が嫌いだ。

 まろやかに言い換えれば、私は友達を作るという行為が苦手なのである。最初は頑張っていた。しかし、途中で疲れて諦めた。適当に受け流し、都合よく相槌を打ち、愛想笑いを繰り返す。そうして、誰にでも当たり障りなく人畜無害に生きていたら、気付けばいてもいなくてもいいような薄い存在になっていた。そんな人間と深く付き合おうと考える人間など現れるはずもない。

 だからこそ、私は今まで誰にも本音を話したことがなかった。それは一見カッコイイようにみえて、実はとても滑稽な行為だと思う。なぜなら、言わないのは相手の反応が怖いからであり、自分は臆病者だと教えているにすぎない。

 つまり私は、人との関わりを恐れている。でも、それを気付かれたくなくて、人間が嫌いだ、などと虚勢を張る。卑屈で面倒くさい人間だと自分でも思う。でも、そうでもしなければ、自分を保っていられない。

私は幽霊のようにこの世を彷徨う。

 この世界に、私の居場所はどこにも存在しない。



 嫌だった今日のゼミの飲み会は終わっている。それなのに今私の頭がどんよりと重いのは、きっと彼女のせいに違いない。

「ちょっとぉ~、聞いてるぅ?」

 拗ねた子どものように唇を尖らせながら、彼女は私の両肩を掴み前後に激しく揺さぶる。

「き、聞いてますってば」

 ガクガク揺れる景色。耐えきれなくなって私は彼女の手を振り払った。これ以上揺らされたら吐いてしまいそう。いっそのこと彼女に向けて吐いてやろうか、なんて憎しみのこもった悪魔の囁きがスッと脳裏をよぎるが、彼女が「それならよーし」なんて無邪気に笑うものだから、怒る気力も萎えてしまって、結局私は頭を抱えつつ彼女の話に耳を傾けることになってしまった。

 どうしてこんなことになったのだろう。

 今日はゼミの飲み会。私のゼミ担当のまっちゃん先生は、一つの有名な難点があった。それは、酔うととんでもなくお喋りになる事。まっちゃん先生は、帰りたい私達を無視してほろ酔い気分良い気分でガンガン言葉のマシンガンをぶっ放す。そして当然の結果として、私は終電を逃してしまったのだった。

 ここまでならまだ我慢出来る。しょうがないな、なんていって朝まで過ごせる場所を探しに行く元気も残っていたはずだ。

 しかし私が頭を抱えるほど悩んでしまったのは、この後に起こった出来事が原因だった。

 終電を逃し落胆する私の目に、一人の女性がホームの柱に寄り掛かって座り込んでいる姿が目に飛び込んできた。薄暗いホームの端にただ一人。誰にも相手にされず取り残されていく。

 いつもの私なら、さっさと無視して通り過ぎていただろう。しかし、この時だけは違った。自分でも信じられないことに、まるで吸い寄せられるように彼女に向かって足が動いていた。そして、私は生まれて初めて自分から相手に声を掛けた。それが後悔の始まり。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃなーい。私を一人にしないでぇ、一緒にいてぇ!」

 彼女は酔っぱらっていた。顔も赤く、少し酒臭い。これはマズイ、と咄嗟に彼女から離れようとしたのだが、彼女の方が私よりも早く反応していた。

「つっかまえた~」

 いひひっ、なんて言って、彼女は座ったまま私の腰に手を巻き付けて動きを封じる。

「は、な、し、て、く、だ、さ、い!」

 酔っ払いに絡まれるとロクな事がない。それはまっちゃん先生で実証済み。私は力を振り絞って彼女から離れようともがく。しかし、彼女の手はなかなか離れない。そんな細っこい体のどこにそんな力があるのだろうか。まったくもって腹立たしい。

 しばらく二人の葛藤が続いた。そして先に折れたのは、私だった。

「わかりましたよ、もうっ」

 わかった、と言ってしまったものは仕方ない。私は「やったぁ」なんて大はしゃぎする彼女をなんとか引きずって、泊まれるホテルを探した。

 幸いホテルはすぐに見つかり、「いーや」と白い歯を見せて割り勘を拒否する彼女に軽くチョップを食らわせつつ、私は二人分の宿泊代を支払ってチェックインする。スーツ姿の見た目は、どう考えても社会人。あとで絶対支払ってもらおうと心に誓う。

 そうこうしているうちに、私達二人は部屋に入った。ここまでくれば、あとはもう寝るだけ。そう思ってホッと胸を撫で下ろす。しかし、そんな私に待ち受けていたのは、彼女の愚痴攻撃だった。そして今に至るのである。

「あのハゲ、私が女だからって、お茶を汲め、とか、発言はもっと控え目にしろ、とか、だから結婚出来ないんだ、とか。うるっさいっての! あんたみたいな無能が上司やってるから、他の事務所から総スカン食らうんだよ」

「はあ」

「田中さんなんか、仕事出来ないくせに顔や体の美容ばっかりにお金と時間かけちゃって。良い男捕まえる為に合コン行く余裕があるなら、少しは勉強しろっての!」

「はあ」

 終始、こんな調子。彼女の愚痴をひたすら私が聞き流す。

 本当に、いったいどれだけ溜め込んでいたんだというくらい、まあ愚痴が止まらない。仕事の愚痴、同僚の愚痴、家族の愚痴、果ては全然関係のない近所のおっさんの愚痴まで。名前を聞いても誰か知っているわけはないけれど、それでも彼女の愚痴をずっと聞いていれば、だいたいの関係性は見えるようになってくる。ざっくり結論づけてしまえば、彼女の周りは敵だらけらしかった。

 ああでも、正直言って、しんどい。ただでさえ今日は飲み会があって疲れているのに、これじゃあ拷問と一緒だ。早く帰りたい。そうでなくても、人とこんなに話したのは小学校以来で頭がクラクラするのに。

「そういえば、あなた名前なんて言うの?」

 急な角度からきた質問に、私は「へ?」と間抜けな声を出した。

「名前ですか? 私の?」

「他に誰がいるっていうのよぉ」

 確かに、この部屋には私と彼女しかいない。私は自分の顔を指して確認するのを止めた。

 名前、名前ねえ。なるべくなら見知らぬ他人に本名は名乗りたくない。

「じゃあ、ポンタで」

 あれこれ悩んだ結果そう告げる。すると、それまで弾丸を吐き出していた彼女の口が急に開いたまま動かなくなった。そして。

「あはははははははははっ! ポンタ、ポンタって! 女の子なのに変な名前」

 そう言って私を指さしながら彼女はお腹を抱えて笑い始めた。

 変な名前。確かに、自分でもそう思う。これは、小学生の時クラスメイトが私の苗字をもじって付けたあだ名だった。ふと思い出して名乗ってみたのだが、ここまで爆笑されるとは思わなかった。ちょっとイライラする。

「そういうあなたの名前は?」

 少し拗ねたように聞いてみる。彼女は笑い疲れてヒーヒー言っていたけれど、しばらくすると呼吸を整えて、やっと口を開いた。

「そうね、私の名前はピーちゃんでいいわ」

 鳥の名前か。私のとそう変わらないだろう。そう心の中でツッコミを入れる。まあ私も人のことは言えないが。

「むふふっ、ポンタ、ポンタ」

 私の名前がツボに入ったのか、ピーちゃんは私の名前を陽気に連呼する。

 いつもの私ならサラッと受け流していただろう。はいはい、なんて言って軽くあしらうくらい朝飯前に出来たはずだ。

 しかし、今日の私はどうかしていた。きっと終電を逃したことや、変な酔っ払いに絡まれたこととかのストレスが溜まっていたんだと思う。

「いい加減にして!」

 その私の一喝で、ピーちゃんの動きが止まった。何事かと目を丸くしてこちらを見ている。しまった、と思ったものの、一度吐き出されたものは出尽くすまで自分の意思では止められない。

「ポンタ、ポンタって。だったらあんたはなんなのよ。ピーちゃんって、あんたは鳥か。仕事してるくせに宿代学生に払わせて、恥ずかしくないの? もう今日ほんと最っ悪! 終電逃すわ、酔っ払いの愚痴聞かせられるわ。だいたい、まっちゃん先生がいけないのよ。先生の若い頃の話なんてねえ、もう何十回と聞いて飽き飽きしてるんだから。西田さんも西田さんよ。幹事なんだから終電の子とかの事も気にかけなさいよね!」

 ズガガガガガガッ。マシンガントークならぬ、マシンガン愚っ痴ー。うわ、全然上手くないオヤジギャグ。

 ピーちゃんは突然出てきた私の愚痴の大波に、口をあんぐりと開けて飲み込まれていた。

 やってしまった。ありえない。今まで十何年間ずっと我慢してきたのに。こんなことで、これまでの私のスタンスが崩れるなんて! ……まあいいか。どうせ相手は見知らぬ酔っ払い。こうなったらヤケだ。

「柴田さんだって毎回毎回授業の度にノート見せてって。私はあんたのノートテイカーじゃないっつの。テストで赤点でも取ればいいんだわ。河合さんの話は彼氏のことばかりで全っ然面白くない。誰もあんたの恋愛模様なんて興味ないっての。ケンカしたんならさっさと別れて一人ボッチになればいいんだわ。あーもう、どいつもこいつもバカばっかり!」

 言い切った。がっつり吐いてやった。あるはずのないボクシングのゴングが試合終了を告げる幻聴が聞こえた気がした。

 これが愚痴る? 本音を晒す? なんだこの爽快感は。今までに味わったことのない感覚。まるで塞き止められた水が、一気に流れていくような気持ちの良さ。これが愚痴る。すごい、なんて快感なんだ!

 私が得も言われぬ感情に浸っている反面、室内は、しん、と静まりかえっていた。今この空間には私の荒い呼吸の音しか聞こえない。どうしよう、ピーちゃんはこんな私をどう思っただろう。変なヤツって思われたかな。そう私が不安がっていると。

「ポンタ!」

 突然、ピーちゃんが両手で私の顔を勢いよく挟んだ。まさかそんなことをされるとは思ってもみなかったので、怒るどころか痛いと言うことさえ忘れてしまう。そんな私を、ピーちゃんは顔を近づけじっと見つめた。

 なんかちょっとドキドキする。私がそう思っていると、ピーちゃんは急にニカッと笑ったかと思うと、ぎゅっと私を抱きしめた。

「私は嬉しいよ、ポンタ! 私達は仲間だ、同志だ、愚痴仲間だ!」

「ぐ、愚痴仲間ぁ?」

 “仲間”という初めて言われた単語に、私の脳内がグニャリと歪んだ。

「嫌?」

 ピーちゃんは私から体を離し、上目遣いでそう訊いてくる。

「いや、その……私基本人間が嫌いなので」

 動揺していたからか、その仕草が可愛かったからか、私は思わずいつも心に秘めていることを口にしてしまった。やばい、変な奴って思われたかな。聞いたピーちゃんは、電池の切れたロボットのように動かない。

 ホテルの外を、けたたましい音をかき鳴らしてバイクが通り過ぎる。そして、ピーちゃんの顔が何故かパァっと明るくなった。そして再び私に抱きついてくる。

「私と一緒だ! やっぱり仲間だぁ!」

「はあ? 一緒ってどういう……ちょっと!」

 ピーちゃんも人間嫌い? まさか。それを確認したいのに、ピーちゃんが私の頬に自分の頬を当ててスリスリするものだから、上手く喋れない。あ、でも良い匂い。

「でも、愚痴を聞いてくれるポンタは大好き!」

 大好き。その言葉に、私の心臓が一つ大きく脈打った。何これ、何この感覚。まるで細胞一つ一つが発熱しているみたいに、熱い。爽快感とはまた違った感情が私の胸に小さく灯る。な、なにこれ。私どうしちゃったの!

「よし、今日はとことん愚痴ろう! 愚痴って悪い膿を心から取り除こう! 今日は愚痴大会だぁ!」

 ピーちゃんはそう言って、はしゃぐ子どものように元気よく拳を突き上げた。

「お、おう」

 つられて、私も拳を天井に突き上げた。

 色んな感情の渦に巻かれて、上手く脳内が処理出来ていないけれど。

 まあ、いいか。ここで出会ったのも何かの縁。きっと神様が愚痴を言えない私を見かねて、ピーちゃんという酔っ払いを召喚してくれたんだ。だったら遠慮せず思いっきり愚痴を言って聞いてやる。

 大好き、という魔法の言葉は、私にそれほどまでの効力を与えたのだった。



 ピーちゃんと出会ったあの日、私達は夜遅くまでお互い愚痴り合っていた。そのうち、気が付けば私は眠りに落ちていて。そして次の日、私が目を覚ますと、もうそこにピーちゃんの姿はなかった。代わりに、二人分のホテル代と、「昨日はありがとう」という手紙がベッドにぽつんと置いてあるだけだった。

 その時のピーちゃんの気持ちを考えてみる。目が覚めた時の驚きは想像に難くない。それでも状況を冷静に分析して、きちんと宿代と手紙を残して去るのだから、酔っ払っていなければピーちゃんはちゃんとした一人前の社会人なのだろう。

 いったい、どんな仕事をしているのだろうか。パッと見、年齢はさほど離れていないと思われる。スーツ姿だからどっかの会社のOLとかしているのだろうか。そこまで考えて、私はふと我に返った。

 まただ、またピーちゃんのことを考えている。

 ピーちゃんと別れてから三週間、私はピーちゃんのことばかり考えていた。不満や怒りが出てくる度、それと一緒にピーちゃんの顔が浮かび上がってくるようになったのだ。私のこの愚痴を、ピーちゃんはどのような顔で聞いてくれるだろう、どんな意見を言ってくれるだろう。そう思えば思うほど、ピーちゃんにこの愚痴を聞いて欲しくてたまらなくなった。

 どうしてだろう、それまではどうってことなかったのに。上手く飼い慣らして過ごしてきたのに。ピーちゃんに愚痴をこぼしてからというもの、あの時の快感が私の胸を焦がしてやまない。こんな気持ちは初めてだった。

 酔っててもいい、ピーちゃんに会いたい。

 あの日、どうして私はピーちゃんと連絡先を交換していなかったのだろう。今まで必要無いと思っていたけれど。今回ばかりは日頃の自分の卑屈な行動を恨めしく思ってしまう。これでは、もう二度と会えないかもしれないじゃないか。あーもう、私のバカ。

「あなたも行く? これ、チラシ」

 その声に我に返る。見ると、同じゼミ生の一人が一枚のチラシを差し出していた。

 なんでも、今日巷で有名なやり手女弁護士の講演があるのだという。彼女達はその情報だけ告げると、私を置いてさっさと校舎の中へ入っていってしまった。

 ミーハーな奴ら。流行を見た、やったからといってそれと同じになれるわけはないのに。

 正直興味が無い。しかし、不思議と意識は動くもので。私は渡されたチラシに視線を落とした。そして、絶句した。

 彼女達から渡された一枚のチラシ。そこには今日講演する女弁護士の名前と顔写真がわかりやすく載っていた。私が絶句したのは、その顔写真。その顔には見覚えがある。

「……ピーちゃん?」

 まさかあの日の愚痴り相手が、今日講演を行う有名なやり手の女弁護士? そんなバカな。そんな偶然あるわけがない。

 私はチラシを握り潰して走り出した。確かめなければ。このチラシに載っている人が、私の知ってるピーちゃんかどうか。実際に会って、この目で見て、聞いて、確認しなければ。私にはその権利がある。

 私の足はとある教室へと真っ直ぐ進む。走っている間、私の胸中は複雑だった。

 あんなに会いたかった、愚痴を聞いてほしかったピーちゃんに、もしかしたら今日会えるかもしれない。それなのに、私の気持ちは浮かなかった。本当ならもっと喜んでもいいはずなのに。まるで小さなトゲが手に刺さったかのように、何かが私の胸をチクリと刺している気がする。そんな不安が私の足を重くしていた。

 結果だけ言ってしまえば、その女弁護士は私の知っているピーちゃんだった。

 檀上に上がり、流暢に話す彼女は、あの日の酔っ払ったピーちゃんとはまるで別人みたいに凛々しかった。だからはじめは間違いだと思ったくらいだ。しかし、最後の方で目が合った瞬間、彼女が驚いたように目を見開き、そして音も無く唇を「ポンタ」と動かしているのを見て、私は彼女がピーちゃんだと確信した。

 ピーちゃんに会えた。それなのに、私は何故か外で一人泣いていた。胸が苦しくて。

 講演後、ピーちゃんは学生達や教授らに囲まれていた。きっと、あれがピーちゃんの本来の姿。

「やり手? 有名? 弁護士?」

 それまで身近に感じていたピーちゃんの存在が、急に雲の上にあるように遠く感じる。

 ピーちゃんの周りには人が集まる。だから、きっと私など必要としない。

 ああ、そうか。私は、ピーちゃんと友達になりたかったんだ。私のことを大好きだと言ってくれた、酔っ払いのピーちゃんと。しかし、一方通行の想いは叶わない。それがわかってしまって、今こんなにも悲しいんだ。

なんて愚かなんだろう。幽霊みたいな私が、普通の人間と友達になれる訳がなかったのに。こうならないように、今まで欲しがらないようにしてきたのに。

 でも、もう私は欲しがってしまった。けして手に入らないものを。この傷口はどうしたら埋められるだろうか。

「バカみたい。たかだか一日会っただけなのに……」

 つい口を突いて出た言葉。しかし、それが心とは裏腹だとうことは、この涙がもう証明していた。



 どれくらい歩き回っていただろう。私はあてもなくただ街をフラフラと歩いていた。ただ家に帰りたくななくて。家に帰って一人でいるのが今日は苦痛に思えて仕方なかった。

 ふと我に返れば、電車のお尻が遠のいていく、どうやら最終電車がホームを出発したらしい。何をやってるんだろう、私は。ここにピーちゃんが現れる保証なんてどこにもないのに。

「ポンタ」

 名前を呼ばれた気がして振り返る。そこには、今日の講演の時と同じ格好をしたピーちゃんが苦笑を浮かべて立っていた。

「やっと見つけた」

「ピーちゃん……」

 私は今どんな顔をしているだろう。嬉しそうな顔? 困った顔? それとも愛想笑い?

 自分のことなのによくわからない。ただ、今私の目の前にピーちゃんがいる。それはどうやら私の妄想などではなく、現実らしかった。

「私としたことが迂闊だったわ。あなたの連絡先を聞いていなかったんだもの。あの日の話の内容から、あなたがこの界隈の大学生ってことまではわかっていたから、ここら辺の大学の講演依頼を片っ端から引き受けてあなたを探してたの」

 そして今日見つけた、と言ってピーちゃんは微笑んでみせた。

 ハキハキと流暢に喋るピーちゃん。その姿はまるで見知らぬ他人のよう。その姿が私の胸を小さく締めつける。

「どうして……」

 私なんかを探していたの? 続きの言葉は怖くて口に出せない。それでもピーちゃんは私の疑問を正しく理解して答えを導き出した。

「ポンタに会いたかったから」

「ウソだ!」

 間髪入れず、というタイミングはこのことを言うのかもしれない。それほどまでに私の叫びは早かった。

 続きを聞きたくなかった。それ以上聞いてしまったら、私はすべてを自分の都合よく考えてしまいそうだったから。

「私なんて必要ないでしょ? だって、ピーちゃんの周りには人が集まるもの。だからこれ以上、私の目の前に現れないで!」

 あの、友達なんて必要ないと虚勢を張っていた私が、心から友達になりたいと思った唯一の人。

 だが、もう遅い。希望は確かに心躍らせるけれど、裏切られれば絶望へと変わる。今の私の状態はまさにそれだった。だったら、傷が浅いうちに終わらせなければならない。

「さよなら」

 ピーちゃんの顔をみることなく、私は歩き出した。帰るあてはない。唯一の私の居場所はたった今自ら失くしてしまった。今更どこへ行く気もない。

 俯いたまま、ピーちゃんの横を通る。そして過ぎようとしたところで、私の左腕を何かが引っ張った。反射的に腕を見ると、それはピーちゃんの右腕だった。

「ポンタ!」

 引っ張られて、ピーちゃんと向き合う。ピーちゃんは私の顔を両手で優しく包んだ。

 ピーちゃんはじっと私の目を見つめる。怒られるのだろうか。そう思って覚悟していたのだが、私の予想に反してピーちゃんは柔らかく微笑んだ。

「ポンタは大げさね。それでいて視野がとても狭い」

「え?」

「人が集まるイコール友達が多いとは限らないわよ?」

 ものすごく真顔で尋ねてくる。だから私も、すぐには何を言っていいのかわからなかった。

「いや、だって……」

「前に言ったでしょう? 私も人間嫌いだって。友達なんて一人もいないわ」

「ウソでしょ?」

「ほんとよ。どう説明したら納得してくれるのかしら」

 そう言ってピーちゃんはコロコロと笑った。彼女のそのあっけらかんとした顔を見て、どうしてだろう、なんだか肩の力が抜けていく。

「ほら、私って美人で仕事出来て人気者でしょう? だから学生時代から友達どころかひがまれて嫌われることの方が多くって」

「すごい嫌味に聞こえる」

「だって事実だもの。私も上手く立ち回れば良かったんだけど、そこら辺不器用でさ。そっちが嫌うならこっちも嫌ってやる、って意固地になっちゃって」

「それで人間嫌い?」

「そう。職場もね、同僚といえども出世とかを狙うやからが多くて敵だらけ。うっかり気を許してしまったら、蹴落とされちゃうし」

「なにそれ、嫌な職場。大変だね」

「まあね、でも、好きでやってる仕事だから。その分仕事にのめり込んじゃって。気付けば気を許せる人が誰もいなかった」

 ピーちゃんが愚痴以外のことを話しているのは新鮮だった。ピーちゃんが自分のことを語っている。それを聞くのは全然嫌ではない。

「あの日はね、もう限界だったの」

「あの日って、二人が出会った日?」

「そう。今まで誰にも言えず溜め込んできた愚痴や感情に、心が蝕まれて悲鳴をあげてた。早く出して。吐き出して。私を助けてって」

 ピーちゃんの言葉の一つ一つに、私の心臓はドキドキした。これは、ピーちゃんの本音。それを聞くことは、ピーちゃんの心に近づいていくことだから。

「そんな時、あなたが現れた」

 そう言うと、ピーちゃんは私を見た。思わず「私?」と訊き返す。ピーちゃんは肯いた。

「嬉しかった。これはきっと神様が可哀相な私に与えてくれた、救いの女神だったんだって。そう思った」

「女神だなんて大げさな」

 そうツッコミつつ、私は内心驚いていた。だって、ピーちゃんも私と同じことを考えていたのだから。

「だからね、その……」

 それまで川の流れのようにサラサラと出ていた言葉が急に止まった。何事かとピーちゃんの方を見てみると、ピーちゃんの頬がほんのり赤くなっている。

「私、けっこうお酒強いのよ。だから、だからね。あの日、確かにお酒は飲んでいたけれど、本当は酔っ払ってなかったの」

「へー……って、えぇ?」

 仰け反るように驚く私に、ピーちゃんは頬をポリポリ掻きながら視線を逸らした。なんだ、その聞き捨てならないセリフは。

「あれ、ピーちゃんの演技だったの?」

「だって素面で、私の愚痴を聞いてください、って言っても誰も相手にしないでしょう?」

「むしろ、変な奴と思って離れる」

「でしょ! だから酔っ払いなら許されるかなーって思って咄嗟に」

 実行に移したわけだ。そして、私はまんまとピーちゃんの罠にはまってしまった。愚痴を聞いてくれる相手として。なんだか釈然としない。しないけれど、不思議と怒りは湧かなかった。むしろ、込み上げてきたものは、笑いだった。

「あはははははっ! ピーちゃん変なの」

 あの、講演中凛々しかった弁護士のピーちゃんが、酔っ払いのフリをしていたなんて。そのギャップが可笑しくて私は本人の前で大口を開けて笑った。ピーちゃんは「なによう」と言って頬を膨らませて抗議する。しかし、途中で諦めたのか、その口をニッコリマークに代えて私と一緒に笑ってくれた。

 気持ちが良かった。こんなに笑ったのは何年ぶりだろう。ピーちゃんは、私の中に眠っていた様々な感情を引き出してくれる。でも、全然嫌じゃなくて、むしろ心地が良い。

 ひとしきり笑い終わった私の目の前に、ピーちゃんの右手がスッと差し出された。

「私と友達になってください」

「え?」

「これが言いたくて、あなたを探していたの」

「でも、私なんかでいいの?」

 ピーちゃんの気持ちは嬉しい。でも、今まで友達を作れなかったこんなひねくれた私が、はたしてピーちゃんの友達になってもいいのだろうか。

 しかし、ピーちゃんはそんな私の迷いを笑顔一つで一蹴した。

「あなたでなければダメなのよ。だって、あの日から今日まで、私はずっとあなたのことばかり考えていたんだから」

 それはもう魔法の言葉だった。それは胸の奥深くに沈めていた私の欲望の箱を見事軽やかに開けていく。そして、中から虹色の光が溢れて私の心を満たしていった。

 人と関わるって、こんなに素晴らしいことだったんだ。

 暖かい何かが胸に込み上げてきて、そして私の腕を突き動かす。

「よろしくお願いします」

 私は、差し出された右手を握った。そして確信した。

 これからは、家でもなく、大学でもなく、世界中のどこでもなく、ピーちゃんの隣こそが私の居場所なのだ。私が私でいられる唯一の心の拠り所。このこそばゆくて、でも暖かくて優しい気持ちを、どうやったらピーちゃんに伝えられるだろう。

「なんだか告白したみたい」

 そう言ってピーちゃんは照れたように笑った。つられて私も頬を朱に染めながら笑った。

 幽霊は、認識されなければ存在しないのと一緒だ。ピーちゃんはその目で、心で、しっかりと私を見つけてくれた。そこで初めて、私という存在が姿を現すことが出来る。それはなんて奇跡。

 ピーちゃんが私にとってこの世界の居場所であるように、ピーちゃんにとっても私はそうでありたい。

 なれるだろうか。いいや、なるんだ。ピーちゃんが隣にいてくれるなら、私はきっと変われるはずだから。

「これからどうする?」

 ピーちゃんが腕時計に視線を落とす。

「そりゃあ、もちろん」

 私はピーちゃんと目を合わせた。もう、二人の答えは決まっていた。

『ホテルで愚痴大会!』

 大きく突き上げた二つの拳は、お月様だけが優しく見下ろしていた。


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