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百合三昧(短編集)  作者: 渡辺純々
28/42

バカ待つ二人(1)

(なぎさ)先輩は結婚式に呼ばないつもりですか?」

 私がそう質問すると、夏菜子(かなこ)先輩は手にしていたティーカップを静かにテーブルに置いた。

 年末年始で実家に帰省していた夏菜子先輩を呼び出し、市内にある喫茶店へと入る。午後の店内は隣席の話し声すら気にならないほど賑やかだったけれど、かえって私達には好都合だった。

 夏菜子先輩は俯いたまま何も答えない。そんな態度が私のイライラを加速させる。

「自分の都合で振っておいて、後は知らん顔なんて。自分だけ幸せになって、いいご身分ですね」

「やめて」

 夏菜子先輩が辛そうな顔をして言葉を遮る。責めるような口調になってしまったのは、私がもう何年も渚先輩に好意を抱いているから。二人が別れてからもう五年も経つのに、渚先輩の心はいまだ夏菜子先輩に縛られている。そんな嫉妬も混じっていた。

「渚を結婚式には呼べないわ。そんなひどいこと私にはできない」

「そう言って、本当はただ怖いだけなんじゃないですか? もしかしたら恨まれるかもしれないし、もう二度と笑い合うことができなくなるかもしれない。結局、先輩は自分が傷付くのが怖いんです。渚先輩は傷付けたくせに」

「それは否定しないわ。確かに渚にはひどいことをしたと思ってる。だけど、ギクシャクしたままもう二度と会えなくなるのは嫌なの。できたら、また友達に戻りたい」

「ワガママですね。でも、そう思ってるんならなおさら結婚式に呼ぶべきです。恨まれるリスクはあなたが背負うべき責任。逃げるなんて卑怯だ」

「相変わらず、思ったことをズバズバ言うのね。私、知ってるのよ。あなたが渚に好意を寄せていること」

「だったらなんなんです?」

「今の状況はあなたにとってチャンスじゃない。私と渚の関係を修復するより、あなたが渚と付き合う方が良いんじゃないの?」

「なにそれ、新手の嫌がらせですか? そんなことができるなら、もうとっくにそうなってます。でも、渚先輩は夏菜子先輩が思ってるよりはるかにあなたを愛してる。私の入り込む余地はないんです」

「それこそ、そう言い訳して逃げてるだけなんじゃないの? 告白してもいないくせに、私だけ責められるのはフェアじゃないわ。私よりあなたの方が渚を救ってあげられるかもしれないのに」

「私だって、それができるならそうしてますよ!」

 カチンときて、つい大声が出てしまった。周囲の人間が何事かとこちらに視線を向ける。しかし、しばらくするとまたおしゃべりに夢中になった。私はテーブルの下で拳を強く握りしめる。

「私だって、渚先輩を助けてあげることができるのならそうしたい。でも、悔しいけれど、あなた以外にあの人を救ってあげることができないから言ってるんです。渚先輩は、未だにあなたを想い続けてる。たぶん、大きなわだかまりが邪魔して、ちゃんと失恋できてないんです。その辛さがあなたにわかりますか?」

「それは……」

「もちろん、夏菜子先輩から逃げている渚先輩にも非はあります。でも、あなた達二人がこれ以上傷付くのが怖くていつまでも逃げ続けていたら、何も解決しないし誰も救われない。だからお願いです、渚先輩を結婚式に呼んであげてください。そして、ちゃんと仲直りしてください。これを逃せば、たぶん二人が会うチャンスはもう二度と訪れない」

美冬(みふゆ)ちゃん、あなた……」

「もういい加減、あの人を苦しみから解放してあげて……っ」

 そう声を絞り出すと、私は自分のコーヒー代をテーブルに叩きつけて席を立った。これ以上しゃべっていたら、泣いてしまいそうだったから。

 夏菜子先輩と話せば話すほど、惨めな気分だった。大好きな渚先輩を救ってあげたいのに、何もしてあげられない無力な自分が浮き彫りになっていく。お前は、渚先輩にとってただの後輩。そう実感するたびに、心が張り裂けそうなほど苦しくて耐えられない。

 渚先輩を好きになってから、もう十年。ずっとこんな想いが続いている。ここまできたら、一途を通り越してもはや大バカとしか言いようがない。

「なんでこんなに好きになっちゃったんだろう……」

 初めて渚先輩を意識しだしたのは、私が高校一年生の時。同じバレー部の三年生最後の試合で負けた後だった。

「揃いも揃って泣き虫ばかりなんですね。私、こんな弱小チームに入部したつもりはないんですけど」

 部員の半数以上が泣いたり落ち込んだりしている中、私は冷たくそう言い捨てると大きなため息をついた。そんな私の態度に、何人かが怒りの視線を向ける。

「そんな言い方ないでしょ!」

「そうよ! 三年生は最後の試合だったのに、勝たせてあげられなかった。悔しくて泣いて何が悪いの」

「だったら、ずっと泣いてたらいいじゃないですか。私悔しい、可哀想って。でも、私はそんな人達の相手をするのはごめんです。練習の邪魔になるので、部活には来ないでください」

「あなたね!」

 二年の先輩の一人が、私に飛びかかりそうになるのを、周囲にいた部員が必死に食い止める。でも、その目は冷ややかだった。

 昔から思ったことをズバズバ言う性格の私は、よく周りから浮いている存在だった。敵も多かったし、友達はおろか誰一人として私に近づこうともしなかった。それが寂しくなかったと言えばウソになる。それでも、自分の心を偽ってまで周りに媚びを売るような真似は死んでも嫌だった。

 誰も私を理解しようとしない。だったら、私はそんな人達を必要としない。今にして思えば、それはただの強がりで、意地を張っていただけなんだと思う。

 ああ、やっぱりここもダメか。そう諦めて一人帰ろうとした、その時だった。

「まー、この後輩生意気だこと。そんなヤツにはお仕置きだー!」

 そう言って私に飛びついてきたのは、不敵に笑う渚先輩だった。先輩はそのまま、背後から私の胸を鷲掴む。

「な、何するんですか!」

「ありゃ、見かけによらず意外にでかい」

「な……っ」

 急に恥ずかしさがこみ上げ、私は怒りのまま渚先輩の頭をグーで殴った。

「いったぁ……っ」

「いきなり何するんですか! この変態っ」

「変態とは失礼な、この二年の先輩に向かって」

「痴漢行為は立派な犯罪です。今すぐ警察に突き出しますよ」

「ふふーん、女同士なら痴漢にならないもんねー」

「……相手が不快に感じればなり得ますよ」

「え、ウソ?」

 渚先輩は驚いたという表情をしながら、周囲の部員に本当かと尋ねる。その部員達はというと、冷ややかな視線から一転、何が起こったのかわからないとでも言いたげにただポカンとしていた。それを確認して、渚先輩は素早い身のこなしで私の肩に腕を回す。

「後輩にここまで言わせちゃって、情けない先輩だねー」

「は?」

「さっきのキツイ言葉を訳すならこういうことでしょ? いつまでも泣いてたら、三年生の先輩達が安心して笑顔で引退できないでしょ。だから、三年生のためにも前を向けって。違う?」

「それ、は……っ」

「本当は私ら二年生がその役目を背負わなきゃいけなかったんだけどね。ごめん、あんただけ悪者にさせちゃった」

 そう言って、渚先輩は片手でごめんのポーズをしてみせる。その時の私は驚きすぎていて、それに反応することができなかった。

 まさか、そんな風に私を理解してくれる人がいるとは思ってもみなかった。今まで誰もが私を避けていたのに。敵視するどころか、謝ってくるなんて。こんな人は初めてだ。

 そんな戸惑う私をよそに、渚先輩は私の頭をよしよしと撫で始める。

「この中で一番悔しがってるのは、美冬だってちゃんとわかってるから。だって、誰よりも練習頑張ってたんだもん。少なくとも、私はそう思ってるよ」

 まるで、私の心の中を見透かしているかのような、渚先輩の優しい微笑み。それを見ていて、何故だろう、今まで我慢していたものが一気に溢れ出した。

「そんな、こと、な……っ」

 私を理解してくれたことに対する喜びと戸惑い。そんな初めての感情が胸に渦巻いていて。この日、私は渚先輩にしがみつきながら、生まれて初めて人前で泣いた。

 この日から、私が部活でキツイことを言っても、部員達はすぐには怒らず、その言葉の真意を探ろうとするような素振りを見せるようになった。それでもケンカになりそうな時は、決まって渚先輩が間に入り、クッションの役割を果たしてくれた。その後で、先輩は必ず私のフォローに入る。

「美冬ー、あんたまた派手にやったねぇ。もっとこう、オブラートに包んで話せないの? 毎回仲裁に入るこっちの身にもなってよ」

「べつにお願いしてませんし。そんなに面倒くさいんなら、私にかまわなきゃいいじゃないですか」

 わざとらしく自分の肩を揉みながらため息をつく渚先輩の態度にムカついて、私は拗ねるようにそっぽを向く。すると、そんな私を見て渚先輩は苦笑した。

「確かにそうなんだけどね。でもほら、よく言うじゃない? 手のかかる後輩ほど可愛いって」

「言いません。ことわざをアレンジしないでください」

「可愛くないなぁ。ほっとけないんだから仕方ないっつってんの。あんたは自分を守る言葉を使わないから心配だよ」

 そう言うと、渚先輩は私の頭をよしよしと撫でた。少し前の私だったら、余計なお世話と振り払っていただろう。でも、この時にはもう頭上を優しく動く手の温もりを、恋しいと思うようになっていた。

 渚先輩に名前を呼ばれるたび、胸が締め付けられて苦しくなる。その笑顔を見ると、嬉しくてドキドキして身体が熱くなる。

 初めての感情。自分以外の誰かを想う気持ち。これが“恋”なんだと気付いた時には、もう後には引けないくらい好きになっていた。

 だからこそ気付いてしまったのだ。渚先輩が夏菜子先輩に好意を寄せていることに。

「おーい、渚行くよー」

「あ、夏菜子待って!」

 夏菜子先輩と二人でいる時の渚先輩の顔は、私に向けられているものとはまったく違っていた。私の知らない笑顔、照れたような仕草、そして切なそうな横顔。それは全部、恋をしている私のモノと一緒だった。

「渚先輩、夏菜子先輩のこと好きですよね?」

「うん、好きだよ」

「恋愛感情として、ですよ」

 ズバリ確信を突くと、渚先輩は驚きに目を見開いた。そして、困ったと言う風に頭をポリポリ掻く。

「美冬には誤魔化しが効かないんだろうね」

「ええ、確信を持って言ってますから」

「確かに、私は夏菜子のことが好きだよ。少し前から付き合ってる」

 付き合っている。まさかそこまでは予想していなかったので、私は言葉を失った。

 目が回る、気持ち悪い。地面が海のように波打っていて、立っていられない。まるで、このまま世界が終わってしまうかのよう。

「……そうですか。良かったですね」

 思わず泣き叫びたい衝動に駆られ、私は何とかそう声を絞り出すと、急いでその場から立ち去った。走る景色が徐々にぼやけていく。

「バカみたい……っ」

 少し優しくされたくらいで嬉しくなって、好きになって。それで舞い上がって冷静さを欠いた結果がこれだ。わかっていたことじゃないか。こんな私を好きになってくれる人なんているわけないって。渚先輩にとって、私はただの手のかかる後輩なんだって。そう、わかっていたはずなのに。

「バカ……っ」

 そう呟きながら、私は誰もいない校舎の端っこで一人、痛む胸を押さえながら膝を抱えて泣いた。

 本当は、もう部活も辞める気でいた。渚先輩と顔も合わせたくなかったし、そばにいるだけで泣いてしまいそうだったから。

 幸いなことに、辞める理由には事欠かない。みんなもすんなり受け入れてくれるだろうと、そう思っていたけれど。渚先輩のおかけで、私という人間を肯定的に理解してくれた部員達から猛反発を食らい、結局私は辞めることができなかった。

「美冬、何か辛いことがあるなら私には言いな。相談に乗るから」

「渚先輩……」

 あなたのそばにいることが辛い。夏菜子先輩の隣で嬉しそうに笑っているあなたを見ていると、胸が張り裂けそうなほど苦しくて耐えられない。だからお願い、もうこれ以上優しくしないで。これ以上、あなたを好きにさせないで。

 渚先輩や夏菜子先輩達が卒業して県外の大学に進学したのを機に、私は渚先輩との連絡を一切絶った。帰省すると聞いても、一切会いに行かなかった。

 このまま物理的に離れていれば、きっといつか精神的にも離れていける。渚先輩のことを忘れて、この恋もきっと冷める。そうすれば、この途方もない苦しみから解放される。そう思っての判断だった。

 渚先輩だって、夏菜子先輩と同棲して幸せの絶頂だろうから、私なんて相手にしないだろう。もう私のことなんて忘れているはず。

 そう思っていたのに。

「や、美冬。明けましておめでとう」

 年始の二日、家のチャイムが鳴ったので私が出ると、玄関の前に片手を挙げて笑っている渚先輩がいた。そのあまりの衝撃的な光景に、私はすぐには動けない。

「な、な、な……っ」

「ほら、何してんの。今から初詣行くよ。早く準備して」

「準備して、じゃなくて。なんでここにいるんですか!」

「そんなの決まってんじゃん。美冬に会いたかったから」

「はあっ?」

「ほらほら、話は車の中でするから。急いで準備して」

 そう半ば強引に押し切られ、私はわけがわからないまま出掛ける準備をして、そして半強制的に渚先輩の車に乗り込んだ。

「それで。私に会いに来た本当の理由はなんなんです?」

「だから、さっきも言ったじゃん。美冬に会いに来たって。だって、あんた全然連絡返してくれないんだもん。だから、強硬手段に出たってわけ」

「それは……」

「つーかさ、後輩のくせに先輩からの連絡をガン無視ってどゆこと? いくら受験生でも、返事くらい返せるでしょ」

「あーもう、うるさいなぁ! そんなに文句言うんなら、私のことなんてほっとけばいいでしょ。渚先輩には夏菜子先輩がいるんだし」

「だって、心配だったんだから仕方ないでしょ。また部員と揉めてないかなーとか、孤立してないかなーとか、一人で泣いてないかなって。あんた、ほんと誤解されやすいから」

「……なんなんですか、その理由。子ども扱いしないでください」

 ほんともう、この人はなんなんだろう。こっちは必死で渚先輩のことを忘れようとしてるのに。それなのに、そんな私の努力を簡単にぶち壊して。ほんとなんなんだ。

 そう怒る反面、私のことを心配してくれていることが嬉しくて、ついにやけてしまいそうな自分がいた。夏菜子先輩には勝てなくても、後輩の中では私が一番渚先輩に近い。そんな優越感が心を支配していく。

 ああ、もう全然ダメだ。先輩の方からそう来られて、忘れるなんてできるわけがない。会いたかったなんて、そんな殺し文句言われたらまた好きになるに決まってる。

 苦しいのに、叶わないってわかってるのに。それでも私は渚先輩に縛られる。好きで、好きで、ただ好きで。もう自分では制御しきれない。

「私、県内の大学受けようと思ってるんです。でも、少し距離があるので一人暮らしする予定で」

「そうなの?」

「だから……合格したら連絡します」

「うん、待ってる」

 こうして、私は渚先輩を諦めることを諦めた。忘れたくても忘れられない、無理だとわかっていても想い続けてしまう。

 だったらもういっそ、落ちるところまで落ちてしまおう。渚先輩への恋心を抱いたまま、先の見えない真っ暗な海の中へと。もう呼吸すらままならなくなるくらいに。深く、深く。


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