For you
昔別れた彼女、夏菜子から結婚式の招待状が届いたのは、今から約二ヶ月前のことだった。
返信期限は一ヶ月。最初は出席するつもりはなかった。どちらかといえば円満な別れ方だったし、楽しかった思い出の方が多い。でも、だからこそ五年経った今でも未練はしつこく残っている。
未だ好きな相手の、ましてや結婚式なんかに行くものか。そう思い、仕事にかまけて忘れたフリをしていた。
出席するかどうか悩み始めたのは、高校時代からの後輩のこの一言のせい。
「先輩、出席しないでこの先後悔しないって断言できますか?」
大学四年の時に別れて卒業してからこの五年間、夏菜子とは一度も連絡を取っていない。都会に残った彼女から逃げるように、私は地元に戻って就職し、友人から彼女が帰省したと聞かされても、仕事や予定を理由に会うのを拒んだ。
まともに顔を見て話せる自信がなかったし、夏菜子の姿を見ただけで泣いてしまいそうだったから。そんな私を見せるのは、彼女に卑怯だと思った。
夏菜子と付き合い始めたのは、高校二年の夏。
中学の時に知り合ってから親友になり、私から告白した。同性同士のリスクに足がすくんだけれど、勇気を出して正解だったと今でも思う。お互い両想いだった。
大学も同じ所を選んで、ルームシェアという名目で同棲も始め、あの頃は夏菜子と一緒に時間を共有できるだけで嬉しくて幸せだった。もちろんケンカもしたけれど、仲直りする過程も含めてそれも楽しかった。こんな幸せな時間がいつまでも続くんじゃないか。そんなことさえ思っていた。
でも、現実はそう甘くない。
「ごめん、渚。渚のこと好きだけど……やっぱり私、自分の子どもが欲しい。ごめん、ごめんね……っ」
四回生のはじめ、泣きじゃくりながら夏菜子は私にそう何度も何度も謝ってきた。
昔から保育士を目指すくらい子どもが大好きだった夏菜子。たぶん、三回生の時の保育過程の実習で、その思いが強くなったのだろう。
どこかで漠然と感じていた不安。気付かないフリをして、今まで目をそらしてきた夏菜子の気持ち。そのツケが今、こんな最悪な形で姿を現してしまった。
これは、この願いだけは、どうあがいても私には叶えてあげることができない。大好きな彼女の、一番の望みなのに。それ以外のことなら、何でもしてあげられるのに。
私がもう少し子どもだったら、「嫌だ」と駄々をこねて抵抗しただろう。でも、残念ながら私は、自分にウソがつけるほどには大人になっていた。
「わかった、別れよう」
こういう時、大人になっていく自分をひどく嫌悪してしまう。
私は卑怯だ。別れた理由を、全部彼女に押し付けてしまった。本当は、私にだって責任があったのに。気付かないフリなんかせず、ちゃんと面と向かって話し合うべきだったのに。
謝ることもできず、私達はそのまま離れ離れになった。
夏菜子のことは忘れよう。
そう思い、連絡を一切断ち、仕事に没頭することで彼女のことを頭から追い出そうとした。そうして忘れれば、いつか時間がこの胸の痛みを癒してくれるだろう、そう思って。
でも、ダメだった。
ふとした瞬間に思い出す。夏菜子の声、屈託のない笑顔、匂い、仕草、そして肌の温もり。五年経った今でも、怖いくらい彼女のすべてを覚えている。
そう、一度深く愛してしまった彼女は、もう私の身体の一部。引き剥がそうにも、もはや私の最奥に浸潤していてそれは不可能。
そう理解して途方に暮れている時に来たのが、結婚式の招待状だった。
夏菜子は、嫌がらせをするような最低な女ではない。むしろ、自分の行いを反省して悔いるような人間だ。だから、結婚すると決まっても、後ろめたい私に知らせることはないと思っていた。
それなのに。いったい、どういうつもりでこの招待状を送ってきたのだろう。
「もしかして……」
これは、彼女なりのメッセージなんだろうか。会いたい、会ってもう一度話がしたいという。
だとすれば、それはどれほど勇気のいることだったろう。当然拒絶される可能性もあったし、嫌がらせかと逆恨みされる危険性だってあった。もう二度と修復できない溝を作りかねないそのリスクを背負ってまで、夏菜子はこの招待状を私に送ってきてくれたのではないか。
そう思い直したら、気付けば私は「出席」に丸をしてポストに投函していた。
だからこそ、私は今ここにいる。
「次は、新婦の大学時代のご友人方による――」
プランナーから出し物を頼まれた友人が声をかけ、私を含めた数人で今流行りのウエディングソングを替え歌にして披露した。チラリと視線を動かすと、夏菜子は楽しそうに微笑んでいる。そして、隣に座っている新郎に目配せをすると、少し照れたようにはにかんだ。
幸せそう。新郎新婦入場の時も、ケーキ入刀の時も、何気ない一瞬も、将来の夫となる新郎と一緒にいる夏菜子は、とても幸せそうだった。
それは少し複雑な気持ちだったけれど。私が最後に見た夏菜子は泣いた姿だったから、嫉妬するというよりホッと安堵したというのが正直なところかもしれない。そんな自分に少し驚いた。
もっと傷付くかと思っていたのに。夏菜子のことを憎んでしまうかもしれないと、そんな恐怖さえ抱いていたのに。
それなのに、今は不思議と穏やかな気持ちになっている。安心した、というのが適切な表現かもしれない。夏菜子の笑顔が、この世で一番好きだったから。
歌が終わり、躊躇っている私を後押しするかのように、友人が私を一歩前へと押し出す。友人代表の言葉の任は、一番仲の良かった私が半ば強制的に押し付けられていた。
「えっと……」
マイクを握る手が震える。もともとあがり症というのもあるけれど、今のこれはそれだけが原因ではない。夏菜子を見ると、それまでの笑顔から一転、複雑そうな顔を私に向けていた。
そうか、今のままの私では、夏菜子にそんな表情しかさせてあげられないのか。このまま一生、私と過ごした時間は、彼女にとって辛い過去となるだけなのか。私はそれでいいのだろうか。もう二度と、彼女の笑顔を向けてもらえない自分のままでいいのだろうか。
当たり障りのない、お飾りのようなお祝いの言葉なら用意してきてある。
でも、今彼女が一番欲しいのは、私が彼女に送りたいのは、私の胸の奥にある心からの本当の気持ちじゃないのか。だったら今度は、私が勇気を振り絞る番だ。今の素直な気持ちを、彼女に届けなきゃ。
「夏菜子、結婚おめでとう」
身体の震えが止まり、私は夏菜子を真っ直ぐ捉えつつ、マイクを握る手に力を込める。
「私、ずっと夏菜子に謝らなきゃって思ってた。あなたにばかり責任を押し付けて、私は傷付いたフリして逃げ回って、卑怯だったよね。ごめんなさい」
私の謝罪に、しかし夏菜子は首を横に振る。周りの人間には、私が何を言っているのか理解できないだろう。でも、それでいい。たった一人、夏菜子にさえわかってもらえればそれでいい。
「本当は、今日出席するかどうか正直迷った。でも、来て良かった。夏菜子の幸せそうな顔を見れて、今心の底から嬉しい」
心のどこかで、ずっとわだかまっていた罪悪感。夏菜子が子どもを欲しがっていると薄々感じながらも、自らのエゴを優先して気付かないフリをしていたズルい自分。
それがずっと、彼女を苦しめていたんじゃないか、傷付けていたんじゃないか。そう考える度、言いようのない罪悪感がこの胸を締め付けた。
でも、今日将来の夫となる人の隣に並んで幸せそうに笑う夏菜子を見て、やっとそれが解けていくのを感じた。
彼女は苦しんだままじゃなく、ちゃんと自分の幸せを掴んでくれたんだって。幸せそうに笑えるようになったんだって。そう思ったら、嬉しくて涙が出た。私の一番の願いは、今も昔も彼女の幸せだから。
「夏菜子、大好きだよ。呼んでくれて、ありがとう……っ」
ありがとう、私と出会ってくれて。私のことを好きになってくれて。また私と会いたいと思ってくれて。ちゃんと幸せになってくれて。
本当に、本当にありがとう。それが一番の私へのプレゼントだよ。
言葉が詰まり、私はマイクを離して涙を拭う。すると、そんな私の姿を見ていた夏菜子が、突然席を立った。そして、純白のドレスを振り乱しながら、私の元へと駆け寄ってくる。
「渚!」
夏菜子は目に涙を溜めながら、思いっきり私に抱きついた。
「私の方こそ、渚傷付けてごめん。でも、どうしてももう一度会いたくて。このままお互いギクシャクしたままなのはどうしても嫌だった。ずっと、仲直りがしたかったの。だって、私も渚のこと大好きだから。だから、今の渚の気持ち、すごく嬉しかったよ」
「私も、夏菜子ともう一度ちゃんと向き合いたかった。自分の気持ち、素直に伝えたかった。あなたを苦しめ続けてごめんって。だからこそ、夏菜子の幸せそうな顔見れて、私は今すごく幸せだよ。勇気出して呼んでくれて、本当にありがとう」
そして、私は夏菜子を抱き返した。
「結婚おめでとう、夏菜子」
「ありがとう、渚」
確かに私達は別れてしまったけれど。それでも、今日からは良い思い出だったと胸を張って言えるだろう。だって、やっと私達は親友に戻れたのだから。
夏菜子の涙を拭いながら、私は心の底からそう思った。




