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百合三昧(短編集)  作者: 渡辺純々
25/42

ハニーのトラップ

 最近、小町(こまち)の様子がおかしい。

「ねえ、美隼(みはや)

「なに?」

 呼ばれて小町を見ると、彼女は目をつむってこちらに顔を向けていた。

「…………何してんの?」

 意図がわからない。放課後の教室は誰もおらず、この小町の謎の行動を説明してくれる人は誰もいない。

「なんでもない」

 小町は不服そうな顔をしたまま、目を開けて当番日誌への書き込みを続ける。イライラしているのは、その鉛筆の筆圧が教えてくれていた。

 またある時は。

「美隼ー、目にゴミが入った」

「んー、どれどれ」

 押さえている右手をどけて、右目を無理矢理開いて眼球を覗く。しかし、いくら探してもゴミらしいモノは見つからない。

「小町、ゴミ見つからないんだけど」

 しかし、小町の返事はない。

「小町?」

 手を離すと、彼女の顔は真っ赤に染まっていた。身体もプルプル震えている。そして。

「美隼のバカ!」

 そう叫んだかと思うと、小町はその快足を飛ばしてあっという間に廊下の彼方に消えてしまった。

「……なんなの、いったい」

 何故バカ呼ばわりされたのか、全力で逃げられたのか、まったく理由がわからない。

 ここ一週間、ずっとこんな調子が続いている。何かしたいんだろうなということはわかるけれど、それがなんなのか一向にわからない。子どもの頃から突拍子もないことをする子ではあったけど、今回のは意図がよくわからないから困っている。小町はいったい何を考えているんだろう。

 そんなことを悶々と悩んでいたある日。

「美隼、プール行こう」

「何、突然」

「いいから、明日プール行くよ」

 そう言うと、私の返事も聞かずに小町は通話を切った。

 今は夏休み。特にすることも予定もないから行くのはかまわないけれど。小町は泳げないから、海やプールという類のモノは今まで極力避けてきたはずなのに。

「何か嫌な予感がする」

 身震いしたのは、クーラーの効き過ぎではないと確信した。

 翌日。市民プールは子ども達でいっぱいだった。その中を、スクール水着を着た高校生二人が入っていく。

「なんで市民プール……」

「安いし近いから」

 小町の表情は硬い。自分から提案したことなのに、楽しそうな雰囲気は今のところ一ミリも感じないとはどういうことだ。

「小町、あんた何か企んでるでしょ」

「……べつに、何も」

 怪しい。絶対何か企んでる。しかし、私が追求する前に、小町はプールの中へ飛び込んでしまった。

 今日は日差しも強く、高台からプールを見守っている監視員も暑そうだ。ということで、とりあえず私もプールに入ることにした。

「気持ちいーい」

 プールの中は程よくひんやりとしていて、暑さをしのぐにはもってこいだ。私は海に漂う藻のようにプカプカ浮いている。小町とははぐれてしまったけれど、昔からよく行っているプールだから、そのうち会えるだろう。

 太陽は嫌味のようにギラギラ燃えている。それを眺めながら、私は昔のことを思い出していた。

 そういえば、小さい頃ここで小町が溺れたんだっけ。その時は一緒に来てたおじさんが助けてくれて命に別状はなかったけれど。それ以来小町は泳げなくなった。

「あいつ、大丈夫かな?」

 そんなことをボソリと呟いた時だった。

「ちょっとどいてください!」

 慌てたような声に、思わず起き上がる。見ると、監視員がプールに飛び込んで行くところだった。誰か溺れでもしたか。

 監視員が泳いでいく先を目で追う。目に入ったのは、うつ伏せで浮いているスクール水着の女の子だった。その姿には見覚えがある。

「小町!」

 血の気が一気に引いた。私は大慌てで小町の所へ駆けつける。しかし、監視員の方が一足早く着いて、小町を軽々と抱きかかえてプールサイドへと移動した。私も続いて上がる。

「小町、小町大丈夫っ?」

 返事はない。目をつむったまま、まるで人形のように動かない。ウソだ、まさかこんなことってない。胸に言いようのない不安が募り、目の前の視界が滲んでいく。

「小町!」

「君、ちょっと下がって!」

 監視員が邪魔くさそうに私を脇へ追いやる。わかっている、今からこの人は人命救助を行うのだから、邪魔なのは私なのだと。それでも、冷静さを失った今の私にとって、邪魔なのはこの監視員だった。だからといって、私に何ができるわけもない。今の私にできるのは、ただ小町が無事に戻ってくることを祈ることだけ。

「心拍は……」

 監視員がそう呟いて、小町の小さな膨らみの間に耳を傾ける。そして眉間にシワを寄せた。

「ん?」

 そのまま監視員は動かなくなった。テレビで観たことのある、心臓マッサージや人工呼吸などをする素振りがまったく見えない。何をしてるんだと私が焦れていると、突然小町の口から水が飛び出してきた。そして、彼女の目がゆっくり開く。

「小町!」

 思わず駆けつけると、小町は自分で起き上がった。そして監視員さんと目が合うと、その頭をがばりと下げる。

「申し訳ありませんでした!」

「君ねえ、溺れたフリは今後一切しないように!」

「はい」

「え、溺れたフリって……えぇっ?」

 私のその叫び声は、賑わうプール中に響き渡った。


「ねぇ、美隼」

 プールからの帰り道。私と小町は誰もいない道を二人歩いて帰っていた。

「ねぇ、美隼ってば。まだ怒ってる?」

「当たり前でしょ! 高校生にもなって溺れたフリするやつがどこにいんの! 恥ずかしいったらありゃしない」

「ごめんなさい……」

 小町はしおしおと頭を垂れる。どうやら、今回のことは本当に反省しているらしい。その姿を見て、私は少し冷静さを取り戻した。

「どうしてあんなことしたの?」

 核心をつくと、小町は黙ってしまった。こういう時の彼女はなかなか口を割らない。私は一度ため息をついた。

「本当に心配したんだよ。小町が溺れたって。死んだらどうしようって」

「ごめんなさい」

「言いたくないならべつにいいけど。私は、小町が無事ならもうそれだけでいいし」

「美隼……」

 本当に、私にはそれだけでいい。たとえ周りから白い目で見られても、監視員さんに頭を下げても、どんなに恥ずかしい思いをしたとしても、小町が無事ならそれでいい。それくらい、私にとって小町は大切な人だから。

 さて帰ろうと足を動かしかけたその時、私の右袖を小町がちょこんと摘んだ。

「小町?」

「あのね、溺れたフリしたのは、その……美隼とキスしたかったからなんだ。人工呼吸目当てで」

「え?」

 小町の突然の告白に、私の思考は停止した。やっと通った車が、私をあざ笑うかのように排気音を鳴らして走り去っていく。

「なんでキス?」

「だって! 私達付き合ってもう三ヶ月も経つんだよ。それなのに、手を繋ぐだけなんてどうゆうことっ?」

「そんなことで?」

「そんなことって、私にはとても重大な問題なの!」

 小町は顔を真っ赤にして抗議する。どうやら真剣に悩んでいたらしい。そう思ったら、急に笑いがこみ上げてきた。

「あははっ! 人工呼吸目当てって……ふふっ」

「笑うなぁ! こっちは真剣なのっ」

「わかってる、わかってるって。もしかして、今までの変な行動もキス狙い?」

 笑いながらそう聞くと、小町は頬を膨らませながらもコクンと頷いた。その様子が可愛らしい。

 まさか、私とキスしたいからこんなことを思いついたなんて。そんな小町が可愛くて、愛しさがぐっとこみ上げてくる。

「もういいよ!」

 私があまりに笑うものだから、ついに小町が怒ってぷいと顔を逸らした。私はそんな彼女の頬を両手で包み込んで、こっちを向けさせる。

「小町」

 優しく名前を呼んで、その愛らしい唇に口づける。私の心拍と小町のそれとが重なり合い、まるで一つに溶け合うようだった。気持ち良くてなんだか泣きそう。

 唇を離す。潤んだ瞳の小町と目が合うと、彼女の顔がさらに熱くなった。

「美、美隼……い、今キスした……っ」

「小町、今度からこんな回りくどいことしないで、キスしたい時はそう言いな。私もそうするから」

「したい! 今度は私からしたいっ」

「はい、どうぞ」

 周りに人はいないことは確認済み。小町は背伸びをしながら、震える唇でキスをしてくれた。

「どうですか、自分からしたキスは」

「すごく幸せ」

「私もだよ」

 あまりに素直に嬉しそうに言うものだから、私もつい嬉しくて微笑んだ。すると、小町がじっと私の顔を見つめる。

「なに?」

「本当に私とキスできて幸せ?」

「うん。なんでそう思うの?」

「だって、美隼ってそんな素振り見せないんだもん」

 どこか不服そうに小町は言う。そういえば、告白してくれたのも小町からだったっけ。

「ごめんね、不安にさせて。私感情表現苦手だから、上手く伝わらなかったよね」

「そんなことないよ。今のは言い過ぎた。美隼の気持ち、ちゃんと伝わってるよ。ただ、私が勝手に不安になっただけ」

 小町はそう言うけれど、不安にさせたのは私だ。だから追い詰められた小町は、今回みたいな事件を起こしたのだ。

 俯く小町の手を、私はそっと握った。

「溺れたフリで本当に良かった。小町に何かあったら私は生きていけない。それくらい、私にとって小町は大切な人なの。だから大好きだよ、小町」

「美隼……美隼ぁーっ」

 小町が勢いよく私の胸に飛び込んでくる。それを受け止めながら、私はその小さな身体をギュッと抱きしめた。

 感情表現が苦手で性格も暗い私がこの世界を生きていけるのは、明るく天真爛漫な小町が私のそばにいてくれるおかげだ。彼女がそばにいてくれなければ、私はもうどう生きていけばいいかわからない。だから、こんな私を必要としてくれる小町には心から感謝している。

「私も美隼のこと大好き。私と違ってクールで大人びてて、でもちょっと弱虫で、それでいてとても優しくて。そんな美隼が大好き」

「小町……」

 お互いの好きが一緒で良かった。この人を好きになって良かった。この人に好きになってもらえて良かった。でなければ、今こんなにも幸せに思うことはなかっただろう。

「よし、もう満足した。帰ろう」

「うん」

 そう言ってニンマリ笑うと、小町は足取り軽やかに歩き始めた。私は笑いながらその後をついていく。

「今回の作戦は成功だなー」

「失敗の間違いじゃないの?」

「いいの。終わり良ければすべて良し」

「都合いいなぁ」

 笑いながらも小町に追いつく。そして、どちらからともなく手を握った。

「次は何しよっかな」

「ウソ、まだ何か企んでんの?」

「ふふふ、教えなーい」

 あの顔は絶対何か企んでいる。もしかして、またとんでもない作戦だったりして。

「まあ、いいか」

 今回みたいな恥ずかしいのは嫌だけど。でも、この可愛い可愛い私の恋人が仕掛けるトラップなら、いくらでもかかってあげようではないか。

 そんなことを思いながら、私はその手を強く握り返した。


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