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百合三昧(短編集)  作者: 渡辺純々
23/42

2番目の恋人

「好きよ、沙夜理(さより)

「私も、夏樹(なつき)のことが好き」

 そう言って、誰もいない教室で二人キスをした。

 わかっている。夏樹にとって私は、二番目の恋人なんだと。本命の彼氏と見たこともないような笑顔で一緒にいる彼女を、私はもう嫌というほど目にしてきていた。

 それでも私は、この手を離せないでいる。それは、どんな形であれ、夏樹が私を求めていることがわかっているからだった。

 出会ったのは、高校二年の春。

 クラス替えで初めて隣同士の席になり、そのどこか憂いを帯びた綺麗な横顔に一目惚れした。それからしばらく片想いを続け、ある日保健室で寝ている夏樹にキスしようとしたら、それが彼女にバレた。

「あんた、私のことが好きなの?」

「……うん」

「だったら、私と付き合う?」

「え?」

 どこか挑発的な笑み。この時にはもう夏樹に彼氏がいることは知っていた。何故なら、彼女が付き合っていたのは、学年で一、二を争うほどのイケメン君だったから。そういう目立つ人の噂は広まりやすい。夏樹もそれを承知で私に聞いてきたんだと思う。

「うん、付き合う」

 私は頷いた。自分でも愚かだと思う。それでも、この時の私はそれでもいいと本気で思った。夏樹の、好きな人のそばに少しでもいられるのなら、二番目でもかまわないと。

 夏樹は少し驚いていた。しかし、すぐさま不敵に笑うと、「わかった」と言って私にキスをしてくれた。

 最初の頃は有頂天だったように思う。好きな人と付き合えて、キスできて、他の人よりそばにいることができて。それだけで幸せを感じることができた。

 でも、それは長くは続かなかった。夏樹とどんなに好きと言い合っても、キスをしても、肌を重ね合わせても、どこか虚しい。嬉しいはずなのに、心が痛くて泣きたくなる。

 その理由はわかっていた。私が夏樹と体験していることは全部、本命の彼氏も体験済みなことだから。ただ一点違うところがあるとすれば、そこに夏樹の心があるかどうかということ。私の一番欲しいモノを、彼はいとも簡単に手に入れている。その事実が悔しかった。

 激しい嫉妬。でも、二番目でもいいと受け入れた時点で、私はその資格を喪失している。だから、いつも一人で枕を濡らすしかなかった。

「このままじゃダメだ」

 きっと、いつか夏樹のことまで嫌いになってしまう。他のどんなことよりも、その変化が一番私には怖かった。

 別れを決意したのは、高校三年の夏。未練は十二分にあったけれど、今なら受験を理由に別れを切り出しやすい。そう思い、ある日の放課後、誰もいない教室に夏樹を呼び出した。

「話って何?」

 夏樹は教壇に座って、私を見ることなく尋ねる。その横顔は、どこか憂鬱そうに見えた。

「その……、ほら私達受験生でしょ? だから、そろそろ勉強に集中した方がいいかなって」

「別れたいんでしょ。はっきりそう言いなよ」

「ごめん……」

 彼女の言う通りだ。別れを決意したのなら、はっきりそう伝えるべきなのに。それでも、何故だろう、それはなんだかはばかられた。

「やっぱり、このままじゃダメだと思って。このまま続けてたら、いつか夏樹のこと嫌いになりそうだから」

「嫌いになればいいじゃん。あんたもわかってるんでしょ。私には彼氏がいて、あんたは二番目だってこと」

「うん」

「だったら、あんたの心を弄んだ私を憎めばいい」

「夏樹? どうしたの?」

 こんなに感情的になっている夏樹は珍しい。私の前ではいつも冷静で、落ち着いた雰囲気を醸し出しているのに。

 夏樹は答えない。それでも、なんとなく彼女に何かあったことは間違いない。

「もしかして、彼氏さんと何かあった?」

 そう聞いた途端、夏樹がキッと私を睨んだ。

「あんたには関係ないでしょ!」

 怒っているような、それでいて悲鳴にも似た叫び。その激しい感情の波に、私は声を出すことすらできなかった。

 静かになった教室に、夏樹の吐息だけが虚しく響く。冷静さを取り戻したのは、夏樹が先だった。

「今日、彼氏と別れたの。あいつ、二股かけてたんだよ。しかも、私は遊びだって、二番目だって、別れる時に白状した」

「そんな……っ」

「バカだよねぇ、私も。薄々気付いてたのに、知らないフリしてさ。それがこの結果なんてアホすぎる」

「でも、好きだったんでしょ?」

 だから気付かないフリして、彼のそばにいたんでしょ。二番目でもいいから、彼と一緒に時間を共有したかったんでしょ。その気持ちは、私には痛いほどよくわかる。

 何故夏樹が私を手放さなかったのか。その理由が今わかった気がする。

 夏樹は、寂しかったんだ。好きな人の一番になれなくて、その心が手に入れられなくて、苦しくて、寂しくて。だから私をそばに置いた。彼女のことが好きな私を。それでその寂しさを紛らわそうとしたんだ。

「笑いなよ、私のこと。あんたの心弄んだ罰だって、当然の報いだって笑いなよ」

「笑わないよ、私は。ううん、笑えない」

「なんでっ」

「それでも私は、夏樹のことが好きだから」

 愚かだと人は笑うだろうか。こんなひどい仕打ちを受けた相手を、それでも好きだと思う私を。でも、これは本心だった。

「たとえ二番目の恋人だったとしても、私は夏樹と付き合えて、楽しかったし、幸せだった。だから、私と付き合ってくれてありがとう」

 確かに、夏樹の一番じゃなかったことは辛ったけれど。それでも、悲しいことばかりじゃなかった。二人で笑い合うこともあったし、幸せな時間もたくさんあった。きっと、夏樹と付き合わなければ、そんなことを感じることもなかっただろう。だから今、私は心から夏樹に感謝している。

「なに、その綺麗事……。あんたのそういうとこ大っ嫌い!」

 そう叫ぶと、夏樹は私にしがみついた。

「沙夜理とはもう付き合わない。あんたのことなんか、絶対好きにならない!」

「うん」

「あんたなんか嫌いよ、大っ嫌い……っ」

「うん」

 夏樹は私の胸に顔を埋めたまま、嗚咽混じりに泣き始めた。それを受け止める私の頬にも、あとからあとから涙がこぼれ落ちていく。

 夏樹の最後の言葉は、一見強がりにも聞こえるけれど。私には、それが彼女の優しさのように思えた。


 夏樹と別れてから十年後。

「あっ」

 街で偶然夏樹を見かけた。道路を挟んだ反対側の歩道を一人歩いている。ずいぶん大人っぽくなっていたけれど、それでも高校時代の面影は残っていた。

 二人別れてから、正直夏樹のことが心配だった。

 あれから彼女は、他の誰かを好きになることができただろうか。もう誰とも付き合わないなんて自暴自棄になってはいないだろうか。ちゃんと幸せになっているだろうか。いつもふとした拍子にそんなことを思う。夏樹は、私にとって色んな意味で特別だったから。

 視線を逸らせないまま、じっと夏樹の姿を目で追いかける。すると、彼女の後ろから三歳くらいの男の子が駆けてきた。

「お母さーん!」

 呼ばれて振り返ったのは、夏樹だった。彼女は笑顔でその子を迎え入れると、慣れた手つきで抱っこする。男の子は嬉しそうだった。その子の後から、一人の男性が夏樹に声をかける。三人とも笑っていた。

「そっか、よかった……」

 夏樹は、ちゃんと幸せを手に入れたんだね。今度は自分のことを一番に想ってくれる誰かと一緒に。寂しさを紛らわすんじゃなくて、心から笑い合える誰かを見つけたんだね。よかった、本当によかった。

「沙夜理ー、何しよん? おいてくでー」

「うん、今行く」

 少し先を歩く女性にそう声をかけられ、私は目尻に溜まった涙を拭って、急いで彼女の元へ駆け寄る。そして、その手をぎゅっと握った。

「どないしたん、急に」

「ううん、ただこうしたかっただけ」

夏樹に会ったら言いたいことがある。

大丈夫、私も今幸せだよって。


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