先輩は私のことが好きすぎる(1)
これは、先輩がまだ卒業する前。私達が出会ってから四ヶ月頃の話である。
「前から気になってたんだけど。貴子さ、昼休み誰と会ってるの?」
「なに、急に」
「前に図書室で誰かと話してるとこ見かけてさ。見かけない人だったし、人見知りの貴子が珍しいなと思って」
「そうかな?」
「そうだよ。同じ学年の人?」
「いんや。一つ上の先輩」
「先輩っ?」
美紀が目を見開いて驚く。私は弁当箱を片付けていた手を止めた。
「そんなに驚くこと?」
「だって、部活の先輩ともなかなか打ち解けられない貴子が、まったく関係のない先輩と毎日会ってるなんて。そりゃ驚くよ」
「まあ、そう言われたらそうかもね」
確かに、今まで同級生ですら卒業するまで打ち解けられるのは数人程度という、友達百人計画を鼻で笑うような人見知りの私が、四ヶ月前に初めて会った、しかも先輩と毎日会って話をしているというのは、それまでの経緯を知らない人からすれば驚くことなのかもしれない。
「何キッカケで知り合ったの?」
「それは……たまたま旧校舎で」
「旧校舎?」
「ほら、ポンタにご飯あげに行った時に偶然出会って。向こうもオタクみたいで話が合っちゃってさ。私から図書室で会おうって誘ったんだ。はははっ」
「へえ、なるほど」
まさか、幽霊と間違えた挙句、あんたに失恋した時慰めてもらった、なんて口が裂けても言えない。しかも、誘った理由が漫画制作のお手伝いだなんて、先輩のことなのでこれも言えない。
私はぎこちない動きで空の弁当箱をカバンにしまう。美紀は自販機で買った紙パックのリンゴジュースを一口すすった。
「なんか妬けるな」
「は?」
「だって、貴子から誘ったんでしょ? そんな短時間であなたの心の壁を乗り越えてきた人って初めてじゃない。だから、親友の私としてはなんかその人に嫉妬しちゃう」
美紀がぷうと頬を膨らませる。その言葉を聞いて、私の胸は一つ高鳴った。しかし、すぐさま鈍い痛みが心に広がる。
「おう、嫉妬しろ嫉妬しろ」
「なにおう!」
不思議なことに、美紀から相沢の話を聞いても、以前のように身を焦がすような激しい嫉妬や苦しみはなくなった。ただ、大切なモノを横取りされたような寂しさはある。親友としていつも私のそばにいてくれた美紀が、私から離れていくような寂しさが。そんなこと、彼女には言えないけれど。
美紀が時計に目をやった。そろそろ相沢に会いに行く時間だ。
「ほら、私なんかに嫉妬してないで、早く彼氏んとこ行ってイチャイチャしてこい。そして帰ってくんな」
「嫌な言い方ー。でも、お言葉には甘えます」
美紀は白い歯を見せて笑うと、リンゴジュースを持って立ち上がった。しかし、何か思い出したのか「あっ」と声を上げる。
「そういえば、貴子って高校卒業したらどうすんの? やっぱ大学進学?」
「まあ、そうかな」
この時期、二年生であれば話題に出ないこともないこの進路問題。担任からも、少しずつ考えておきなさいとさっき言われたばかりだ。
「美紀は?」
「一応大学進学。できれば県内希望」
「なるほどね」
「貴子は?」
「まだそこまで考えてない」
「そっか」
将来のことなんて、まるで考えていなかった。それもそうか。四ヶ月前には死んでもいいと考えいたんだから。そんな人間が先の未来を想像できるわけがない。
美紀は「じゃね」と短く言って教室を出る。しかし、すぐさま戻ってきて私の名前を呼んだ。
「貴子ー、あんたにお客さん」
「私に?」
不思議に思いつつ廊下に出る。美紀の隣に立っていたのは、顔を真っ赤にしてガチガチに緊張している凪先輩だった。
「先輩?」
「貴子殿!」
凪先輩は、まるで帰ってきたご主人様をお出迎えする犬のように、嬉しそうな顔で私の胸に飛び込んできた。美紀の手前、私は咄嗟に先輩の頭を押さえてそれを阻止する。
「先輩どうしたんですか?」
「あっ、いや、その……」
先輩は頭を押さえながら、本当にロボットなんじゃないかという動きで右を見たり左を見たり落ち着かない。美紀はそんな彼女を心配そうに見ていた。
「あ、美紀もう大丈夫だから。ありがとう」
「わかった。じゃあ先輩さんも、失礼します」
「あ、いえ、ども……」
爽やかに挨拶をしてその場を離れる美紀とは裏腹に、凪先輩は人見知りする子どものように私の後ろから頭をちょこんと下げた。
「超がつくほど人見知りの先輩が、よく後輩の教室まで来れましたね。正直私びっくりしてます」
「自分でもびっくりしているのです。どうしても貴子殿に伝えたいことがあって、いても立ってもいられなくて、気付いたらここまで来ていたのです」
「先輩にそこまでさせる重大な内容なんて、ちょっと聞くのが怖いんですけど」
「いや、それよりも……」
そこまで言って、凪先輩は美紀が去った廊下を凝視した。
「美紀さんはとても優しくて素敵な方なのです。教室の前でウロウロしていた私に、優しく声をかけてくださったのです」
「まあ、美紀ならやるでしょうね。優しいのも否定しません」
「素敵なのです。是非絵のモデルにしたいっ」
「ちょっと待て」
今にも走り出しそうな凪先輩の腕を、私はガシっと捕まえて阻止した。
「絵のモデルにするのはかまいませんが、ストーキングするのはダメですよ。私の信用問題になりかねませんから」
「うっ……。気を付けるのです」
また幽霊騒ぎになったらたまったもんじゃない。いや、今は髪を切って雰囲気が変わったから、ただのストーカーか。どちらにしても良いものではない。
「で、用件はなんです?」
「ここではちょっと……」
先輩は周囲を気にして口をモゴモゴさせる。周りに聞かれたくないということは、漫画制作の話か。そう当たりをつける。
「わかりました。図書室へ行きましょう」
私の提案に凪先輩は頷き、二人して図書室へ移動した。ここは相変わらず誰もいない。
「ここなら誰もいないから大丈夫でしょう。んで、伝えたいことってなんですか?」
「貴子殿、何かありました?」
私の質問を遮るように、凪先輩が心配そうな顔をしてそう聞いてきた。
「なんでですか?」
「いや、先ほどからどこか落ち込んでいるように見えたもので。私の気のせいですかね」
へへへっ、と先輩は頭を掻く。私はそんな先輩を驚いた目で見つめていた。
この人、本当なんなんだろう。その言動と性格から鈍そうに見えるけど、人のことは信じられないくらいよく見ている。これが漫画家の観察眼というものなのだろうか。
「負けました」
そう言うと、私は先輩を引き寄せて抱きついた。
「たたた、貴子殿っ」
「あー、先輩小さいからジャストフィットだわー。気持ちいいー」
「きっ、ききき気持ちっ……なっ、にゃー!」
凪先輩は顔を茹でダコのように真っ赤にして、なんとか逃れようとジタバタもがく。しかし、運動をしている私の方が力があるので、そう簡単には解けない。今どきハグくらい友達同士でもやるのに。慣れていない先輩のその反応が初々しくて面白い。
「先輩の言う通り、さっきまで美紀と雑談してて……ちょっとヘコんでたかもしれないです」
「貴子殿……」
「でも、こうやって先輩からかってちょっと元気でました。ありがとうございます」
「い、いえ、どういたしまして。……って、ん? からかって?」
言葉だけじゃなく、本当に元気になれるから不思議だ。先輩には癒し効果があるのかもしれない。そんな風には見えないけれど。ちなみに、先輩をからかって楽しんでいるのは、けっこう前から始まっている。美紀絡みで落ち込んだ時なんかは特に。
先輩は未だ頭にはてなマークを咲かせている。私はそんな先輩を放置して話を続けた。
「あ、そうだ。先輩さっきみたいに人前で抱きつこうとするのやめてくださいね。恥ずかしいので」
「えぇっ? 自分の今の行動は良いのですか?」
「人がいないからいいんです」
「んぐっ。だ、だって、まったく知り合いのいない場所にいて、そこでやっと顔見知りの人に出会えたら飛びつきたくなるでしょう?」
「迷子の子どもか。それでもダメです。そんなになるくらいなら、我慢して大人しく図書室で待っててくださいよ」
「……だって、貴子殿がなかなか来ないから。早く会いたかったのです」
「……っ」
不意打ちでくる先輩のストレートな言葉。出会った時からこの人は言葉を飾ることをしない。だから、無防備な時にこれを食らうとけっこう心に響く。
「貴子殿?」
「な、なんでもないですっ。それより、用件はなんなんですか?」
「はっ、忘れてました。実は前の日曜日に英梨さんから連絡がきまして。来月のクリスマス号に載せるショート漫画を一本描いてくれと頼まれたのです」
「へえ、すごいじゃないですか。んで、締め切りはいつなんですか?」
「それが……土曜日の十時」
「ああ、来週の」
「いいえ。今週の」
「今週のって……明日じゃないですか!」
「そうなのです。一週間で十枚程度のショート漫画を描いてほしいとお願いされて」
「今すぐ英梨さんに電話してください。そんな無茶なことさせんなって私が怒りますから」
「えぇっ?」
「だって、あの人だって先輩の制作ペースわかってるでしょ。先輩を廃人にさせる気か、あの女は」
「貴子殿、それ地味に傷付きます……」
先輩がわかりやすくヘコんでいる。しかし、事実だから仕方ない。毎回、私がどれだけ先輩の尻を叩いて締め切りを守らせているか。その大変さをわかっている身としては、なかなか無謀な頼みだと思う。しかもこっちは学生。制作時間はかなり限られているというのに。
「なんでこんなにギリギリなんですか?」
「英梨さん曰く、掲載を頼んでいた漫画家の人が急に体調を崩して入院したらしくって。それで急きょ私にお鉢が回ってきたのです」
「まるで都合のいい女みたいな使われ方で」
「いえ、他の漫画家さんにも何人か頼んでみたみたいなんですが、みんな断られたみたいなのです」
「で、最後に先輩に回ってきたと」
「そうです」
なるほど、英梨さんにとって凪先輩は最後の砦だったらしい。たぶん、ゴリ押しすれば断れないの知ってるから。
「断れなかったんですか?」
「いえ、正確には断らなかったんです」
「どうして?」
「こんなチャンス滅多にないですし。それにいつもよりページが少ないというのは、毎月楽しみに待っててくれる読者の方々に対して失礼なのです。だから、私で力になれるのならと引き受けました」
咄嗟に返す言葉が見つからなかった。その顔つきは、さっきまでのからかいがいのある先輩から、漫画家のものになっている。それは漫画を描いている時の先輩の顔と似ていた。
「わかりました。先輩がそういうのなら私も手伝います」
「本当ですかっ?」
「いつもそうしてるじゃないですか。それで、あと何ページ残ってるんですか?」
「あとペン入れが六枚です」
「六枚か……先輩にしては頑張りましたね。まだ下書き段階かと思いました」
「今回はかなり頑張っているので、毎日寝不足なのです」
なるほど、確かによく見れば目の下にクマができている。
「んー、でも私が明日行くだけで間に合いますかね?」
「そのことなのですが……」
そう言うと、急に先輩はモジモジしだした。まるで海に漂う昆布みたいだ。
「なんですか。はっきり言ってください」
そうせっつくと、やっと先輩は口を開いた。
「た、貴子殿。その……きょ、今日うちに泊まりに来ませんか?」
「は?」
「今日貴子殿と一緒に徹夜して描けば、締め切りに間に合うと思うの、です……が」
最後の方の言葉は消え入りかけていた。
あの、友達がいない、人と接するのも極度に苦手な先輩が、自分の家へ泊まりに来ないかと私を誘っている。先輩のその性格を鑑みて、それはかなり勇気が必要だったに違いない。あの先輩が、この私を。
「急な申し出なので、全然断っていただいてもけっこうなのですが……」
「いいですよ、泊まりに行っても」
「ほ、本当なのですかっ?」
「本当です。でも、ご両親とか迷惑じゃないですか?」
「全然なのです。今朝相談したら、ウエルカムだと大喜びでした」
でしょうね、ご両親。思わずそう頷いてしまった。
「むしろ、貴子殿のご両親は大丈夫なのですか?」
「ああ、うち基本放任主義なんで。知らない人の家に行くわけじゃないし、先輩ん家なら二つ返事でオッケー出ると思いますよ」
「貴子殿はご両親に信頼されているのですね」
「いや、私というよりか先輩が信頼されてるんです。極度の人見知りのくせに、夏休みわざわざ家に来て、お手伝いのお礼とか言って菓子折り持ってくるから。若いのに珍しいって、むしろ評価高いです」
「なんと!」
まだ先輩の漫画制作のお手伝いを始めたばかりの夏休みに、親にそのことを話したと先輩に伝えたら、先輩が挨拶に行かねばと立ち上がった。もちろん、家に来た当日は緊張でガチガチだったけど、親も先輩の人見知りのことは知っていたから、そこまでしてと逆に好印象を持ったらしい。だからこそ、この四ヶ月先輩の家に行くと言っても、文句一つ言われたことがなかった。
「じゃあ、一旦家帰って荷物準備してから、先輩ん家行きます」
「了解なのです!」
「……先輩、なんだか嬉しそうですね」
「嬉しいのです! だって、誰かが泊まりに来るのも初めてですし、それが貴子殿というのがなおさら嬉しいのです。嬉しさ二倍です!」
ああ、もうこの人は。出会ってから割と早い段階で思ったことだけれど。この人、私のことが好きすぎる。しかも、それを隠そうともしない。これを四ヶ月も食らってるこっちの身にもなれ。ええい、これ以上ないってくらい嬉しそうに笑わないで。こっちが照れるじゃないか!
「……じゃあ、また後ほど」
「はいなのです」
そこで私達は図書室を出て別れた。私は教室へは向かわず階段を下りる。
少し歩いてから戻ろう。でないと、この顔の熱を見つけた美紀が、何を聞いてくるかわかったもんじゃないから。




