戦え、勇者ノリコ!(1)
あなたのことが好き。
たった九文字の簡単な言葉が、私には言えない。
だって、私のこの願いは、きっと叶わないだろうから。
あのゲーム、どこまで進んだ?
幼なじみの彼女が、昨夜電話でそんなことを言うものだから、きっとこんな変な夢を見たのだろう。
「ここは……」
目を覚ますと、そこは私の部屋ではなかった。私が寝ているのはベッドではない。ごつごつした岩の壁が私を逃がすまいと取り囲んでいる。
体を起こして辺りを見渡す。薄暗い周囲に目が慣れてくるにつれて、私がいるのは洞窟なんだと気付いた。
「なんで洞窟?」
私の呟きはゴツゴツした岩に反響していく。
確か、私は自分の部屋で寝ていたはずなのに。住宅地とはいえ、都会の真ん中にこんな洞窟があるとは思えない。だから、夢遊病でここまで歩いて来たとは考えにくい。
私があれこれ思考を巡らせていると、蛍のような淡い光の玉が、私の目の前にふわりと降り立った。
「やっと目が覚めたわね」
その光はパンっと弾けて、あっという間に親指くらいの女の子へと変身する。その女の子の顔を見て、私は「あっ」と声を上げた。
「理沙!」
それは、保育園の頃から小・中・高校と同じ学校に通っている、幼なじみの理沙だった。
どうして彼女がこんなところに? というか、何故そんな掌サイズになっているの?
私の心の中の疑問を知ってか知らずか、その女の子は「違ーう」と白い歯を見せた。
「私の名前はリーサ。妖精よ」
そう言って、リーサは背中に生えた透明な翅を私に見せる。幼い頃、秋の夕暮れ時に捕まえたトンボの翅によく似ている。彼女にそう言うと、「失礼なっ」と人差指を噛まれた。
「いたたっ。ごめん、ごめん」
妖精ってこんな凶暴だったっけ。もっと可愛らしくて優しいイメージがあったんだけど。
「もうっ」
リーサはそう言って頬を膨らませてそっぽを向いた。リーサは違うと言っていたけれど、その横顔は私の知っている理沙そのものだった。僅かに胸が疼き出す。
「それで。ここはどこなの? どうして私はここにいるの? あなたは何故ここに来たの?」
感情の機微を悟られないように、私はリーサに質問を浴びせる。彼女は「そうだった」と言って、翅をパタパタさせた。
「ここはあなたの夢の世界。あなたは勇者で、魔王を倒す為にここに来た。私はその案内役」
まあ淀みなくセリフが出てくることで。
でもまあ、なるほど。夢の中なら私が洞窟にいても不思議ではないか。
それにしても、まるで安いゲームのシナリオだ。いくら昨日寝る前にRPGのゲームをやっていたからって、私の夢ならばもっと凝った設定の夢にしてほしい。
「魔王を倒さなくても、朝が来れば自然に目が覚めるんじゃない?」
素朴な疑問を口にしてみる。しかし、リーサは、フフン、と鼻を鳴らした。
「大丈夫。倒すまで起きれない設定にしてあるから」
どこの世界にそんなあくどい妖精がいるのか。あ、私の夢の中に、か。自分の深層心理が怖い。
「じゃあ、その魔王を倒せばここから脱出できるのね?」
「そうよ」
リーサは即答した。そして、間髪入れずに「倒すのよ」と念も押した。どうやらリーサはどうしても私に魔王を倒させたいらしい。
夢の中なのに面倒くさい。でも、やらなければ仕方ないらしい。私は溜息を一つ吐いた。
「大丈夫よ。これはあなたの夢。あなたが強く望めば何でも叶う世界だから」
「なんでも?」
「本当に強く望めばね」
そんな都合のいい夢があるのか。半信半疑の私の気持ちが顔に出ていたのだろう。リーサは「例えば」と言って人差指を立てた。
「明りが欲しい、と強く願ってみて」
「明り?」
確かに、この洞窟の中は薄暗いからあればかなり助かるけれど。
さあ、さあ、とリーサが促す。とりあえず、私は言われた通り願ってみた。
明りが欲しい。
するとどうだろう。リーサの時よりも少し大きめの光の玉が、どこからともなく現れた。そして、フラフラと私の前を漂ったかと思うと、急に天井まで上がって強く輝きだした。
「おぉ、明るい」
私の家の蛍光灯の“中”ぐらいの明るさはある。その光は、六畳一間二つ分程度の周囲をひっそりと照らしていた。
「ね? 出来たでしょ」
どうだ、と言わんばかりにリーサは胸を張る。私の夢の力なのに、彼女の手柄にしてもよいものか。そう思ったけれど、ここは煽てた方が良さそうだと私の脳内そろばんが弾き出した。
「さすがリーサ。頼もしい」
「そんなぁ。照れるなー」
褒められたリーサは、両手を頬に当てて嬉しそうに体をくねらせた。そんな仕草さえ理沙に似ているものだから、思わず私の頬が緩む。可愛い。
「さあ、魔王目指してレッツゴー」
「お、おー」
勇者は私のはずなのに、リーサの方が魔王討伐にノリノリだ。主導権さえ握り始めている。ますます理沙にそっくりだと思った。
洞窟内は、とても静かだった。定期的に水の滴る音がするだけで、それ以外は風の音さえしない。動物の骨が落ちているわけでもなく、梅雨時みたいに湿っているのに、岩には苔一つ生えていない。本当にここは洞窟なのだろうか。そんな疑問さえ湧いてくる。私の想像の限界なのか。
「ねえ、魔王ってどんな奴?」
遠足に行くみたいに楽しそうに飛び回るリーサに向かって訊いてみる。とりあえず、情報収集は必要だ。
リーサは「そうねぇ」と言って、考える素振りをしてみせた。
「魔王はね、あなたの心の中に潜む悩みというか、モヤというか、蟠りなの」
「はあ? 何それ」
なんだ、その抽象的な表現は。普通はドラゴンとか体のごついモンスターとか、そんなものじゃないのか。リーサは構わず続ける。
「魔王はあなたそのもの。だから、私には魔王がどんなモノなのかわからない」
「じゃ何? つまりこの夢の主旨は、自分に打ち勝て、ってことなの?」
「そう」とリーサは頷く。
「さすが勇者ノリコ。冷静な状況分析だわ」
「褒められても嬉しくない」
私は奥歯を噛んだ。
「そんなの、余計なお世話だ」
わざわざ夢に忠告されることではない。放っておいてくれればいいんだ。
しかし、リーサは至極真面目な表情になって私を見つめる。
「言っておくけれど。この夢を作ったのはあなた自身。私を呼んだのも、あなた」
「まさか」
「本当に心当たりがない? そんなはずはないわ。あなたはもう気付いているはずよ」
濁りのない、まっすぐな目。私は見ていられなくなって、リーサから顔を逸らした。
もし、この夢がリーサの言う通り、私が作ったものだったとしたら。もし、私の無意識がリーサを私の幼なじみの理沙に似せてこの夢に出現させたというのなら。一つだけ、リーサのいう“魔王”には心当たりがあった。
ずっと、ずっと、胸の奥にしまっている私の秘密。けして口に出してはいけない、禁断の言葉。
私は心のどこかで、それを解き放ちたいと思っているのだろうか。
「それは……」
ダメ。そう言おうとした時、突然洞窟自体が大きく揺れ始めた。
「な、なに?」
地震というより、花火が開く時の体に降りかかる振動。この揺れはそれに近かった。
「来たわね」
リーサが険しい顔をして前方を見つめる。つられて私も顔を向ける。すると、そこには私の背丈の倍はあろうかという程巨大な水色のスライムが、私達の行く手を阻んでいた。
「ウソ……これが魔王?」
これが、私の心の蟠りを実体化したモノ?
魔王は丸っこい大きな二つの目に、三日月型の笑みを、そのゼリーのようなプルプルした体に張り付けている。
「そのようね」
リーサは迷わず即答した。
ちょっと待て。私はふざけているのか。私の悩みが、こんな一撃で倒せるような雑魚キャラと一緒なんて。そんなの信じない。信じたくない。
しかし、そんな私の胸中を知らないリーサは、ここが見せ場とばかりに活気づく。
「さあ、勇者ノリコよ。今こそ魔王を倒す時!」
右手の人差指で魔王スライムをビシリと指す。きっと心の中で、決まった、とか思ってるんだろうな。だが、私はそれどころではなかった。
「倒せ、と言われても。どうやって?」
よく見れば、私の今の服装は、グレーのパーカーに黒のジャージという、私的寝巻ルックだったりする。しかも、勇者というわりには武器一つ持っていない。
リーサは、まるで出来の悪い生徒を見る教師のような目で私を見下ろした。
「言ったでしょう? ここはどんな世界か」
「あ、そうか」
ここは、望めば何でも叶う世界。武器が無いのなら、欲しいと願えばいい。
「武器が欲しい」
目を瞑り、心の中で何度も呟く。
もういいだろうかと思い目を開く。しかし、私の手には武器どころか何一つ現れてはいなかった。
「どうして……」
「危ない!」
呆然と立ち尽くす私に、リーサの鋭い声が刺さる。見ると、目の前に水色の塊が襲ってきていた。私は反射的に左に避ける。その塊は、私がそれまで立っていた後ろの地面に勢いよく着地した。恐る恐る見ると、その場所に塊の大きさにピッタリの穴が開いている。
「ウソでしょ?」
あれ、当たったら私死んじゃうよ。
「とりあえず、隠れて!」
緊迫したリーサの声が洞窟に響く。私は言われた通り、近くの岩陰へと滑りこんだ。それとほぼ同時に、雨のような水色の弾が地面へと着弾していく。
夢だからきっと当たっても痛くはない。そんな常識を思い出せる程、今の状況は余裕に溢れていなかった。
「ちょっと! 武器出てこないんだけど」
同じく岩陰に隠れるリーサに、私は激しく抗議した。願えば叶うはずなのに、どうして今回は出てこないのか。
リーサは魔王の様子を見つつ、私の質問に答える。
「それは、あなたが本気で戦おうとしていないからよ」
「え?」
「あなたは、魔王を倒すことを迷っている。だから武器が出てこない」
そのリーサの言葉に、私は何も言い返せなかった。足に力が入らなくなって、岩肌に沿ってお尻は地面へと着地する。
私はもう、魔王の正体を確信していた。
「だって、出来るわけないじゃない」
理沙に寄せる想いが変わり始めたのは、いつの頃からだろう。それは本当に少しずつで、でも確実に私の気持ちを進化させていた。
「無理だよ……」
言えるわけない。だって、例えこの世界で強く望んだって、この願いは叶わないのだから。これを口にしてしまったことで、彼女の笑顔が、存在が、私の目の前から消えてしまう。それは私にとって、この世の何よりも恐ろしいことだった。
膝を抱え俯く私に、リーサが激を飛ばす。
「ちょっと! 魔王倒さないと、あなた一生この世界にいることになるのよ?」
「それでもいい!」
彼女を失うくらいなら、一生このままでいい。それでも構わない。
「あんたねっ」
「もうほっといてよ!」
私の悲痛な叫びが洞窟に響き渡る。魔王の攻撃は一時的に止んでいた。
どうして今更こんな夢を見るのだろう。これまで、何度も、何度も、胸の中に押し留めてきたはずなのに。もうこれでいいんだと、納得してきたはずなのに。
しばし、洞窟内に静寂が訪れる。それを破ったのは、リーサだった。
「勇者ノリコ」
リーサの静かな声が頭に落ちる。そして、「なに?」と力なく顔を上げた私の左頬を、彼女はその小さな掌で打ち抜いた。
「勇者のくせに、やる前から諦めてどうするの!」
そんな小さな体のどこからそんな声が出てくるのか。それくらい、リーサの言葉はパンチが効いていた。
叩かれた頬は痛くない。しかし、その言葉の力強さに、私はただ呆然としていた。
「どうしてそう後ろ向きなのよ。いい? 今逃げても、必ずまた魔王はあなたの前に現れる。一生ここに残るなら尚更ね」
「でも」
「あなたは、魔王が塞いでる出口の、あの向こう側を見たくはないの?」
「出口?」
リーサが指さした方へそうっと視線を向ける。確かに、バカでかいスライムの後ろの天井が、微かに明るくなっているのが見えた。あれが出口。光射す、その向こう側。
魔王と目が合って、私は慌てて顔を引っ込める。しかし、魔王は攻撃してこなかった。まるで、私が戦うのを待っているかのよう。
リーサが私の目の前へ移動する。私とリーサは対峙する格好になった。
「あなたは勇者。その胸に溢れんばかりの勇気を秘めている。あなたならきっと出来る! あの魔王を倒せる! 私を信じなさい!」
彼女の声音は優しい。それなのに、その言葉は暗く沈んだ私の胸に強く響いた。彼女の瞳の奥は、力強く輝いている。
ああ、そうだ。理沙も私が落ち込んだ時、こんな風に励ましてくれたっけ。
「ふっ、あははははっ」
なんだか可笑しくなって、私は声を上げて笑った。
夢の中でさえ、彼女は私を助けてくれるのか。見放さないでいてくれるのか。まったく、本当にどうしようもないな、私という奴は。
「大丈夫?」
急に笑い出した私を、リーサは心配そうに眺める。私は片手を挙げで、大丈夫、とアピールしてみせた。
私を信じなさい、か。確かに、私は目の前のことばかりに怯えて、ちゃんと彼女のことを見てはいなかったかもしれない。少し考えればわかることなのに。だって、私はずっとそばで彼女を見てきたのだから。
「ありがとう、リーサ」
笑い終えて、私はリーサに向けて優しく微笑んだ。リーサは、「べ、べつに」と言って私から顔を逸らす。その頬がほんのり赤くなっているのが可愛らしい。
「さて、と」
私は立ち上がった。岩から顔が剥き出しになる。魔王は相変わらず、ゼリーのようにプルンプルンと揺れていた。
「戦うの?」
リーサが確認してくる。私は「うん」と頷いた。
見てみたくなったのだ。出口の向こう側を。あれはきっと、私たちの未来。光輝く、未来の向こう側。
私は魔王の前に立った。そして、強く願った。
武器が欲しい。魔王を倒せる強い武器が、未来を切り開く鋼の武器が、私は欲しい!
突然、目の前に黄金色の光が出現した。その光は徐々に一つに集結し、ある形を成していく。そして、光が消えた後に出てきたのは、銀色に輝く剣だった。
「すごい! 聖剣出しちゃった」
リーサが、すごい、すごい、と言って私の周りを飛び回る。
「聖剣……」
目の前に現れた剣を手に取る。剣なんて一度も触ったことがないのに。それは不思議なほど私の手にしっくりと馴染んだ。まるで、ずっと持っていたかのようだ。
「聖剣が出たらこっちのもんよ。いっけぇ、勇者ノリコ!」
リーサが元気よくゴーサインを出す。
「よっしゃあ!」
ダッシュして、私は倍はあろうかという魔王の頭上までジャンプした。さすが夢。不可能を可能にしてくれる。私は聖剣を振り上げた。
『いっけぇぇ!』
私とリーサの声がハモる。私は力を込めて聖剣を振り下ろした。
それは、ゼリーをスプーンですくうかのような、そんな感触だった。魔王であるスライムは、私に体を真っ二つにされた。そしてしばらくすると、水のように蒸発してしまった。
魔王を、倒した。
「やったぁ!」
真っ先に喜んだのは、リーサだった。その小さい体で私の左頬に抱きついてくる。リーサが妖精じゃなく人間サイズだったら、きっと私も同じことをしていただろう。
「魔王を倒せたのは、リーサのおかげだよ」
彼女がいなければ、私はずっと魔王から逃げ続けていただろう。それをふっ切らせてくれたのは、彼女の助けがあったからだ。
「当然よ」
リーサは謙遜する素振りをまったく見せず、どうだと言わんばかりに胸を張る。それが可笑しくて、私はまた笑った。
胸のつかえが取れたかのように、気持ちがいい。清々しい気分だ。だが、安心してはいけない。
「魔王はまた現れる。いつでもね」
リーサはそう言って、私を諌めた。
人間は弱い。すぐに自分が勇者であることを忘れてしまう。でも、私は大丈夫。だって、私にはこの聖剣と、そしてリーサがいるから。
「あ! そろそろ時間が無い。急がなきゃ」
それまで喜んでいたリーサの顔が、急に緊張したように強張る。何を急がなければいけないのか、それを聞こうとした時、急に地面が縦に激しく揺れだした。
「じ、地震?」
魔王が出てきた時とは違う、洞窟全体が揺れるような大きな振動。その証拠に、天井から大小様々な形をした岩が地面目がけて落下してきていた。崩落、という単語が脳裏を掠める。マジで。生き埋めですか、これ!
「急いで!」
リーサが出口に向かうよう私を誘導する。彼女が私を焦らせるのもわかる。だって、落下してくる岩たちが、どんどん出口を塞いでいるのだから。
落ちてくる岩を必死に避けながら、私は出口へと走った。例え夢の中であっても、私はまだ死にたくない。生きて、また理沙に会いたい。
「早く!」
僅かに、人一人通れるくらいのスペースが残っていた。そこから淡い光が漏れている。が、そこに空気の読めない大きな岩が落下してきていた。私が早いか、その岩が早いか。私の目測ではそれはほぼ同時のように思えた。
「間に合えぇ!」
一か八か、私は野球よろしくヘッドスライディングをかます。光が、未来が、手に届く。その瞬間、真っ白な光が私のすべてを飲み込んでいった。




