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百合三昧(短編集)  作者: 渡辺純々
18/42

遅いよ

 有希(ゆき)を目の前にすると、胸が苦しくなって、身体が熱くなって、心臓がドキドキする。

 てっきり原因不明の不治の病だと思っていたけれど、その病名は意外にもあっさりとわかってしまった。

「これが恋っ?」

 妹から、ここに答えがあると言われ渡された少女マンガを読んで、私は思わずそう絶叫した。

 その中の主人公の女の子が、今まさに私と同じ症状を抱えて一人の男の子を見つめている。それを彼女が恋だと断言したのだ。

二葉(ふたば)、これがこの病の答えなの?」

「そう。いち姉はその人に恋してんの。普通ならすぐ気付くんだけどね」

 妹は淡々とそう答える。きちんと嫌味を言うことを忘れないあたり可愛げがない。

「そんな……じゃあ、私は……」

 有希に恋をしてしまったということか。そう自分の中で確認すると、カッと身体が熱くなった。

「ウソだぁぁー!」

 確かに有希以外に大好きになれそうな人なんかいないと今でも断言できるけど、まさかそれが恋に発展するとは思わなかった。だって、相手は女の子じゃないか。

 頭を抱えて呻く私を見てため息をつきつつ、二葉は私が落とした少女マンガを拾った。

「だいたい誰に恋したか想像つくけど。誰を好きになろうが、悪いなんてことはないと思うよ」

「二葉?」

「大切なのは気持ちでしょ。だって、宇宙規模の鈍感力を持ついち姉が恋するってことは、その人のこと相当大好きってことだよ。そんな相手、その人以外現れないから。だから、その人のこと大切にしなよ」

「どうしよう……二葉が私より先に大人になってる!」

「精神年齢の低い姉を持つと、否応でもこうなるの」

「しかも可愛くない!」

 昔は、お姉ちゃんお姉ちゃん、と私の後を笑顔で追いかけてきてたのに。どこで性格がねじ曲がったんだろう。

「ほら、答えも出たし。自分の部屋に戻って」

 混乱した私を突き放すように、二葉は私を部屋から締め出す。静かな廊下にポツンと立つと、二葉が言った「その人のこと相当大好き」というフレーズが私の脳内を直撃し、夜通し何度も何度も私を悶々とさせた。


 有希に「結婚しないで」発言をし、その後で恋に気付いてから一週間。恥ずかしさからか、私は有希を避けるようになっていた。

「テスト期間に入っちゃったから、いっちゃんは練習できなくて物足りないんじゃない?」

「そ、そうだね」

 学校からの帰り道、私と有希は自転車を漕いでいた。学校から駅までは歩きだが、家から最寄り駅までは距離があるため二人とも自転車を利用している。車はあまり来ないので、二人並んで走っても怒られることは滅多になかった。

「そうだ、明日の休みにいっちゃん家行っていい? 勉強教えてほしいんだけど」

「え? えーと……ごめん。明日は二葉の勉強見ることになってて」

「……そっか。わかった。じゃあね」

「うん……」

 有希が家に向かって行くのを見送りつつ、私は思いっきり大きく息を吐いた。

「緊張するぅーっ」

 有希と二人きりだと心臓がドキドキとすごい音を立てて動き出すから、なんだか思考が上手く働かない。これが部屋に二人きりなんてことになったらどうなるか……ダメだ、理性が吹っ飛んで何やらかすかわかったもんじゃない!

「それはダメだ」

 もしそんなことして有希に嫌われでもしたら、私はもう生きていけない。それは大げさだけど、それくらい怖いことではある。いくら鈍感な私でも、同性同士の恋愛が世間でどんな風に思われているのか知らないわけではないから。だから気を付けないと。

 家に帰り、自分の部屋のベッドに倒れ込む。そして、今日の有希の顔を思い出したら胸が苦しくなった。

「どうしたもんかね……」

 有希と普通に接しなければと思えば思うほど、今までどんな風に彼女と過ごしてきたのかが思い出せなくなる。そういえば抱きついたこともあったなと思い出した瞬間、その時の自分が憎らしくなった。くそ、昔の私はなんて大胆だったんだ。そんな羨ましいことを恥ずかしげもなくできていたなんて。腹が立つ。

 でも、確かにそれが私の有希に対する普通だった。今みたいに避けるようなことはしなかった。いつか、この私を行動を不審に思った有希が、私の気持ちに気付いてしまうんじゃないだろうか。それが最近の私の一番の悩みだった。

「どうにかしないと……」

 この時の私は、初めての経験に自分のことで精一杯だった。私のこの行動で有希がどんな風に思うかなんて、考える余裕すらなかった。それを私は翌日思い知ることになる。


 翌日の午後。

 部屋でテスト勉強をしていると、扉をノックする音が聞こえた。両親は出かけている。そういえば、二葉が辞書を貸してほしいと昼ご飯の時に言っていたのを思い出した。

「二葉、辞書なら勝手に取っていきなー」

 しかし、返事が返ってこない。おかしい。二葉なら私がそんなことを言う前に、勝手に扉を開けて部屋に入ってくるのに。その扉は未だ閉じたままだ。

「二葉ー?」

 不審に思いながらも、机から離れ扉を開ける。その先にいたのは、二葉ではなく、なんと有希だった。

「ゆ、有希っ?」

「ごめんね、いっちゃん。予定があるって言ってたのに、勝手に家に来ちゃって」

「い、いや、それはべつにいいけど……」

 まさかの人物の登場で、私は激しく動揺した。どうして有希がここに? だって、昨日断ったはずなのに。彼女は私みたいに強引なタイプではない。無理と言われたら、それをきちんと理解して判断できる人だ。何か理由がなければここに来るはずがない。そこまで考えて、ある一つの答えが浮かんだ。

 まずい、彼女は私のウソに気付いている。二葉の勉強を見ると言った、昨日のあのウソに。

「入っていい?」

「……どうぞ」

 冷や汗が背中を流れる。どうしよう、頭の良い有希なら、私が避けていることももう気付いているだろう。もしかしたらその理由まで。もしそうならかなりまずい。どう頑張っても、有希が私のこの気持ちを受け入れる場面が想像できないから。

 部屋に入った有希は、いつも通り小さな四角い座卓へ移動して、彼女専用の座布団へ腰を下ろす。つられて私もその右隣へ座った。

 しばしの沈黙。重苦しい空気が部屋中に漂う。それまでうるさいと感じていた蝉の鳴き声も、どこか遠くに感じた。

「いっちゃんに話があって来たの」

 そう話始めたのは有希だった。

「話って何?」

「いっちゃん、最近私のこと避けてるよね」

「それは……」

 ズバリと確信がきた。やはり、彼女は気付いていたんだ。私のその反応を見て、有希は言葉を続ける。

「それってさ、私が、結婚しないでいっちゃんと老人ホーム入ってもいい、って答えた後からだよね?」

「……へ?」

「気持ち悪かったよね。死ぬまでそばにいるって言ってるみたいで。だからごめん。もうそんなこと言わないから。だから、せめて避けないでほしいな。いっちゃんに避けられたら、私かなり辛い」

 今にも泣きそうな笑み。そんな有希の姿を見て、私はやっと理解した。

 有希は、私が避けている原因が自分にあると勘違いしている。そして傷付いている。もしかしたら嫌われたんじゃないかと。

「言いたいことはそれだけだから。勉強の邪魔してごめんね」

 そう言い残し、有希は私を置いて立ち上がる。

 私はバカだ。自分のことばかりで、大切な有希の気持ちなんて全然考えてなかった。わけもわからず避けられて、不安にならない人間なんていないのに。

 きっと、このまま彼女を帰してしまったら、今度こそ今までのような関係には戻れない気がする。そばにいるのに、どこか遠くに感じる。そんな溝が二人の間にできて、もう二度と有希の手を握れない気がする。そんなのは嫌だ。

「待って」

 扉を開けて帰ろうとする有希を、私はその手を掴んで引き止めた。

「いっちゃん?」

「ちゃんと話すから。だからまだ帰らないで」

 掴んだ手に思わず力が入る。珍しく私が真剣だったからか、有希は「わかった」とだけ言って元の位置に座り直した。その後に私も続く。

 再び重い沈黙が落ちる。でも、さっきは有希が勇気出して話してくれたんだ。それに、話があると引き止めたのは私。怖がってる場合じゃない。こんなの私らしくないだろ。

 そう自分を奮い立たせるように、私は一度胸を拳で叩いた。

「確かに、あの結婚しないで発言から、私は有希を避けてきた。でもそれは気持ち悪かったからじゃなくて、むしろその逆で、その……嬉しかったんだ」

「え?」

「ほら、あの時私病気かもしんないって騒いだじゃん? あの病名がわかったんだよ」

「そうなの? 何だった?」

「それがさ……恋だったんだ」

 そう告げた直後、有希の呼吸が一瞬止まった気がした。でも、もう止めることはできない。

「私は有希のことが大好き。それは変わらないはずなのに、そこに恋愛感情が入り込んできて、初めてのことに私混乱したの。有希に嫌われたらどうしようって」

「まさかそれで?」

「そう、その通り。一緒にいたら恥ずかしくて、息もできないくらい胸が苦しくて。こんなのバレたら有希に嫌われるかもしれない。それが怖くてずっと避けてました。ごめんなさい」

 言ってしまった。私の気持ち。あとは有希がどう思うか。

「気持ち悪いよね、女同士でさ。でも、できたら避けないでほしいな。私も、有希に避けられたら辛い」

 言った直後、なんだか泣きそうになった。ああ、さっきの有希の気持ちがよくわかる。言葉にするだけでも、こんなに悲しくなるんだ。

 有希は何もしゃべらない。前までは有希との間の沈黙なんて全然気にしたことなかったのに。今は何を考えているのか、どう思っているのか、いろんなことがグルグル回って怖い。

 そんなことを悶々と考えていた時だった。

「ゆ、有希っ?」

「え?」

 有希の頬を涙が流れ落ちていく。それは一筋などではなく、左右とめどなく。

「ごめん、そんな泣くほど嫌だったなんて!」

 これはかなりまずい。有希を泣かせるつもりなんてなかったのに。そこまで嫌だったんなら、言わない方が良かった。

 そんな私の考えを悟ったのだろう。有希は涙を拭きながら「違うの」と否定した。

「嬉しくて」

「へ?」

「両想いだったんだって思ったら、なんだか無性に嬉しくて……」

「両想いって……えぇっ?」

 それはつまり、有希も私に恋をしているということか? そういうことだよね、そういうことでいいんだよねっ?

「有希も私のこと好き?」

「うん、ずっと前から恋愛対象として好き」

「マジか!」

 なんというミラクル。好きな人と両想いになるって、こんな奇跡みたいなことだったんだ。

 両想いの喜びと、泣いている有希の色っぽさが、私の中の理性という鍵を徐々に壊していく。

「有希」

 近寄って、その綺麗な涙を拭く。伏せられた長いまつ毛と、触れた頬の柔らかさが、私の心を激しく刺激した。

「両想いで嬉しくて泣くとか……どんだけ可愛いのよ」

 有希の顔を優しく引き寄せて、そして私は欲望のままキスをした。柔らかい感触とその温もりが、私の心と身体を満たしていく。

 唇を離す。そして、潤んだ瞳の有希と目が合った。

「嫌だった?」

「ううん、むしろ幸せ」

「良かった」

 今度はどちらからともなく唇を合わせる。そして、その後で二人ともクスクス笑った。

「有希はいつから私のこと好きだったの?」

「はっきり自覚したのは、小学校六年生の時かな」

「早っ!」

「早くないよ。いっちゃんが遅いの」

 驚く私に、有希は頬を膨らませて抗議する。その後でまた笑った。

「でも、本当に両想いになれるなんて思わなかった。だって、いっちゃんは恋愛に興味なさそうだったから」

「まあね。そんなことするくらいなら、ヒッチハイクで日本一周してる方がマシって思ってたかも。少し前の私なら」

 そこまで言って、私は有希の手を握った。

「でも、今は有希に恋してる。この先もずっと、恋をするのは有希にだけ。有希がそばにいれば何も怖くない。私はずっと無敵でいられる。だから、私も両想いで嬉しい」

 有希がそばにいてくれたから、私は無鉄砲でいられた。見放さないで、嫌いにならないでいてくれたから、私は自分自身に自信が持てた。だから、今の私がいる。きっとこの先も、そのままの私でいられるだろう。有希がいてくれれば。

「……いっちゃん、ずるい」

 何が、と聞こうとすると、有希は顔を真っ赤にして片手で顔を隠した。

「そんなこと言われたら、またキスしたくなる」

「すればいいじゃん」

 サラリとそう返すと、赤い顔のまま有希は片手を外した。

「昔から、有希が甘えてくるの可愛くて好き」

「……バカ」

 そう言うと、有希はこちらにゆっくりと顔を近付けて、そして軽く唇を触れ合わせた。

「あ、そうか」

 唇が離れた直後、私は何かに思い当たった。有希が不思議そうな顔をする。

「どうしたの?」

「いや、妹が言ってたんだよ、私は宇宙規模の鈍感力の持ち主だって。だからさ、もしかしたらもっと早い段階で、無意識のうちに有希のこと好きだったのかもしんないと思って」

 昔から有希のことは可愛いと思っていたし、男子が彼女にちょっかいを出そうものなら、本気で腹を立てて殴っていた。私の有希に何すんだって。もしかしたら、私の方が有希より先に好きになっていたのかもしれない。

「もういいよ」

 有希はそう言って、私の肩に頭を乗せた。

「いっちゃんが今、私のことを好きでいてくれるなら」

「そっか」

 私も、有希の頭に自身の頭を添える。

「私、一生有希のそばにいるから」

「私も。一緒に老人ホーム入ろうね」

「もち!」

 もう何も怖くなかった。有希が来るまで抱いていた不安も、今は微塵も感じない。

 もう大丈夫。もともとあった私達二人の絆は、以前よりももっと強く固くなったから。そしてこれからももっと強くなっていくはずだから。有希の温もりを身体で感じながら、私は今そう確信している。

「そうだ! 前見つけた洞窟に行こうよ」

「洞窟って、あの笹を取りに行った時の?」

「そう。ずっと行きたくてうずうずしてたんだよね」

 私が目をキラキラさせて有希にそう言うと、彼女は仕方ないと言いたげに苦笑した。

「いいよ。でも、テストと試合が終わった後でね」

「えー? 今から行こうよ」

「ダーメ。私はいっちゃんと違って、テストも試合も努力しないと点が取れないんだから」

「ごめん、私天才で」

 真顔でそう言う。その後で二人同時に吹き出して笑った。子どもの頃と一緒の笑い声だった。

「じゃあ、有希のためにテスト勉強しようかな」

「私もここでしていい? 」

「もちろん。でも、また襲っちゃうかもよ?」

「いっちゃん!」

「あははっ! 半分冗談」

蝉の鳴き声がひときわ大きくなる。私達二人の新しい未来は、まだ始まったばかりだ。

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