夏の幻(2)
図書室で自殺したとされる女子生徒の幽霊を見た後、午後の授業中も、放課後のバレー部の練習も、全然集中できなかった。壊れたロボットのようにあまりにもポンコツな私を見て、いつも厳しいキャプテンが「大丈夫か?」と本気で心配してきたほどだ。「問題ないです」とは答えたものの、全然大丈夫ではなかった。
部活中、ずっと誰かに見られているような視線を感じた。でも、辺りを見渡してもいるのはバレー部とバスケ部の部員だけで、例の幽霊少女はいない。それでも、その違和感は最後までつきまとった。
「今日の貴子変。何かあった?」
美紀が心配そうに私の顔を覗き込む。私は片手を挙げて「大丈夫」と答えた。
「ただの軽い夏バテだよ。それより、今日も野球部の練習見に行くんでしょ? ほら、さっさと行った」
シッシッと片手で払う仕草をする。美紀は心配そうな顔をしたまま野球部のいるグラウンドへと歩いていった。
そう、大丈夫。幽霊なんてこの世にはいない。だって、今まで見たことなんかないのだから。そう自分に言い聞かす。そうすればするほど、手の震えがひどくなっていくような気がした。
部活の終わった生徒達は、おしゃべりをしながら楽しそうに帰っていく。気付けば、辺りには私一人しかいなくなっていた。
ヒヤリ、と背中に冷たい何かを感じて身体が固まる。この感覚は、初めてあの幽霊を見た時と一緒だった。
いる。私の後ろに。そうわかっているのに、振り向かずにはいられない。気のせいだと思う反面、いるんじゃないかと確認せずにはいられなかった。
息を呑みながら、ゆっくりと振り返る。すると、そこには闇と同化したような彼女がひっそりと立っていた。
「……っ」
言葉が出てこない。あまりの恐怖に足が震える。その距離は図書室の時より近い。
彼女がニヤリと笑った。そして一歩、また一歩と私に近付いてくる。
「来んな!」
そう叫ぶと、私はとにかく走り出した。とりあえず、彼女に捕まらないようにしなければ。後ろを見ると、彼女も走りながら私を追いかけていた。
「はあ、はあ」
どこへ逃げたらいいか考えられないほど、無我夢中で走る。気付けば、目の前に旧校舎が見えてきていた。振り返ってみたら、彼女の姿は見えない。体力と走力は私の方が上なのだろうか。もしそうなら、毎日いやいやでもちゃんと部活やっといて良かった。
息を荒げながらも、なんとか旧校舎までたどり着く。すると、何故かいつもは閉まっている南京錠が今日は開いていた。
「なんで……」
ガタッと物音がしたので反射的に振り返る。しかし、彼女の姿はなかった。それでも、不気味なほどリズミカルな足音はだんだん大きくなっている。迷っている暇はない。私は旧校舎の扉を開けて中に入った。
旧校舎の中は電気が通ってないのか薄暗く、木でできた廊下は歩くたびにギシギシと嫌な音を立てる。突き当たりを右に曲がり、L字の先端の教室のネームプレートを見ると、「音楽室」と書いてあった。私はその右手前にある「理科室」へと逃げ込む。そして、奥の机の下に潜り込み息をひそめた。
まだ足音はしない。実験のために備え付けられた蛇口は各机に配備されているが、水が滴る気配はない。辺りはとても静かだった。
彼女はどこまで来ただろう。ギシギシと軋む足音は聞こえてこないから、まだ旧校舎の中には入ってないのかもしれない。いやでも、幽霊なら足音立てずに近付くことも簡単なんじゃないか。
ドキドキと一向に収まらない心臓。それは走ったからなのか、恐怖からくるのか、わかりたくもなかった。
唾を飲み込むのも躊躇うほどの静寂が周りを包んでいた、その時。リュックの外ポケットに入れていたスマホが振動した。慌てて取り出し、画面を確認する。相手は美紀だった。
「こんな時に……っ」
そう思い「切」に伸びた指を私は一旦止めた。もしかしたら、美紀なら助けに来てくれるんじゃないか。大丈夫、一緒に逃げようって言って、私の手を引いてくれるんじゃないか。一人でいるより、二人でいる方が心強い。
正常な判断能力を失った私は、美紀からの電話を取ってしまった。
「あ、もしもし貴子? ごめんね、急に電話して」
電話向こうの美紀の声は、私と正反対で弾んでいる。
「ちょっと話したいことがあってさ」
「ごめん、美紀。私今例の女子生徒の幽霊に追いかけられてるの。助けに来て」
美紀の話を遮るように、単刀直入に早口で言う。もちろん、声はひそめている。彼女の戸惑いが、「え?」という一言に集約していた。その後で大きな笑い声が起こる。
「やだなー、貴子。いくら私が怖がりだからって、そんなのに引っかからないよ」
「冗談じゃなくて本気だって」
「はいはい、わかったから。じゃあ塩でも買ってこようか?」
冗談交じりの美紀の声が、私の焦りに拍車をかける。信じてもらわなければ、私はきっとあの幽霊に捕まってしまう。
そう思い口を開きかけたところで、先に美紀の方がしゃべりだした。
「べつにメールでも良かったんだけど、やっぱり貴子には自分の口から言いたくて」
そう前置きしてから、美紀が一度呼吸を整えたのがわかった。
「私、相沢君と付き合うことになった」
「え……」
一瞬、目の前が真っ白になった。美紀の笑顔も、例の幽霊のことも、すべてが私の目の前から消えていく。
「今日、私から告白したの。そしたらオッケーしてくれた。向こうも前から私のこと好きでいてくれてたみたいでさ。……ちょっと照れるよね」
そんな声、そんな言葉、全部聞きたくない。あんたの口からそんな嬉しそうに言ってほしくない。だって、相手は私じゃない他の誰かなんでしょ。あんたの好きな人は私じゃないんでしょ。だったらそんなの全然嬉しくない。
「貴子には一番に教えたかったんだ。だって、貴子は私の親友だから」
親友。その単語が出た瞬間、まるでバットで頭を殴られたような衝撃が私を襲った。ああ、そうか。そうなんだな。
「……そっか。ありがとう、教えてくれて。お幸せに。じゃあ切るね」
そう言って、私は「貴子?」と不審がる美紀の声を無視して通話を切った。そしてスマホを握りしめる。
ガラガラと旧校舎の扉を開ける音がした。そして、あの独特の木を軋ませる足音がこちらに近付いてくる。それは理科室の前で止まり、教室の扉が開かれた。
「遅かったね」
幽霊彼女の足が、私が潜り込んでいた机の前で止まったので、私はゆっくりとそこから這い出る。彼女はこの闇に負けずひっそりと佇んでいた。
「連れてけよ、あの世でもどこでも」
自嘲気味に笑いながらそう告げる。彼女は動かなかった。
「私もさ、あんたと同じで今さっき振られたんだ。もうすべてがどうでもいい。だから、あんたと一緒にあの世へ逝ってやるよ」
どんなに想っても、どんなにそばにいても、所詮私は「親友」止まり。それ以上でもそれ以下でもない。美紀の中での私はそんな存在なのだ。それはもはや絶望に近い。
「私には耐えらんないんだ。こんな気持ち。だから、この苦しい思いごと持っていって」
それは願いに近かった。自殺した彼女の理由を聞いた時、そんなことで、と思ったけれど。それは間違いだった。
これから先の未来、私は美紀が私以外の人間を好きになる場面をずっと見ていくことになる。その度に私は絶望し、耐え難い苦痛を心に抱えながら生きていかなければならない。それを想像したらゾッとした。それはもはや生き地獄。だったらいっそ、今ここでその未来を消してしまう方がきっと楽だ。
「頼むから、お願い……っ」
そんな私の願いを聞き入れるかのように、彼女がゆっくりと私に近付いてくる。そして、両肩を力強く掴んだ。
さよなら、美紀。私の想いは叶わなかったけど、これだけはウソ偽りのない本音だ。あんたの幸せを誰よりも願ってる。
そう思いながら、目を閉じた直後だった。
「死んじゃダメなのですよ!」
「……は?」
「この世に人間が何人いると思ってるのですか。何十億ですよ、何十億。その中のたった一人に想いが届かなかったくらいで死ぬなんて、そんなのバカらしいじゃないですか。もったいないのですよ!」
「えっと……ん?」
ちょっと待て。何かがおかしい。頭が混乱する。
「あんた自殺した幽霊で、人を捕まえてあの世へ連れて逝くんだよね?」
「何言ってるのですか。私は自殺なんかしてませんし、幽霊でもありません!」
「はあ?」
ますます混乱してきた。自殺した幽霊だと思っていた彼女は、実は幽霊じゃなくて、しかも私に説教をかましている。これはいったいどういうことだ。
はてなマークを頭いっぱい咲かせていた、その時。音楽室の方から音が聞こえた。そして、力強い足音がこちらに近付いてくる。
「ひゃあ! おおお、オバケぇ!」
「ちょっ、苦し……っ」
彼女が私の首にしがみついてくる。まさか、こっちの方が本物の幽霊だったりして。
「こらぁー!」
『キャーっ』
扉が勢いよく開く音と、男性の怒声と、私達二人の悲鳴の三重奏が、静かな理科室に響き渡った。
「本当にすみませんでした」
下校途中、生徒のいなくなった通学路で、私は例の彼女に頭を下げた。彼女は申し訳なさそうに両手を左右にぶんぶん振る。
「ききき、気にしないでください」
「いやでも、幽霊と間違えるとか失礼ですよね。本当すみません」
「いやいやいや、そう間違われるような格好をしている私の方が悪いのです。昔からよく間違われてましたし。だから気にしないでください!」
今度は彼女の方から勢いよく頭を下げてきた。しかも九十度。長い髪の毛がバサリと音を立てて流れ落ちた。
彼女の名前は、遠野凪。私の一つ上の先輩だ。旧校舎での一件が落ち着いた後、二人とも自己紹介をしたのだ。
「凪先輩、頭上げてください」
「うう、面目ない。先輩なのにしがみついたり叫んだりして」
「ああ、それですか」
二人の間に入ってきたのは、オバケでも本物の幽霊でもなく、高齢の男性音楽教師だった。なんでも、旧校舎の音楽室を楽器を置く用の物置きにしているらしく、たまに手入れをしにああして旧校舎に立ち寄っているとのことだった。
「そういえば、前に旧校舎で先輩見かけたんですけど。なんであの時先輩は旧校舎にいたんですか? つーか、どうやって中に?」
「音楽室の窓の一つ、鍵が壊れているのですよ。そこから侵入してました」
「そんな裏道が。んで、何してたんですか?」
「それは……その……漫画を、描いていて……」
「漫画?」
怪訝な顔をしている私から視線を逸らしながら、先輩は言いにくいそうに口をもごもごさせた。
「……実は私、漫画家なんです」
「え、ウソっ?」
「といっても、百合漫画家なんですが」
「百合って、あの女性同士の恋愛とかのやつですか?」
「そうです! やっぱり知ってるんですね」
「やっぱりって……なんで知ってるんですか?」
「ぎくっ」
そんな擬音を実際に口に出す人を初めて見た。よほどしまったと思っているらしい。顔にも態度にもそれが出ている。
私がジーっと目だけで凪先輩を追い詰める。ずっと顔を逸らしてかわそうと頑張っていた先輩だが、そのうち根負けして近くの電柱にしがみついた。
「すすす、すみませぬ! 一ヶ月前くらいにタヌキにパンをあげている貴子殿を旧校舎から見かけて、これは次の漫画のモデルにぴったりだと直感したのです。それでずっと追いかけていたら、ふとアニメを観ていることを知って……」
「それでオタクだと思った」
ズバリと言うと、凪先輩は電柱にしがみついたままうんうんと頷いた。
「私、昔から絵のモデルにしたいと思った人物を追いかける癖がございまして。しかも、だんだん対象者に近付いていくという最悪っぷり。ストーカーみたいで気持ち悪いと言われたことが何度もあるのです」
「反省しろ」
なんという悪癖。ターゲットにされた相手はさぞ怖かっただろう。今日の私のように。紛らわしいったらありゃしない。
「じゃあ、図書室に来たのも……」
「貴子殿を追いかけて」
「でも、私が後を追ってもいませんでしたよ?」
「私、逃げ足だけは早いのです。気配を消すのも得意分野なので」
「忍者か、あんたは」
時代が時代なら重宝されそうだな、おい。
「あれ? じゃあ私をずっとストーキングしてたってことは、もしかして私の好きな相手にも気付いてます?」
「ぎくぎくっ」
「その反応、知ってますよね?」
「ししし、知りませぬぞー! 貴子殿の好きな相手が親友さんだなんて……あっ」
どうしよう、この反応。ちょっと面白くなってきた。でもさすが百合漫画家。鈍い人ではないらしい。
「ちちち、違うのです! 今のはなんと言いますか……」
「いいですよ、先輩の言う通りですから」
そう言うと、私は先輩がしがみついている電柱に寄りかかった。
「今日美紀から電話があったんです。彼氏ができたって。彼女の方から告白したらしいですよ。もう勝ち目なしです。私の方が彼女のことよく知ってて付き合いも長いのに、なんだか不公平ですよね」
握っている拳に力を込める。見上げると、外灯に何匹かの虫が群がっていた。
あの虫は私だ。美紀という光に集まるただのしがない虫。飛び続け、いつかは疲れ果てて力尽きる、なんと惨めな生き物。
そんな虫達を見ていてふと気付いた。あれ、なんで私こんな話を先輩にしてるんだろう。
「にゃー!」
突然、凪先輩が大声で叫んだ。そして、驚いている私をよそに、電柱から離れて私の前へ出る。
「どうしたんですか、先輩?」
「なな、泣きたいなら泣くがいいのです」
「は?」
「泣くという行為は、心の浄化作用なのです。だから、我慢するより思いっきり泣いた方が後味すっきりなのです!」
「はあ」
「私は後ろを向いていますから。さあ、どうぞ。お泣きなさい」
「お泣きなさいって……」
あんたは何歳なんだ。そうツッコもうかと思ったけれど、やめた。長い黒髪の隙間から見える細い肩が、小刻みに震えていたから。
ああ、本当なんなんだろう、この人。思わず口元が緩む。
私は後ろから先輩に抱きついた。
「たたた、貴子殿っ?」
「ちょっとだけ、このままでいてください」
そうお願いした後、先輩の返事を聞く前に私は泣きだした。
泣くつもりなんかなかったのに。というか、あまりにもショックで泣くことすら忘れていた。それなのに、私は今こうして泣いている。しかも、今日初めて言葉を交わしたような相手に。でも、嫌な気分じゃなかった。
凪先輩が気付かせてくれたから。違う相手に取られて悔しいって思えるくらい、こうやって悲しいと思って泣けるくらい、私は美紀のことが大好きだったんだって。
もっと早く告白しとけば良かったという後悔も、相沢に対する醜い嫉妬も、この透明な涙が洗い流して、ちょっとずつ心が軽くなっていく。不思議とそんな気がした。
数日後の昼休み。
「ほら、凪先輩急いでください。締め切り近いんですよね?」
「あうう、面目ない」
私と凪先輩は今、図書室にいる。相変わらずこの時間、ここに来る生徒はほとんどいない。それをいいことに、凪先輩に昼休み図書室に集まろうと提案したのは私だった。
「私、放課後は部活があるんですから。平日は手伝えるのこの時間しかないんですよ。わかってます?」
「わかっているのです。が、なんというか、緊張して……」
「はあ? なんで緊張?」
「今までこんな風に誰かと一緒に過ごしたことがなかったもので。だからその……」
「もしかして照れてます?」
「ぎくっ」
相変わらずわかりやすい人だ。でも、そう言われるとなんだか悪い気がしない。
「嬉しくて緊張してくれるのはこちらとしても嬉しいですが、手が止まってしまうのはいただけません」
「き、厳しい……っ。まるで担当編集者がもう一人増えたみたいなのです」
「悪かったですね。でも、漫画制作を手伝って欲しいってお願いしてきたのは先輩の方からですよ。そこをお忘れなく」
「もちろん、忘れてはいないのです。こうやって一緒にいてくれるだけでありがたいのです。感謝です」
そう言うと、凪先輩は座ったまま頭を下げた。この人、そういうことは恥ずかしげもなくサラリと言えるのに。今度はこっちの方が照れるじゃないか。
「あああ、あのっ」
突然、先輩が頭をあげて顔を近付けてきた。
「なんですか?」
「……いや、なんでもないのです」
何か言いたそうにしつつ、凪先輩はおずおずと視線を未だ真っ白なネームノートに落とす。そんな彼女の姿を見て、私は一つため息をついた。
「私と美紀の話をネタにしたいんですよね?」
「どどど、どうしてわかったのですかっ? もしや、貴子殿はエスパーっ?」
「いや、エスパーじゃないですから。そんなの先輩の顔見てたらわかります。わかりやすすぎなんですよ」
「なんと!」
先輩はムンクの叫びのように、両手を頬に押し当てて驚く。やっぱりこの人の反応はいちいち面白い。
私は笑いをこらえつつ、一つ咳払いをした。
「べつにいいですよ、漫画にしていただいて」
「本当ですか!」
「ただし、条件があります」
「条件?」
「その長い髪を切ってください。そしたら許可します」
そう告げた瞬間、先輩の動きが止まった。
「そ、それは嫌なのです」
「なんでですか?」
「だって、美容師さんという知らない人と話をしなきゃいけないじゃないですか。それが私には苦痛で……」
「黙って切ってください、ってお願いすればいいじゃないですか」
「そんなこと言えませんよ! 向こうはお仕事とはいえ、悪気なく話しかけているのですから」
「もしかして、髪切りに行ったことないんですか?」
「昔は親に切ってもらっていましたが、中学に入ってからは伸ばしっぱなしというかなんというか……」
呆れた。人見知りもここまで度が過ぎると病気かもしれない。だが、しかし。
「わかりました。切りたくなければ仕方ありません。ですが、ネタ提供はお断りします」
「そんな殺生な! 貴子殿だってお気付きでしょう? 今の私の危機っぷりを」
「ええ、気付いてますよ。だからといって、これは譲れません。だって、その髪切らないとまた幽霊に間違われて怖い思いをする可哀想な子羊が出てくるかもしれないんですから」
今回の幽霊騒動は、先輩のこの見た目が一番の原因だと思う。それを変えなければ、彼女はまた一人になってしまうかもしれない。
「それに。先輩は髪切って顔出した方がモテます。だって、可愛い顔してますから」
「かっ、かかか、かわ……っ」
黒髪の隙間から、先輩の顔が茹でダコのように真っ赤に染まっていくのがわかる。お世辞などではなく、これは本心だ。それに、私がそんな可愛い先輩を間近で見ていたいという願望もある。
「さあ、どうするんです? 頑張って髪切りにいってネタをゲットするのか、それとも締め切りオーバーして担当さんに怒られるか」
「うう……」
「今なら私も一緒に美容院行ってあげてもいいですよ」
「本当ですかっ? ……いや、しかし……」
「じゃあ、夏休みの午後、毎日先輩のお手伝いしてあげます」
「なんですと! し、しかし部活は?」
「私の部活、夏休みの間基本練習は午前中だけなんです。だから、午後からなら漫画制作のお手伝いできますよ」
「おぉ! 夏休みも貴子殿に会えるのは嬉しいのです」
凪先輩の目が輝いている。そんなに漫画描くのって大変なのか。あと、その素直さなんとかしてほしい。本当照れる。
「じゃあ、切りましょう」
「うっ……」
この後に及んでまだ迷うのか、この人は。絶対優柔不断だな。これはもうちょっと追い込む必要がありそうだ。そう考え、私は立ち上がって、パイプ椅子に座っている先輩を見下ろした。
「今週の土曜日、髪切りに行きましょう。それが嫌ならネタ提供の話も、夏休みの話も、お手伝いの話も全部白紙にします」
「え……っ」
「このまま私との縁が切れてもいいんですか?」
真剣な顔でそう問い詰める。ちょっと怒っているように聞こえるのは、私自身凪先輩との縁をここで終わらせたくなかったから。
先輩はしばらく動かなかった。かと思うと、突然立ち上がって走り出した。
「にゃー!」
「あ、こら逃げんな!」
私がそう言い終わる頃には、先輩はもう図書室を出た後だった。さすが、自分で逃げ足は早いと自負するだけのことはある。
私はため息をついて、置いていかれたネームノートに視線を落とす。そして、小さくクスリと笑った。
確かに私はエスパーではないけれど、もうこの先の未来はなんとなく見えている。きっと、先輩ならこっちを選ぶはずだと。
そして。とある夏休みの午後。
「貴子殿、このキャラの頭のベタを頼みます」
「はいよー」
私は今、髪を短く切った凪先輩と一緒に、漫画制作のお手伝いをしている。
いつのまにか、自殺した女子生徒の幽霊話は夏の幻として消えていた。




