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百合三昧(短編集)  作者: 渡辺純々
16/42

夏の幻(1)

「ねえ、知ってる? 夕方になると旧校舎に自殺した女子生徒の幽霊が出るんだって」

「知ってる。一度姿を見かけたら徐々に近付いてきて、最後はその幽霊に捕まってあの世に連れて行かれるんでしょ?」

「そうそう。怖いよねー」

 バレー部の練習終わり。ボールやネットの片付けをしながら、後輩達のそんな噂話が聞こえてきた。怖いと言いながら、彼女達は「キャー」と声を上げて笑っている。どこかで聞いたことのあるような怪談話だが、彼女達にかかればそれも青春のスパイスの一種になり代わるらしい。そんな部員達の姿を見て、私は思わずため息をついた。

「ため息ついたら幸せが逃げてくよ、貴子(たかこ)

美紀(みき)

 私の隣でボールを片付けていた美紀が苦笑する。同じ二年生でありながらエースの座を勝ち取った彼女は、先輩だけでなく後輩からの信頼も厚い。その証拠に、数人の後輩がボールの片付けを代わっていた。おいこら、私はスルーか。

「私達が入学した時も、あの噂話あったよね」

「美紀、あんた怖い話苦手なのによく知ってるね」

「そりゃ、ずっと耳塞いで学校生活なんて送れないでしょ」

 そう言ってクスクス笑う。それもそうか。学校の怪談話なんて中高生の大好きな話のネタの一つだ。こっちが聞きたくなくても、向こうの方から勝手に耳に入ってくるというものだろう。

「貴子は信じてるの?」

「実際に見てないからなんとも言えない」

「あんたらしいね」

「そりゃどうも」

 美紀とは保育園の頃からの腐れ縁だから、お互い相手のことは知り尽くしている。後輩のおかげで手の空いた彼女は、ポールを運ぶのを手伝ってくれた。

「今日は一緒に帰る?」

 私の問いかけに、美紀は「あー……」と視線を斜め上に向けて頬をポリポリ掻く。それだけでもう答えはわかってしまった。

「わかった。今日も野球部の練習見て帰るのね」

「ちょっと、シーっ」

 美紀が慌てて口元に人差し指を当て抗議する。おかげでポールが少しグラついた。それでも、そんな仕草が可愛いと思いつつ、心の中は複雑だった。

 ポールを元あった場所に置いて一息つく。すると、美紀にポンと肩を叩かれた。

「お疲れ様」

「お疲れ」

 素っ気なく言ってみたが、触れられた肩が熱い。たったそれだけのことなのに、心臓が落ち着かない。こんな症状がもう何年も続いている。

『お疲れ様でした』

 部活が終わり、バレー部は解散となる。この時間は他の部活の終了時刻と被るため、下校する生徒の数は多い。美紀は、一番練習時間の長い野球部の練習を見にそそくさと出て行った。

「さて」

 私はというと、生徒の流れに反して校庭の外れにある旧校舎へと向かう。噂の真相を確かめるのではない。そこにとある用があるからだ。

「ポンタ、いるかー」

 旧校舎周りの雑草の生えた所に声をかける。木造平屋のL字型に建てられたその建築物には音楽室や理科室などがあり、少し前までそこで実際に授業が行われていたらしい。今では新校舎にすべての教室が備わってしまったため、完全閉鎖されている。といっても、入り口にミニトマトくらいの大きさの南京錠が付いているだけだけど。

「おーい、ポンター」

 旧校舎へと続く扉の前まで移動する。すると、そこの段差の上に一匹のタヌキがちょこんと座っていた。

「なんだ、こんなところにいたんだ」

 学校の裏は山になっていて、たまに野生の動物が下りてくることがある。一ヶ月前の梅雨の日、雨に濡れているポンタにタオルを貸してやり、ついでに残していたパンをあげると懐かれた。以来、帰りが一人の時は部活終わりにこうしてパンをあげに来ている。

「今日もいないのかと思った」

 カバンからパンを取り出しつつそう言うと、ポンタは「きゅうっ」と一つ鳴いた。そしてパンを食べ始める。

 一応ポンタは野生のタヌキだから、ここに現れるのは気まぐれだ。一週間ここへ来なかったこともある。でも、私も来たり来なかったりだからお互い様で、私はそれくらいの距離感が気に入っていた。

「校歌いくぞー!」

 そんなかけ声と共に、遠くから校歌が聞こえてきた。たぶん、野球部のものだろう。彼らは練習の終わりに一番だけ校歌を歌う。これを美紀も聞いているのかと思うと、なんとも不愉快な気分になった。

「気になる人、か」

 同じクラスの野球部のエースピッチャー、相沢(あいざわ)。坊主頭だが顔立ちは良く、その爽やかさと真面目な人柄で男女問わずの人気者。美紀とも仲が良い。彼女から気になる人がいると打ち明けられたのは、今回が初めてだった。

「私の方が美紀と長く一緒にいるのにね、ポンタ」

 声をかけられたポンタは、きゅうっと鳴いて再びパンをかじり始める。そうだよな、あんたには関係ない話だよな。

 ふと寒気を感じて振り返る。しかし、背後には誰もいなかった。いくら夕方とはいえ、夏休み前の気温は簡単には冷めない。

 不思議に思いつつなんとなく視線を旧校舎へと向ける。すると、L字型の先端の教室の窓に人の姿を見つけた。うちの女性用の制服。でも、その顔立ちは長い黒髪に覆われていて見ることができない。

 彼女の首がゆっくり動く。距離はそこそこあるはずなのに、長い髪の隙間から見える彼女の目と目が合った。その瞬間、全身に鳥肌が立つ。

「あっ」

 パンを食べ終わったポンタが愛想もなく走って逃げていく。思わず向けていたポンタへの視線を慌てて旧校舎へと戻したけれど、そこにはもう誰もいなかった。

「ウソ……」

 自殺した女子生徒の幽霊、という後輩部員の言葉が、脳裏に焼きついて離れなかった。


 翌日の昼休み。お弁当を食べ終わって机に突っ伏している私に、美紀が声をかける。

「なに貴子、寝不足?」

「そう。なかなか寝付けなくて」

「アニメ観てたからじゃないんだ」

「そしたらいつも寝不足だよ、私は」

「確かに」

 美紀がクスクス笑う。深夜のアニメをリアルタイムで、なんてそんな体力は私にはない。大概は録画している。だから、この寝不足はそれが原因ではない。

 あの旧校舎で見た女子生徒。印象が強烈だったからか、目をつむればそのシーンが何度も蘇る。その度に寒気がしてなかなか寝付けなかった。

「ねえ、美紀。あの噂の女子生徒の幽霊ってさ、なんで自殺したんだっけ?」

「なに急に。幽霊にでも会ったの?」

「……いや、なんとなく」

 昨日見た、と言ってもいいけれど。たぶん冗談だと受け取られてしまうだろうから今は伏せておく。

 美紀は特に訝しむこともなく、顎に手を当てて「うーん」と思い出し始めた。

「なんだったっけな……。あ、思い出した。確か好きな人に振られたんだよ」

「それだけで自殺?」

「すごくひどい振られ方したんだって。だからじゃなかったかな」

 自信の無さ加減は、その表情を見ればわかる。噂なんて人から人へ伝わっていく過程で尾ひれが付いていくものだ。だから、どれが本当のことなのかはきっと誰にもわからない。ただ、貴重な情報の一つには違いなかった。

「ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」

 美紀がわざと丁寧にお辞儀をして笑う。子どもの頃から変わらない笑顔。それを独り占めしたいと思い始めたのは、いったいいつの頃からだろう。

 そんなことをぼんやり考えていると、突然美紀を呼ぶ声が聞こえてきた。見ると、相沢が手を挙げている。

「あ、ごめん貴子」

「どうぞ。お気になさらず」

 頬をピンクに染めた美紀は、嬉しそうに相沢の方へと駆けていく。そして、二人並んで楽しそうにおしゃべりを始めた。そんな姿を見ていられなくて、私は席を立ち、特に用のない図書室へと足を運ぶ。中は図書委員以外誰もおらず、がらんとしていた。奥へ進み、本棚をスルーして長机とパイプ椅子でできた簡易な席の一つに腰を下ろす。そして遠慮なく机に突っ伏した。

「ああ、やだな」

 美紀と相沢が一緒にいるところも、そしてこんな風に醜く嫉妬している自分も。

 美紀のことが好きだと自覚したのは、たぶん中学二年生の時。嫌われるのが怖くて、告白せず親友のポジションを今でもキープしていたら今回のこれだ。もうすべてが嫌になる。

 もしかしたら、あの自殺した幽霊の子もこんな思いをしていたのだろうか。そんなことを考えていた時だった。

「あ……」

 本棚と本棚の間。窓を背にして例の女子生徒が立っていた。その距離はまだ離れているとはいえ、昨日の旧校舎の時よりかははるかに近い。自分の生唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。

 身体が動かない。生理現象の汗ではなく、冷や汗が頬をなぞる。そんな私を見てどう思ったのか、彼女がゆっくりと口角を上げた。心臓を凍てつかせるような、不気味な笑み。その瞬間、私の背筋に悪寒が走った。それは、恐怖。

「ま、待って……っ」

 彼女がその場から立ち去る。違う、これは私の勘違いだ。そう確認したくて、私は身体をなんとか動かして彼女の後を追う。しかし、彼女の向かった先へ視線を向けても、そこには誰の姿もなかった。

 心臓がばくばくとすごい音を立てて動いている。ウソだ、そんなはずはない。

 慌てて扉前のカウンターにいる図書委員に声をかけた。

「あの! 今ここに一人生徒が入ってきましたよね?」

 私の慌てっぷりを不審がりながらも、その図書委員は首を横に振った。

「いいえ。あなた以外来てませんが」

「そんなっ」

 つい大声が出てしまい、図書委員の彼女から「シーッ」と注意を受ける。でも、そんなことは頭に入ってこなかった。

 徐々に近付いてきて、最後は彼女に捕まってあの世へ連れ去られてしまう。そんな噂話が、私にゆっくりと忍び寄ってくるようだった。


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