パートナー
有希は、今日何度目かのため息をついた。
「いい? 練習とはいえ手を抜いたら速攻で退部にするから。よろしくー」
折りたたみ式の簡易椅子に座り、自分で思いついた遊びを眺めるかのような顔をしているのは、有希が通う高校のソフトテニス部のキャプテン。有希は彼女の真横に立っていた。
有希達の目の前には、土のテニスコートと、そしてネットを挟んで二対二の形でラケットを持った部員達が立っている。彼女達は不服そうにキャプテンを見つめていた。
「キャプテン、なんで私達が試合しなきゃなんないんですか? しかも秋穂なんかと」
「そうですよ。私と瀬里奈はペアじゃないですか。なんで別々なんですか?」
「だって、あんた達が言ったんじゃない。”もうあんなやつと組みたくないって”。私はその願いを叶えてあげようとしてんの。私マジ神」
「バカだ」
「アホだ」
「黙らっしゃい!」
秋穂・瀬里奈ペアは、一年生ながら我が部のエースだ。この前の大会も個人戦で三位になっている。ただ、彼女達には重大な欠点があった。
「だって、秋穂この前の試合で私の頭にボールぶつけてきたんですよ。あり得なくないですかっ?」
「だーかーらー、あれはわざとじゃないって言ったじゃん。たまたま打った所に瀬里奈がいたの。邪魔したのはそっち」
「はあ? 後衛なら前衛がどこにいるかくらい把握しろっつの。お前の目は死んだ魚の目か」
「はあ? そっちこそペアなら後衛がどこに打つか考えながら動きなさいよ。後先考えず飛び出すからああなんのよ。この猿脳が」
「なんだと、このやろう!」
「なによ!」
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
『有希先輩は黙ってて!』
揃って後輩二人にそう言われ、有希は返す言葉が見つからなくなった。
そう、彼女達の欠点は、ケンカが多いこと。この前の大会も途中でケンカになり、それがなければたぶん優勝していただろう。そう思うと、有希どころか部員全員がもったいないと憂いてしまう。
またため息が出そうになる有希。それを遮ったのは、キャプテンの怒声だった。
「コラー! 二年の先輩に向かって”黙ってて”とは何事だ、このクソガキどもが!」
「キャプテン」
「あんたらが毎回毎回ケンカしなきゃ、こっちだって貴重な練習時間削ることなく、楽しく部活できたんだよ。そこら辺よーく考えろ、この痴話ゲンカップルが!」
『カップルじゃない!』
秋穂と瀬里奈が同時に否定する。その頬がちょっと赤く見えるのは、有希の気のせいかもしれない。
「キャプテン、今のは言い過ぎです」
「有希、だってあいつらバカなんだもん」
「キャプテンのあなたがそんなこと言っちゃダメです。部員が呆れてます」
有希はまだ言い足りなさそうなキャプテンを諫めた。それを言うなら、三年生であるあなたの”クソガキ”発言こそダメでしょう。本当はそこまで言いたかったが、叱られた子犬のようにシュンとしているキャプテンを見て、思わず口が止まってしまった。
「そんなこと言われてもさあ、あいつら自分達がどれだけ必要とされてるか全然気付いてないんだもん。悔しいじゃん」
そう言って、人差し指同士を水平にしてツンツンする。子どもの頃から叱られた時にする癖だ。思わず笑いそうになる有希だが、なんとかグッとこらえる。
「キャプテンの気持ちもわかります。今度の試合の団体戦、絶対勝ちたいですもんね」
「そうなのよぉ」
団体戦は、三ペアが試合をして勝ち星が多い方の勝利となる。だから、一つでも確実に星を取って、試合展開をこちらに有利に働かせたい。そのためには、秋穂・瀬里奈ペアは必要不可欠だ。そのことは有希も重々承知している。
「よし、有希の許可も出たことだし、しのごの言わずに試合開始!」
キャプテンのその号令に、しかし当然ながら四人とも動く気配はない。それは想定の範囲内だったらしく、キャプテンはわざとらしく咳払いをすると言葉を付け加えた。
「この試合に勝ったペアは、この後の”振り回し”を免除する」
『えっ』
驚いたのは四人だけじゃなく、部員全員だった。
振り回しというのは、コートの前後左右にきたボールをとにかく相手コート内に百回打ち返すという地獄の練習メニューだ。前衛はボレーやスマッシュで、後衛はストロークで打ち返すのだが、そのあまりのキツさに動けなくなる部員も出るほど。
「振り回し免除……っ」
「よっしゃ、試合やるぞコラー!」
瀬里奈が試合開始を促し、そして本当に練習試合は始まってしまった。
「いいんですか、キャプテン。振り回し免除とか言って」
「いいっていいって。どうせ結果はわかってんだから」
「それはどういうことです?」
有希の質問に、しかしキャプテンはニヤリと笑っただけで何も答えなかった。
試合は何事もなく進み、ゲームカウント一対一。瀬里奈と秋穂のパートナーをつとめているのは、どちらも有希と同じ二年生。振り回し免除というエサが、彼女達の目をランランに輝かせている。そんな二人を見ていて、何故か有希の心はざわついた。
「ペア交換しても、二人は問題なさそうですね」
そんな心のモヤを誤魔化すように、キャプテンに言ってみる。はたから見ても、お互いのペアの力は拮抗していた。べつに秋穂・瀬里奈ペアにこだわらなくてもいいのかもしれない。
「ふふん、はたしてそうかな?」
有希の考えをあざ笑うかのように、キャプテンが不気味に笑った。
「まだまだこれからよ」
本当かな、と訝しむ有希の耳に、瀬里奈の怒った声が飛び込んできた。
「ちょっと後衛! さっきからずっと守ってばっかじゃん。もっとストレート狙うとか攻撃しなさいよ!」
「いや、だって向こうの前衛の動きが……」
「そんなん知るか! 攻撃を前衛ばっかに頼んな」
すごい。前から思っていたけど、瀬里奈は感情が高ぶると、相手が先輩であろうがタメ口で言いたいことをズバズバ言う。有希には到底考えられない行為だった。
瀬里奈のこれがきっかけになったのか、秋穂もパートナーに口出しを始める。
「先輩も前衛なんですから、もっと動いてくれないと困ります。相手の後衛打ちたい放題じゃないですか」
「いや、でも抜かれたら……」
「その時はその時。振り回されてるこっちの身にもなってください」
今年の一年は一味違う。といっても、ここまで先輩にもの申すことができるのは、秋穂と瀬里奈ぐらいなんだろうけれど。有希にはそれが少し恐ろしい反面、頼もしくも感じていた。
「ほら、ボロが出てきたぞ~」
「もしかして、この組み合わせはわざとですか?」
愉快そうに顎を撫でているキャプテンに有希は訊いてみる。
「なんのこと?」
「二年生のあの二人、ペアで組むとしぶとく粘り強いのが持ち味ですよね。それに比べて、秋穂・瀬里奈ペアは後衛前衛とも攻撃重視の超攻撃型。とても相性が良いとは言えません」
「さっすが有希。よくわかってるー」
キャプテンは白い歯を見せて、銃の形にした両手を有希に向けた。その顔は確信犯だ。
「もしかして、この試合って――」
「あーもう!」
有希がすべてを言い終わる前に、瀬里奈の大きな呆れ声がそれを遮った。
「イライラするなあ! 秋穂だったら、今のボールストレートに抜くのに」
「へえ、そうなんだ」
ニヤニヤしながら聞き返すキャプテンを見て、瀬里奈がキッと睨む。しかし、秋穂と目が合うと、恥ずかしそうに視線を逸らした。
「キャプテン、楽しんでますよね?」
「当たり前じゃん。人イジるのって、たーのしーい!」
嬉々とした顔でそう言われ、有希は頭を抱えた。たとえそれが本音だとしても、せめて人前では隠してほしい。それができない人だということはわかっているけれど。
「だから、なんで動かないんですか!」
次は秋穂が語気を荒げた。
「今のクロスにきたボール、あれ甘かったですよね? 瀬里奈なら絶対ボレーしに行きますよ!」
「へえ、そうなんだ」
これまたニヤニヤ顔のキャプテンが聞き返し、秋穂にキツく睨まれる。そして瀬里奈と目が合うと、こちらも恥ずかしそうに視線を逸らした。
ああ、やっぱりそうか。
「瀬里奈ちゃんも秋穂ちゃんも、お互いの良さをきちんと理解してるんですね」
「そりゃそうでしょ。中学の頃からペア組んでるって言ってたし。でも、ペアでいる時間が長いほどそれを見失いがちなのよ、人間って。だから、二人にそのことを思い知らせてやろうと思ってね」
その言葉に、思わず有希はキャプテンを見つめる。その横顔は、今までのふざけたものとは違い、部を率いる責任を背負った人のものだった。
そうだ、この人はそういう人だった。ふざけている時はあるけれど、本質では大事なことをけして見誤らない。自分でしたことはきちんと自分で責任を負い、他人のこともちゃんと考えられる、そんな頼もしい人。他の部員も無意識にそのことを感じ取っているから、みんなキャプテンについていく。そのことを思い知らされ、有希は急に怖くなった。
「追いつけない……」
「有希?」
心の声が出ていたことに、キャプテンの怪訝な表情を見て気付いた。ここで止めることはできたはずなのに。有希は今まで感じていた不安を口に出してしまった。
「瀬里奈ちゃんの後衛役に私が選ばれなかったのって、私より今いる後衛の彼女の方が優れているからですよね? 私と彼女、タイプ似てるのに」
この試合を見ていて漠然と感じていた不安。口に出してしまうと、その形がくっきりと目の前に現れる。
確かに、有希は最近成績が低迷していて、前衛に迷惑をかけていると感じていた。それがこの試合の人選に現れたのではないか。どんなに否定しても、そんな不安がどうしても拭えない。
本当に自分でいいんだろうか。他にもっと合ったパートナーが相手にいるのではないか。そんな考えが練習にも影響し、悪循環を引き起こしている始末。そんな自分を知られたら、きっと呆れられてしまう。そう思うと、有希は怖くて怖くてしょうがなかった。
キャプテンはどう思っただろう。気になって下ろした視線を恐る恐る上げていく。そしてそこにあったのは、大嫌いな椎茸を目の前にした時のようなキャプテンの顔だった。
「有希、ちょっと何言ってんのかわかんないんだけど。今の日本語じゃないよね?」
「日本語です」
百人中百人の日本人が今のは日本語だと答えるだろう。だが、有希にもわかっている。キャプテンがそんなことを訊いているわけじゃないということは。
「あのさあ、有希。私は――」
「後衛チェンジ!」
突然の瀬里奈の宣言がキャプテンの言葉を遮る。思わず二人して見ると、彼女が有希に向かってラケットを突き出していた。
「後衛、有希先輩にチェンジしてください」
「ええっ」
「だって、このままじゃ埒あかないし。負けたくないし」
「いや、でも私じゃ瀬里奈ちゃんの後衛は役不足なんじゃ……」
「はあ? そんなことないでしょ。だって有希先輩は――」
「それはダメー!」
先ほどの仕返しとばかりに、今度はキャプテンが瀬里奈の言葉を遮った。そして、突然有希の肩に手を回すと、ぐいっと自身の方へと引き寄せた。
「有希は、子どもの頃から私のパートナーなの! 誰があんたみたいなちんちくりんに渡すか。つーか、誰にも渡さねーよ、このぶぁーか!」
まるで子どものようなセリフに、その場がしんと静まり返る。あの瀬里奈や秋穂でさえ、次にどんな言葉をかけたらいいのかわからずポカンとしている。ただ、有希の心臓だけは激しく動いていた。
「有希はすごいんだぞ。子どもの頃、私が夜の小学校に忍び込むのにも付き合ってくれたし、大人が入っちゃダメって言った山に一緒に入って遭難してくれたり、中学の時ロケット花火をラケットで打ち返す遊びしてて大火傷したり、その他諸々私の突拍子ない行動にもすべて付き合ってくれたんだから。こんな人間他にいないでしょ?」
『いません』
部員全員の声が綺麗にハモる。その顔はドン引きという表現がピッタリくるほど引きつっていた。全員一致の判定に、キャプテンは深く頷く。
「だから、私のパートナーは有希しかあり得ないの。わかった?」
「……はい」
ウインク付きのキャプテンのその誇らしげな顔を見て、有希はそう返事を返すので精一杯だった。
昔からキャプテンには振り回されっぱなしで、正直嫌だなと感じる時もあったけれど。でも、それ以上に、引っ込み思案でなかなか動き出せない自分では見られなかった素晴らしい景色をたくさん見せてくれた。だから、有希は自分のパートナーを尊敬している。だからこそ、向こうも自分を必要としてくれていることが嬉しかった。
キャプテンは再びコートに視線を戻す。
「いい? ソフトテニスは基本ペアで動くの。二人で協力して一点を取りに行くのよ。それにはお互いの気持ちが通じ合ってないとダメ。通じ合ってこそコンビネーションが生まれるの。どんなに優れた前衛と後衛だって、その日の急ごしらえペアだったら中学生にだって勝てない」
誰も何も言わない。ただ真剣にキャプテンの言葉を聞いている。
「あんた達二人も今回の試合でよくわかったでしょ。パートナー選びがどれだけ大事かって」
「それは……」
「まあ……」
瀬里奈と秋穂がお互いを見やる。その顔は、ちゃんとキャプテンの言っていることを理解している顔だ。有希にはそう思えた。
「はい、じゃあ二人とも謝る」
『ごめん……』
「声が小さーい!」
『ごめんなさい!』
瀬里奈と秋穂が同時に頭を下げる。それを見て、有希はホッと胸を撫で下ろした。とりあえず、これで二人のペア解消の危機はなくなった。これで前よりお互いのことやペアで動くという意味がわかってくれたらいいなと思う。
瀬里奈と秋穂の仲直りを見て、キャプテンが満足そうに頷く。そして手を二回叩いた。
「よし、二人とも仲直りしたことだし、今から振り回しいくよ」
『えーっ』
部員全員のブーイングに、しかしキャプテンはまったく動じない。
「えー、じゃない。勝つためには練習あるのみ。あ、なんなら午後からも振り回しやるか。そしたら効果二倍じゃん。私天才!」
そのキャプテンの提案に、部員全員の顔が青ざめた。
「キャプテン、さすがに振り回し二回はキツすぎじゃない?」
「そうだよ。急にそんなこと言われてもみんな戸惑うだけだし」
三年生がこの暴走を必死に食い止めようと足掻く。しかし、キャプテンはそれらを一蹴した。
「あんた達、そんな軟弱な考えで次の試合勝てんの? 今キツい練習しとかないと強くなれないよ!」
拳を突き上げて熱く語るキャプテンを見て、自分達がこの人に何を言っても無駄だ、と他の部員達は悟った。そして、一斉に有希を見る。瀬里奈と秋穂が有希に詰めかけてきた。
「有希先輩、キャプテンのあの横暴なんとかしてください!」
「いや、私に言われても……」
「だって、有希先輩はキャプテンのお目付役というか首輪ですよね。たぶん、あの人有希先輩の言葉しか聞かないと思うんです。だからお願いします!」
「えっと……」
部員全員の必死な形相が有希を襲う。そういえば、中学の時も同じようなことがあったな、なんてぼんやりと思い出した。
有希は深くため息をつくと、どこかわくわくしているキャプテンへ声をかけた。
「キャプテン、振り回し二回はキツすぎます。部員達の身体がもちません。怪我もしやすくなります。故障者を出したら試合どころじゃなくなりますよ。気持ちはわかりますが、ここは普段通りの練習メニューでいきましょう」
有希がそう言うと、キャプテンは動かなくなった。たぶん、今頭で色々考えているんだろう。しばらくして、キャプテンはポンと一つ手を打った。
「有希の言うことも一理あるね。わかった、じゃあいつも通りでいこう」
部員全員の安堵のため息が聞こえてきた気がした。その中に有希も含まれている。一応キャプテンに効果のありそうな言葉と理由を考えて発言したつもりだったけど、上手くいって良かった。
「有希先輩!」
突然、瀬里奈と秋穂が有希の手をギュッと握ってきた。
「私、有希先輩のことマジ尊敬します!」
「え?」
「あんな暴君の相手をずっとしてたなんて。有希先輩はもはや神です。小さなことでケンカばかりしていた自分が恥ずかしい」
「いや、それは言い過ぎじゃ……」
二人だけじゃなく、なんとなく熱い視線を感じるなと思って周囲を見渡すと、他の部員達も同じような尊敬と羨望の眼差しを有希に向けていた。
中学の時もキャプテンの暴走を有希が止めて、同じような視線を受けたことがある。キャプテンが生徒会長を務めていた時なんかは、教師にまで感謝された。その度に身に余る羨望の眼差しを受けて、有希は申し訳ない気持ちになっていた。そんな人間じゃないのに、と。でも。
「有希ー、練習しよ」
キャプテンが有希のラケットを差し出す。有希は「はい」と返事をしてそれを受け取った。そして、キャプテンに近付いて声をひそめる。
「いっちゃん、ありがとね」
「何が?」
「今回のこと、あの二人だけじゃなくて、私のことも励ましてくれたんでしょ?」
有希が中学三年生の時、受験勉強が上手くはかどらなくて思い悩んでいた時期があった。誰にも言えなくて一人落ち込んでいたある日。朝登校すると、校庭に石灰の白いラインで「君ならできる!」という文字がでかでかと書いてあった。結局その時犯人は見つからなかったけれど、有希にはそれをやったのが誰だかわかってしまった。何故なら、ビックリマークの後に描いてあった、犬とも猫ともウサギともいえない不気味な生き物の絵に心当たりがあったから。そのおかげで有希は希望の高校に合格することができたのだ。
「さあ、なんのこと?」
そう言って、キャプテンはふいと顔を逸らす。でも、その両耳が赤くなっていることに有希は気付いていた。そんな彼女の姿が愛おしい。
「いっちゃん、次の試合絶対勝とうね」
「もっちろんよ!」
キャプテンは子どもの時と変わらない無邪気な顔でニカっと笑う。有希はそんな彼女の隣を並んで歩いた。
周りから何と言われようと、こんなに気持ちの通じ合ったパートナーはこの人しかいない。
そんなことを噛みしめながら、有希はキャプテンの手をそっと握った。




