甘え上手
「真純会長ー!」
「はいよー」
「会長、握手してください」
「いいよー、ついでにハグもしちゃう」
そう言って、真純先輩はキャアキャア騒ぐ生徒達と次々ハグしていく。そのたびに女の子達は頬を赤らめ、喜びの悲鳴をあげた。そんな様子を、私は少し離れた所から先輩について歩きつつ眺めている。
女子校という狭い箱庭の中で、真純先輩の息を呑むような美貌と、そしてあの軽いノリが受けて、一年の頃から彼女は絶大な人気を誇っている。それは今期の生徒会長の座を射止めるほどで、そんな先輩に私は半ば強引に生徒会へ入れられた。平凡を絵に描いたような私には荷が重いけれど、辞めると言えば先輩も辞めると言い出しかねないので、仕方なく続けている。
それにしても。
「みんなごめんね。まだ生徒会のお仕事が残っているからこのへんで」
生徒会室の前で真純先輩がそう告げると、「えーっ」というブーイングが沸き起こった。
「やだ、もっとお話したーい」
「私だって、まだみんなと遊んでいたいけどさ。お仕事も大事だから。なんたって、みんなのためのことだからね」
よくもまあ思ってもいないことをウインク付きで言えるものだ。「面倒くさーい」「適当にやってよー」といつもぶつくさ愚痴っているくせに。知らないということは幸せなことだ。
「じゃあ、最後にキスしてください。そしたら今日は帰ります」
一人の生徒が冗談まじりに言う。彼女自身もきっと叶うはずないと思っていたはずだ。しかし、真純先輩はふっと笑うと、その彼女の右手を持って、そしてその甲に優しく口づけた。
「これでいい?」
優しいような、それでいて悪戯っぽいような顔。その瞬間、私の胸がざわりと騒いだ。
「きゃあぁぁぁ!」
耳をつんざくような歓声があがる。しばし動かなくなった私を、真純先輩は誘導するように生徒会室の中へと押し込んだ。扉が閉まっても、外の音はまだ聞こえている。それでも、しばらくすると室内はしんと静まり返った。
「はー、みんな今日も元気だね。それでいてみんな可愛い」
「そうですか」
「あ、もちろん亜純も可愛いよ」
「取って付けたように言ってもらわなくてけっこうです」
「照れちゃって。かーわーいーいー」
「殴りますよ?」
「亜純に殴られるなら本望だな」
「ドMは嫌いです」
「じゃあ、ドSが好きなの?」
「違いますよ! あーもう、面倒くさいっ」
ふふふっと笑う真純先輩を私は軽く睨んだ。
まったく、ああ言えばこう言う。いつもいつも、この飄々とした先輩に私は振り回されっぱなしだ。高校に入ってから、どっと疲労感が増した気がする。
私はため息をつくと、真純先輩を置いて書類棚へと足を向けた。そして、持っていたファイルを空いているスペースに差し込んでいく。ついでに、誰かさんのせいで順番がグチャグチャになっているファイル達も整理する。
ふと、柑橘系の爽やかな香りが鼻をくすぐった。かと思うと、何かが私を包み込んだ。
「嫉妬した?」
後ろから抱きついてきた真純先輩の声が耳にかかる。からかっているのか、本気で訊いているのか計りかねる声音に、私も探るように質問する。
「もしかして嫌がらせですか? それとも仕返しですか?」
「なんのこと?」
「昼休み、私と愛がハグしてるとこ見てましたよね?」
「あ、バレてた?」
悪びれる様子もなく、真純先輩は舌を出して笑う。その顔を見て、ああやっぱりと私は確信を得た。
愛は、私の幼なじみでずっと片想いしていた相手だ。ただ、今は向こうに彼氏ができたため、この想いは世の中に羽ばたいていくこともなく、私の中で消化されている。
「明日の土曜日が彼女の誕生日なので、今日プレゼントを渡したらそうなっただけです。それに、明日は彼氏とデートらしいですよ」
「へえ、そうなんだ。興味ないけど」
「そうですか。私はてっきりそのハグを見た先輩が嫉妬して、取り巻きの女子生徒の手の甲にキスしたんだと思ってました。私への仕返しに」
「よくそんな自意識過剰なこと考えられるね。亜純がナルシストだとは思わなかったな」
「そうですか。では、私はこれで失礼します」
淡々とそう答え、先輩の拘束を解いて帰ろうとすると、先輩が「待って」と私の右腕を掴んだ。
「ごめんなさい。嫉妬しました」
「素直でよろしい」
はじめからそう答えていればいいものを。こんな回りくどいことなんかしなくて。
そんな視線を感じ取った真純先輩が、ぷうっと頬を膨らませる。
「私の方が先輩で生徒会長なのにー! この後輩可愛くなーいーっ」
「それはどうも。では、可愛くない後輩はさっさと帰ることにします」
「それはやーだー!」
こいつ、本当にどっちが先輩なのかわからん。二人きり以外の時は、頼れる先輩のように振る舞っているくせに。私といる時はただのワガママな子どもみたいだ。
頭を抱えてため息をつく私を見て、ふと先輩が笑った気がした。
「なんですか?」
「いや、いつも通りの亜純だなって思って。ちょっと安心した」
その優しい顔にハッとする。そうだった、真純先輩はそういう人だった。
「ご心配おかけしてすみません。でも、私はもう大丈夫ですから」
私が愛のことで落ち込んだり悩んだりした時、いつも真純先輩がそばにいてくれた。私が気に病まないように、今みたいにさりげなく励ましてくれていた。それに私は何度救われてきただろう。
真純先輩は「なんのこと?」ととぼけた顔をして誤魔化す。そんな先輩の手を私は優しく握った。
「私も、さっきの先輩のキスには嫉妬しました」
「本当?」
「本当です。先輩が取り巻きの女子生徒達にセクハラしてる時、いつも嫉妬してます」
そう言うと、急に真純先輩が真顔になった。
「亜純、ごめん。私もやめないとと思ってるんだけど……」
「人に嫌われるのが怖いんですよね? べつに無理にやめなくていいですよ。そんな先輩込みで好きになったのは私ですし。それに、今さらセクハラしない先輩なんて考えられませんし」
「そこまで言う?」
「はい」
真顔で即答すると、真純先輩は苦笑した。
中学生の時ひどい振られ方をした真純先輩は、それ以降人との関わりを極端に恐れている。取り巻き達への過剰なスキンシップやリップサービスも、すべて周りから一線を引くためだと、前に先輩は話してくれた。私はそれを信じている。
「ダメなのは私の方です。信じるって決めたのに、未だに嫉妬なんかして……」
「違うよ! いけないのは私の方。亜純のこと大切にしたいのに、怖くてなかなか変われない。本当、こんな弱い私でごめんね」
「先輩……」
その泣きそうな顔に、胸がキュッと締め付けられた。
「先輩は弱くなんかありません。だって、現に勇気出して私に告白してくれたじゃないですか。過去にひどいことがあったのに。あれ、本当に嬉しかったんですよ」
きっと、私が想像する百倍も千倍も怖かったに違いない。それでも、先輩は私を優先してくれた。必要だと思ってくれた。それがなにより嬉しい。悔しいけれど、そんな真純先輩のことがこの地球上の誰よりも好きだ。
「亜純ってさ、いつもありのままの私を認めてくれるよね。子どもじみた私とか、今みたいに弱い私とか全部。だから、ありがとう」
そう言って、真純先輩は私の右手の甲に軽く口づけた。
「本当はね、まだ愛ちゃんへの想いがあるんじゃないかってどこかで思ってるの。亜純はいつか私の元を離れていくんじゃないかって」
「本当ヘタレですね、先輩って」
「ヘタレって言うな~」
情けない声を出しながら、真純先輩は私の肩を掴んで訴える。そんな先輩がなんだか愛おしくて、私は先輩の顔を引き寄せると、その優しい唇にキスをした。
「不安にさせてごめんなさい。でも、私が好きなのは真純先輩だけですから」
真純先輩を好きだと自覚したあの日から、私の頭の中は先輩のことで埋め尽くされている。それは愛の入り込む隙間が見つからないほどに。そのことが、どうか少しでも先輩に伝わりますように。
キスをされた真純先輩はというと、まるで鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をして固まっていた。
「なんですか?」
「いや、亜純からキスされたの初めてだと思って……」
「そういえばそうですね」
「よし、もう一回キスしよう!」
「は?」
「だって、なかなか亜純って甘えてくれないんだもん。だから、これを機にもっともっと私に甘えてちょうだい」
「あ、バスの時間だ。それじゃあ失礼します」
「亜純は徒歩通学でしょ! あ、もしかして照れてんの?」
「はあ?」
「だって、顔が真っ赤だよ」
「……っ」
自覚があるからこんな顔見せたくなかったのに。ふと我に返ると、私はなんて大胆なことをしてしまったんだと恥ずかしさが込み上げてくる。こんなの見られたら、先輩にからかわれるに決まってる。
「亜純~」
案の定、真純先輩の口角がゆっくりと上がった。
「ねえ、もう一回好きって言って」
「嫌です。安売りはしない主義なんで」
「じゃあ、キスでいいや」
「もう売り切れました。残念」
「亜純、好き」
不意打ちでそう言われ、高鳴る鼓動とともに次の言葉は飲み込まれた。
「顔、こっち向けて」
ダメだ、この時の真純先輩の声に私は逆らえない。身体が先輩の言うことを忠実に再現してしまう。
「亜純がしてくれないなら、私がするね」
抵抗もできないまま、私は真純先輩の優しいキスを受け入れた。
たぶん、私が真純先輩に上手に甘えられるようになるには、もう少し時間がかかってしまうと思う。それまでは、こうして先輩の方から甘えてきてほしい。だって、先輩の方がきっと甘え上手だから。




