094.「狭間の世界」
砦を抱く街。モンスター迎撃に成功した熱気に包まれた街の門へと、とある集団が馬を走らせていた。意気揚々と帰りの途についていた冒険者の横を駆け抜け、街に入ってすぐにある軍の詰め所の前を通り過ぎようとしたとき、建物の前に立っていた人物を見るや、集団の足は止まる。
「嫌な予感はやはり……こちらで」
外で待ち構えていたのは護衛を伴って外でアルス達を待っていたシンシアだった。なぜここに彼女がいるのか?を問う人物はそこにはいない。護衛の兵士の案内を受け、ぐったりとした様子の男性、ファクトをエイリルらが運んでいく。
「シンシア王女、私は……」
「その剣を手放しなさい。今はそれでいいでしょうから」
神妙な顔つきのまま、何かを思い悩んでいる様子の将軍へと、シンシアは静かに声をかけ、自らも建物へと入っていく。その姿は旅に出ている正体不明の少女ではなく、王族としての物だった。
「! 我々はモンスターの追撃が無いか、事後処理と見張りだ!」
周囲の兵士へと指示を出す将軍の顔を見れば、誰しもがそこに強い意思の力を感じただろう。
「早く、お願い!」
「ええ、勿論」
自らに掴みかからんばかりの勢いで叫ぶキャニーに答えるように、シンシアは自らの視線をベッドに横たわる男性、ファクトへと向ける。苦痛に耐えるその姿は痛々しく、腹部に巻かれた包帯は赤く染まっている。だが、傷自体は広がってきていない。流血も傷の割には少ないのが見て取れる。
(思ったより安定している……これなら?)
シンシアが持った疑問。それはファクトの負った傷が話のとおりなら、既に時間切れだったのではないか?ということだった。だが、彼女の前にいるファクトは重傷ではあるが、なんとかその命をつないでいる。ファクトの持つポーションをもし飲むことが出来ていればその傷さえ治っていたとは想像は出来ないだろう。
今は、キャニーらの持っていた市販のポーションがじわじわと効力を発揮しているのが現状だった。治り切ってはいないものの、人一人のためになんと贅沢な、と言われそうな消費具合であった。
(どこまでできるかはわかりませんけれども……)
シンシアは渾身の力を込めて、回復魔法をつむぎだす。彼女が、王国内で別格扱いを受けているのは何もその人柄や行動だけではない。未来が見えるという能力と、この力、回復魔法が原因でもあった。
「これは……」
ところが、既にこれまでに遭遇したことのある怪我であれば、何度も治しきれるはずの回復魔法をかけ続けたシンシアであったが、目の前の状況に不安が沸きあがってくるのを押さえることはできなかった。
(なんということでしょう。私では、回復しきれない?)
手ごたえは彼女も感じている。確実に癒しの力は効いているのだ。だが、ファクトの傷は4分の1程度しかふさがらず、顔色も悪いままであった。彼女は知る由もなかったが、血が足りないという訳でもなかった。
「どうしたの?……ファクトくん、難しいの?」
問うミリーの表情は硬い。彼女も経験は浅くとも冒険者である。別のパーティーで依頼中に命を落としてしまう人を目撃しているし、何より彼女自身の過去は暗い日々であった。どうにもならないことがあることを、知っているのだ。
「いいえ、させません!」
シンシアは、自らの恐怖も振り切るかのように、叫ぶと再び回復魔法を使用する。しかし、結果は変わらず。少し良くなってもまた悪くなる、その繰り返しだった。
(まるで砂地にコップだけで水をまいているかのような感じですわ……。命の器の底が……抜けている? このままでは、足りない)
『正解。やるじゃない』
唐突に、ファクトを見守る部屋の面々の脳裏に響く声。気がつけば、ファクトの胸元辺りに浮かぶ小さな影、ユーミだ。その表情には焦りと、正解にたどり着いたシンシアへの驚きが浮かんでいる。
『シンシア……だっけ、今感じたとおりよ。彼はね、器が大きすぎるの。それこそ、そこらの魔法使いが100人固まっても彼には届かないわ。だというのに、その底も今は穴が開いてしまっている』
「だったら! 何とかしてよ。この感じ……古の意思に近いんでしょう?」
ユーミにすがるように顔を寄せ、嗚咽交じりの声で懇願するキャニーへとユーミはその首を横に振る。小柄なキャニーだが、さらに小さな人形ほどのユーミに泣きつく姿は不思議な光景でもある。詳しい説明を受けなくとも、急に出て来たこの小さな存在が、伝説にも歌われる精霊の上位存在、古の意思に近い物と察したのだ。
『駄目よ。理由はいくつかあるわ。ひとつは、そうはいっても人間と私とでは差がありすぎること。そして、たまたま私の人格は彼を知っているけど、私の役目はあくまで記し続ける者なの。ちょっと手伝うならともかく、命の灯火を灯しなおすのはやってはいけないの』
精霊として強すぎるユーミは安易に誰かに肩入れしすぎてはいけない。そばに寄り添い、たまに気まぐれに手伝う。そうでなければ、彼女以外の精霊がどんな動きをするかわからないのだ。その場にいる精霊を導くぐらいが限界……本来は。
『とはいえ、何もしないというのもね。シンシア、精霊は全てです。世の全てに精霊は宿り、精霊は全てでもあります。後は……わかりますね? おまけにもう1つ。彼が戻ってこないのは怪我だけではありません。貴女が見抜いたように、原因は別にあるのです』
改まった口調のユーミの助言に、シンシアはしばらく考え込んだかと思うと驚愕に顔を染め、その顔を上げる。たどり着いたさらなる正解。けれども、それは危険を伴うものだった。
「これなら……でも万一の危険を考えると……」
「どういうことなの?」
「教えて……ください」
戸惑いを口にするキャニーは自分へとちらりと向けられた視線を感じていた。その主であるシンシアは戸惑いながらも2人へとそれを伝えることに決めた。
「私の使う回復魔法は攻撃のそれとその意味では同じ、精霊の力です。そして、私達の体や魂も、同じです。ですが、肉体に宿る精霊は魔法で使われるそれとは比較にならないほど強く、方向性が決まっています」
シンシアは二人の気持ちに答えるべく、自身も考えを整理しながら言葉をつむぐ。自分達に精霊が?と疑問を浮かべる姉妹に、自らの胸元を指差すようにしてさらに口を開く。まるで禁忌の扉を開くように。
「私達が怪我をしたとき、治るのは自分自身の力です。しかし、強くなった冒険者が、常人の方と比べて、怪我をしにくかったり、大怪我を負っても亡くなってしまうことが少ないのは、自身の精霊との結びつきや、宿る精霊そのものが強くなっているからなのです」
ファクトの意識があれば、こう納得したことだろう。それは、レベルアップによるステータス強化の一面であると。例えばここに1匹のモンスターと、1人の冒険者がいる。レベルが10倍だとしたら、モンスターの攻撃は10倍のレベルになった冒険者にはほとんど効かなくなっている。しかし、冒険者の肉体が見た目から10倍の強さや硬さになったわけではない。
何かの力で、丈夫になっているのだ。それが、精霊との結びつきであり、その強さだ。究極的には、防具を身に着けていなくても高レベルの生き物は全てをはじく。
「ファクト様の強さは普通の冒険者の方々や、騎士のそれを大きく超えています。それは別に筋力がどうとか、すばやさがどうというものではなく、単純な精霊を受け入れる器の問題です。私の回復魔法だけでは、その大きさに足りないのです。ましてや穴が開いているかもしれない。しかし、同じ肉体に宿る精霊ならば話は別です。私の魔法を媒介に、別の人間に宿る精霊と同期し、ファクト様の怪我を治す事ができる……はずです」
ならば早く、とせかす姉妹に、シンシアは首を振る。まだ問題を説明していないのだ。この手段は、手段としては知られているが実行することは褒められない。なぜなら……。
「この方法は危険を伴うのです。幸いにも、というべきか私の力では完全に同期させることはできず、ある程度までですが、それでも精霊が混ざってしまうことにより、最悪の場合、記憶が完全に混濁します」
つまり、その人間が変わってしまう……その可能性がある手段であった。それだけ一度生き物と同化した精霊というのは宿った先の生き物に影響を受けるのだ。
「あくまでも可能性の問題です。それに、この手を打たずともこのままポーションの類や、回復魔法をかけ続けることで事足りる可能性もあります」
「でも、目覚めないかもしれない」
ミリーの呟きともいえる言葉に、シンシアは静かに頷く。彼女にとっても他にもっといい方法があればそちらを提案するつもりだった。けれども、現状では他に無いのだ。
「……やるわ」
「……うん。やるならミリーたちだよ。他の人は駄目」
止めようとするシンシアに姉妹はほぼ同時に首を振る。自分達は彼と出会っていなければここにいないのだと。今、ここでそのお返しをしなければならないと。その決意は固かった。
「……わかりました。ではそれぞれファクト様の手を握って目を閉じてください。それと、しっかりと心の中で呼びかけてください」
決意を胸に、ファクトの手を取る姉妹。その姿に、ひそかに彼女も決意する。己の役目がなんだ、決められた決まりが何だというのだと。だからこそ、そっと誰も気が付かないところで己自身を少しばかり、削り取った。
――???
(ここは……)
俺はふわふわとどこかを漂っていた。時折、聞き覚えのある声が聞こえる気がするがはっきりしない。地面も空もわからない空間で、俺はぼんやりと白い空間を眺めていた。
「あの世……じゃあなさそうだな」
出た声も、空気で伝わっているのかもわからない。呼吸、という行為も行えるが、本当に行っているのかソレも怪しい。
「帰るか」
(帰るってどこへだ?)
「そう……どこが帰る場所だ」
「地球か?」
横からかかった声に思わず振り向けば、白いもやの向こうにうっすらと見えるのは、俺の部屋。シンプルな家財に、趣味の物品と、VR用の機材。VR用の機材を身につけ、ゲーム中であろう俺の姿。幽体離脱とはこういうことを言うのだろうか?
「あるいはファンタジーな世界か?」
再び響いた、俺の声に反対側を向けば、どこか森の中で剣を振るう俺。その姿は既に慣れ親しんだ冒険者姿。映画のような食事をし、そして生きている実感を覚えながら生き抜く冒険の日常。
「「それともどちらでもないか?」」
左右から響く声。そしてどんな原理かはわからないが、同時に2つの映像が見える。白黒になり、朽ち果てる部屋。消えていく機材をつけたままの俺。闇に包まれる森。何かに襲われ、全身血まみれになり倒れ付す俺。
「俺は……」
消えた映像と共に、何故だかどうでもよくなってくる。このまま、漂っていたくなるような……。段々と、世界から色が消えていく。
『駄目っ!』
「!?」
俺以外の何かの声に、顔を上げる。だが、何も見えない。色の消えて来た世界に再び色が戻ってくる。
「気のせい……か?」
『戻ってきて!』
今度は、確かに聞こえた。聞き覚えがあるが、誰のものだか思い出せない。
(どこだ?)
俺の意思に従うように、めまぐるしく世界は変わる。白かった世界に黒が混じり、まるでマーブル模様のように世界が回転していく。
「どこに行こうというんだ? もう、親もいないというのに」
「どこに行こうというんだ? 出会った相手が本物とも限らないのに」
俺が、俺の姿と声をした何かがいくつもの言葉を投げかけてくる。それらは、現実の地球、目覚めたMDのような世界、どちらにも俺の居場所が無いかのようにささやいてくる。それは俺の本音、俺の不安。
『違う! それは自分が決めることよ!』
『ファクトくん、こっち!』
そんな俺たちを吹き飛ばすような力を声に感じた。色が混ざり合う空間のどこからか、光が2つ、迫ってくるのだ。それは俺の両脇を掴み、どこかへと引っ張りあげようとする。まだはっきりとしない頭だが、名前はわからずとも、誰なのかはわかる。
その姿に俺の心に熱い何かがわきあがり、漂うだけだった足で見えない地面を踏みしめた。
「たった1つははっきりしてる。今、地球に戻ったって俺は後悔する。戻るにしたってやるだけやってからさ!」
そして、俺と来てくれた2人以外に何かがいる空間へと叫び、体に力を込める。わずかな光と共に、Tシャツにジーンズという、地球にいた頃の服装から、もう慣れ親しんだ、外套を羽織った冒険者姿へと変わる。ほぼ同時に右手に生まれる光の剣。名前も、性能も無い。ただ、象徴としてのそれだ。
「誰だか知らないが、出て行ってもらおう!」
俺は目の前に漂う黒い何かへと、光の姿のままの剣で切りつけた。あっさりと両断された黒い何かは顔の辺りにある部分がニヤリと表情を作ると、口らしき姿で穴が開く。
「世界の終わりにまた会おう」
俺の声でもない、聞き覚えも無い声が響き、黒い何かは消えた。今のはなんだったのだろうか? どこか懐かしく……不思議な気配だった。
顔を上げ、声の聞こえたほうへ行こうとするも上手く動かない。まるでこの世界から戻りたくないと体が言っているかのようだった。そんな俺の足元に、一筋の光が突き刺さる。それは足かせのようになっていた何かを切り裂き、俺の体は浮上する。
(今のは……ユーミ?)
「戻りましょう?」
「皆、待ってるよ!」
「ああ……」
考える間もなく、寄り添う2人に力強く頷くとそのままどこかへと進んでいく。周囲を舞う光は回転し、3人はそれに従うように回転しながらどこかへとまっすぐに飛んでいた。
「ここは……?」
「お帰りなさいませ。ファクト様」
口から出た声が思ったよりもかすれていたことに驚きながら、見知らぬ天井を見上げる。横合いからかかった声にゆっくりと顔を向ければ、そこにはシンシア。起こそうとした体に左右からもたれかかっているのはキャニーとミリー。
「戻ってきた……のか?」
「ええ。今は、お休みください」
(あれは……敵か? それとも……)
シンシアの労わる声に俺は従い、ベッドへと体を横たえなおす。そのままぼんやりと、夢なのかもわからない場所で出会った何かに、俺は意識を向けながら目を閉じた。




