084.「ありふれてるからお約束-5」
見上げた空に漂う湯気。ため息のように漏れる呼吸がそんな湯気が生きているかのように揺らしていく。歳をとったおじさんのように、呻くような声を出してしまいそうになるのも無理はないと思う。
「ふー……っと、声が出てしまうな」
誰にでもなくつぶやき、階段状になった場所に腰を下ろして湯を楽しむ。汚れた様子もほとんどなく、手入れが行き届いているなと感じる。モンスターのいるこの世界で、よくもまあこんな場所が維持できている物だ。
(壁が高いのはモンスターのためか、不届き者のためか……後者かな?)
映画等でしか見たことはないが、昔のヨーロッパの公衆浴場はこんな感じだったのかな?と思わせる作りがあちこちにある。お湯が出てきているのは……グリフォンの頭を模したように見える彫像だった。
余計な灯りなどない星空は無数の光を従え、温泉でリラックスした俺はその光景に時間を忘れてしまう。
しばらくして体が温まり始めたころ……ふと、今頃キャニーたちはどうしているのか?と考える自分がいた。俺も良い歳だ。彼女達の気持ちに気がついていないわけではない。
視線や態度は恐らくはソレ……なのだろうし、少なくともキャニーはそういう店でやり取りをする予定だったのだから何も知らないというわけでもないはずである。少々下品な話ではあるが、俺も何度か色街にはお世話になっているし、命のやり取りで発散するにも限度がある。
それこそ夜這いでもかけられたならば、拒否する理由はこちらにはない。
(けれども、彼女たちのあれはつり橋効果……じゃないのだろうか?)
窮地から助けた結果によるものではないのか?なんて考えてしまうのだ。
『やーね、そのぐらい覚悟を決めたら?』
「出て来るなよ……恥ずかしいじゃないか」
小さくつぶやくものの、ユーミは姿を現していなくても世界を見ているのだからどうせ一緒だと気が付いた。特に契約をしているわけではないけれど、俺というプレイヤーからお助けキャラだったユーミは離れにくくなってるようだ。キャニーたちが同じ関係になれれば話は変わるのだろうが……。
「おっと、いかんいかん」
どんどんと脱線する自分の考えを振り払い、目の前の状況にゆっくりと浸る。今は温泉を楽しむ時間だ。どこからか笑い声と何かの演奏なのか、雑多な音が静かに耳に届き、それすらも俺をゆったりとした気分にさせた。
そのまま気の済むまでぼんやりできるかと思ったとき、絹を裂く様に夜空に悲鳴が響く。大きくは無いが、偶然俺の耳にはしっかりと届いたのだ。声に覚えがあるが、誰だかはわからない。
「なんだ!? 上か!」
ふわふわとした感覚から一気に冷め、裸のまま立ち上がりながら声の方向を確かめる。横や下……ではない、上だ。同じ建物の二階、となれば距離としてはそう遠くは無い。真上、というわけではないようだがそれなりに近いはずだ。
(くそっ、気配を隠すのが上手い奴が残ってたのか!?)
脳裏によぎるのは昼間の襲撃者たち。あれだけの人数と準備をしていた奴らだ。失敗した後のフォローや、二の矢三の矢を用意していたとしてもおかしくない。ましてや温泉となれば護衛も減り、身につける物だって限られる。
焦りにせかされるように布を腰に巻くことも忘れ、星空の見えるテラスへと出ると建物を見上げる。と、続けて悲鳴がまた響く。今度はキャニーだ。これで方向がほぼ特定できた。
「! あっちか!」
もしかしたら昼間に見逃した生き残りや、別の襲撃者がいたのかもしれない。そう考えた俺は能力を隠さず、飛び上がるようにして声のした方向へと建物を外から駆け上がった。
――少し前、二階
「本当にいいんですか?」
「お姉ちゃん、ここまできてそれはそれでどうかなと」
「うふふ、遠慮なく。私も楽しみですから」
(そう言われても……ね。どう見てもこの子……)
身分は隠しているつもりなんでしょうけど、この状態でも明らかにそうとわかるだけの気品をにじませている子を普通に扱うことなんてなかなか難しいと思うのよね。ミリーは……まあ、そういう子だし。村にいたころも物事を余り気にしないというか、なんというか……まあいいわ。
それはそれとして、目の前の空間の高級さのほうがまずは問題だった。道具1つ1つが、値段を考えたくないのよね。一晩いくらなのか……聞いてみたような聞いてみたくないような。
ここには何回も来ているのか、それともこういう場所にはそもそも慣れているのか。シンシアは躊躇なく歩き、私たちを先導する。視界に入る彼女の体を見……思わず自分の体が貧相に感じるのも無理はないと思うの。隣にいるミリーだって同じような感じだ。こればっかりは、ミリーだって気にする部分だ。だって……ねえ?
でもシンシアは私たちに、気が付いているのかいないのかやわらかく笑みを浮かべると自身の着こんだ白いワンピースのような服をつまみあげる。
「大きさは大丈夫でした? 小さいとかあれば言ってくださいね。運ばせますので」
「え、ええ。大丈夫よ」
たくし上げられるかのように見えてくるシンシアの足。布地で隠れた体。その姿は淑女の卵が必死に礼を尽くすようにも、色気を惜しまない魅力的な少女にも見え、同性だというのに思わず立ち止まってしまう何かを感じさせたわ。彼女のために命を張る騎士の1人や2人、当然いるわけよね……。
「私もお二人のようにこれを着ないで入ったらもっと気持ち良いのでしょうかね?」
「シンシア様、どうかそれだけは……」
からかうような彼女の声に、硬い声で答える女性。唯一同行をシンシアが許可した女性騎士だ。こういう時ぐらい窮屈な思いはしたくないのかもね。……なんとなく、この騎士をからかってるような気がしないでもないのだけど。
「冗談です。さて……あの子達は来てくれるかしら?」
(他にも誘ってるのかしら? でも、あの子達って……っと、このままじゃ冷えるわね)
「ミリー、行きましょ」
「そうだね、足元が冷たくなっちゃった」
気になるところはあるけれど、今は温泉を楽しむ時間よね。そもそも、お湯に入るなんてこと自体ほとんど初めてのようなものだもの。話には聞いていたし、仕事先にはそういうお金持ちの場合もあると聞かされてはいた。
作法に関しては先に入るシンシアを参考にして……すぐに私たちは温泉のとりこになった。
「ふわー……」
「クセになりそう……」
「ええ、ですからこうして来ているんですの」
隣の少女もどこかほんわかとした言葉になるのも納得というものだと思う。全身温まるというのがこんなに気持ちいい物だったなんて。一言お礼でも言おうと思って横を向いて……止まった。
髪をお湯に揺らめかせるその姿は育ちの良さを感じさせるように整っており、顔は若干緩んでいるものの、温泉に入ること自体が儀式の一環であるかのような雰囲気をかもし出しているのだ。一瞬、聖女様という言葉が浮かぶほどだったわ。
「……シンシアちゃんはきれいだね」
思わずミリーがそんな事を言ってしまうほど、彼女は彼女すぎた。湯浴み着であろう白い服はお湯でぬれてぴたりとその体に張り付き、少女らしく未成熟の、それでいて意識して整えられたであろうその体つきを正直に表現していると思う。いやらしさというよりは、美しさ……かしらね。
理想の肉付き、少なすぎない女性としての要素。その光景にはきっと欲情を抱く前にまずは感嘆すると思わせるものがあったの。高貴な血とはこういうところにも影響を与えるのか、と嫉妬のような感情が沸き立つほど……振る舞いが身分を証明していた。
「出来れば私はお二人や護衛のみなさんのように体を鍛えたいんですのよ? でも、女性的でなくてはいけないって怒られてしまうのです」
「あははっ、シンシアはそのほうがいいかもしれないわね。今は……綺麗より可愛いのほうが似合う気がするもの」
一瞬にして、ぷくっと膨らむ頬と納得いってないんですよと書いてある顔が先ほどまでの雰囲気を台無しにしていたわ。それでも憎めず、そんな姿も可愛いんじゃないかと思えるのは得よね。
(鍛えた体、か。ファクトはどう思うのかしらね?)
冒険者、そしてその前の立場に必要な鍛えられた体、結果としてそぎ落とされた余分な贅肉。随所に命のやり取りをした結果である細かな傷は残ってしまっているけど、それすら温泉で温まり、赤くなってきた肌とあいまって生きている……そう感じさせるもの。けれど、女性的かというと疑問が残る。
ファクトはどこまでわかってかわからないけれど、あの日誘いに乗ってくれたんだもの、私に何も感じないってことは無いと思う。同じような体格のミリーも同じはずだわ。それに、こっちの気持ちに気が付いているかもしれない……というか、そうじゃなきゃ旅について行かないわよって話よね。
「走るとかは無理でも敷地を歩くぐらいはいいかもしれないわね?」
「あ、そうします!」
陽気に答える姿は歳相応、そう感じさせる笑顔だったわ。そんな彼女に声をかけようとして、その気配に気が付いた。ミリーもほぼ同時、思わず構えて……脱力した。聞こえて来た小さな鳴き声。明らかに危険を感じない物だったのよね。
「いましたわ!」
らしくない悲鳴じみた声をあげてシンシアが湯舟に波を起こしながら向かった先は気配を感じた場所。そこにいたのは白、黒、それぞれ一色で染まった子猫。綺麗に整えられた毛並み、無邪気な瞳。見るだけでも柔らかさを感じるふわもこ具合だ。
「この子達、野良猫?」
「いえ、この施設でお世話をしている子達ですわ。この建物で何代も猫を育ててると聞いて……ぜひ会いたいなと思っていたんですの!」
止めなければぎゅっと力強く抱きしめてしまいそうなシンシアの姿に、慌てて止めに入ると子猫は私が構いに来たと思ったのか、彼女の手から逃れるように私の手元へと飛び込んできた。お湯で濡れた毛並みもまた、近くで見ると非常に可愛い。思わず声を上げてしまったけれど、逃げる様子はなかった。
近づいてきたミリーも交えて、子猫を可愛がっていた時、彼はやってきてしまったのだ。
「大丈夫か!」
どういう能力をしているのか、確か彼……ファクトがいるのは下の階のはず。だというのに何かをよじ登った様子もなく、唐突に私たちの視界に現れた。何も着ておらず、その手には抜身の刃……あー……そういうこと。
「……あれ?」
「ファクト、さっきのはこれよ、これ」
壊れる直前のゴーレムのように、ファクトの体が動き……固まる。その視線の先には、私とミリーがいた。見事な動きでシンシアの前に来ていた女騎士が主の体を隠しているところは称賛物だと思うのよね。ただその場合、ファクトが怒られるわけだけども。
「悲鳴が聞こえたから襲撃か!と思ったんだが違うみたいだな……キャニー」
「な、何よ!?」
今さらながらに、頭が真っ白になってくる。だって、私とミリーはその……シンシアみたいに着てないんだもの。正面から見られてしまった……そういうこと。恥ずかしさに声が上擦るけれど、そんな私に急に真面目な顔になったファクトが顔を向けてくる。隠すことも忘れて、話を聞く気持ちになってしまったの。これが惚れた弱みって奴かしらね?
「やっぱりあの時、した後襲ってくれたほうが良かったな」
最初、何を言っているのかわからなかった。瞬間、真っ白だった頭は真っ赤に沸き立った。思わずそばにあった桶を掴み……。
「この……馬鹿ぁーーーっ!!!」
遠慮なく、全力で投げつけたのだった。直撃を受けたファクトはゆらりと姿勢を崩して落下していってしまった。
「ファクトくんは大胆だなぁ……」
「あらあら……これで二人目ですわ」
(二人目? って、ああああ!)
「ちょっと、生きてる!?」
綺麗に落ちていったファクトの様子を確認するべく身を乗り出したところで、女騎士に着替えてからでも遅くはないと諭される私だった。




