083.「ありふれてるからお約束-4」
視界には、たくさんの湯気と、どこか懐かしさを感じる景色が広がっていた。漂う独特のにおいが記憶を刺激する。建物は違えど、なんだか温泉地を思い出してしまうのだった。
(この世界に来てからお風呂はあまり入れないからな……)
風景に心奪われながら、久しぶりにゆっくりお湯であったまるということが経験できそうで思わず笑みが浮かぶ。まったくの余談ではあるが、MDが仮想現実へのリニューアルを果たした頃でも温泉地は健在だった。いくら仮想現実で世界の観光地をリアルに再現かつ体験できるとしても、本物の大自然の感覚というものはいつも新鮮だったのだ。それは電子では再現できない、現実の何か、が理由だったのかもしれない。そう考えると、余計に目の前の状況はここが現実であることを示しているのかもしれないと思えた。
「小さい……って、言ったわよね?」
「言ったな。まあ、そういう立場なんだろう」
目の前の光景に疑問を隠せないキャニーに、俺も困惑しながら答える。近づいていく度にわかったのだが、確かに村だ。建物はどちらかというと質素だし、雰囲気も街、ではない。だが、その様子はただの村と呼ぶには少々大げさすぎる。
到着前に見えていたのは、村の隅の様だった。建物から立ち上る煙。側溝のように作られた水路を流れる液体からは蒸気が舞い上がり、所々、門番付の建物が立ち並ぶ。湯気の出る液体、つまりは温泉。
辺りの風景は一般的に生活するための場所、としては施設など、ふさわしいとはいえないバランス。俺達の前には地球で言う温泉街、のような光景が広がっていたのだった。
「川からも出てるのか」
「噂は聞いていたけど、実際にきたのは初めてだよ~」
離れた場所にある川辺でも湯気が上がっているのを見て驚いていると、ミリーが色々と教えてくれた。もしかしたらこういった場所に保養にくる要人を暗殺するための知識なのかもしれないが、物は使いようだ。曰く、こちら側に温泉があるというのは聞いたことがあるが、俺がいた側の国からは国境を越えてくることになるため、一般人は容易には行き来できないのだろうとの事。何より、モンスターが出るかもしれない道中を一般人がやってくるのは自殺行為だ。
「ちょうど業者による団体が来ているようだな」
俺たちが疑問を覚えるのを読んでいたのか、リーダーらしき騎士が横からそう補足してくれる。現実で言うパックツアーみたいなものか? 俺は村の入り口では護衛であろう冒険者らしき集団や、大き目の馬車がいくつもあったのを思い出す。行き交う人々の身なりは裕福な印象を受ける。襲ってきた奴らも言っていたが、つまるところは……。
「ある程度以上の経済的余裕がある相手向けの保養地ってことか」
そうつぶやきながら、治安等の面からこうして利用を制限する形をとっているのも仕方がないかと思い直していた。そうでなければシンシアのような立場の人間が来る事などできないであろう。
皆で歩を進めるうち、周囲と比べて小高い土地に建てられた建物が見えてくる。白い石を積み重ねて作り上げられたであろう建物は、周囲とはワンランク違うことを容易に感じさせる。
「あちらがシンシア様の滞在している場所だ。助けていただいたお礼に君達を招待したいとの事だ」
騎士の言葉に、俺はキャニーらへと振り返り、頷く。断る理由はないのだから。こういう場所なら湯船も広そうだという思惑もあった。
「ほう……」
通された部屋はシンプルでありながら必要な機能は十分に備えた部屋。恐らくは主役である上の立場の人間に付き添う人用なのだろう。それでも一般的な宿の部屋等と比べればその質は明らかに違う。センスが良いとも言えるだろうか。
思わず荷物を置く前に声を上げ、そのまま見回してしまう。当然のことながら和風の部屋等はなく、どうしても洋風の雰囲気を感じるのは仕方ないところだ。部屋用の湯舟は……ないようだ。
ノックの音に荷物を置いてから扉を開けると、そこにはキャニーとミリーがなにやら興奮した様子で立っていた。
「なんだ、遊びに来たのか?」
「そんなわけないでしょ。私達は温泉に入りに行くわ! なんと、シンシアさんが一緒にどうですか?って誘ってくれたの!」
「くれたんだよ~! いいでしょ?でしょ?」
明らかにテンションのおかしい2人であるが、嬉しいことだけは伝わってくる。暗殺のための訓練を受けていた2人だ。シンシアの雰囲気などから自然と相手の身分を感じ取っているのかもしれない。まあ、そうでなくても彼女からはそれらしい気配を感じるのだが。
「そ、そうか。ろくに説明を聞いていなかったが、俺は一階でいいんだったかな?」
その勢いにややうろたえつつ、この建物に入ったときにされた説明を思い出しながら聞いてみた。確か男女や立場で別れていたはずだ。いくつか看板が立っていたが読んではいないな。
「ええ、そうよ。私達は二階になるわ。一階から二階への階段や、浴室の前にはちゃんと見張りの人がいるんだから、覗いちゃ駄目よ!」
「で、でもファクトくんがどうしてもっていうなら後から…ムグッ」
丁寧に説明してくれるキャニーに続けてなにやらつぶやいたミリーの口をキャニーは慌ててふさぎ、引きずるように階段へと消えていく。息の合ったその動きに思わず笑ってしまう。
(姉妹は……姉妹ということか?)
2人が去って行った後もしばらくの間、先ほどの光景を思い出しながら静かに笑ってしまう。と、背後に気配が近づいてくるのがわかったので確かめるように振り返る。そこにはすっかり調子の戻った様子の騎士達が立っていた。足音があまりしないところを見ると、全員訓練はしっかり積んでいるようだ。
「こんなところでどうした? 迷ったか?」
「いや、これから噂の温泉に行こうかとしていたところさ」
答えながらこの中でも元の装備のままの騎士達に内心で任務ご苦労様とつぶやきながら、相手を観察する。よく見れば騎士の内、怪我をした1人は兜をはずしている。その髪は、長い。というか顔も……これはつまり。
「そうか……ん? ああ、彼女はシンシア様の護衛兼侍女……のようなものだ。私は既に出ているアルスと辺りを見回ってくるし、彼女は二階に行くからな。迷ったなら彼に聞いてくれ」
そういってリーダー格の騎士はそれぞれの騎士を紹介してくれる。さりげなく握手の際に確かめるが、確かに女性騎士は普段から戦っているような腕ではなかった。侍女のままでは何かとなめられる世の中というのもあるのだろう。
「それはありがたい」
俺はそんな内心を表に出さず、自然に受け答え、一階の浴室の場所だけ念のため、と確認する。大体1階に10部屋、2回には8部屋といったところのようだ。その場で礼を言って騎士と別れ、入浴のための荷物だけを持って部屋を出る。といっても現実世界のようなタオルなどない。粗の目立つ布をタオル代わりに持ち、温泉へのルートをのんびりと歩く。
「しっかし、こんな平地に温泉? 火山が近いわけでもないし……どういうことだ?」
人間、一人になると独り言が増えるのだとこの世界に来て改めて感じている。自分で自分のつぶやきに気が付いて少し赤面するという経験をしながら温泉のことを考えていた。現実世界で言えば関東付近はひたすら掘ればどこでも温泉が出る、というようなことは聞いたことがあるが……。
『下、何かあるわね』
と、肩口にユーミが現れ、そう伝えてきた。ずっと眠っているような感じだったのが急な出現だ。肩口の彼女をちらりと見つつ、言われるままに地面を向いた。特に何もない床……と、かなり下の方に何かを感じる。
「下? 地面の中か……」
何があるのか、それが原因なのかはわからないが確かに何かがあるような気がする。と、少し前に看板らしきものがあるようなのでそちらに向かい目を通す。
「何々……ブフゥ!?」
思わず噴出した俺を誰が責められようか? 仰々しい字体で書かれた看板の内容は、不意打ちすぎたのだ。要約すると、偉大なる老人が火竜の息吹と水竜の心臓を用いてこの地に恵みを与えた、とある。その姿は大きな槌と筒だったという。老人として描かれたその姿、行為、そして源である2つのもの。どう考えても古老の庵、彼の仕業だ。
思えば彼も日本人だった。しっかりとした入浴の概念や、日本的お風呂のなかったMDだ。MDに似たこの世界でもそれは同じだったに違いない。つまるところ、我慢できなかったのだろう。
「それにしたってどんだけ本気なんだよ……」
描かれているとおりの性能を発揮できるような属性武器となれば、この世界であればいくつもの国の予算を一気に食いつぶすレベルで希少な素材らをつぎ込むものだ。俺も作れといわれたら確実に躊躇する。
そんな性能ではあるが、2つだけではただお湯が出来上がるだけだ。恐らくはなんとかして地下深くに押し込んだのだろう。結果、地下水のようにあふれ出るお湯は周囲のミネラルやらを溶け込ませ、この地に温泉として噴出させているのだ。もしかしたら元々あった水脈を利用しているのかもしれない。
プレイヤーとしての能力を持っていたとしても簡単にはいかないであろう行為に、俺はちらりと肩口のユーミを見る。
『他にも……いたのかもね』
ユーミは小さくそれだけ答え、ふわりとその姿を消す。俺はユーミの消えた場所をしばらく眺めた後、自分の頬をたたいた。今は、温泉を楽しもう。正確には温泉風味のお湯、なのかもしれないが……な。
「まっ、今は楽しむかな」
思えばこの世界に来てからしっかりした入浴、という行為はほとんどした覚えがない。お湯を大量に沸かす、というのは当然大変なのだ。魔法は細かいコントロールのできるものではないので、薪などに頼ることとなり、非常にコストがかかるのだ。そんなわけで、俺はワクワクしながら一階にある一般男性用の浴室へと向かうのだった。




