000.「目覚ましは獣臭さと共に」
初めての人は初めまして。
お久しぶりの人はまたよろしくお願いいたします。
その日の目覚ましは随分と斬新な物だった。と言っても、新しく買ったわけじゃあないのだが。まるで小さすぎる麦わら帽子を無理やり被らされてるような妙な圧迫感。と同時に何か引っ張られているような……。
徐々に覚醒して来た思考、そして鼻に届く普段嗅ぐごとの無い濃厚な獣の臭い。
それらが一気に押し寄せ、思わず体を起こそうとする。
「重っ!?」
「ギャウン!」
結果から言って、体を起こすのは半分成功、半分失敗だった。半身を起こし、周囲の状況を確かめるのには成功したが、頭に噛みついていた何者かのせいで片手を地面についた程度にとどまったのだ。視界に入るのは大自然、太陽、そして……2頭の大きな犬、いや……これは。
「ウェアウルフ!?」
記憶にあるよりも随分と緻密で、如何にも野生で過ごしていますと言わんばかりの汚れた体、よだれの垂れてきそうな口元。だが、さらなる思考を巡らせることは叶わなかった。2頭のうちの片割れが、叫びながら俺に飛びかかって来たからだった。
「うわあ!」
武器になるような物は何もなし。であれば取れる手段はそう多くない。咄嗟に殴り掛かり……俺のこぶしはカウンター気味にウェアウルフAに吸い込まれ、その顔が変形するような勢いで殴り飛ばした。
ギャウンと、最初とは同じようで全く別の声が響き、小さくないはずのウェアウルフが吹き飛んでいく。
(あ……ええ?)
己のしでかしたことに、まだウェアウルフは健在だというのに思わず拳を見てしまう。そこに残る毛、そして汚れが目の前の現実を現実だと強く伝えてくるような気がした。それはつまり、先ほど俺が殴った相手も現実だということだ。
「……来るか? それとも……逃げるか?」
見よう見まねでボクサーのようなポーズを取り、こちらを伺うウェアウルフを睨み返す。1頭は先ほど殴った相手なのだろう、足を引きづるようにしていて……さらにこちらが1歩強く踏み出すと2頭ともが逃げていった。
「……はぁ。くさっ!? あああ、水水……無いっ! くそっ」
危機が去ったと思うと、自分を覆うようなその獣臭さに顔をしかめた。間違いなく手と、頭が原因だった。頭をさわるとぬるっとした……たぶん、あいつが俺の頭をくわえていたのだ。洗い流す水もなく、仕方なく俺はいつものようにアイテムボックスから初心者向けお徳用ポーション瓶を取り出し洗うことにした。
ペットボトルで1リットルほどはある大瓶からハーブの効いた爽やかな匂いの液体がばしゃばしゃと頭にかかり、地面に落ちる前に手の毛なんかも洗い流す。保管したままの冷たさ、その香りに気持ちが引き締まる気がしながらも……呆然と地面と己の手を見つめていた。
「どこだ……ここは。ポーションが出て、でっかい狼を殴れた……?」
ポーションを被ることでようやく思考が追いついてきたのだと思う。シャワー直後のようにポーションを滴らせながら、顔を上げるとそこに広がるのは草原、森、そして太陽。目を動かすと道のような部分も見える。地面に引きづった後があることから、どうやらここまでウェアウルフに引っ張られたらしいことがわかった。
「って、怪我をしていなかったよな?」
自分一人であるが故か、妙に大きくなった独り言。あいつにかじられていたであろう頭には痛みは無い。ポーションで回復したかと思いつつも、独特の感覚が無かったから全くダメージを受けていなかったんだと思う。一定以上レベル差があるとそうなるんだよな……マテリアルドライブだと。
(? まさかっ)
ふと浮かんだ、自分が日常そのものとしているマテリアルドライブというゲームの名前。今さらだなというどこか冷静な自分のつっこみに心の中で苦情は言いつつも、いつものようにメニューを開き、いつものようにアイテムたちやステータスを確認し……俺は笑った。
「ははっ、冗談だろ……」
言いながらも、目の前の状況を現実として受け入れるしかない自分を感じていた。そこそこ働いていた、大人の一員だったという小さなプライドが頑張ったのかもしれない。まあ、最近はゲーム中心に生活するというちょっとダメダメな奴だったのだが……。
視界に広がる大自然。その中を通る道らしい部分は街道と呼べるものだ。その景色に、半透明のゲームウィンドウが妙に馴染む姿で浮かぶ。各種メニューは選択可能だ。ため込んだお金、同じくため込み過ぎた素材群。何より生命線になりそうな生産職方面に特化したスキルやステータスもそのままだ。
廃人一歩手前と自覚があるほどにやりこんでいた俺だからこそわかる。この世界はVRによるものなんてちゃちなもんじゃない。現実なのではないか?と。鼻に届く匂い、目に飛び込む光景、舌に残るポーションのちょっとした苦みが俺を全力で殴りつけてくる。
技術上興奮による脳波といったものは測定しやすく、機械側の対応もスムーズに進んだが、味覚といった個人の感覚によって反応が大きく違う物は再現が難しく、仮想現実は仮想現実であるという切り分けのためにもVR世界には限界があったのだ。その知識が今を仮想とは思わせてくれなかった。
(ゲームの世界にやってきました? 馬鹿馬鹿しい…・・・馬鹿馬鹿しい・・・・・・が)
目の前に広がる光景、本来制限されているはずの五感が訴えかけるものは・・・・・・ここが偽物ではないということ。
「ログアウトは無し、そのほかはいくつかは文字化け、か。エラーで閉じ込められた? ううん、何か違うな」
舗装されていない道をとぼとぼと歩きながら、だんだんと考えがまとまっていく。否定する材料は双方いくらでも出てくる。あまりにも現実過ぎるという点を除けば、ゲームの世界と思いたいのが本音だった。神様に出会った覚えもなければ、外で何かに轢かれた覚えもない。
しかし……なぜかは不明だが、俺はこの世界にいる。昨日もプレイしていたはずの、VRゲームであるマテリアルドライブのキャラクター能力全てを引き継いだ状態で。これはまさに朗報だった。生産特化だった俺はドラゴン単体を正面からねじ伏せるようなことはできないが、手には技術が身についているはずだった……たぶん。
「まずは人里……か」
果たしてここが本当に俺が思うような世界なのか。それとも全く別の物なのか。それを確かめるためにもまずは進むべきだった。今は、どうしてこんなところにいるのか、それを考えるときではなかった。
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