SNSの恐怖
俺が二人の頼みを了承すると、室内は急に慌ただしくなった。
「じゃあ私、入部届貰ってくるね!」
「その間に機材の設定とかしとく」
「任せた!」
言うが早いか、真青はばたばたと部室を出ていった。残った赤城が、電源の入っていなかった三台目のPCの電源を入れ、機材の準備を始めた。その後ろ姿を見ながら、俺は訊ねる。
「赤城って、一年のときはサッカー部じゃなかった?」
女子たちが、一年にしてレギュラーを勝ち取ったイケメンがいると騒いでいた覚えがある。すると、赤城は驚いた顔で振り向いた。
「なんだ、俺のこと知ってんの?」
「だって、よく目立つことしてんじゃん」
サッカー部一年レギュラーの他にも、球技大会では選手宣誓の一年代表、文化祭ではクラス演劇の王子様役と、随所で話題に事欠かない。興味がなくとも情報が入ってくる。
「目立ちたいわけじゃねえんだけどさあ。頼まれると断れねえんだよ」
人気者にのみ許される大役を頼まれる時点で、地味男子同盟とは生きる次元が違うわけだが、そんな彼がなぜ、放課後の旧校舎でとーすとに勤しんでいるのだろうか。
「真青さんに頼まれたから、サッカー部辞めてげきま部に入ったってこと?」
「はぁ?」
ガタイの良いイケメンの「はぁ?」は、正直言ってとても怖い。びくっと肩を震わせた俺を見て、赤城は噴き出した。
「違えよ。俺、去年ケガでサッカーできなくなって、部活辞めたんだよ。そしたら、春果が部活作るから入れって言ってきてさ」
「じゃあ、やっぱり二人付き合ってるって噂、本当なんだ」
二人は一年のときから、とんでもないイケメンと美少女が入学してきたと学校中の話題だった。同時に、二人は付き合っているという噂も常に流れていた。なにしろ、小学校からずっと一緒で、真青が名前を呼び捨てにする男子は赤城だけ。さらに、二人で帰る姿も頻繁に目撃されていたので、疑いようのない事実に思われた。しかし、赤城は再び首を振った。
「それも違う。俺と春果、いとこなんだよ。付き合うとかないない」
「いとこ?マジで?」
「そ。母親が姉妹」
まさかの身内カミングアウトに、もしや人気者になる遺伝子なるものが存在するのではと、俺は真剣に考えてしまった。
「佐藤が春果狙ってんなら、協力してやっていいぞ。入部してくれた恩もあるし」
「滅相もない!」
怒涛の新情報に脳が追い付いていないところに、更なる爆弾をぶっ込まれて、俺はあからさまに狼狽した。真青は確かに可愛い。入学式ですれ違ったときには、どこかのお姫様でも入ってきたのかと思ったほどだ。だがそれ故に、身分不相応であることもしっかり自覚している。いわば彼女はアイドルで、俺はただのファンなのだ。
全力で手を振って否定した俺に、赤城はだははは!と豪快に笑った。
「その気になったら言えよ。……えーと、これどうすんだっけ。ヘッドセットの設定とか、久しぶりで忘れた」
思いきり俺の下心がバレた気がしたのに、赤城はそれ以上からかうこともなく、あっさりと引いた。俺はほっと胸を撫でおろし、赤城が苦戦しているPCの設定画面を後ろから覗く。
「もしかして、引っ越した友達のデータ入ったまま?」
家庭用VRシステムは、個人の脳波をアカウント認証やさまざまな設定に利用するので、脳波の登録が必須だ。高い機材になれば複数人のデータを登録することもできるが、部室にあるものは一機材につき一人しか登録できない汎用品だった。
「おう、PC自体は定期的にアップデートしてたんだけどさ」
「じゃあ、いっぺん設定消さないといけないっしょ。……いい?」
既に脳波が登録されているヘッドセットを他の人間が利用するには、既に登録されているデータを消去しなければならない。もう使うことはないにしても、初期メンバーのデータを消すのは多少抵抗があるのではないだろうかと、一応確認した。
「いいよ。もうあいつが戻ってくることもねえんだし。新しいヘッドセット買う予算なんかないしな」
「……じゃあ、遠慮なく」
ヘッドセットの電源を入れ、設定メニューからデータ削除を選ぶと、『脳波データが削除されますがよろしいですか?』『削除したデータは元に戻すことができません。よろしいですか?』『本当に削除しますか?』と、再三に渡るポップアップが現れる。Yesを押し続けると青いバーが現れ、一分ほどで初期化が終わった。なぜここまで執拗に訊いてくるかというと、初回の脳波スキャンには短くても三十分ほど時間を要するからだ。
俺は続けてヘッドセットを被って、スキャン開始ボタンを押した。スキャン中はヘッドセットを被りっぱなしにしておくこと、受信装置の電波の届く場所にいなければならないこと以外は特に制約はないので、適当にだらだらしていればいい。
「……佐藤、パソコン詳しいのな」
「え?いや、それほどでも……」
ついうっかり、いつもやっているようにキーボードだけで画面を操作した俺に、赤城が目を丸くしていた。
「とーすともかなりやり込んでるな?春果には言わないでやるから、メインのランク言えよ」
逞しい腕が首に回り、耳元でこそこそと訊ねられると、財布の中身を訊かれているような気分になる。小心者の俺は、正直に答えるしかなかった。
「……カンストしてます、すみません……」
「カンストぉ?!」
「シーッ!」
赤城の大声に、俺は慌てて人差し指を立てた。いつ真青が戻ってくるとも限らない。ちなみに、とーすとの現在のレベルキャップは百九十九だ。最近は、対人戦に誘われたとき以外は、もっぱら生産と装備の強化ばかりしていた。
「それ、いくら注ぎ込んでんの?」
「月一のセーフティサービスしか課金してないよ……」
セーフティサービスは月々三百円税抜きで、加入しているとログイン時に毎日、課金消費アイテムが一つ貰える。さらに、一日一回だけではあるが、ダンジョン内で戦闘不能になったときにノーペナルティでその場で復活することができる。パーティプレイなら誰かに蘇生してもらえばいいが、ソロプレイヤーにはありがたいサービスだった。必須ではないが、学生の小遣いで賄える金額な上、携帯電話料金と合算で支払うことができるので、加入している者は多い。
「嘘だ!」
「そういう赤城と真青さんは?」
「春果が百二、俺が八十五……」
「そこそこやってんじゃん、八十の壁越えてるし」
八十の壁とはとーすと用語で、ランク七十一から八十の間の、一番クエスト報酬が不味くランク上げがしんどい時期のことを言う。しかも、それくらいになればある程度のダンジョンには行けるので、必死になって上げる理由もなくなる。大概のプレイヤーはこの辺りでだらけ出し、最も人口の多いランク帯だと言われている。
「まあほら、とーすとはランクなんか飾りだし?あんまり気にすることじゃないっしょ?」
引かれている空気を察し、俺は赤城の腕を抜け出して取り繕った。
とーすとの特徴は、そのタイトルの由来にもなっている『トレジャーストーン』、通称『石』を装備に組み込むことで、無限大とも言えるステータスとスキルの組み合わせを実現できるところにある。
装備には一般的なゲームにあるような固有の性能が存在せず、代わりに全ての装備に最大八つのスロットが付いている。職業もなく、石次第でありとあらゆるプレイスタイルが可能になる。
それが、とーすとの最大の売りであり、俺が一番好きなところだった。学生大会などが気軽に行えるのも、初心者でもステータスに差が出にくいシステムだからというところがある。
「肝心のアバター名は?カンストプレイヤーなんて数いねえし、実は有名なんじゃねえの?」
「そっ、それは――」
対人戦大会に出ようとしているのだ。前回大会の出場者くらい知っているだろう。ここでくろすの名前を出したりしたら、求められるハードルが限りなく高くなってしまう。俺がしどろもどろになっていると、窓の向こうから、廊下を走ってくる女神の足音が聴こえた。
「入部届、貰ってきたよ!」
頬を紅潮させ、息切れしながらスパーンと扉を開けた真青は、相変わらず目を輝かせている。眩しい。
「随分遅かったなあ」
「麻木先生が見当たらなくて、探し回っちゃった。はい、佐藤君」
俺のためにわざわざ学校中を走り回り、手ずから用紙を渡されると、ただの紙切れすら尊いもののように思えた。
「ありがとう……。麻木先生って、保健室の?」
「うん、げきま部の顧問やってもらってるの。まさか、体育館裏でタバコ吸ってるとは思わなかった……」
ため息をつき、真青はマットに座り込んだ。養護教諭がタバコ吸ってていいのかとか、なんで体育館裏とか、いろいろと突っこみたいところはあるが、汗をかいてブラウスの襟をぱふぱふと上下させ、風を送っている真青の悩ましさの前には、微々たる問題だった。
「今、ヘッドセットの設定中。これからどうする?」
赤城が真青に訊ねた。
「どうしよ。大会まで、あと三ヶ月かあ。装備の強化もしたいし、対人戦ももっと練習しなきゃだし……」
言いながら、スマートフォンを見た真青が、
「えーっ!」
困った顔で叫んだ。
「なんだよ」
「くろすに対戦申し込んでたんだけど、断られちゃった……」
「そんなことか。どうせ、瞬殺されて終わりだろ?」
「そうだけどさあ」
むー、と口を尖らせる真青と、真青が見ている画面を覗き込む赤城の後ろで、俺は手に尋常ではない汗をかいていた。ランク百二で、今日対人戦の申し込みを断ったプレイヤーというと、思い当たるプレイヤーは一人しかいない。
「佐藤君、トゥルッターやってる?私、とーすとのアバター名でやってるんだけど」
ホラ、と見せられた画面には、『MASAO』という名前と、見覚えのある水色の髪の少年のスクリーンショット。
「や、やってません!」
「嘘だ!」
反射的についた嘘は、一瞬で赤城に見破られた。こいつ、と裏切られた気持ちで、にやにや笑う茶髪の男を見るが、俺はそもそも嘘をつくのが下手なので、彼のせいではない。
「すみません嘘です……」
「ホント?教えてよ、連絡も取りやすいし」
渋々白状するが、無邪気な真青の視線が痛い。
「やってるけど、攻略情報とか見る専門だから、呟かないし、日に一回とかしか見ないから……」
嘘です、休み時間ごとに呟いています。というか、既にフォロワーです。今まさに貴女に『残念、また遊んでね』と返信を頂いています。世間がこんなに狭いとは知らなかった。
「そっか、ソロプレイヤーだって言ってたもんね。あんまり、リアルの知り合いと慣れ合うの好きじゃないよね……」
肩を落とす真青に、罪悪感で心臓が潰れそうになる。言ってしまえば楽になるかもしれないが、ウェブ上では多少キャラを作っているところもある。幻滅されるかもしれない。そう思うと、俺がくろすだとは言えなかった。
うまく弁解できず押し黙っていると、赤城が、ふー、と呆れ顔で息を吐いた。
「どっちにしろ、連絡先は交換しとかねえとだろ」
自分のスマートフォンを取り出し、俺の背中を強めにどついてくる。
「そうだね、アドレス教えて。使ってるチャットアプリあったら、そっちのIDも」
「アッハイ」
真青が顔を上げ、少し元気はないが、微笑んだ。
いつか、打ち明けられる日が来るだろうか。その前に愛想を尽かされてしまうかもしれないなと思いながら、俺は曖昧に笑い返すしかなかった。




