アイドルと空気男
今年のゴールデンウィークは四月二十九日が金曜日のため、変則的な二連続三連休だ。
一部優良ホワイト企業に勤める会社員の皆さんは、前後に休暇を取ることで最長十連休という長期休暇が手に入るのだと、朝のニュースのキャスターが伝えていた。彼らには祝日など関係ないので、乾いた笑顔が気の毒だ。
それはさておき、今日は四月二十五日。由芽崎第一高校二年三組の教室も例に漏れず、週末から誰かの家に泊まりに行くだの、バイトで貯めたお金でどこそこのテーマパークに行くだのと、クラスメイトたちの歓声が聴こえる。中には親の休暇に合わせて二日と六日の学校を休み、海外旅行をする猛者までいるらしい。
「駆はゴールデンウィーク、どっか行く?」
スマートフォンで一言SNS『トゥルッター』に来ている返信など見ながら、ぼーっと弁当のウィンナーを啄んでいた俺に、冴えない顔の男子生徒が話しかけてきた。名を鈴木といい、常につるんでいるわけではないが、必要な時には速やかにグループが作れる程度の、いわゆるクラスの地味男子同盟の一人だ。
「別に。家でゴロゴロしてると思う」
俺の父はシステムエンジニアで、祝日に関わらず仕事だ。たまの休みは趣味のバイクで楽しそうにどこかへ出かけていく。母は料理研究家で、ここのところ雑誌やテレビへの露出が増え、ほとんど家にいない。
そして自分で認めてしまうのは少し悲しいが、友達も少ないので、誰かと遊ぶ予定もない。さらに言うなら、バイトもしていない、旅行するような金はない、そもそも外に出る気もない。家で好きなことをするのが、最も楽しい休日の過ごし方だった。
「えーっ!三連休が二回もあるんだぞ?どっちか片方くらい、予定ないのかよ」
「そういう鈴木は?」
家でゴロゴロするというのは予定には入らないのだろうか。だんだん面倒くさくなり、質問に質問で返すと、
「俺?俺はなあ、自分探しの旅に出るぜ……。愛車でな……」
フッ、と鈴木は格好つけて言った。なるほど、こちらの予定などどうでもよく、それが言いたかっただけらしい。迷惑な奴だ。大方、五月の協力な紫外線にやられて鼻の頭が大変なことになるに違いない。中学からの付き合いなので知っているが、こいつは肌が弱いのだ。そうでなければ、この季節につきものの、気の早い集中豪雨に降られて風邪をひき、残りの休日を台無しにするか。
スマートフォンから顔を上げることもなく、フーンと適当に相槌を打っていると、
「予定ないんなら、前髪でも切りに行けよ。うっとうしい」
自分の前髪に二本指でハサミを入れる真似をしながら、鈴木が提案した。確かに、俺は目が隠れるほどまで前髪を伸ばしているが、我が校は校則がゆるいので、別に違反しているわけでもない。ちゃんと見えているので放っておいてほしい。
「人のファッションにケチつけられるナリかよ」
「うっせ」
鈴木は多趣味なので常に金欠で、『服買う金があったら趣味に使う』が信条だ。高二にもなって、母親がショッピングモールや量販店で買ってきたシャツを着て暮らしているので、そのセンスは推して知るべしだ。
だらだらと戯れていると、俺の前の席に、女子生徒が戻ってきた。
「あ、真青さん。真青さんは、ゴールデンウィークどっか行ったりする?」
「えっ」
艶のある長い黒髪の少女に、鈴木は果敢にも話題を振った。驚いた顔で振り向いた彼女――真青春果の、かぐや姫かくありきと言わんばかりの眩い容姿に、俺は思わず前髪の下で目を細める。
麗しい少女が戸惑いを見せたのは一瞬だけで、その表情はすぐに、柔らかい微笑みに変わった。
「ううん、何も」
少し寂しそうに首を振った真青に、鈴木が意外そうに言う。
「てっきり、予定いっぱい入ってるんだと思ってた」
「中学の時の友達と遊ぶ予定だったんだけど……。来られなくなって、中止になっちゃった」
よほど楽しみにしていたのだろう。真青は形の良い眉を下げて、はあ、とため息をついた。その姿もまた愛らしい。
「そ、そうなんだー。残念だね……」
非モテ童貞の鈴木は、落胆している彼女を慰めるスキルも、それ以上話題を膨らませるスキルも持っていなかった。
当然、会話はそこで終了してしまうかに思われたのだが、一瞬の気まずい沈黙の後、真青が不意に顔を上げた。
「ねえ、鈴木君と佐藤君って、ゲームとかする?」
「げ、ゲーム?うん、ものによるけど」
鈴木の専門は、いわゆるギャルゲーだ。成人した兄がいるため、時には十八禁に手を出すこともある。もちろん言えるわけもなく、ハハハ、と適当に笑ってごまかした。
「佐藤君は?」
「嫌いじゃないよ」
本当は大好きだ。幼い頃から、ベビーシッター代わりにありとあらゆるゲームを与えられてきたので、家にはレトロゲーから最新機まで揃っている。しかし「好きですが、お嬢さんも興味がおありで?」と身を乗り出してしまうのははばかられて、その手の話題を振られたときにいつもするように、さほど興味はないけれど人並みには嗜みますよ風を装った。
「ホント?じゃあさ、パソコンのオンラインゲームって、わかる?」
真青は大きな目を上目遣いにして、探るような視線で訊ねた。質問の意図が分からず、鈴木も俺も首を傾げる。
「えっと……さっき言ってた中学の友達がね、トレジャーストーンっていうオンラインゲームをやっててね」
その単語を聞いて、俺の心臓がどっくんと跳ねた。悟られないように、無表情に努める。
「私も遊んでみたいなって思ったんだけど、その友達、ちょっと遠くにいるの」
真青は丸い目に期待のこもった光を宿し、俺と鈴木を交互に見てくる。どくどくと俺の鼓動が速くなり、手に汗をかきはじめた。
「もし二人がやったことあるなら、遊び方を教えてくれないかなって、思ったんだけど……」
やったことがあるどころか、トレジャーストーンオンラインには現在進行形でドハマりしている。どれくらいかというと、二年前のサービス開始初日から、止むをえない事情があった日以外毎日欠かさずログインして遊び倒し、『×くろす×』という名前でそれなりの知名度を誇っているくらいには。
「じゃあ俺、教えようか?今は遊んでないけど、やり方くらいならわかるし……」
下心丸出しの鈴木が、率先して身を乗りだした。
「嘘つけ、俺が誘ったとき断ったじゃん。……あ」
パソコン部に所属しているので機材や基本操作はわかるだろうが、奴はとーすとは『今は』どころか『一度も』遊んだことがないはず――と、つい口から出てしまった。
慌てて口を押えたときには後の祭りで、俺のテンションと比例して真青の表情がぱあっと明るくなった。
「佐藤君、やってるんだね?お願い、遊び方、教えて?」
こんなに嬉しそうな顔の真青など、未だかつて見たことがない。さすがクラスのアイドル。鎌をかけ、自分の欲する情報をより知っていそうなほうを探り当て、瞬時にロックオンするとは恐るべきコミュニケーションの鬼。もはや彼女の目に鈴木の姿は映っていなかった。
いてもいなくても勝手に出席扱いにされるような空気男に、まるで運命の相手を見つけたような尋常ではない熱視線を送る少女を、クラスメイトたちが何事かと注目しはじめる。
「ダメ?」
やめてくれ、そんな目で見るんじゃない。顔を近づけてこないでください。目が大きいので見つめられると怖いです。
「わ、わかった、教えるくらいならできると思う。だからその、身を乗り出すのをやめてください……」
「ホント?今日の放課後空いてる?」
「うん」
「じゃあ放課後、早速よろしくね」
「うん、……え」
クラス中から何を話しているんだと聞き耳を立てられ、事態の収束のために高速で頷いてしまったのが、全ての始まりだった。