事実≒真実
旧校舎から大衆の興味を逸らすにあたって、俺が協力を要請したのは、用務員の住吉さんだった。
「住吉さん、今度の土曜日、お弁当作ってくるから一緒に食べてくれない?」
住吉さんの休憩スポットの一つ、屋上入り口の屋根の上で、俺は点検用の梯子から顔だけ出して、唐突にお願いした。
「……なんだそりゃあ」
「旧校舎に人が増えて、困ってるんだ」
「ああ、あの妙な部活のことか」
タバコを燻らせ、喉の奥で低くそう言うと、
「……まあ、いいだろう。酒が飲めねえのが残念だ」
ふー、と煙を吐いて、快く承諾してくれた。一年の頃、住吉さんの元を訪ねるといつもコンビニ弁当や宅配弁当を食べていたので、休憩スポットを間借りする礼に作っていったことがあった。住吉さんはいつも仏頂面でわかりづらいが、完食していたので気に入ってくれたのだろう。
後は、当日赤城に人を集めてもらい、俺と真青と住吉さんが三階で一緒にいるところを見せるだけでいい。
幽霊の正体が俺と真青であることは真実であり、隠す必要はない。ならば後は、なぜ二人が旧校舎をうろついていたのかについて、それらしい理由を後付けするだけだ。例えば、真青が住吉さんの仕事を手伝っていて、俺も付き合わされていた風に見せるとか。
案の定、大半の生徒は強面で寡黙な住吉さんが苦手なので、幽霊の正体がわかるとすぐに解散した。皆今頃は、限りある休憩時間を無碍にした脱力感で、悲しみに暮れているところではないだろうか。
ということで、現在の空き教室には、げきま部と大人二人、そして月下しかいない。
「佐藤駆、ホントに料理上手いんだねー。こないだのクッキーも美味しかったし」
ハムタマゴのサンドイッチの最後の一口を口に放りこみ、月下が言う。
「それはどうも……。ていうか、どこで食べたのクッキー」
例のアイシングクッキーを貰いにきた面々の中に、月下の姿はなかったはずだが、と思っていると、
「女の子が分けてくれた」
しれっと白状した。誰だ、横流しした奴は。
「つーかお前、なんで当たり前のように駆の弁当食ってんの」
赤城がしかめっ面で訊ねる。
「茶番に付き合わされたんだから、これくらい貰わないと。唐揚げもちょうだい」
割り箸を渡してやると、わーいと言ってさっさと割り箸を割り、唐揚げに手を付けた。
「要するに、麻ぽん先生が住吉さんに旧校舎の点検を頼んでて、麻ぽん先生と仲良しで住吉さんの手伝いしてた春果ちゃんが幽霊の正体で、そのうち佐藤駆が春果ちゃんに付き合うようになって『前髪の長い生徒』が噂に追加されたってことにすればいいわけでしょ?」
唐揚げを飲み込むと、月下は持っていたワンタッチ式の水筒の蓋をパチンと開けながら、そう言った。
「すればいいってお前なあ」
「俺、知ってるよー。去年から巧と春果ちゃんが旧校舎によく出入りしてるのも、麻ぽん先生もグルだってことも、佐藤駆が住吉さんとたまに昼飯一緒に食べるくらい仲良しなことも。あと、春果ちゃんと巧が従兄妹だってことも」
のんびりと水分補給をしながらの爆弾発言に、真青と赤城が顔を見合わせ、麻木先生が口の端を上げた。俺と住吉さんは黙って弁当をつつくに徹し、海鳥は居心地が悪そうにエビフライをかじった。
「あ、誰にも言ってないから安心して」
箸を握った手で親指を立てた月下に、赤城が訊ねる。
「なんで知ってんだよ。俺、言ってないよな?」
「うん、まあ三人でつるんでるのとかは、偶然見かけたり、女の子に聞いただけなんだけどね。小四の時だったかなー、授業参観に二人ともお母さん来てたでしょ。そっくりだったから、双子?って聞いたんだよね。そしたら『違うよ、お姉ちゃんと妹だよ』って教えてくれた」
「月下君、ウチのお母さんまでナンパしてたの?」
真青が呆れていた。しかし、月下は悪びれもせず堂々と頷いた。
「だってすごい美人じゃん。声掛けとかないと損じゃん」
「いやらしい小学生やなアンタ……」
情報源が全て女性とは、げに恐ろしきはこの男か。女性陣の噂話は、正確性はさておき、情報の多さと速さならワールドワイドウェブにも引けを取らない。地味男子同盟とは全く別種のコミュニティの成せる業だった。
「大丈夫、黙ってろって言うんなら黙ってるし。その代わり、たまには俺とも遊んでよね」
スマートフォンで時間を確認すると、そろそろ休憩時間が終わる頃らしい。
「ごちそうさまでした」
丁寧に手を合わせて椅子から立ち上がると、バイバーイ、と手を振って踵を返した。が、
「そうだ。ずっと思ってたんだけどさ。海鳥ちゃん、前のお姫様みたいなロングも可愛かったけど、ショートカットも可愛いね!」
ふと振り返ってそう言ってから、今度こそ去っていった。
足音が去った室内で、海鳥がぼそりと言った。
「……恋シュミやと、めっちゃ暗い過去とかあるタイプやな」
「知ってる限りじゃ何もねえよ。『女の子って、優しいしいい匂いするからだーいすき』って公言してた」
ある意味、闇が深かった。そこで、再び海鳥が疑問を口にする。
「ちゅーか、月下って特定の彼女おらへんの?モテるんやろ?」
そう、赤城がサッカー部に所属していた頃は、練習する二人を見てどちらが良いかと女子たちが口論していたくらいには、月下も人気が高いのだ。しかし赤城とは対極に、”女好き”というのは有名でも、特定の彼女の噂をあまり耳にしない。
「三ヶ月続いたの見たことねえ。……一応フォローすると、彼女いる間は他の女子に声掛けたりしなくなる」
つまり、今はいないようだ。わかりやすい生態系である。
と、それまで黙っていた住吉さんが、ぽつっと呟いた。
「……いつの時代も、似たような奴はいるもんだ。なあ、うさぎ」
うさぎ、と言われて、麻木先生が目を逸らした。
「何のことっすかね」
「言っていいのか。とっかえひっかえ、いつも違う娘連れてたろう、お前も」
くくくっと喉を鳴らして笑う声に、麻木先生の表情が一気に苦くなる。
「住吉さん、ウサギ先生の学生時代知ってるの?」
「知ってるさ。ずっと用務員やってるからな」
「それで『由理子か万理子か』って聞いてきたのか!」
赤城が、以前の会話を思い出してあっと声を上げた。なんと麻木先生、赤城母、真青母姉妹のどちらも元カノだったらしい。羨ましい。じゃなかった、なんてふしだらな。
「昔の話だよ、若気の至りって奴!ほれ、用が済んだら戸締りして解散!」
学生たちの生暖かい視線を浴びて、元祖女たらしは手を叩いて話を終わらせた。
「ほんで、今は?」
不満を漏らしながらも、言われた通りに片付け始める一同の中で、海鳥が特攻した。
「教えるわけねえだろ」
なおも大人の余裕を口元に浮かべて躱されたが、
「結婚はしてへんのよな?」
「おう、つるりんが言ってた」
「鶴崎先生が言うなら間違いないね」
「彼女の話は?」
「今度訊いとく」
「お前らなあ」
ひそひそと、お構いなしに噂を共有する若者どもだった。住吉さんが、面白そうに肩を揺らしていた。