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プロローグその1・最強のドM

 満月が、ゆっくりと空を昇っていた。見上げるとそれは光さす穴のようにも見え、地上の生き物は深い井戸の底にいるかのような錯覚に陥る。

 世界に一つだけある大陸、マザー・グランデの北部に広がる山岳地帯は、人里から離れていることもあり、深い闇に覆われていた。

 連なる山脈の中でも一際高いアレキス山の頂からは、夏でも雪が消えることはなく、静かに大陸を見おろしている。


 その世界最高峰よりも少し南に降り、いくらか背の低い山の中。

 山を形成する岩肌が大きくえぐれた洞窟の前で、たき火の音がパチパチと、辺りの静寂に反響していた。揺らめく赤い光に照らされ、木々の影が不気味に揺れる。

 たき火があるからには、それを管理する人間の姿もあった。火にかけられているのは木串に刺した肉の塊。脂がぽたりと地面に染み、香ばしい香りが充満する。

 表面に適度に焼き色が付いたところで、人影は串を手に取った。ためらいなくかじりつく。

「んん、ウマい。やっぱ肉の塊最強」

地面から頭が半分ほど出た小ぶりな岩を椅子代わりに、ひとり言を呟いているのは、まだ若い男だった。

 ラフに切り散らした黒い髪に、白い肌。目元はゴーグルで覆われており、表情はうかがえない。着衣は首までファスナーを閉じた細身の上着と、同じく細身のボトムス。首にはイヤーマフを引っかけている。それらの装備は全て黒で統一されており、上着の肩から手首、ボトムスの腰から足首にかけて白いラインが入っていた。

 奇妙なのはその足元で、そこだけは、ネコ科の動物の足を模した白いスリッパのようなものを履いている。

 そしてもう一つ。

 上着の胸元と背中に、白い刺繍で文字が入っていた。

『宝石学園帰宅部』

 険しい山の中には似つかわしくない珍妙な格好の男は、ギザギザの歯でむしるように肉に食らいつき、口元の脂を親指で拭った。

「残りは熟成肉にしていろいろと加工するか……。ローストビーフ……ローストドラゴン?ドラゴンの肉って何て言うんだ?」

青年の後ろには、ずんぐりとした大岩――いや、岩のようなごつごつとした皮膚を持つドラゴンが、息絶え横たわっていた。肩のあたりの肉が、鋭利な刃物で切り取られている。

 肉を手に持ったまま考え込んでいた青年が、恐らくドラゴンの肉などという単語はないだろうという結論に至ったところで、

「ん?」

ふと、顔を上げた。瞬間、ゴーグルの目の前で火花が弾けた。が、あと数センチというところで透明な壁に阻まれて火花が霧散する。何事もなかったかのように、青年はドラゴンの串焼きを三度かじる。

「……角煮もいいな」

「無視すんな!」

明らかに存在に気付いているのに、なおも食事を続ける青年に業を煮やし、茂みから男が飛び出してきた。片刃の大剣を勢いよく降りあげ突っこんできた相手に、ゴーグルの青年は少しだけ口元を歪めてぼそりと言う。

「火元から目を逸らすと危ないぞ」

そしてたき火の中から薪を一本掴み、ぞんざいに相手に放り投げた。

「うわぁっ?!」

眼前に迫って来た炎を、本能的に備わっている恐怖への反射で回避した男は、勢いをなくして仰け反る。

「んがっ?!」

体勢を立てなおす前に、ふざけた猫足スリッパが男の顔面を蹴りつけ、男は背中を地面に強かに叩きつけた。瞬きする間もなく、木串の切っ先が男の目に突きつけられ、ゴーグルの青年がギザギザの歯を見せて笑う。

「食べ終わるまで待っててくれたら、一勝負してやってもよかったんだけどなァ。行儀の悪い奴ァ嫌いだよ」

「ナメやがって!」

気丈に睨みつけ悪態をつく男に、青年はぽつりと言う。

「ドラゴンの串焼きSランク、空腹五十パーセント回復に、ATK+20、INT+20、持続時間三十分なんて、大盤振る舞いだと思わない?」

逆光から突然問われ、男は一瞬ぽかんとしてから、言葉の意味を理解すると同時に顔が青ざめていく。

「問題です。俺の攻撃力は今いくつでしょう?」

木串を月にかざす青年。

配置キャスト、サイバンチョウ」

ブン、と鈍い音と共に、木串は小ぶりな槌に変わった。

「判決、被告人を死に戻りの刑に処すー」

気の抜けた声の後、カン、と乾いた音が森に響きわたると、男の体は光となって空に消えた。男が倒れていた地面には、代わりに銀色のコインの入った袋が落ちている。

「少ない……」

袋をつまみ上げ、ぼそりと愚痴をこぼす。それから、少し離れた茂みに声をかけた。

「あんたたちも、串焼き食べる?」

すると、茂みから顔を出したのは、淡い水色の髪の少年だった。

「敵に塩を送るつもり?」

「味付けは塩胡椒だなァ」

緊張感のない声に、少年が口を尖らせて睨みつける。

「そっちの奴は?こんなモンスターだらけの森で、索敵イーグルも使わずに男の料理作ってるとでも思った?」

さらに別の茂みに視線を向けると、

「はぁーあ。おい、やめようぜ、×くろす×に喧嘩売るのなんか」

がさがさと音を立て、今度は背の高い青年が現れた。金髪を短く刈り、プレートアーマーに身を包んだ身体は逞しい。青年に言われ、少年も茂みから出てきた。

「むー」

小柄な体躯に濃い青色のローブを着ており、身の丈ほどもある大きな杖を、すぐに使えるように手に携えたまま、唸る。

「俺、タクミ。ああ、アバター名はTKMだけど、タクミって読んでくれ」

金髪の青年が名乗り差し出した右手を、ゴーグルの青年は握り返した。

「どうも。知ってるみたいだけど、×くろす×です。対人仕掛けに来たんじゃなかったんだ?」

「そのつもりだったけど、やめた」

タクミは爽やかに笑い、首を振った。

「つーか、なんださっきの変な武器」

「サイバンチョウのこと?ただの小さい木槌だよ。ほら、裁判の時に叩く奴」

正式名称はガベルというのだが、くろすは知る由もない。

「お前もむすっとしてねえで名乗れ」

タクミに促され、少年がぼそりと答える。

「……マサオ……」

「まあ座りなよ。特別に椅子も出してやろう。キャスト、キャンピングチェア。二つ」

なはは、と笑ったくろすが指を弾くと、木を交差させ座面に布を張った小さな椅子が二脚、たき火を囲むように現れた。どうも、とタクミが礼を言って座り、マサオも渋々といった様子で腰かける。

「×くろす×は夜な夜な珍しいモンスター狩っては料理してるって、本当だったんだなあ」

「そんな噂になってんの?」

くろすは削いできた肉を新しい木串に手際よく刺し、火にかける。赤く照らされる肉の塊を見ながら、

「面倒くさいなァ、料理くらいゆっくりさせてくれよ」

くろすはやれやれとため息をつき、首を振った。

「仕方ねえだろ、アンタ、今一番有名なプレイヤーなんだから」

「そんなつもりはなかったんだけどなァ。ウヴァロ王国杯の優勝賞品が王宮秘伝のレシピじゃなけりゃ、大会にも出てなかったし」

「……マジで料理のためにやってんだな?」

「半分くらいはねー。だってさァ、料理の手順と味は現実世界とほぼ同じ、そのくせいくらでも食べられる、太らない、材料費も掛からないって最高じゃん」

ギザギサの歯を見せて笑ったくろすに、タクミは呆れた。


 そう、彼らがいるのは現実世界ではない。


 近年、特殊な機材を装着して仮想現実を見せる技術を流用したコンピューターゲームが、一般に流通しはじめた。

 今までにない臨場感を持ったゲームは瞬く間に広まり、今までコンピューターゲームに興味を示さなかった層も取り込みつつ、規模を拡大していた。

 中でも、そのクオリティの高さで一際話題になったゲームが、『トレジャーストーンオンライン』。通称『とーすと』という、多人数同時接続型のオンラインRPGだった。

 彼らが今いるのは、トレジャーストーンの中というわけだ。

 「そうだ。マサオくんマシュマロ食べない?」

不意に、くろすが訊ねた。

「マシュマロ?」

押し黙ってくろすを睨みつけていたマサオが、怪訝そうに眉をひそめた。

「キャンプと言えば焼きマシュマロでしょ」

「なんだそれ、美味そう」

タクミが代わりに反応した。

「肉と違ってすぐできるよ。フンフンフーン」

くろすは鼻歌を口ずさみながら、アイテムインベントリからキャストしたマシュマロを、木串に刺して軽く炙る。焦げる直前に火から離し、まだ警戒心を持っているマサオの前に、タクミに渡した。

「いただきまーす。……ん?!美味え!」

口に入れるなり、目を見開いたタクミは、ぱあっと明るい顔でくろすを見た。

「おいマサオ、意地張ってると損するぞ」

「食べなよ。別に、金なんか要求しないから」

「あ、ありがと……」

タクミに促され、マサオは渋々くろすの手から焼きマシュマロ串を受け取る。吹いて冷ましてから、小さい口におそるおそる放り込んだ。

 そして、

「!」

目を見ひらいた。隣で、タクミがニヤニヤと笑っている。

「おいしい!」

「ふっふっふ、旅する料理人くろす様のSランク料理スキルは、伊達じゃないっしょ」

腕を組み、ふんぞり返るくろすは、ギザギザの歯を見せて誇らしげに笑った。

「肉も焼けたよ。とれたてのアレキスドラゴンの肉だよー」

美味しいと言われたのがよほど嬉しかったのか、くろすは上機嫌で二人に肉を渡す。

「超美味え!」

さっそくかじりついたタクミが、悲鳴にも似た声で幸せを噛みしめた。

「さて、残りは解体するか」

相棒の尋常ではない食いつきっぷりと、鼻先に漂う香ばしい匂いに耐えきれず、マサオも肉を一口かじる。そして、再び頭上に『!』マークを掲げながらまふまふと無言でかじり始めた。

 くろすはその様子を優しげな微笑みで見たあと、背後の巨竜を肉にすべく、大きな肉切り包丁を装備した。

「アレキスドラゴンって、ボスだよな……。アンタ、ソロで倒したのかよ」

「俺、基本ソロだから。キャスト、解体」

肉切り包丁を掲げスキルを発動した瞬間、刃先から出た赤い光が、ドラゴンの身体に縦横に駆けた。ドラゴンは一瞬でバラバラになり、光る球となってアイテムインベントリに収納されていく。

「肉の他に、皮、角、爪、骨、血。大漁大漁」

各地のボスドラゴンから採れる報酬アイテムは、個別の特殊装備にできるため、人気が高い。

「解体スキル初めて見た」

思わず拍手するタクミ。

「皆、解体屋使うからなァ。確率でダメになるアイテム出てくるし、全部Cランクになるじゃん。俺アレ嫌なんだよ。……おっ」

世の中の流行りを嘆いていたくろすが、アイテムインベントリを見て何かに気付いた。

「ラッキー、石も出た」

取り出して見せたのは、透きとおった青い玉。

「石?何の石?!」

マシュマロと肉ですっかり懐柔されたマサオの前にかざしてやる。

「DEF+50に、咆哮ライオン硬化アルマジロ。タンク用だな」

物理防御力大上昇と、雄叫びをあげ敵を引きつけるアクティブスキルに、ダメージを受けると物理防御力を割合上昇させるスキル。しかしくろすは、俺にゃ必要ないやー、と興味なさげに再びアイテムインベントリに放りこんだ。それを見ていたタクミが、口を開く。

「アンタ、自称旅する料理人なんだっけ」

「そうだけど」

「他の奴がなんて言ってるか、知ってるか」

「何?知らない」

暢気に首をかしげたくろすに、タクミの言葉を引き継いだマサオが、ぽつりと言う。

「『最強のドM』だよ……」

瞬間、辺りがしん、と静まりかえった。そして、

「何それひどっ!」

くろすは、ひどく心外な様子で叫んだ。

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