春の目覚め(中)
15畳ほどのマンションの一室。大きなベッドの端に腰かけた坊主頭の男と、目の前に立ち尽くす一人の少女。着ている制服は、この地域では進学校として認識されている普通高校のものだ。少し長めの髪を黒いゴムで束ねているその出で立ちは、まじめで地味な印象を見た者に与える。周囲の子よりも成長した胸がその地味な印象を打ち消し、男の欲望を刺激する。
男達の反応とは対照的に、小さな唇をきゅっと噛み、恐怖に身を震わせながら俯くその表情は、この状況を楽しんではいないことは明らかだ。
「美樹ちゃんよ、そろそろ答えをもらっていいかい? そこの彼氏がウチの者にちょっかいかけてこの不始末だ。その彼女のアンタがかわりに体を差し出すんだろ? 彼氏も了解してるんだぜ? あとはアンタ次第で彼氏は無罪放免だ。駄目ならここでアンタと彼氏はバイバイ。だ」
バイバイと言いながら、太い腕を動かして首を斬るしぐさをすると、その凶相と相まって独特の威圧感が生まれる。それを感じた少女は息を飲み、小さな体をさらに縮こまらせる。
傍らに立つようやく少年、呼ばれる年を脱したかどうかというところであろう、若い男が目に入る。最近よく遊ぶグループが変わり、合わせるように髪を脱色した彼は生贄となるべく呼ばれた少女を呼び出す餌だ。正気を保っていないのか、焦点のあわない瞳を天井にむけて、この場のやりとりは聞こえていないように見える。
「か、彼と……ヒロ君とお話しできないんですか……?」
震える声をどうにか絞り出すが、男はゆっくりと首を横に振る。その際太い肩とそれに刻まれるタトゥーを見せるように体をずらしながら。慌てて視線を下げる少女の姿に下卑た笑いがこみ上げてくる。
「終わったら、な。終わったらいくらでも話せるようにしてやるよ。もっとも……」
上半身を少女のほうへ乗り出し、顔を近づけると耳元で低い声で囁く。
「俺達の気が変わっちまったらそこまでだがな……アンタにはそれほど時間がねぇんだぜ?」
気がつけば、ずいぶんと時間が経っていた。籠ったような臭気が立ち込める室内には西日が差し、殺風景な室内を橙色に染め上げていた。
「おい、ちゃんと撮れてるか? 彼氏君に術かけなおしも頼むわ」自分の上で荒く弾む息づかいと声を、遠い世界のことのように聞きながら、ベッド脇に尚も茫洋とした顔で佇む恋人である少年はぼやけて見えた。
いつの世も、社会の枠から外れた無法者が程度の差こそあれ存在する。この平和を謳歌している日本の社会にも、様々な悪事を働く者がいて、そのうちの幾人かは無法者と称して差し支えない者がいる。
加藤鷹雄もそんなアウトローの一人と呼んで差し支えない人物だ。見た目もやっていることも法が制している事柄を易々と逸脱し、弱者を食い物にして享楽的に暮らしていた。
自身はアウトロー集団「スピリットモンキー」を組織し、非合法な薬の密売や売春の斡旋、更には殺しの請負までと手広く活動している。先に登場した少女とのやり取りも日常的に行われていて、本人たちはちょっとしたお遊びだと思っているのだ。
警察にはマークされることはあっても不思議と尻尾を見せることはなく、その活発な活動とは裏腹に組織の実態をつかむことすら困難であった。目撃者がいつのまにか事件の内容を殆ど忘却していたり、通報中に意識を失うなど不可解な現象がたびたび起きる。
このスピリットモンキーなる集団、実は日本を中心に暗躍する、とある犯罪組織を母体に設立されている。元の組織自体は、幸次による何度かの小競り合い(もっとも幸次の相手をするのは、この組織にとっては小競り合いという半端なものではなかった)により弱体化されている。弱体化により、上の締め付けが緩まるとともに、加藤鷹雄とその数人の部下は魔術知識を持って自身の組織を立ち上げたというわけである。
組織の目的は概ね刹那的な快楽を得るための資金集めと、この組織を維持するために必要な「魔力」を効率良く得るための「場」と「物品」探しだ。そう、彼はこの世界では数少ない魔術の使い手なのであった。
そして彼らは見つけた。
「おう、目ぇ覚めたか」
幸太の目の前に、スニーカーが見える。全身縛れているため、もぞもぞと体を動かし見上げると、迷彩柄のカーゴパンツ。さらに目を上げるとこの寒い時期に半袖でむき出しの腕にはタトゥ、そして坊主頭のいかつい男がしゃがみこんで幸太を見下ろしていた。全身で「アウトローです」と主張している容貌だ。
そして、タトゥーの一部。最近父から叩き込まれている魔術式に酷似していることに気が付き、目の前のならず者の正体とまではいかなくともどのような素性かを察して、ため息が出る。念のために父から教わっている技術で魔力を探ると、目の前の男からも微弱な魔力が放射されていることにも気がついた。なるほど、となんとなくどういうつながりで自分がこんな目に遭っているのかわかるというものだ。
工場のように見える。近くには、事務所の入り口だろうドア。今はもう使わない工場なのだろう。ラインが設置されていた後と思しき設備が見えるここは静寂が支配している。が、かすかに聞こえる女性の声。悲鳴にも笑い声にも泣き声にも聞こえ、事務所で何が起こっているか想像した幸太は僅かに顔を顰めた。
それでも表面上は平静を保つよう、深呼吸をひとつ。
「あぁ……うん、縛られるってあんまり楽しくないね。こんなことまでして、何の用かな?」
いまひとつ緊張感のない様子に、加藤も些か面食らう。全身を縛られて、何もできない状態で転がされてこれだけ落ち着いているとは。虚勢か。何かこの自信の元になる何かがあるのか。やはりこの男、あの女の家族だけあって何かあるのか、上の連中はビビッて手を出せなくなっていたようだが……この魔力、「お守り」とかいうお宝を持っているに違いない……その割には魔術はあっさり効いたようだが。
実のところ、幸太場慣れしているわけでもなければ特段胆力が大きいわけでもない。魔術も意識していれば、術式に介入して攪乱・無効化させることはできるだろうが、今回は気が緩みきっていたのである。幸太も若い男だ。メイドさんにうっかり見とれるのも仕方のないところである。
「なに、アンタのところの姉ちゃん? だか、妹? なんだっけか、ウチの者をあっさりぶっ殺してくれた金髪の女。アンタ、身内だろ?」
「アンタ、いい魔力の匂いさせてるじゃねぇか。なに、そいつを俺らに分けてくれれば全部忘れてやる」
しゃがみ込んで、幸太の顔を覗き込むように低い声で話すそれは、相手を威圧するために計算されたものなのであろう。中々の迫力である。
「よこさねぇってんなら……」
ぐいっと、襟元を掴まれ、数センチまで顔を近づけ、「わかってんな?」と凄まれる。
ちょっと臭いな。と思いつつ、この言葉で幸太は概ね自分が拉致された理由は理解できた気になった。姉だか妹だかは美衣ではなく、父の幸次だろう。目的は、父から受け取った魔力の宝玉だ。この宝玉の放つ魔力をこいつは感知している、というわけだ。まだ母のように最終的な同化はしていないが、だいぶ体になじみ始めているそれは、最終術式待ちなのだ。まだ同化していないのは前例が前例だからである。
……性別が反転するかもしれない、なんてね。
父は大分馴染んでしまっている(というよりはあまり気なしていない)が、幸太はさすがにそうはいかない。男でいい。男がいい。出来れば来世も男として生まれたいと思っているくらいなのである。女性はやっぱりその、そこはかとなく生きにくそうだ。いろいろ面倒だと聞くし。父などは「これはこれでいいもんだよ。うん」などと宣う気がする。母のようにかっこいいのならいいけど、父のようにかわいい感じになるのはちょっと勘弁である。トイレや風呂場や下着売り場で大騒ぎしてしまうのだ。想像しただけで精神力が削られそうだ。うん、いかん、3姉妹とか見られるのは断じてイカン。道を美衣と歩けば近所のおばさんにきっとこう言われてしまうのだ。「あらー、美衣ちゃんこの子は?」「あ、妹なんですー」
誰が妹だ。どっちかといえば姉だろ。あ、いや、違う。
それはそれとして、問題は転がされた自分と目の前の男だ。
どうしよう?




