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暖かい、鍋

ちょっとシリアス風味。

 カチカチ……マウスのクリック音が響く室内。夕食後、書斎にこもった幸次は、現在コレクションとのお別れ作業中である。

「あぁっっ! この子、かわいかったよなぁ……もっとも、今は何も感じないのが残念だけど。幸太にzipで送ってやろうかな……駄目か。駄目だよな」


 異世界帰りにして、絶世の美少女、最強の聖女にして、悪食、魔法少女芸の達人にして、魔道家政婦であるところのディアーナ・ローゼ、この世界では佐藤幸次という2児の父。

PC(パソコン)で肌色多めの画像を食い入るように見るその姿は、10人中8人は、「すげぇかわいいけど、駄目」という感想を抱くであろう。


カチカチ……カチカチッ


「……ん?」

 何かに気が付いたように、その手を止める。その身長にしては自身の豊満な胸元を覗き込む。モニターに映る胸と比べているのであろうか。否。


 胸元……右の乳房の上の辺りが淡く緑に光っている。家族には決して見せないであろう、怯えた目でそれを見る。


「この世界に来たら、どうなるかと思ったけど……やっぱり発動する」


 それは、隷属の術式。自分の心と体を縛る屈辱の術。発動してしまうと、自我が薄くなり、契約者のいいなりになる世界を救う私への呪い。躰が震える。家族にこうなる自分を見られるのかと思うと、吐き気がする。悔しさで涙がこぼれる。

 幸次は頭を振ると、自身を落ち着かせるように震える体から息を吐く。


「対抗術式が発動するまで、やっぱり2日くらい……かな」


パソコンをシャットダウンし、便箋を取り出す。




 深夜、幸次の妻、美穂が寝室に着いたとき、室内の違和感に首を傾げつつ、夫――いまは少女になってしまったが――いつも先に入っているベッドにいないことに気が付いた。いつも幸次を起こさないように電気を消したままベッドに入るのだが、幸次のぬくもりが感じられないのだ。美穂は冷えたベッドから離れて夫の名前を呼ぶ。


「幸次?」


 電気が消えた室内。胸騒ぎを覚えつつ、壁のスイッチを手探りで入れる。


「っ!?」


 幸次がベッドに腰かけ、こちらを見ていた。いつもと同じ深緑の瞳だが……光がない。いつも自分と家族を暖かく包み込むように見ていた目は、瞳の色は変わっても、その光は変わらなかったのだ。


「幸次? 幸次!?」


 無表情で自分を見つめる幸次は、まるで人形のように無表情で何も返してくれないように見えた。


「どうしたの?大丈夫なの?幸次、返事して!」


 肩を掴み、揺すろうとしたとき……幸次が持っている便箋に気が付いた。

ゆっくりと便箋に手を伸ばす。「これが言いたいこと? 伝えたいこと?よね……」


美穂は、涙が出てくる霞んだ目で、手紙を読み始めた……




 読み終わったときの美穂は、怒り・悲しみ・悔しさ、それらが綯交ないまぜになった抑えきれない思いで体を震わせていた。


 この人から家族を奪って、幸せを奪って、尊厳を奪って、魂まで削れていった。その間私たちは何も知らずに暮らし、お葬式まで出してた。ようやく良人が戻ってきてもまだ彼を凌辱し続ける向こうの人間への恨み。彼への悲しみ。自分たちは何もできない歯痒さ。


・この身は呪いを受けている。術を掛けた人間……向こうの世界に自分を呼んだ人間が掛けた呪いだ。

・呪いが発動している間は、自分は自我の殆どを失い、術者のいいなりになること。

・この身は既に穢されていること。

・自身で仕かけている対抗術で発動を防いでいるが、術の効果が切れると2日待たないと再発動しない。


 要約すると、手紙に書かれていることは、以上のような内容だ。だが……

 彼らは何の権利で、夫を傷つけたのか。執拗に夫を傷つけるのは何故なのか。


美穂は結局幸次に寄り添うように座ったまま、朝までそのことを考えていた。




「おはよう、かあ……さん」

「おはよー、おかあ……さん?」


 翌朝、リビングに降りてきた幸太と美衣は、目の下に隈を作った美穂を見て絶句した。


「どうしたのっ! かあさん」


 美穂は、一晩で10も年を取ったかのような、ひどい有様をしていた。髪も頬も目も。全てが年を感じさせない美貌を誇っていたのだ。それが今や見る影もない。


「二人共、これを……」


 美穂は手紙を二人に見せる。正気を保っていた幸次からの手紙だ。

 二人は手紙に目を走らせいてたが……その目に怒りと悲しみと……涙が浮かぶ。


「これって……」

 美衣が震えながら呟く。

「生き地獄。よね」


「父さんはさ」

「向いてないんだよ、世界をどうこうするとか。それをするには優しいもの。いつだって家族には甘々で、ぐーたらするのが好きで酔っぱらって上機嫌でさ」

震える声で幸太が、

「そんな父さんに、こんなことをさせた、こんな思いをさせた向こうの奴ら、許せないね」

「それなのに、僕たちは手も足も出ないんだ。悔しい、悔しいよ」


早春の晴れた日、そのリビングに嗚咽と慟哭が満ちた。




「お、今日の晩飯はトマト鍋か」

 トマト鍋は、佐藤家ではポピュラーな鍋料理だ。トマトベースのスープに、ニンニク、唐辛子、オリーブオイルを入れ、好きな具を入れて食す。シメにマカロニやクスクスなどのパスタを入れてみたり、米を入れてリゾットにするのがお楽しみだ。


2日後、幸次がリビングに降りてきた。


「! お父さん! もう平気なの?」

 今にも泣きだしそうな顔で、美衣が駆け寄る。


「む、まあ、寝てるようなものだからな。平気だ。すまん、心配かけた」

 美衣の頭を撫でながら、美穂に目をやる。


「こ、幸次、あのね」


 幸次が高校に入ったときには、美穂はまだ小学6年だった。このころから、大人びていた彼女は、いつもえらい年上の幸次についていて、いつもいつまでも一緒なのが当たり前の存在になっていた。


「うん」


「私も子供たちも……支えるから、さ」

「どうか、呪いに負けないで、ね」


「ん」


 まったく、この家族は……どんな治癒術でもこんなに救われる思いをするとは思わなかった。暖か家族だなぁと幸次は思う。


と、自身の涙を誤魔化すように、頭を振り……


「ん、肉が煮えすぎるのだが、これは俺が救出してしまっていのかな?」


「え、お父さん、それ、私が育ててたの! ちょっと!」


「む、もうおほひな、はやひまのがひは」


 はっふはっふと5年前より、いささか小さい口を動かしながら、肉を頬張る幸次を見ながら、美穂は思う。


――どんなにあなたが変わろうと、どんなに在り様が変質しようと、貴方は貴方なのだわ……帰ってくるところはここなんだ。


「幸次! ちょっと野菜食べなさいよ!」


と、幸次が嫌いなネギを大量に取り皿によそう。


「あ、ちょっと! ネギはいいから! ネギは!」




 早春のまだ冷える夜の、そのリビングに笑い声と暖かさが満ちた。

えーっと、私的にはシリアス回だったんですが、いかがでしたでしょうか。

なんか、行間にもっと書くことあったんじゃないかと、思うのですが。


※ 2014.4.27 ルビを振りました。

※ 2014.4.26 誤字修正、加筆しました。

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