王子の狂気
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「余の妃となる筈だった姫だ。亡骸は余が引き取る」
憔悴しきった王子は使者にそう伝えた。誰も異論を唱える者は居ない。
この王国に墓を設け、愛しき姫の思い出に浸るつもりなのだろう。王を始め皆が思った。
しかし王子は、アズウェルの使者の「では王子、後日アズウェルから姫の御遺体をこちらに……」と云う申し出にこう答えた。
「いや、余の妃だ、余が迎えに行く。余がこのヴェロアまで連れて帰る」
護衛の兵士の数は五十名。
亡骸の護衛には多過ぎやせぬか?と父王の言葉に
「亡骸と云えども大切な姫。道中何か在ってはアズウェルの王と王妃に顔向け出来ません」
幽鬼のように青ざめ、目の焦点も合って居ない王子。その声も消え入りそうに震えている。
次の日の早朝、まだ朝靄も晴れぬ中を王子と護衛の兵士がアズウェルに出発した。
その顔は、昨夜とは違い血の気が戻って居る、しかし、それは新たな野望に燃えているせいだと誰が思ったろう?
王子が選んだ兵士は、竜討伐の軍隊から更に選りすぐった者達ばかり。
「王子は姫の亡骸に竜の血を飲ませる気なのだ……」
兵士の一人が呟く。
「アズウェルから姫のご遺体を引き取った後、そのまま竜の居場所へ向かうつもりなのだ」
別の兵士が呟く。
竜など本当に居る筈が無いと高を括っていたからこそ王子の酔狂に付き合っていたと云うのに、この騒ぎだ。
兵士の中には道中こっそり逃げだそうと思案している者が数名居た。
だが、兵士たるもの茶番だろうが酔狂だろうが主の命令に従うべき。と腹を括るものも少なくなかった。
アズウェルへ着くまでは全員居た兵士もその帰り道では半分に減った。
竜に怖じ気づいた者
そして王子の狂気に怖じ気づいた者。
王子はと云うと、馬車の上で姫君の亡骸の漆黒の髪を虚ろな目をして撫でているだけだった。