死せる姫君の復活
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剣を抜くと竜の血が止めどなく流れた。さながらそれは紅い水の流れる滝。
見る間に辺りは深紅の池と化した。
静寂。そして血の流れる音。
王子は勢いよくほとばしる竜の血を両の手で受け、姫君のもとへ運ぼうとしたが、上手く行かない。
何故、この時の為に杯や器を用意して置かなかったのだろう?
王子は己れの唯一の失態に苦笑する。
やおら、傷口から溢れる血を口に含むと、そのまま姫君の元へ向かった。
口移しで血を飲ませるのもまた、上手くは行かない。
相手は死んでいるのだから。
色を失った唇をこじ開けて流しこんでも溢れてしまう。
死して尚美しき姫君の口許は真っ赤に染まった。
それは王子も同じだっだが、自分の姿など気にしてはいられない。
何度も何度も、雛鳥に餌を与える親鳥のように竜の血を運んだ。
何度目だったろう?姫君の喉元が幽かに動くのを見た。竜の血を飲み下したように。口から溢れる竜の血にむせているように。
王子は、姫君飲ませる為に自分の口に含んでいた竜の血を、喜びと驚きのあまり飲み込んでしまった。
そして姫君がゆっくりと目を開けるのを見た。
「姫、サヴラ姫! 余の事が解るか?」
王子がそう呼び掛けると、姫は一瞬、嬉しいような悲しいような、幽かな笑みを見せたが
身体の中から妙な物音をさせた。
それは、骨が折れるような。肉が裂けるような。
「姫?」
姫の身体が奇妙にねじ曲がる。
肋骨が突き出て背骨が歪む。
唇が裂け、顎が裂け、鋭い牙が剥き出しになる。
王子は恐ろしくなり、後ずさった。
「……てください」
姫……だったモノ《・・》が何かを言った。
「こ……殺して……ください……私を……早く!」
王子は、泣きながら頭を振る。
愛する者の変貌。だが、残酷なる一縷の望みが、その醜くなり果てた者を殺める事を躊躇う。
同時に、取り返しのつかぬ事をしてしまったと云う激しい後悔。
大陸一の美姫と謳われたアズウェル第三王女サヴラの、これが成れの果て。
もはや人間では無い。その姿は歪んだ手足の生える醜い蛇。
あの美しき顏は、柳の枝の様なしなやかな身体は、象牙の様な肌は、何一つ残っていない。
「殺してください! 早く!」
それでも必死にサヴラ姫は嘆願した。もう声さえも彼女の面影は無い。 暗黒の混沌から湧き出でた邪悪なる怪物の咆哮だ。
しかし、王子は彼女を手に掛ける事が出来ない。
愛ゆえに、否、恐ろしさのあまり。
自分の愚かさのあまり。
異形の姫が手……否、前足と云うべきか……を振り挙げた刹那、王子の視界は朱に染まった。




