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マウス・トゥ・マウス

 気が付くと俺は部屋にいた。無論、自分の部屋ではなかった。じゃあ誰の部屋かと思ったが、見たことのない部屋だったので、誰のものかもわからなかった。作り的にはリビングだろうか。キッチンも付いているいい部屋だ。多分俺の部屋よりも大きい。とりあえず体を起こしてここがどこだかを確認しなくてはと、俺にしては随分と冷静な対処をしようとしたが、それはできなかった。

 縛られていた。

 全身を。

 ぐるぐる巻きだ。

 一瞬意味がわからなかったが、しかしすぐに俺はあることに思い至った。思い至るというよりは気づいたのだ。俺の全身を縛っているものが人の髪であることに。

 大量の、人の髪である。

「お目覚めかのう。海藤よ」

 声がした。知らない誰かの声だ。体が動かせないのでその方向に首を曲げて見ると、そこには女がいた。白い着物、それと同じくらい白い肌、そして何より八重樫の比ではない大量の長い髪の毛を持った女がそこにいた。

「全くちょっと瞬間移動した程度で気を失うとは、人間はつくづく脆い生き物だのう。貴様もそうは思わんか?」

 女は俺に語りかける。昨日今日とずっと八重樫と会話していたからか、他の誰かの声はとても新鮮で、きちんと抑揚のある語調は違和感さえも覚えた。しかし、どうしてか女からは生気のようなものが感じられない。八重樫の機械的な語調の方がまだ生き生きとしていると思う程だ。彼女の白い着物がよく見ると死に装束だからだろうか。もしくは彼女のあまりに多く長い髪が俺を縛っている髪と繋がっているからだろうか。

 やっぱり、この女は物ノ怪だ。俺を襲撃した、あの黒の物ノ怪だ。

「くふふふ」

 女は小さく口を開けて笑った。

「そう怯えるでない。貴様を取って食うつもりなどあらんよ」

「何言ってやがる。俺の部屋を襲撃したのは他でもないお前だろう。お前の髪には見覚えがある」

「ふむ。確かに私は貴様の部屋に行ったが、それを襲撃と呼ばんでくれ。見解の相違だよ。私はむしろ貴様を助けてやったというのに」

「助けた? ふざけんな。誰が俺の部屋の扉をぶち壊したと思っている」

「それはあの小娘だろう。やえなんとかとか言った」

 そうでした。

「で、でも! そもそもお前が俺の部屋に来なければ……」

「だから、勘違いするなと言うておる。そもそも私はあの小娘が貴様の部屋に来なければあんなことをするつもりはなかったのだ」

 あの小娘はまるで私が貴様に害を成そうかと思っているように言っていたがのう。と、物ノ怪は続けた。

「どういうことだよ、さっぱり話が見えてこないぞ」

「その辺についてはもっと詳しく説明するつもりだよ。私の誤解も解いておきたいしのう。しかし……その前に一つ貴様に聞いておきたいことがあるのだ」

 物ノ怪は俺の目の前に腰を下ろした。そして、俺の顔を覗き込むようにして言った。

「貴様は何故あの小娘のことを信じておるのだ?」

 どうしてだか、その時俺の全身から嫌な汗が噴き出した。

「あれは貴様のことをストーカーしていた女だぞ? それなのにどうして奴の言葉を信じる。奴の言葉が全て真実で虚言などではないという証拠でもあるのか?」

「そ、それは……」

「どうしてあの女に身を任せるのだ。身というか、この場合は命かのう。あのどこの誰かもわからぬ小娘に命を預けていてよいのか? それでなんとかなると、本当に思っているのか?」

「…………」

「そもそも早計すぎやしないかのう。私が悪で、小娘が正義だと何故わかる。何故、あの小娘が自分の味方だと断言できる。まあ私のような人外の存在ではなく、同じ人間を信じたくなる気持ちはわからんでもないが、しかしあの小娘とてただの人間ではあるまい。ただの人間がこの私を撃退しうるはずがない。貴様はあの小娘の力がどういったものかも知らんのだろう。言うなれば、貴様は今それが何かもわからずに武器を振り回している状態だ。その手にしたモノが自分を傷つける可能性も考えずにのう」

 物ノ怪はまくしたてる。最もな意見に俺は反論することができない。

 俺は一体どうして八重樫のことを信じていたんだ?

 俺は一体、あいつの何を……。

「お、お前の目的はなんだ」

 悔し紛れに俺は物ノ怪に質問をぶつけた。こちらは問われるばかりでなく、少しでも形勢を五分に持っていきたかった。すると物ノ怪は特に躊躇うこともなく答えた。

「私の目的は海藤。貴様だよ」

 言いながら、物ノ怪の手が俺に伸びてくる。

「私は貴様に惚れている。私のモノになれ、海藤」

 彼女の唇が俺のものと重なった。


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