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回想・泡沫海藤

 泡沫海藤には父親がいない。

 死んでしまったとか、そういうことではなく本当にいないのだ。見たこともない。

 そりゃあ俺も人間だし、生物学的な意味での父親というのはいることにはいるのだろう。でも、俺はその人物に会ったことがない。名前も知らない。

 母は結局最後まで、頑なに俺の父親について語ろうとはしなかったのだ。

 母が俺を生んだのは高校三年の夏。丁度今くらいのじめじめとした季節だった。地元を離れ私立の高校に通っていた母は俺が生まれるおよそ二か月前にそのお腹を大きく膨らませて田舎(今の俺の実家に)へと帰ってきた。

 その時の地元の騒ぎ様といったらなかったらしい。何せ村の中に知らない顔はいないほどの田舎である。真面目で成績のよかった村娘が突然子供を作って帰ってきたのだから、それはもう大騒ぎだったそうだ。

 しかも誰の子か分からない。

 いや、多分母は知っていたように思う。あの人だけは俺が誰の子なのかを知っていた。だけどそれをあの人は決して語らなかった。実の妹にさえ話さなかったのだ。今に至るまで母は何も語っていないので、これは俺の推測でしかないのだが……あの人は庇っていたのかもしれない。俺の父と呼べる人を。理由は定かではないし、そもそも母がその男に捨てられたのか自分から捨てたのかもわからないが。でも、なんにせよ母は俺の父を悪者にはしたくなかったのだろう。子供を捨てた不名誉を着せたくなかったのだろう。

 そうして押し黙った母に対して、周囲からの風当たりが強くないわけがなかった。相当苦労したらしい。俺が生まれてからの母はとても必死だったそうだ。

 だけど俺は母の苦労も必死さも知らない。俺が物心つく前にあの人は死んでしまったから。

 医者は過労だと言っていた。体中、ボロボロだったらしい。まだまだ若いはずの体はもうあちこちガタが来ていて、生きているのが痛々しいほどだったようだ。

 生きているのが痛々しい、と言ったのは母の妹、俺の叔母にあたる人物だった。

「あの子は死んだ方がよかったんだ」

 実の妹がそんなことを至極真面目に言えてしまうところを考えると、やはり生前の母は苦労したのだろう。誰のせいというわけでもない。強いて言うなら母の責任だ。もしくは父親。

 その後俺は叔母の手によって育てられる。村からの評判は最悪だった母から生まれた俺ではあるが、しかし村の人たちは俺にも叔母にも随分とよくしてくれた。駄目な母親から子供を押し付けられた妹という肩書きが付いた途端の彼らの手のひらの返しように俺は若干の憤りを覚えずにはいられなかったが、それでも彼らは悪い人ではなかったので、恨むことはできなかった。好意を持って接してきてくれる人たちをどうして恨むことができるのだろう。この人たちが母を殺したのだと、そう思うこともできなかった。

 やっぱり悪いのは母だと思うからだ。

 彼らも彼らで心底母を嫌悪しているわけではないようだった。葬式に来ていた彼らの顔にはしっかりと深い悲しみが現れていた。彼らは嫌悪ではなく、怒りを母にぶつけていたのだろう。駄目な娘にぶつけるような怒りをだ。

 だから彼らは俺には優しくしてくれた。差別することもなく海藤くんは悪くない、気にすることなんてないんだ、そんな風にも言ってくれた。生まれてくる子に罪はないと、まるで呪文のように誰もが口にする。彼らもそう言っていたし、俺もそう思っている。しかし生まれてくる子に罪悪感が芽生えないわけではない。事実、俺は今に至るまで母は俺のせいで死んだのだと思っている。

「――――それじゃあ母さんは俺が殺したようなものじゃないか」

 そんなことを言う度に叔母と口論になった。ここら辺の事情が俺がわざわざ上京してまで都会の高校に通っていることと関係してくるのだが……それは割愛。

 とまぁ、俺の家の事情なんてこんなものだ。若干ドロドロしてはいるものの、しかしこれくらいのドロドロだったら割とどこでも見かける気がする。テレビとかで。

「――泡沫家は陰陽師の家系なのです」

 八重樫は特にもったいぶるわけでもなく言った。

「陰陽師?」

 それに対して俺は首を傾げるしかなかった。

「俺の家が陰陽師だと? どういうことだよそれは。まさか母さんは実はやり手の陰陽師だったとでも言うのかよ」

「いいえ。そのような事実はございません。そういう家系だったというだけであり、今はそんなことは行われていないはずです。泡沫様を取り巻く問題自体、半分終わっていたようなものなのです」

「なんかいまいち掴みづらいな……」

 物ノ怪だとか陰陽師だとか、ただでさえにわかには信じがたい言葉が並んでいるのに、それらの問題は半分終わっていたとまでいうのだ。すでに俺の理解力を超えている。

「申し訳ありません。私の説明が足らないせいでしょう」

「いや、多分単純に俺が馬鹿なだけだと思うよ」

 高校受験の時は死ぬほど頑張ったが、それ以降は割と落ちこぼれている俺だった。もとより勤勉な人間ではない。

 努力をしない努力型とは泡沫海藤のことである。

「それで、俺の家系が陰陽師だったのはいつ頃の話なんだ? 母さんが違うってんだから、少なくとも二世代ほどは前のはずだろう」

「泡沫家が陰陽師の仕事をしていたのは、少なくとも百年以上前のことです。泡沫様が面識のあるご親族、名前くらいは聞いたことのある方々は殆ど陰陽師ではありません。一般人です」

 泡沫家が陰陽師の仕事を始めたのは平安時代の初期からなのです。八重樫の言葉に俺は驚きを隠せない。

「平安時代……? そんな前のことなのか」

「その時代は泡沫という名ではなかったそうです。言うなれば旧泡沫家ですね。そもそも物ノ怪という概念が生まれたのが平安時代のこと、その以前の奈良時代などは人はその存在自体を知りませんでした。そういう意味では物ノ怪が生まれたのも平安時代だと言えなくもないですね」

「ああ、それなら知ってるぞ。噂をするから妖怪は生まれるんだろ? 話す人がいなければ都市伝説は存在しないみたいな感じで」

 なんにせよ鶏が先か卵が先か、ではあるのだろうけど。

「平安以前も全く物ノ怪がいなかったわけではないでしょう。ただ物ノ怪という概念が一般化しだしたのは間違いなく平安のこと。当時の貴族たちはまじないや占い、魔除けなどに熱心になったそうです。そしてそんな貴族に仕えていたのが旧泡沫家なのです」

「俺の先祖は貴族に仕えていたのか」

 割と位は高かったようだ。まあ、その結果がこれ(俺)なのだから申し訳なさでいっぱいでしかない。

「貴族に仕えていたといっても、どちらかというと今の公務員のような、物ノ怪専門の警察だったようです。日夜物ノ怪退治に勤しむ正義の味方。まさに泡沫様の先祖というべき素晴らしい方々です」

「……」

 立派な先祖と俺が同列に並べられている……。

「いえ、やはり泡沫様の方が素晴らしいですね」

「俺が勝っただと!」

「何を驚かれることがありますか。当然の結果でしょう」

「いや驚くよ! 買いかぶり過ぎだよ! 一体どこに俺が勝つ要素があるんだよ!」

「全てです」

「……証拠は?」

「そんなもの、泡沫様の存在が全て物語っているではありませんか。泡沫様こそ宇宙の真理。全ての道は泡沫様に繋がるのです」

「俺は一体なんなんだよ!」

 とんだスクランブル交差点である。

「スクランブルエッグ!」

「それは悲鳴なのでしょうか……?」

 思いついただけのことです。

 気を取り直して、八重樫は続ける。

「旧泡沫家は物ノ怪退治に対しては絶対とも言える実力を誇っていたようです。平安時代から実に江戸時代の中期に至るまで、戦国の乱世にも飲まれることなく旧泡沫は力を保持し続けました。平安を過ぎた室町時代にはもう殆ど絶対不可侵の独立組織のようだったと」

「少年漫画みたいな生き方してたんだな、俺のご先祖様ってのは」

「ええ、確かに。史実によって語られていないことも考えると、ごく一部の者しか知らない。機関でもあったのでしょう。秘密機関というと、少しダサいでしょうか」

 どちらにせよ、俺とは似ても似つかない連中だ。そう思ったが、思っただけで言わないことにした。また八重樫が泡沫様の方が凄いですとかなんとか言って話が逸れると思ったからだ。俺は黙って八重樫の話を聞くことにした。すると、それを集中していると見たのか、八重樫はちょっとだけ張り切ったようにも見えた。より、演技臭さが増したのだ。

「――しかし、そんな旧泡沫の栄光も突然終わりを告げます」

 ここが盛り上がりどころと言わんばかりに、八重樫は声のトーンを低くした。

「長い間戦い続けた旧泡沫の者の血には穢れが溜まっていたのです」

「穢れ……?」

「はい。穢れです。そもそも物ノ怪退治というのは穢れを払うのが仕事のようなものですから、その体に穢れが溜まってしまってもおかしな話ではありません。しかし旧泡沫の場合は少し勝手が違いました。何百年と戦い続け、しかもその血を絶やすことのなかった旧泡沫はその穢れの血が子に孫に、一族に遺伝するほどまでに濃く、濃縮されていました」

 ――そしてその穢れは物ノ怪たちにとって恰好の餌でもありました。

「しだいに邪悪なモノたちは旧泡沫の人間の血を狙い始めます。更なる力を手に入れるために。ただ最初の頃は旧泡沫の者たちはさほどそれを重要視していませんでした」

「妖怪が寄ってきちまうのにか?」

「むしろ好都合だと思っていたようですよ。相手の方から来てくれるので探す手間が省けると。このあたりはエリート特有の余裕だったのでしょう。物ノ怪という埒外の存在を相手に取っているにも関わらず、旧泡沫の人間の死亡率は驚く程低かったようですから。その死因の殆どが流行り病か老衰だったそうです。物ノ怪との戦闘に置いて死者を出さないこと、これも旧泡沫の強さの一つでした。だからこそ彼らは失念していたのでしょう。自らの一族が溜め込んだ穢れが、邪悪なモノたちの怨念がどれほど禍々しく恐ろしいものなのかを」

 それで結局どうなったのかと俺が聞くと、八重樫は眼を伏せて言った。

「小さな女の子だったそうです。物ノ怪は人間に化けて彼女を騙し、そして食べました」

「た、食べた?」

「ええ。文字通り、ペロリと食べてしまいました」

 八重樫の語調はさっきまでと打って変わって淡泊で、それこそ機械的だった。それが逆に不快感を煽るようである。

 理不尽な話だ。

「もちろん誰かが助けてくれるわけもなく、さながらペローの書いた赤ずきんのように、女の子は物ノ怪にただ食べられてしまいました。しかしペローの物語と違うところは旧泡沫の話はそこでは終りませんでした。旧泡沫の穢れを手に入れた物ノ怪はとんでもない大妖怪へと変わりました。その力は凄まじく、一族の人間も手こずるほど。そうしている内に一人また一人と旧泡沫の人間はその物ノ怪に食われていき、結局旧泡沫家はたった一つの物ノ怪に半壊させられてしまったのです。それが、今から百年と少し前のことでした」

 たった一つの物ノ怪によって半壊にまで追い詰められる。これまでの功績を考えれば、旧泡沫にとってそれは誰も予想していなかったことだったろう。自分たちがここまで追い詰められるなど、誰も考えたこともなかったに違いない。

「そうして、半壊にまで追い詰められてようやく、旧泡沫は引退を決意しました。物ノ怪退治から足を洗うことを決めたのです。その決意のほどは定かではありませんが、しかし彼らはそう易々と引退することもできなかったのです」

「穢れを持った血か」

 俺がそう言うと、八重樫は頷いた。

「何百年とかけて蓄積されてきた穢れが、今更すぐになくなってくれるわけがありません。積み重なったものを崩すことは存外、積み重ねることよりも困難なことが多いのです。もうこれ以上積み重ねないようにすることは簡単ですが、積み重なったものを取り除くことは難しかった。そこで旧泡沫家は崩すのではなく無力化を試みました」

「無力化って言うと、つまり封印とかか?」

「はい。その通りです。旧泡沫は自らの穢れを取り払うのではなく封印することにしたのです。しかし、自らの血が生んだ物ノ怪によって家の陰陽道に長けた者たちの殆どは死んでしまい、自力で封印を施すのも不可能な状態でした。一世代、二世代までの封印なら容易いことですが、しかし穢れなどいつ落ちるかもわからないモノです。半永久的に封印をかけ続けることが必要でした。ただ、そこは天下の旧泡沫。足りない力を補う術をすぐさま思いつきました。彼らは土地を利用したのです。大地に眠るエネルギー、霊脈や地殻変動の運動エネルギーを利用した多重封印。泡沫様は物ノ怪には詳しくはないようなので詳しい説明はいたしませんが……なんにせよ、旧泡沫の生き残りによって穢れは封印することができたのです」

 八重樫はそこで言葉を切った。が、

「いやちょっとまてよ八重樫。それじゃあそこでもう万事解決しちまってんじゃねぇか。どうやって現在まで話を繋げるんだよ」

「その多重封印というものは土地の力を利用したものです。なので、その封印をかけ続けるためには土地の力を供給し続けることが必要なのです。しかし、今の泡沫様は地元から離れすぎています」

「それじゃあ俺が地元から離れたせいで封印が効かなくなったと? それこそおかしいぜ。百年以上前から地元を出た人間が俺だけってわけじゃねぇだろう。むしろあんな田舎出て行きたいと思う若者の方が多い気がするぜ」

 もしそうだとするならば、封印をかけてから百年以上も泡沫家がひっそりとだが続いていけるわけがない。

「なんの理由もなく軟禁状態に甘んじるわけないだろう」

「理由は先程話した通りです。でたら死ぬ。先人たちはそれをわかっていたのです。そもそも泡沫家が元陰陽師でその血に穢れが宿っているという事実自体、別段隠されてきたことではないのです。むしろ親から子に、一子相伝で伝わって行くことのようです」

「一子相伝つったって、だから俺は……」

 ああ、そうか。俺の場合、早くに母さんを亡くしたから、それで伝わっていなかったのか。

 そんなに早く、母さんは死んでいたのか。

「物珍しさで出て行く人はいても、一族存亡の危機に陥るほど出て行く人は多くなかったようです」

「そりゃそうだ。そんなの自殺しにいくようなもんじゃねぇか」

 そして現在進行形で自殺の真っ最中の俺である。いや、俺はその事実自体を知らなかったのだから、自殺とは違うのかな。

 どっちにしろ死にたくはない。

「でも、いくら母さんが早くに死んでしまったからって、まさか母さんだけが知ってたってわけでもないだろうに。叔母さんだっていたんだから、上京する前に教えてくれればいいのに……」

「どうも叔母様は泡沫様が知った上で出て行ったのだと思われているようでしたよ」

「つまり俺は自殺しにいったと思われていたのか……」

 まあ、確かにあの人なら止めたりはしないだろう。知っていようといまいと、俺の意思を尊重するはずだ。割とそういうところ、冷たい人だし。

「あれ? おい八重樫。なんでお前が叔母さんがどう思っているかなんて知ってるんだ?」

「それは私が叔母様とお会いしたことがあるからです」

「会ったことことがあるのか、あの人に? 一体どこで知り合ったんだよ」

「知り合ったというかなんというか……私が泡沫様をストーキングしている中で泡沫様のご実家の情報が手に入ったので、直接会いに行ったのです」

「直接会いに行ったのかよ!」

「ちなみに物ノ怪など泡沫家を取り巻く事情もその時教えてもらいました」

「それ教えられたことだったの!」

 調べたとかじゃないんだ! 俺が好きなあまりに! ネットとか文献を駆使してとかで!

「てゆーか、なんで見ず知らずのお前にそんなこと話してくれたんだよ」

「泡沫様とは結婚の約束をした仲だと説明しましたら、こちらが聞いていないことまで話してくれましたよ」

「俺の知らないところで外堀が埋められているーっ!」

「しかしそんな簡単な嘘でここまで家庭の事情を話してしまうなんて、私が言うことではないのかもしれませんが叔母様は少々アホですよね」

「ほんとにお前が言うことじゃねぇな」

 勝手に会いに行っておいてなんだその言いぐさは。

 私が叔母様に会いに行ったのは一年前のことです。と、最後に八重樫は付けたした。

 ということは、俺は一年以上前からこいつにストーカーされていたのか。気づかないもんだなぁ……。俺が鈍感なのか、それともこいつのストーキングが上手いのか。多分両方だな。

「封印ねぇ……」

 俺はため息のように呟いた。

 八重樫が叔母さんから直接聞いたというのなら、多分泡沫家や俺を取り巻く問題というのも本当のことなのだろう。あの人は嘘を吐けるような人間じゃないし、何より八重樫の言う通り少々アホな所があるので、ぽろっと全てを話してしまうのもわからないでもない。

 ただ全てが真実だとしても、やはりにわかには信じがたいことではある。封印と言っても、俺自身に自覚があるわけではない。それこそが封印されているということなのだろうけれど。

「泡沫様」

 少しボケッとしていた俺を現実に引き戻すように、八重樫が俺の名前を呼んだ。

「なんだよ。他にも話すことが?」

「はい。畳み掛けるようで申し訳ないのですが、これもお話ししておかなくてはいけないことです。……泡沫家の血の穢れに関してはまさしく説明した通りではあるのですが、しかし今回の件にはそれは関係のないことだと思われます」

「関係ない?」

 俺が聞き返すと、八重樫は俺のそばに寄ってきて俺のシャツを捲り上げた。それはなんというかあまりに自然な動きで迷いのない行動だったので、俺は全く反応することができなかった。俺の腹部が外気にさらされる。

「ご覧になって下さい。この痣。これこそが封印の証でございます」

「へ?」

 そう言って八重樫が指さす場所は俺のへその部分で、そこには見慣れた黒い模様があった。

 黒い模様。見慣れたはずのそれは何故だか昨日の黒と重なった。

「この印こそ封印の証です。ナルトの五行封印といえばわかりやすいでしょうか」

「ナルトで例えんな」

 いや、わかりやすいけどさ。

「……つーか、これそういう模様だったのか。確かに言われてみれば意味のある形に見えなくもないな」

「やはり泡沫様は気づかれていなかったのですね」

「新種のほくろかと思っていたぜ」

「ほくろに新種も珍種もございませんよ、泡沫様」

 八重樫に突っ込まれてしまった。でもそうか、本当に言われてみればだけれど、こんな所にヒントはあったのか。なんというか、うちが普通の家ではないことの。この分では実家にはもっとヒントがあるのだろう。ヒントというか、殆ど証拠のようなものが。

 俺は全く気付かなかったけれど。目を逸らしていたのだろうか。逃避していたのだろうか。

 逃避逃避。

 現実逃避。

「でも八重樫。これがナルトの五行封印だとしたら、術が消えていたら模様も消えるんじゃないのか?」

 鬱々とした気持ちを振り払おうと、俺は無理やり疑問を絞り出した。が、それは案外的を得た質問だったようだ。八重樫は大きく頷いた。

「はい。その通りです。さすが泡沫様、頭脳も明晰でいらっしゃいますね」

「単にマンガ好きなだけだけどな」

 ナルト少年時代が一番好きです。

「ってことは、つまりまだ封印は解けていないのか」

「いずれは解けるはずでしょうが、今はまだその効力を維持しているようです。土地を利用した大掛かりな封印ですので、数年くらいなら土地から離れても効力は続くのでしょう。言ってしまえば、離れているというだけであって、この東京とも繋がってはいるのですから」

「規模の違いってことか」

 と、いうことはだ。

「今回の件は俺の穢れた血が招いた結果じゃないってことか」

「そうとも言えますし、違うともいえます」

「はっきりしねぇなぁ」

「わからないと言ってしまってもいいでしょうね。私も泡沫様をストーカーしていたので、この封印の印は逐一観察していたのですが、まさかこれが消える前に物ノ怪が泡沫様のそばに現れるとは予想していませんでした。本当にあの時は間に合ってよかったです」

 そう言って、八重樫は俺の手を取る。自分の両手で包み込むようにして。何かうっとりしていたような気もしたが俺は気にせずにそれを振り払い、捲り上げられていたままになっていたシャツを下ろす。

「しかし八重樫よ。もし仮に俺の血の穢れがまだ封印されていたとしても、一か所にとどまるのは危険なんじゃないか?」

 ここで話している今もさっきの物ノ怪が追いかけてこないとも限らない。

「それとも物ノ怪は夜にしか活動しないもんなのか?」

 俺の疑問を八重樫は否定で返した。

「物ノ怪の活動時間に制限はあるわけではございませんが。しかしご安心ください泡沫様、ここは安全です。ここには結界が張ってありますゆえ」

「結界って、いわゆる一つの結界か」

「はい。風水を利用したものでして、東西南北にそれぞれ簡易的な門を築き擬似的な聖域を作り上げております。この家に穢れを持つものが入ってくることは決してございません。ここは安全です。大丈夫ですよ、泡沫様」

 妙に優しい声でそう言われた。

 その瞬間、俺は全身の力が抜け落ちるのを感じた。

 俺の世界がひっくり返る。

「泡沫様!」

 椅子から転げ落ちそうになるところを、咄嗟に八重樫に抱きかかえられて事なきを得た。かなり恥ずかしい画になってしまったが、それを気にしている余裕も今の俺には存在していない。もうずっと前から余裕なんて存在していなかったのだ。

警察の取り調べに疲れた?

勘違いも甚だしい。そうじゃないだろう。あんな化け物に襲われて、わけもわからないまま助けられて、自分の家の秘密を知って、その穢れを知って――――それで疲れないわけがない。それで精神が擦り減らないわけがないのだ。まるで肝が据わっているかのように振る舞っていたが、それもまた自分の疲れから逃げていただけだったらしい。悔しい話だが、八重樫に大丈夫だと言われて、俺は心底安心してしまったようだ。

安心しきって、ぼろが出た。

「だ、大丈夫ですか、泡沫様?」

 心底心配しているかのような顔で、八重樫は俺をより強く抱きかかえた。それに抵抗する気力もない俺は脱力したまま小さな声で返事をするだけだった。

「だい、じょうぶだ。少し、疲れただけだから」

「申し訳ありません。気づくことが、できませんでした」

「いい。お前のせいじゃねぇよ」

 正真正銘俺の責任だ。俺自信の悪癖が招いた結果である。

「部屋をお貸ししますので、そこで休んでください」

 ストーカーの家で休息をとることに抵抗を覚えつつも、今も俺を襲う協力な疲労に抗うことはできなかった。俺は大人しく首を縦に振る。ただ、最後の抵抗というか悪あがきで鍵付きの部屋にしてもらった。

「ああ、そうだ。八重樫」

 部屋には既に布団が敷かれていて、それに横たわりながら俺は八重樫にある話を振った。

「お前って歳はいくつなんだよ。なんかお前見た目だと判別付きにくいからさ」

 単純に疑問に思ったことだったが、むしろこの場合この話題振りは強がりのようなものだった。雑談くらいはできるのだと、そう言いたいが為の振りだった。どうも俺はこの女の前で弱みを見せたくないようなのだ。理由は定かではないし、あと女性に年齢のことをいきなり聞くのは失礼ではあるが、こいつにそういった礼儀は必要ないだろう。

 八重樫は怪訝に思っているようだったが、質問自体には素直に答えてくれた。

「私は今年で二一になります」

「二一? それなら大学生か……いやこんなところに住んでいるくらいだし、専門出てもう働いてたりするのか?」

 重ねた俺の疑問に八重樫は何でもないような顔をして答えた。

「いえ。私は大学生でもなければ専門学校も出ていません。高校も中退していますので、最終経歴は中学卒業ということになりますね。バイトは半年ほど前まではしていたのですが、クビになってしまい、現在は無職です。やっていることと言えば泡沫様を愛することくらいですが、もとより私にそれ以上の意味なんているはずもないので、今が最善の状態と言えますね」

「……」

 どこにいったよ、俺の言葉。


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