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愛だの恋だの

「カミツキは元人間の物ノ怪なのです」

 八重樫がシャクナゲについて説明を始めた。

「カミツキのカミは髪の毛の『髪』であり、同時に神様の『神』でもあるのです。今は昔、まだ農作の盛んだった頃、干ばつによる飢饉に苦しんだ村がありました。そんな村人たちを案じた神社の巫女は自ら人柱となることでその土地の土地神に雨を降らせてくれるよう頼んだのです。村人たちのために自ら死を選んだ巫女に神は大変感激し、その土地に雨と豊作を与え、そして巫女の魂を神の座につかせました。それが縁結びの神、結目神むすびめがみでした。彼女はもとは神、更にその前は人間だったのです。そして理由は私は存じませんが、何らかの出来事によって穢れを溜め込んだ彼女は神の座にいられなくなり、物ノ怪になります。そこでようやく、現在の彼女、カミツキが生まれます。カミツキのカミは髪であり神。神に仕えていた神仕きの巫女が一転し、むしろ髪に憑かれた存在となった。それが今の髪憑き、物ノ怪のカミツキなのです。ここら辺は完全に洒落ですね。物ノ怪は割とそういう言葉遊びのようなものが好きなのです。そして物ノ怪はその存在の大部分を名前に支配されます。物ノ怪の中には名前が先でそれ以外が後にできたものも少なくありません。彼女も同様。他の物ノ怪とは少々出生が異なりますが、名前に支配される点は同じです。髪憑きである彼女の本体は髪なのです。その下の体は生前の彼女を模した抜け殻でしかありません。ですから、必然的に彼女の穢れや力が溜まっている場所も髪ということになります。――――だから私は、彼女の髪を飲み込みました」

 そういう八重樫の視線の先には、髪を飲み込まれたシャクナゲの姿があった。

 あれだけ長かった、八重樫よりも長かった見事な黒髪は今は見る影もない。その髪色はまるで汚いものをすっかり洗い流してしまったかのように真っ白になり、引きずるほど長かった髪は短く切りそろえられてしまった。ただまあ切ったのは曲がりなりにも女性であるところの八重樫であったため、散切りとかではなく、むしろオシャレなショートボブになっていた。

 そして、何より驚いたのは大人びた、綺麗という言葉がふさわしかった抜け殻の部分が、八歳かそこらの子供の姿に変わってしまったことだった。

 いわゆるところの幼女である。

「おい八重樫。お前がやったことっていうのは大体理解したけどよ。それでどうして体まで変わっちまうんだ」

「子供というのは無力の象徴です。今の彼女は力と言う力をあらかた失っていますから、その力に比例したのでしょう。逆に百年単位で生きた彼女の肉体が老いた姿でなかったのは彼女が力を持っていたからと考えられます。最も力を発揮できる、成熟した頃の体が先程までの彼女と言えるでしょう」

 なるほど、その力の度合いによって見た目が変化したり維持されたりするのか。まあシャクナゲの肉体は抜け殻らしいし、その辺の変化もしやすいのであろう。こっちとしてもわかりやすい。

 そしてここまで言われれば彼女がしゃにむにではなくわざわざうぞうむぞうというヤミの言術を使った理由も明確だった。

 八重樫はシャクナゲを生かし、かつ俺を殺させないためにシャクナゲを無力化する必要があったのだ。だから、八重樫はヤミを使った。全てを飲み込む深いヤミがシャクナゲの穢れや強さを飲み込んだのだ。

「ぐ、ああああああああ!」

 しばらく自分の身に起こった出来事を把握しきれず、地面に転がったままだったシャクナゲがうめいた。うめき、叫んだ。

「ふっざけるなぁ! 人間ごときが私の命を生かすだと? 牙を抜き、私を飼おうとでもいうのか!」

 牙がないのに噛みつこうとするように、シャクナゲは八重樫を睨みつける。その顔にさっきまでの笑顔はない。ただはっきりとした怒りがあるだけだった。

「このっ、この恥知らずが! こんな哀れな姿になってまで生きたくはない! 海藤が私を好いてくれぬのなら、独りになってしまうなら、もう私は生きていたってしかたない!」

 彼女の声は途中から涙声に変わった。

「わかっておる、わかっておる! 貴様みたいな小娘に言われんでも海藤が決して私を好いてはくれんことなどわかっておるのだ! 私は卑しい女だ。人柱になった時も、神として人と人を結びつけていた時も、私はいつだって見返りを求めていた! 人柱になったのはそうすることで極楽に行けると思ったからだ。神としてしっかり働いていたのもそうすれば人が私を信仰し集まってくれるからだ。そして見返り欲しさに人を信じたふりをしていた私は裏切られ、見当違いな怒りを人に向けた。今だってそうだ! 私は海藤に愛されないから癇癪をおこしているだけだ! 愛してくれと不様に泣き叫んでいるだけだ! 私は、私は卑しく、醜い女なのだ!」

 涙に濡れた、彼女の叫び。

 それは途方もない時間を生きてきた独りの女の独白だった。

「――だが、だがそれの何が悪いというのだ! 見返りを求めることは悪なのか? 好きだから好いてほしいと思うのはいけないことなのか? 愛しているから愛してほしいと願うのは間違いなのか? 独りは嫌だと叫ぶことは罪なのか? 私は、卑しい女だが、卑しくない人間などいないだろう! 恨みを持たない人間などいないだろう! 何故神だけが潔白でなければならない! なぜ物ノ怪だけが汚れていなければならない!」

 泣きじゃくるシャクナゲの目は八重樫を見ていた。ただ立ちすくみ、何も言わない彼女を見ていた。

「私は、私は貴様が羨ましい。貴様の潔白さが、その狂った精神も、愛されなくてもいいと言える心が羨ましい。貴様のように強くなれたら、生きるのも苦ではないのだろうなぁ」

 死にたい。とシャクナゲは呟いた。

「生きるのは辛い、生きるのは苦しい、生きるのは寂しい。もういいだろう、もう十分だ。この辺りが私の幕引きでいいではないか。貴様のような女に殺されるのであれば文句はない。さっさと殺せ。殺してくれ、頼む。八重樫」

 初めて、シャクナゲが八重樫の名を呼んだ。八重樫はそれに「はい」と返事をした。そのやり取りに驚くと同時に、俺はどうしてか少しだけ安堵のようなものを感じた。もう大丈夫だと、八重樫が言ったような気がしたのだ。

「――まず第一に、何も私だって生まれたときからこんなだったわけではありませんよ。今の私を悲観するつもりなどありませんが、昔はもっと普通の――あなたのような女の子でした。そしてもう一つ。どれだけ叫ぼうと喚こうと、もうあなたは死ぬことはできないのですよ」

「な、何故だ」

 そういうシャクナゲは絶望したようにも見えた。

「貴様には、私を生かす理由などないはずだろう」

「ありますよ。あなたが死ねば、泡沫様は悲しまれるのです」

 八重樫はまるで俺の心を代弁するかのようなことを言う。

「それがどんなに歪んだものだったしても、それがどんなに独りよがりで一方的なものだったとしても、自分を好きだと言ってくれた誰かが死ねば、泡沫様は悲しまれるのです。泡沫様はそういうお方です。それは、あなたもよくわかっているのではないのですか?」

「わたし、が……?」

「確かにあなたの言う愛は偽物です。それはきっと私だけではなく、多くの人が否定するでしょう。あなたの愛は愛ではないと。しかし、あなたの愛は愛ではありませんでしたが、あなたの恋は本物でしょう? 好きだから好いてほしい、愛しているから愛してほしい、それが恋でなくてなんなのです。甘酸っぱく、穏やかで、きらびやかな、誰もが憧れる恋というものじゃありませんか。あなたは私を羨ましいと言いましたが、私はあなたが羨ましい。私は、恋を知りませんから。どれだけ愛を語ろうと、私は恋を知らない子供なのです。私は数十年生きて愛を知り、あなたは数百年生きて恋を知りました。それはどちらもかけがえなく、素晴らしいものだと思います」

 ですから、あなたは死んではいけない。そう言って、八重樫はシャクナゲに手を差し伸べた。

「あなたが泡沫様を好きだという心は本物ですよ。決して偽物なんかじゃありません。誰にも否定できない、あなただけの想いです。あなたは確かに泡沫様を好きだった。だったら、わかるはずですよ。自分が死ぬことで彼は悲しんでしまうことが、彼の優しさは何もたった一人に向けられるものではないということが、あなたにはわかるはずです。だって、あなたもまた泡沫海藤の優しさに惚れたんでしょうから」

 シャクナゲは何も言わなかった。八重樫の言葉に思うところがあったのか、ストーカー同士通ずるものがあったのか。彼女はただ、、黙ってうつむいたまま、差し伸べられた手を握った。

 

 こうしてこの事件は終わりを告げる。

 狂いに狂い、イカれにイカれ、人間離れした人間と、

 壊れて終わってしまっただけの女の子と、

 逃げ癖のある情けない男との、あまりに一方的な愛憎劇は静かに幕を閉じるのだった。


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