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突撃ストーカー

 俺こと泡沫海藤の人生の転機は、ほぼ間違いなく俺が十七歳、高校二年の夏のはずだ。

 あの日の、じめじめとした夜、あの時から俺の人生は大きく変わって行った。狂わされたとまでは言わないが、しかし変わってしまったのは事実だろう。

 一応は平穏だった俺の人生の転機は、思った以上に唐突に現れた。一人の少女と共に。


「初めまして、泡沫海藤様のストーカーの八重樫なずなです」

 まず言葉が出なかった。

 夜、することもなく布団の上でだらだらとしていると、不意にマンションの俺の部屋のインターホンが鳴った。私立の高校に通うため上京してきた俺は現在一人暮らしなので、俺の代わりに出てくれる人はいない。マンションの管理人さんか何かかな、まだ寝間着に着替えてなくてよかったなー……なんて思いながら部屋の扉を開ける(確認も無しに不用心なと思われるだろうが、何分田舎者なので防犯意識が低いのだ)。

 そこにいたのは女の子だった。いや、女の子というのはおかしいかもしれない。むしろ少女か、もっと言えば女性と言っても言いくらいの人だった。大人っぽいような、それでいて子供っぽくもあるような。そんな不思議な雰囲気の人だった。彼女の漂わせるその雰囲気に、水に流れるような艶やかな黒髪に、眼鏡の奥の澄んだ瞳に、雪を思わせる白い肌に、恥ずかしながら俺は少しの間本気で見とれてしまった。

 目を奪われた。

 そして、

 そして彼女は言ったのだ……自分を俺のストーカーだと。

 とんでもない落ちが待っていた。そりゃ言葉も失くすはずである。

 どこにいったよ、俺の言葉。

「どうなされました、泡沫様」

 そう言ってくる彼女の口調はどことなく事務的で、感情というものが込められていないようだった。機械的とでも言うのだろうか。

「あの……八重樫さん?」

「八重樫さんなんて、私にさんなど付ける必要はありません。私と泡沫様の仲ではありませんか」

「いや、俺はあんたのことを初めて知ったんだけど……」

 彼女自身もさっき初めましてと言っていたはずである。しかし、さん付けが不要というのであれば、俺に対する様付けはどうなんだと思ったが、今聞きたいのはそこではなく。

「最近のストーカーは直接会いに来るものなのか」

 だとしたら、ストーカーも進化したものである。陰からひっそり見守るのがストーカーの怖さではあるが、直接会いに来てしまうのもそれはそれで怖い。別の怖さがある。

 俺は思わず身震いしたが、しかし彼女はこれを否定した。

「いえ、今回の接触は少々イレギュラーな部分がありますので、決して世の名のストーカーがアグレッシブになったわけではありません」

 そう聞いて、少しだけほっとした。世界のストーカーがこれ以上の行動力を持ったら一般人では太刀打ちできないところだ。

「それにストーカーなんて陰湿で根暗な行為をする者たちに、好きな人に直接会いに行くなどと言う前向きな勇気があるわけがありません」

「……」

 なんだろう、ここは笑うところなのだろうか。自虐ネタというやつだったのだろうか。

「あっはっはっは」

 笑いやがった。無表情で、すんげー棒読みで。

「あー、つーかあんた、何しに来たの?」

 色々考えてみたが、ストーカーが直にストーキングしている相手を尋ねる理由がわからない。もし相手が男で俺が女だったとすれば、それはそれで何をしにきたのかは想像できそうなものだが、しかし彼女は女性だし、俺はまごうことなき男である。無理矢理どうこうされるとも思えない。

「あんたはなんで、俺のとこに尋ねてきたんだよ」

 ストーカー相手に下手に出る筋合いはないと判断し、俺はさっきより高圧的な態度を示した。そういうのは苦手だったが、俺も一応男ではあるのでそれなりの迫力はでていたであろう。ただ、彼女の表情が全く変化しないところを見ると、俺の高圧的な態度と言う奴は殆ど意味を成してはいないようだった。

「はい、それなのですが……緊急の事態、つまり緊急事態が迫って来ています」

「緊急事態?」

「わかりやすく言ってしまえば、命の危機なのです」

 命の危機? 俺は首を傾げる。

 命が危ないとはどういうことか。もしかしたら、この女性は俺をストーキングしている時にその命の危機とやらにあったのかもしれない。例えばそう、悪漢だとかだ。この夜道に綺麗な女性が一人たたずんでいたら、そういう気の迷いが湧き上がる奴がいても不思議ではない。そこで彼女は急きょ、やむを得ず自分がストーキングしている相手の家に上がり込んできたのかもしれない。

「いえ、違います」

 彼女はそんな俺の考えをきっぱりと否定した。

「悪漢程度ならば、私は退けられる自信があります」

「そういうことではなくてだな……」

「ただ、さすがに五人以上となると厳しいかもしれませんね」

「四人までなら楽勝なのか!」

「そもそも、命の危機というのは私の命の危機でなく、泡沫様の命の危機です」

 は? 今こいつなんて言った。俺の命の危機だと……?

「俺の命が危ないって、どうしてそうなるんだ。今のところお前の存在以外、俺の周りは至極平和だぜ?」

「それについての説明なのですが」

「いや待て、そもそも俺に命の危機が迫っていたとして、どうしてそれがお前にわかるんだよ」

「それは私がストーカーだからです」

 もっと言うならば――私が泡沫様を愛しているからです。

 彼女は、恥ずかしがることもなく、はっきりとそう言ってのけた。愛していると、今日初めてあった男に一片の迷いもなく、言って見せたのだ。どうしてだろう、なんの確証もないが、俺は彼女のその言葉が本気であることがわかった。彼女の言うところの愛というものが、本気で俺に向けられていることがわかってしまった。わかったけれど、だけどそれは意味がわからなかった。

 そこまで思いついた時点で、俺は考えることを止めた。理解できないことや、困ったことが起こると途端に思考を放棄して簡単に背を向けて逃げ出すのは俺の悪癖であるが、この場合その悪癖がいいように作用したのだろう。これは我ながら賢明な判断だったと言える。

 そもそも俺は何をしていたのだ。あんた、何しに来たの? そんなことを聞いて一体どうするのだ。ストーカー女の戯言など聞いてやる義理は俺にはないはずだ。そんなことを聞いたってどうしようもない。こんな女のために俺の大切な時間を浪費してやることはないのだ。例えやることがなくとも、俺の時間は俺のものだ。

 さしあたってはこのストーカーをどうやって追っ払うかだが、それを考えることすら俺は放棄した。放っておけばいなくなるだろう。それでもしつこく迫ってくるようだったら、警察を呼べばいいのだ。警察のストーカー被害に対する対応はあまり良い評判を聞かないが、実害が出ている以上、きちんと動いてくれるはずだ。

 そこまで考えて、それだけ考えて、俺は部屋の扉を閉めようと、一歩後ろに下がる。その瞬間。

「いけません!」

 彼女がもの凄い反応速度で俺に向かって抱き着いてきた。ただ、身を低く、腰を屈めた状態で行われたそれは抱き着くというよりも突進だとかタックル、体当たりと言った方が正確かもしれなかった。普通に痛かった。

 俺は自分の部屋の床に体をぶつける。これも普通に痛い。しかし問題はそこではなかった。

 ストーカーの侵入を許してしまった……。

 いくらなんでも考えなさすぎだった、相手が女で俺が男で、力では勝るとは言っても、俺は別段普段から鍛えているわけではないし、さほど運動を得意ともしていない。そしてこの場合彼女の方にそういう武道や護身術の経験があれば立場は簡単にひっくり返る。更に彼女は先程、四人までなら大丈夫だとか、そんな腕に自信があるようなことを言っていたのだ。それがストーカー女の戯言だろうと、その時点で俺が彼女に力で劣るという可能性を考えてもよかったのに!

 …………いや、というかわざわざそんな考えを巡らすまでもなく、最初から扉のチェーンを外さなければよかっただけの話だった。防犯意識云々ではなく、そもそも他人に対してあけすけ過ぎだった。

 しかしこればかりは仕方ない。実家の家の扉とか、夏時は基本開いてたもの。近所のおじさんがよく麦茶を飲みに来ていた。

 すでに考えることを放棄していた俺はストーカーの侵入(力づく)にも、その侵入の直前に彼女が小さく発した「お邪魔します」という言葉になんでそこは妙に礼儀正しいのかというツッコミを入れることもせず、うちつけた背中がいてーなーくらいにしか思っていなかった。

 だから俺は開いていたはずの扉が独りでに閉まった時も、風かなんかで勝手に閉まっただけだろうと思っていたし、鍵やチェーンまでもが〝がちゃり〟と音を立てて閉められた時も、深く考えることはせず、そういうこともあるかもしれないと思っていた。

 あるある。

 鍵とか普段から開いたり閉まったりしているものだし。

 しかしその直後に現れたものに対しては、さすがの俺の思考も放棄を許さなかった。

 それが『者』なのか、それとも『物』なのかはわからなかった。もとよりこの世の『モノ』ではないのかもしれない。とにかく、わからなかった。わからないのに、考えざるを得ない。逃げることを許してはくれない。そんな圧倒的な存在感を持ってして、その黒い何かは俺の前に現れた。

 黒い何か。うねうねと、扉の隙間から……それこそ鍵穴から何まで、あらゆる隙からその黒い何かは俺の部屋に侵入してくる。それは先のストーカーの侵入が可愛く思えるような、とてつもない不快感を伴う侵入だった。そして一つ遅れて俺はある事実に気づいた。黒い何かが全て人の髪であることに。

 その時、俺の中の不快感と押しつぶしていた恐怖は限界を超えた。

「う、うわああああああ」

 うわずった情けない声をあげながら、俺はその大量の人の髪から距離を取ろうと後ずさりをしようとしたが……しかし体に力が入らない。あまりの衝撃に腰が抜けてしまったようだ。普段から見ているはずのものが、ただその量が多い、膨大だというだけでこうも人の恐怖を煽るものなのかと、俺は少し感心もしたりした。

 いや、今のは嘘だ。そんなことを想う暇なんてなかった。俺はただ目の前の黒に怯えることしかしていなかった。

 うねり、うねり。

 その人の髪は徐々に俺の足元に這いよってくる。

「思っていたよりも早かったですね」

 と、いつの間にか倒れっぱなしの俺を庇うようにして、彼女が髪と俺の間に立っていた。

「大丈夫ですか? 泡沫様」

 彼女は俺の心配をしてくれていたようだったが、俺はその言葉に返事をすることすらできなかった。彼女はそんな俺を一瞥し、すぐに視線を扉からうねる髪に戻した。

「ご安心ください泡沫様。あなたの命は私が守ります。そのために、私はここに来たのですから」

 気づくと、大量の髪は彼女の足にまとわりついていた。そしてその毛の一本一本がまるで意思を持ったもののように、彼女の足を縛るように、徐々に上へ上へと――――

「お、おい! 何やってんだよ、早く逃げろよ!」

 腰が抜けて逃げれない人間の言うセリフではなかったが、しかし俺は本能的に、あるいは直感的に察していた。

その髪は怖いものだと。

だが彼女は俺の言葉に反応を示さなかった。案外、心底怯えていた俺の声は俺が思っていた以上に小さく、彼女には届いていなかったのかもしれない。なんにせよ、微動だにせず俺の前に立ち続ける彼女の後姿は、何かの決意の表れのようでもあった。

彼女は何を、思っていたのだろう。

「――言葉に意味を――」

 それは囁きとも言える、小さな言葉だった。

「――言葉に力を――」

 しかしどうしてだろう、彼女の語調が機械的な美しさを持ったものだったからか、その小さな言葉ははっきりと俺にまで聞こえた。それは、耳元で囁かれるような不思議な感覚だった。

「【しゃにむに】」

 ――その瞬間、俺の家の扉や床を浸食していた大量の黒い髪たちが一斉に火を吹いた!

 それはどこまでも青い火だった。青く、綺麗な火だ。ただ熱は感じなかった。あれだけ大量の髪が一斉に燃えたというのに、何も熱くない。もっと火に近いはずの彼女も熱さを感じているとは思えなかった。そして何より驚いたのが、大量の髪たちが、まるで苦しがるようにしてうごめきだしたのだ。その身についた火を振り払うように髪は暴れる。

「【がらんどう】!」

 今度は大きな言葉。耳元で大声を発したような感覚に襲われると、次の瞬間、玄関の扉が吹き飛んだ。まるで彼女の言葉自体が威力を持った砲丸のように、俺がいつも使っていたはずの玄関がぐしゃりと形を変えて飛んでいく。それに引っ張られるようにして、大量の髪たちも飛んでいき――――あっという間にそれはマンションの駐車場辺りに落ちて行った。

 ちなみに、今更言うことではないのかもしれないが、俺の部屋はマンションの五階。もう日は沈んでいて、夜と言っても差し支えない時間帯ではあるが、真夜中ではない。もしかしたら下には人がいたかもしれない。が、俺がそのことに思い至るまではまだ少し時間が必要だった。

 その時の俺は月明かりに照らされている八重樫なずなの息を呑むような美しさにただただ驚いていた。

 自分の部屋の玄関から月が見えることを、俺は今日初めて知った。


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