フォーグレンの神官58
ふと目を覚ますと、すぐそばにラズナンにいるのがわかった。その温かい肌を側で感じ、タリザは恥ずかしくなった。
何も羽織っていない自分に気がつき、タリザは床に落ちた服を集め、着替える。そして浴室へと向かい、冷えた浴槽をかけらを使い、温めた。
浴槽に入り、タリザは体に残るラズナンの痕跡を見つめた。そして自分がラズナンに抱かれたことを実感した。
神官として失格だった。
代々神官を輩出してきた家に背く行為だった。
神殿にはいられない。
でもここにもいられない。
リリアの悲しそうな笑顔が胸をえぐる。
不意にギイっと扉を開ける音がした。
声をかけず入ってくるものなどいるはずがなかった。
タリザは嫌な予感がして、浴槽から慌てて出ると、ケープを羽織った。
そして浴室を出る。
見渡すとベッドの上の影に気づいた。影はラズナンに剣を振り下ろそうとしていた。
「させない!」
タリザはそう叫ぶとかけらを鞭に変え、影に向かった。
影はデイで、タリザはその剣に鞭を巻きつける。
「くそっ。邪魔するな」
デイは鞭を掴むと タリザごと壁に投げつけた。
「うっつ」
壁にぶち当たり、タリザは全身を強く打つ。頭の中でぐわんぐわんと鐘が鳴っている様な気がした。視界がぼんやりと霞み、体も言うことをきかなかった。
「ラ……ズナン様!誰か!」
助けを求めてそう叫ぶが、誰も部屋に入ってこない。
不審な音を聞きつけて警備兵が来るはずなのだが、部屋は静まり返っていた。
「……タリザ?」
騒ぎの中、やっとラズナンが目を覚まし、体を起す。そして、壁の側で動けないタリザを見、頭上のデイを確認すると、枕下から小さな剣を取り出した。
「ふん」
デイは鼻で笑うと、左手をラズナンに向けた。するとラズナンに氷の蔦が伸び、その体を覆う。そしてそれは氷の珠になり、ラズナンを閉じ込めた。
「これで終わりだ」
デイは氷ごとラズナンを破壊しようと剣を振り上げた。
「させないわ!」
タリザはそれを止めようと火弾を作り出し、放つ。
「甘いは!」
デイは剣で火弾を切り裂くと、ラズナンの氷に剣を振り下ろした。
「やめて!!」
タリザは叫び声を上げる。そして氷の珠がラズナンごと砕ける姿を想像し、顔を両手で覆った。
しかし、いつまでたっても破壊音は聞こえなかった。デイはラズナンの氷を破壊するその剣を、その直前止めていた。そして灰色の目を細め、何か企んでるような視線をタリザに向けていた。
「女」
デイは剣を氷に当てたまま、安堵するタリザに呼びかけた
「王太子を助けて欲しいか?」
「ええ」
「ならば俺と取引をしろ」
「取引?」
「そうだ。俺の望むものを持ってきたら、王太子を解放してやろう」
デイはタリザの動きを警戒し、剣先をラズナンにつけたままそう聞いた。
「あなたの望むもの……。それは何なの?」
「『神石』だ。『神石』を持ってきてもらおう」
「『神石』!?そんなの無理だわ。水の神殿に入るのは簡単だけど、私が奪える代物ではないわ」
タリザの答えに、デイは馬鹿にするように仮面の奥の灰色の瞳を煌めかせる。そして口を開いた。
「誰も水の『神石』とは言っていない。火の『神石』のことだ。火の『神石』を俺のところへ持ってこい」
「火の『神石』……」
タリザは目を見開いて、茫然とつぶやいた。
火の『神石』を管理するのは代々の火の大神官の役目である。しかしタリザは火の『神石』を生み出した神官の子孫で、頻繁に火の『神石』に触れる機会があった。したがって火の『神石』を持ち出すのはタリザにとって容易なことだった。仮に見つかってとしても火の『神石』の力を使えば、神殿から逃げ出すのは簡単であった。
先祖代々、『神石』を見守ってきた。その『神石』が正当に使われるように神殿内で監視するのがタリザの役目であった。
デイは剣をラズナンの氷に食い込ませるようにして、何も答えないタリザを見た。
「さあ、どうする。俺の氷は火の力じゃ溶けないぞ。王太子の命が惜しいか?」
「……わかったわ。フォーグレンに戻り、火の『神石』を持ってくるわ。それまでラズナン様が死なない保証は?」
「当然だろう。俺が殺すわけがない。こいつの弟が命を狙っているが、俺が守ってやる。『神石』が手に入るなら、金など惜しくはない」
弟……。
これだけ騒いでいるのに警備兵が飛んでこない。
ラズナンの弟が絡んでいるのであれば、納得がいった。
そして、デイと取引すれば、ラズナンの命が助かる。
火の『神石』を渡すまではラズナンの無事が約束される。
「わかったわ。取引しましょう」
「時間は二日だ。二日間で戻って来い」
「わかったわ」
デイはタリザの返事を聞くと、ラズナンの氷を溶かした。
「ラズナン様!」
タリザがラズナンに駆け寄ろうとすると、デイが小剣を取り出し、その背中を切り裂いた。
「契約違反よ!」
タリザはそう叫ぶと重い体を動かし、ラズナンの元へ走った。体を抱き起こし、容態を確認する。氷から解放されたが、ラズナンの体は冷たく、意識が戻らない状態だった。その背中には切り裂かれ、服の隙間から切り傷が見えた。
「この!」
「やめろ!」
火弾を放とうとするタリザをデイは一喝した。
「王太子は時期に目を覚ます。毒を塗った剣で触らせてもらっただけだ。俺の持っている解毒剤を二日以内の飲ませればどうってことない傷だ」
「毒……汚い奴ね」
「当たり前だ。氷から解放したら、お前が言うことを聞かないのは目に見えてるからな。さあ、これでお前のとる道は一つしかない。わかっているな?」
「……わかってるわ」
タリザは唇を噛むとそう答えた。
「ならば早く行くことだな。安心しろ。王太子の二日間の命は俺が保証する」
「約束よ」
「ああ、約束だ」
デイを信じられなかった。
しかし、デイの取引に応じないとラズナンが助からないことは目に見えていた。
「さあ、行け。もうすぐ警備兵が戻ってくる。王太子は手厚く看護される。安心しろ」
デイの言葉にタリザは眉をひそめる。
しかし、タリザには選択肢がなかった。
カネリや、ネスに話したところで状況が変わるように思えなかった。
むしろ、止められる可能性が高かった。
「約束破ったら、私が火の『神石』を使ってあなたを殺すわ。わかってるわね」
「……わかっている。時間がないぞ。早く行け」
デイは面倒くさそうにそう答えた。
タリザはラズナンをベッドに寝かせると、その頬を触る。
その頬がまだ体温が戻っておらず、冷たかった。
ラズナン様……。
息を小さく吐くと、タリザは『神石』のかけらを握る。
するといつもの神官服が全身を包んだ。
そして、窓を開ける。
朝日が差し込むのがわかった。
フォーグレンへは猛スピードで飛ばして一日は架かる道のりだった。
タリザは窓際からラズナンが眠るベッドに視線を向けた。
あと二日の命。
死なせるわけにはいかない。
タリザは空を見上げ、フォーグレンの方角を定めると、飛び上がった。