フォーグレンの神官51
白い壁に藍色の国旗が張られている。そして足元には青色の絨毯がひかれていた。そこは王室で、シュイグレン第五十代カート王は玉座に腰かけ、息子のマシラと話をしていた。ラズナンが母親似に対して、マシラはカートと同じようにとても整っているとは言えない顔立ちをしていた。カートは自分と同じ顔のマシラを何かと優遇していたが、王太子の座に関してだけは兄であるラズナンに位を与えていた。マシラはそれが気に食わず、どうにか兄を王太子の座から蹴り落とせないか、常に考えていた。
「父上。兄上は次期王にふさわしい器です」
父カートにマシラは心にもないことを言った。カートの前では兄を慕ういい弟を演じていた。それがカートには健気な弟の姿に見え、傲慢なラズナンよりも贔屓に見ていた。
「そんなことはないぞ。お前こそが本当は王太子になるべきなのだ。ラズナンは恐ろしい奴だ。時期に奴はわしの命を狙うかもしれん。マシラよ。その時はどうかわしを守ってくれ」
カートは首を大きく横に振ると、マシラの両手を握り締めた。
マシラの数年にわたる囁き、演技が功をなして、カートはラズナンを煙たがるだけでなく、恐れるようになっていた。マシラはラズナンが行ってきた数々の善行をカートに話して聞かせた。それはカートに圧力を与え、王として自分に自信がないカートを不安に陥れた。加えて、ラズナンの尊大な態度はまさに王らしく、時折進言される方針などは臣下が舌を巻くような得策だった。そういうことが重なり、カートはますます自分の王としての器に自信を無くし、ラズナンを毛嫌いするようになっていた。
「兄上がそんなこと考えるわけがありません。どうか、気持ちを静めになってください」
マシラはカートに微笑を浮かべると、その肩を抱いた。そんなマシラにカートは『お前こそが本当にわしの息子だ』とその肩で何度もつぶやいた。
マシラはカートの呟きを聞きながら、その見えぬところで気味の悪い笑みを浮かべていた。
かたんと音がして、ラズナンは目を覚ました。そして枕の下の小剣を掴む。部屋に誰かがいる気配を感じた。ベッドから降り、影に近づく。
「ラ、ラズナン様……」
その影は明日実家に戻る臨月を迎えた妻のリリアだった。
「リリア……。なぜここに?」
「申し訳ありません。眠れなくて……」
リリアはラズナンよりも十歳以上も若く、その健気な姿は庇護欲を引き出す。彼女は扉付近で立っており、顔色が青く不安がっている様子だった。
「我のそばで寝るがよい」
ラズナンがそう言うと、リリアは遠慮がちにベッドに近づく。ラズナンはリリアの手を取るとぐっと自分の元に引き寄せた。
「我の子供を生むのが怖いか?」
「……そんなことはありません。ただ不安なのです」
ラズナンはリリアの言葉に苦笑するとそっとベッドに抱き上げた。優しくその金色の髪を撫でると唇を重ねる。リリアはその口づけに黙って答えた。
『ラズナン様』
不意にラズナンは声を聞いた。そしてその声が昼間救った女のものだと気づき、リリアから唇を離す。
脳裏に女の姿が浮かび上がる。
男に襲われ、あらわになった女の肌が見えた。
フォーグレンの民の黄土色の肌、そして自分を見つめる黒い瞳……。
程よい形の鼻に、意志の強さを表す唇、それらはすべて、ラズナンにとって新鮮なものだった。
「ラズナン様?」
口づけをやめ、宙一点を見つめるラズナンを訝しがり、リリアがそう声をかけた。
「リリア……」
ラズナンは脳裏に浮かんだ女の姿を打ち消すと、再びリリアの唇に自らの唇を重ねた。
我の妃はリリアだ。
愛すべき妃はリリア、ただ一人。
ただ、あの女の容姿が珍しかっただけ……。
他に理由があるわけがない。
ラズナンはリリアに啄ばむような口づけを繰り返しながらも、女の影が自分から離れないことを感じていた。