フォーグレンの神官129
「ニーシャ、何見てるの?」
「リン、さっきお父さんに似た真っ赤な髪の人と青い髪のきれいな人がいたんだよ」
「気のせいじゃないか?」
黒髪の少年リンは銀髪の少女ニーシャを馬鹿にしたように見る。
「本当だよ。さっきあそこにいたよ。私を見てにっこり笑ったんだから」
「絶対に嘘だな。そんな馬鹿なこと言ってないでさっさと帰るぞ。今日は母さんが珍しく帰ってくるんだから」
「センさんかあ。リンのお母さんはかっこいいよね~。まさに戦士って感じ」
「まあな。おまえのところのへなちょこ父さんよりも強いと思うぜ」
リンはえらそうに胸をそると、ニーシャを置いて歩き出す。
「今日はアルビーナおばさんとミシノおじさんは来るのかな?」
へなちょこという言葉を否定することもなくニーシャはリンにそうたずねる。
「おばさん、おじさんって……。お前、本人の前でいうなよな。本気で殴られるぜ」
リンは立ち止まるとニーシャに手を差し出しながらそう言う。しかしニーシャは何が悪いのわからないようできょとんとした顔をリンに見せた。リンはニーシャに笑いかけるとニーシャの手を掴んだ。
「さあ、帰ろう。多分アルビーナさんもミシノさんも帰ってくるよ。だって今日はうちの母さんが帰ってくるんだから」
リンはニーシャの手を強く握ると家に向かって歩き出した。
『神石』が消え、十年が経とうとしていた。
あの後、センはデイの躯をシャレッドの横に弔い、キリカの家に戻った。身ごもっていることを知ったのはそれは数日後だった。
センは薬を盛られたときに一度抱かれていた。デイの犯した罪、自分が犯した罪を思い産むのをやめようかと思ったことがあった。しかしターヤが泣きながら訴え、デイが唯一自分に残したものを思い、産むことを決めた。
出産後センはしばらくキリカの家でリンと共に暮らしていたが、城からその腕を買われ、今では女戦士として活躍している。マオ王が即位しまとまったように見えた国だったが、国内では時折小さな争いごとが起きていた。
ロセはターヤとともにキリカの孤児院を手伝っている。
アルビーナとミシノは相変わらず世界を旅しており、時折思い出したようにキリカの家に戻ってきていた。
八年前にターヤが身ごもったことを機に二人は結婚した。ラズナンは渋々二人の結婚を認め、ロセはラズナンに殺されずに済んだ。そしてそれから十ヵ月後ターヤは出産した。それがニーシャで、ロセはターヤそっくりのニーシャを親ばか丸出しでかわいがっていた。
「ターヤ」
二十六歳になり、しかも母親となったにもかかわらず、子供のように木に登り、街見つめるターヤにロセはため息まじにその名を呼ぶ。
「ロセさん。ごめん。だって今日はセンさんが帰ってくる日だから」
木の上のターヤは母親らしくその銀色の巻き毛をひとつにまとめ、エプロンを着ている。しかし、そのやんちゃぶりは健在だった。
「ターヤ。子供に示しがつかないだろう?早く降りて!」
「わっつ!」
ロセの言葉に驚き、バランスを崩したターヤが不意に木の上から落ちる。
ロセはあわててターヤを抱きとめた。
「やっぱり、もう木に登るのはだめみたいだ。あーあ」
「ターヤ!」
ロセは腕の中の反省がまったくない様子のターヤをしかるように言った。するとターヤの青い瞳が悲しげに揺れたような気がした。
「いいよ。もう」
ロセはターヤの頬に軽く口付けると、その体を抱きこした。
時を重ねるたびに美しくなり、自分を魅了して離さないターヤに、ロセは強く言うことができなかった。
「ロセさん、いつもありがとう」
ターヤは昔と変わらない笑顔をロセに見せるとそう言った。
その笑顔をみて、ロセはまたかなわないと思う。
「ロセ、ターヤ!どこにいるの!」
ふいにキリカの怒声が家のほうから聞こえた。その声でターヤは鍋に火をかけっぱなしにしていたことを思い出し、ロセは掃除をしようと水を汲んでそのままにしていたことに気がついた。
「キリカさん~。今行きます~」
二人は顔を合わせ、くすりを笑うと家まで手をつなぎ、家まで走りだした。
「デイ……」
センはある村はずれの丘に来ていた。あの荒廃した村は復興を果たし、今では百人ほどが住む村になっていた。しかしデイとシャレッドの墓地は以前と同じ場所にあった。センは時間があるとここに来ていた。
センは摘んできた白い花を墓標の前に供える。
「お前の残したもの、リンが今年で九歳になる」
センは墓標を見つめながらそう口にした。
「神官の私が子供を産むなんて思ってもみなかった」
センは苦笑しながらそう言葉を続ける。
「デイ……。私はお前が嫌いだ。だけど愛していた。今になってやっとわかる」
センのかすれた声は風に乗ってすぐに消えた。
墓標に添えた真っ白な花が風にすくわれ空に舞い上がる。
「センさん~」
自分を待つシュイグレンの兵士の声が聞こえた。
センは涙をこらえるように空を見上げると、墓標をそっとなでる。
「また来る。そのうちリンをつれてくるから」
センはそう言うと墓標に背を向けた。
セン……。
ふとそう呼ばれた気がして、センは一度だけ振り返る。
しかし、気のせいだとわかり、センは歩き出した。
突風が吹き、墓標に添えた花がすべて空にすくわれた。
そしてそれは前を歩く、センを包むようにその周辺を舞う。
センはその風にデイを感じ微笑んだ。
「センさん、どうしたんですか?」
珍しく柔らかな笑みを浮かべるセンに兵士がそう尋ねる。
「なんでもない。さあ、帰ろう。街まであと少しだ」
センはそう答えると馬に乗った。
「本当なんだから。お母さん!」
家に帰ったニーシャがターヤに今日見た赤い髪の男と青い髪の美しい女の話をした。その隣でリンはまた幻でもみたんだろうと鼻を鳴らしている。
「ニーシャ。あなたにはまだ話してなかったね。それはきっと火の神と水の女神だよ。あなたを見守ってるんだね。きっと。だってあなたは火の神と水の女神に愛された土の神の子孫なんだから」
「土の神?」
「そう、私達は土の神の子孫なんだ。土の神は人間を守って死んだ。だから私達はその意志を継ぎ、火の神と水の女神を敬い、人間を守るんだ。神の力を再び利用しようなんて考えたりしたらいけないんだ。人間は人間の力で生きていかなきゃ」
「『神石』の話だろ?俺知ってるぜ。俺の母さんもターヤさんも、ロセさんもみんな『神石』の力を使う神官だったんだろう?」
「そう。でもそれは行き過ぎた力だったの。神の力を利用したりしたらいけないんだよ」
「え~。でも前は空とか飛べたんだろう?ミシノさんとかアルビーナさんがよく愚痴ってるぜ」
「リンくん。それは昔の話。私達は私達の力だけで生きていかなきゃ」
「ふ~ん」
納得いかないような反応をした後、リンは腹がへったと台所に走る。その後を私もとニーシャが追った。
「ターヤ。お前も言うようになったよな」
ニーシャの背中を目で追いながらロセは感心したように頷く。
「私はもう火の神と水の女神を悲しませたくないんだ。だからしっかり子供達に伝えなきゃ」
「そうだな」
リンとニーシャがキィラからクッキーを貰い、おいしそうにかじる様子が見える。ロセは幸せをかみ締め自然と微笑んでいた。
「あ!まずい。洗濯物、干しっぱなしだ」
ふと、はっと気づきターヤが庭に走っていく。
ロセはさっきまで母親らしく話していたターヤが、急に十年前の会ったばかりのターヤに戻ったようで懐かしくなる。
「ロセさん!ロセさんも手伝って!」
「はい、はーい」
ロセはそう返事をし、ターヤを追って庭に走っていく。
世界から『神石』がなくなり、人々は力を失った。しかし、人間は神の力に頼らず日々生活をしている。神官という存在がいたことはまだその記憶に新しく、世界を救った存在として世界中に伝わっていた。
人を愛する神官がその力を失った今でも世界に存在し、神を敬う限り、神は人々を見守り続けるだろう。
神官の思いは子孫に受け継がれ、世界に平和は保たれるだろう。