第2話 もう取り消せないわよ
今、目の前の美少女先輩が、SMって言った気がするのだが?
もしかして、ソーシャルメディアの略とか? それとも、スーパーマーケット? サービスマネージャー?
俺が考え込んでいると、美少女先輩は優雅な所作をして近づいてきた。
少し開いた窓から風が入り、先輩の黒髪がふわりと舞う。甘く魅惑的な香りが、俺の鼻腔をくすぐった。
「突然ごめんなさい。聞き方が悪かったわね。あなた、官能小説は好きかしら?」
はい、SMで合ってましたー!
「えっ、そ、その、官能小説ですか?」
戸惑う俺を他所に、先輩は説明を続ける。
「そうよ。私は官能小説家を目指しているの。幼い頃に読んだ鬼龍灯先生の『女教師深雪、欲望のディストピア』に脳を焼かれたの。それ以来、私は先生を超える官能小説家になるのが夢なのよ」
いやいやいやいや! 幼い頃に官能小説を読んでたのかよ!? ダメだろ!
「あら、そう言えば申し遅れたわね。私は文芸部部長の万里小路瑛理子よ」
透き通るような美しい声で、彼女はそう言った。
「えっと、までの……えっ、ペンネームですか?」
「あなたは初対面の人間にペンネームを名乗るのかしら?」
先輩の目が鋭さを増す。もとから切れ長で大きく美しいその瞳が、更に威圧感を増して圧倒的な迫力だ。
今すぐ這いつくばって隷属したくなるくらいに。
「す、すみません。ペンネームのように綺麗な名前でしたので」
「そう、なら良いわ。万里に袋小路の小路と書いて万里小路よ。以後よろしく」
「はい……」
もう俺は、万里小路先輩の圧倒的存在感に気圧されて何も言い返せない。
「ところで、あなたの名前は? 私が名乗ったのに、あなたは名乗らないつもりかしら?」
万里小路先輩の冷徹な視線が、容赦なく俺を射抜く。
「あっ、えっと、大崎俊です。一年です」
「大崎俊君ね、よろしく」
「はい、よろしくお願いします」
何でだろう? この先輩から目が離せない。
この人に関わったら危険な気がするのに。あからさまに地雷感があるのに。
そうだ。凛と同じドSの波動がするんだ。
それなのに、この美しい女王様に隷属しそうになる。
「大崎君、ねえ、大崎君。聞いているのかしら!?」
「は、はは、はい!」
部室内に凛とした声が響き、俺は思わず背筋を伸ばした。
どうやら万里小路先輩に見惚れていて、彼女の話を聞いていなかったようだ。
「それで、あなたは入部希望なのかしら?」
「とりあえず見学したいのですが」
「そう」
不敵な笑みを浮かべた万里小路先輩は、テーブルの上に一枚の紙を置いた。
「って、これ入部届ですよね? 俺、まだ入部するとは言ってないです」
「あら、文芸部を見学するのだから、本が好きなのでしょう?」
「そうですけど」
「なら問題ないわね」
「問題大ありですよ!」
そもそも、この先輩は何か怖いんだよ。俺の中のドSセンサーがビンビン危険信号を鳴らしている。
でも、この超絶美しい顔と天上の音色のように響く声が、俺の心を捉えて離さない。
「チェッ、部員が足りないから入部させようとしたのに」
「聞こえてますよ! 今、舌打ちしましたよね?」
なまじ美人なだけに舌打ちの破壊力も抜群だ。
「もしかして、この部活に入部希望者が少ないのって、万里小路先輩が怖いからとか、あと官能小説が原因なのでは?」
何気なく放った俺の言葉に、万里小路先輩は口を尖らせて横を向く。
図星みたいだ。
「私が怖がられているのは否定しないわ。何故か知らないけど、同級生も私にペコペコ頭を下げるのよ」
この先輩、自覚が無いのか? 見た目も言動も怖いからだろ。あと超絶美形すぎて近寄りがたいんだよ。
「でも!」
バンッ!
突然、万里小路先輩がテーブルを叩いた。壇上で主張するかのように。
「官能小説をバカにされるのは我慢ならないわ! とかく世間では官能作品やポルノは低俗なものという風潮が根強いのよね。でも、官能作品にも芸術性の高いものも多いわ。素晴らしい表現力の作品もある。言葉だけで情景や温度、それに匂いまでも鮮やかに伝えるような――」
万里小路先輩の力説が止まらない。
本当に官能小説が好きみたいだ。
ただ、一つだけ気がかりなことがある。
「あ、あの、よろしいでしょうか?」
「ええ、大崎君」
演説を止めた彼女は、吸い込まれそうなほど美しい瞳を俺に向けた。
「その、俺は官能小説とか分からないので」
「これから知ってもらえば良いわ」
「小説は好きです。特にラノベは好きなんですよ」
「ほ、本当!?」
万里小路先輩がグイッと迫る。顔が近い。
「あの、だからラノベの執筆を目指すでも良いですか?」
「構わないわよ。小説は自由だわ。どのジャンルを書くのもあなた次第よ」
両手を広げた万里小路先輩は、優しく微笑んだ。
物わかりの良い先輩で助かった。官能小説を書けって言われたら、さすがに困るからな。
そうだ、ラノベなら……。
「でしたら体験入部しようと思います」
「ホント、なら入部届に記入して」
目を輝かせた万里小路先輩がグイグイ迫る。
「あの、体験……」
「もう入部で良いでしょ。体験入部の期限は過ぎているわ」
「そうですけど……」
「ほら、こことここに。こうよ」
近い! 顔が近い!
先輩の長い黒髪が俺の首筋に当たってくすぐったい!
しかも、めっちゃ良い匂いがする!
「か、書けました」
万里小路先輩の匂いと体温と息遣いを感じながら、やっとの思いで入部届を記入し終えた。
美人の先輩に密着されるとか緊張しまくりだぞ。
「ふふっ、うふふふふっ……」
妖しい笑い声が部室に響く。
入部届を胸ポケットにしまった万里小路先輩が、妙に妖しい笑い声を漏らしている。
「もう取り消せないわよ。これであたなは……」
「は?」
「これからは部長である私に絶対服従ね」
「はいぃいいい!?」
おいおいおいおい! やっぱりこの人って女王様なのでは?
「待ってください。部活動の入退部は本人の自由ですよね?」
「じょ、冗談よ」
「万里小路先輩のは冗談に聞こえません」
超絶美少女の上に謎の威圧感なんだよ。ドS女王様って言われても、全然違和感がねえぞ。
その万里小路先輩だが、顎に手を当て何やら考えている。
「そうね、万里小路先輩って言いづらくないかしら?」
「まあ、長いですよね」
「そうだわ! 名前で呼びなさいよ。これからは瑛理子様って呼び……コホン!」
先輩は一つ小さな咳払いをしてから言い直す。
「瑛理子先輩って呼びなさい。名前呼びを許可してあげるわ」
「今、瑛理子様って言いましたよね!?」
「気のせいでしょ」
「気のせいじゃないですよ」
怪しい。やっぱりドS女王様なのか?
「細かいことは良いのよ。とにかく瑛理子先輩で良いわよね?」
「は、はい……瑛理子先輩」
俺は仕方なく名前呼びをした。
先輩女子を名前で呼ぶとか恥ずかしい。
今まで名前で呼んだ先輩なんて、真美さんくらいだからな。
ギシッ!
その瑛理子先輩はといえば、テーブル脇の椅子に座り、長く美しい脚を組んだ。
透け感がエロい黒タイツの脚が、何とも言えない妖艶さを醸し出している。
「早速、今日の部活動を始めましょ」
瑛理子先輩は、上履のつま先を俺に向けながら言う。
「大崎君、そこに這いつくばって犬になりなさい」
「は? は? はぁあああああああああああ!?」
こうして俺の、怪し気な文芸部ライフが始まったのだ。




