第12話 それって結婚
『私は一人暮らしよ』
瑛理子先輩のセリフが耳の中で反響する。
それって、どういう意味だよ。
先輩は一人暮らしの部屋に俺を呼んだのか?
どどど、どうする?
先輩って、やたら距離感がおかしいし、初対面で男子を踏む人だし……。
「えっと、先輩って実はお金持ちですか?」
とりあえず、差しさわりの無い話題を振ってみた。
「お金持ちだったと言うべきかしら」
「と言いますと?」
「大崎君は、八幡グループって知っているかしら?」
「旧財閥系の大企業ですよね」
日本人なら誰でも聞いたことがある大企業グループだ。幕末から明治にかけて勃興した財閥で、造船、鉄鋼、鉄道など様々な分野で事業を独占してきた。
戦後はGHQにより解体されたが、分割された企業がそれぞれ、自動車メーカー、不動産、銀行などを発展。
企業同士が株を持ち合い、強固なグループを形成しているとか。
確か総資産は120兆円って聞いたぞ。
「えっと、もしかして……瑛理子先輩って凄いお嬢様なのでは?」
「だったと言ったはずよ」
「何かあったんですか……」
しまった。聞いちゃマズかったか。今は違うというのは、何か没落する事件があったってことだよな。
俺の表情で何かを察したのか、瑛理子先輩は笑ってみせた。
「ふふっ、そんな深刻な話じゃないわよ。父の代でグループを追い出されたってだけ」
「十分深刻ですよ……」
財閥系企業トップのお嬢様といえば天上人のような存在だ。その地位から落とされたのなら十分に深刻なはず。
でも、瑛理子先輩は少しも気高さを失ってはいないかのように見える。
「私の祖父が総帥をしていたの。父が後を継ぐはずだったのだけど、権力闘争に敗れグループを追い出されたのよ。父は優しい人だった。私にだけじゃなく、誰に対してもね。人を蹴落としてまでトップに立てなっかったのだと思う。厳しい跡目争いや資産を失った自責の念からかしら。父は病気で……。でも――」
瑛理子先輩は真っすぐ前を向く。
「そんな優しい父を、私は誇りに思うわ」
「瑛理子先輩……」
急に照れた顔になった瑛理子先輩は、髪をくるくる弄り始めた。
「どうしてかしら、こんな話をしたのは大崎君が初めてよ」
それって瑛理子先輩が心を開いてくれたってことだよな。何だか嬉しい。
「それにね、資産の大部分を失ったといっても、暮らすには十分すぎるお金もあるわ。世の中には生活が苦しい人もいる。贅沢を言ってられないわね」
眩しい。瑛理子先輩が眩しく見える。
ただの癖つよドS女子じゃなかったのか。
「瑛理子先輩はカッコいいです」
「あら、照れるわね」
「それに美人でスタイルも最高です」
「褒め過ぎよ」
「ちょっと怖くてコミュ力が壊滅的で性癖がヤバいけど……って、痛いです」
グリグリグリ!
瑛理子先輩の肘が俺の脇腹に刺さっている。
それは何の必殺技だ。
「喧嘩を売ってるのかしら? 良い度胸ね」
「じょ、冗談です」
冗談はこれくらいとばかりに、瑛理子先輩はカウンターキッチンの方に向かった。
美人の先輩にじゃれつかれて嬉しかったので、ちょっと寂しく思ってしまう。
おっと、いかんいかん。俺には真美さんが。
「大崎君、何か飲むかしら? お腹も空いたわよね」
「おかまいなく」
「急だったから何も用意してないのよね……」
何を思ったのか、瑛理子先輩はホットケーキの元を取り出した。もしかして手料理をご馳走してくれるのだろうか。
グチャ!
いきなり卵を割るのに失敗した。
見るからに手つきが危なっかしい。
「ちょちょ、ちょっと待ってください。先輩って料理したことありますか?」
俺の問いかけに、瑛理子先輩はムッとした表情になる。
「私だって料理くらいできるわ。ホットケーキは混ぜて焼くだけよね」
ドサッ!
「けほっけほっ……」
今度はホットケーキの粉をまき散らした。もう見てられない。
「貸してください。俺がやりますから」
「ちょっと」
「大丈夫ですよ。たまに姉に作らさせられていますから」
あの傍若無人な凛は、腹が減ったら『ホットケーキ食べたい』と言い、アイスが食いたくなったら『コンビニでアイス買ってきて』と言う女だ。
その都度、俺が面倒を見ないとならない。
まあ、俺も何だかんだと面倒を見てしまうのだが。逆らうと変なドS技を食らうけどな。
カシャカシャカシャ!
ジュゥゥゥゥー!
混ぜたホットケーキの元をフライパンに流し込むと、すぐに美味しそうな匂いが立ち込めてきた。
慣れた手つきの俺を見ていた瑛理子先輩が、目を丸くしている。
「あなた、料理が上手なのね」
「これくらい普通ですよ。むしろ瑛理子先輩がメシマズ女子なのでは?」
「言ってくれるわね。私にだって不得意なものはあるわ」
「ふふふっ」
「笑わないでよ」
また脇腹をグリグリされた。
テーブルに焼き立てのホットケーキとコーヒーを並べる。豆は高級そうなのがあったので、見様見真似で淹れてみた。
「美味しいわ。コーヒーも私が淹れたのと違う」
「そりゃどうも」
さっきの危なっかしい手つきを見ていると、コーヒーはどんな淹れ方をしているのかと興味がわいてくる。
「先輩って、普段どんな食事をしているんですか? 心配になります」
「そうね、外で食べたり……インスタント食品とか」
カップラーメンを食べるお嬢様だと!?
「先輩、ちゃんと栄養バランスも考えないと」
「分かってるわよ。なら大崎君に作ってもらおうかしら」
「それって結婚……す、すみません」
しまった。俺は何を言っているんだ。瑛理子先輩と結婚とか、毎晩調教されそうで怖いだろ。
俺は真美さんが好きなのに。
でも…………。
俺は驚いていた。瑛理子先輩と二人でいる居心地の良さに。
「そうね……良いかもしれないわね」
「良いのかよ! って、すみません」
ついツッコんでしまった。
ええっ!? 先輩は俺との結婚に前向きなのか?
「大崎君と一緒だと執筆が捗りそうだわ。初めて会った時も色々とアイデアが湧いてきたのよ」
「執筆の話でしたか……」
ですよね。先輩はそういう人ですよね。
俺のことを好きなのではとか、ちょっとだけ思っちゃったじゃないか。
「冗談はそのくらいにしてください。純朴な男子をからかうのは。ただでさえ先輩は魅力的なんですから、男子は誤解しちゃいますよ」
「あら、半分は冗談じゃないわよ。あなたと一緒なのは嫌じゃないわ」
「はいはい」
これ以上はやめておこう。どんどん深みに嵌りそうだ。
瑛理子先輩って沼らせ女子な気がする。
「それで貸してもらえるパソコンというのは」
「そこに置いてあるノートPCよ。好きに持って行って良いわ」
「ありがとうございます」
そのパソコンは一つ前の型ながら、十分すぎるほど高性能なものだった。こんな良いものを貸してもらえるなんて有難い。
「本当に良いんですか? こんな高価なものを」
「良いのよ。同じ執筆仲間でしょ」
そう言った瑛理子先輩が良い笑顔になる。
「私ね、大崎君が小説を書きたいって言った時、嬉しかったのよ。同志ができたって」
「そんな、大げさですよ」
「大げさじゃないわ。小説家を目指すって言うと、笑われたり出来っこないって言われたりするから」
先輩が俺の隣に移動してきた。
「ほら、私の小説を読んでみる?」
瑛理子先輩は肩を寄せ、自分のパソコンを開いた。
「ほら、これとこれ。これもよ」
ち、近い! 肩が当たって、先輩の体温が伝わってくる! めっちゃ良い匂いがするし!
「あ、あの、近っ」
「ほら、これなんかどう」
ぐわぁああああ! 更に近い!
やっぱり瑛理子先輩って、執筆のことになると周りが見えなくなるよな!
「って、凄い執筆量ですね!」
俺は小説フォルダに入っている作品数に驚いた。
画面いっぱいにビッシリと作品が表示されている。30万文字の作品が一つ、10万文字の作品が三つ、その他短編も複数ある。
官能小説だけではなく、恋愛ものやファンタジーまであった。
先輩って、本当に小説が好きなんだな。
◆ ◇ ◆
帰宅した俺は、真っ先に部屋に入り借りてきたパソコンを開いた。
「まだOSも新しいし、メモリーもSSDで高速だし、こんな良いパソコンを借りて本当にいいのかな」
マウスまで付けてもらい至れり尽くせりだ。
「ん? この画像フォルダは……」
開いたフォルダーには、画面いっぱいの二次元エロ画像が所狭しと並んでいた。
どれもマニアックな内容だ。
「えっと……見てはいけないものを見てしまったような?」
しかもお気に入り登録されているサイトがSM系ばかりだった。
「せ、せせせ、先輩! 自分の性癖を晒しすぎです! こういうのは消してから貸してくださいよ! 先輩の秘密を知ってしまって、共感性羞恥がハンパないんですけど!」
あの瑛理子先輩が、このエロ画像でイケナイコトをしていたのではとか想像してしまい、その夜は眠れなかった。




