2ndleg
・サッカーが簡単だったことは一度もない。
by ジネディーヌ・ジダン(元フランス代表)
決勝戦も残り45分。
前半が終わり、『0対0』とスコアレスで折り返してしまった。再三のチャンスもなかなかモノに出来ない俺たちは、苛立ちを隠せなかった。
それと言うのも俺に馬鹿みたいに張り付いている1人のディフェンダーに、そのチャンスの芽をことごとく潰されているからだ。何度か俺に渡りそうになったボールを直前でカットしたり、ボールを持ってもファール覚悟で体を密着させてくる。実際そいつはもう1枚イエローカードを貰っている。あと1枚イエローを貰えば退場になるから、もうそこまで激しいディフェンスをしてこないと思ったのだが、変わらずに俺に付きっ切りだ。
今までも何度も激しいマークにあった事はあるが、これほどしつこいマークは初めてかもしれない。
「なんだよアイツ。サッカーは相撲じゃねぇんだからあんな体寄せてくんじゃねえよ」
俺の嫌いなサッカーだった。あんなイタリア人的なサッカー、好きな奴なんているんだろうか。サッカーって言うのは綺麗なプレーをして、見てる奴らを楽しませるもんじゃないか。
俺が悪態をつきながらタオルで頭を拭いていると、隣でユニフォームを脱いで体を拭いていた吉仲が笑う。
「なんだよ。何か言いたいのか?」
「いや、それもそうなんだろうなぁ、って思ってな。お前は」
「?」
俺が意味が分からないといった顔をしていると、ニヤニヤする吉仲。気持ち悪いな。
すると体を拭き終わった吉仲は、冬と言うのに半袖のユニフォームを着て皆に、ちょっと聞いてくれ、と言って注目を集めた。
「隼の奴、有紀ちゃんとしか抱き合いたくないみたいだから文句言ってるぞ。そりゃあ昨日あんな事までしてりゃ---」
「ちょ、待て!!」
俺は持っていたタオルを放り投げ、吉仲の口を塞ぐ。それを必死で振りほどこうと抵抗してくるものだから、声を出させまいと吉仲の首を腕で締める。
「お前寝てたろ! なんでその事知ってるんだよ」
そう耳元で言うと、吉仲は苦しそうな声で、
「まさか丁度その時にトイレに行きたくなるなんてな。お前が出てったのを見たんで付いて行ったら…、って事よ。というかマジでギブ…、やめて……」
本気で締めていたわけじゃないが、結構首にきまっていたらしい。腕を放して開放してやる。
ああ苦しかった、と言いながら首を擦る吉仲。
「ま、さっきのはどうでもいいとして、文句は言ってる暇ねえぞ。その嫌な事も含めてあっちのサッカーなんだ。結局それを掻い潜んなきゃゴールに辿り着きゃしないんだから相手してやれよ。エースは潰される運命だ。お前の憧れ、あのロナウドも然りだったろ?」
「ん…、まあ、そうだな……」
そう言われればそうだ。ロナウドもイタリア・セリエAに行って戦って、1年目で25ゴールも入れてるんだ。守備信条の国、イタリアだ。どのチームも徹底してロナウドを止めにかかっただろう。それでもロナウドはその守備をもろともせずに挑んで、そして勝った。
今じゃメッシやC・ロナウドを好きだと言う奴が多くいるが、それでも俺はロナウドが一番だ。『超常現象』と呼ばれたプレーに心底酔ってしまった俺は、きっとその『超常現象』から抜け出せないだろう。
「お前はお前なりのプレーをすれば良いんだ。みんながお前を信じてるんだからよ。なんとかしてくれよな」
「なんとかって…、無責任な奴だな」
だってそれがお前の仕事だしな?、と笑いながら言い、バッグからスポーツドリンクを取り出して飲み干してしまう。2リットルのものをだ…。
正直この状況に燃えてきた。ロナウドみたいに出来るとは思えないけど、この状況を打開できれば、あのロナウドみたいになれるかもしれない。
「じゃあ、やってやるか」
「その意気だ。つうかお前この試合も決めれば大会全試合ゴールだぜ? 決めてくれよ」
「…え? 何それ」
俺の気の抜けた返事にロッカールーム全体が静まり返る。
「お前…、全然知らなかったのか? その話題でどのスポーツ番組も持ちきりなんだぞ。お前の事で話題になってるのに、本人何も知らないとかあるか、普通…」
「いや、だってゴール数なんて俺数えてないし」
俺がそう言うと、お前らしいな、と吉仲が言って笑ったのを見て、皆が皆同じように笑い始めた。
考えてみればこの試合まで全試合ゴールを決めてきた、気がする…。
あれ、本当にそんな決めてたっけ? 有紀も母さんも何も言ってなかったし、全然知らなかった。
…ああ、そうだ。俺だけじゃなくて2人ともそういう事に疎かったんだ。
◆ ◆ ◆
後半が始まっても前半同様、同じディフェンダーが俺に張り付いていた。相手からボールを奪ったのを見てハーフラインを越えて自陣に戻っていくのだが、そこにさえピッタリと俺に付いてくる始末。
ちょっと前に見たロナウジーニョに張り付くF・カンナヴァーロの事を思い出す。確かその試合は見事にロナウジーニョを押さえ込んだカンナヴァーロのチームが勝利を納めていたんだっけか。
「嫌な事考えるなぁ、俺は」
あまりいろんな試合を知ってるのは良い事じゃないな。そう思いながらボールの行方を目で追って、そのディフェンダーと共に歩きながら少しずつ相手ゴールへと上がっていく。
俺たちの中盤もパス回しをしながらボールをしっかりと保持するも、苦戦してじりじりと前に進んでいくのがやっとだ。俺だけじゃなく、俺たちの中盤も相手のしつこい守備にいつも通りのパス回しが出来ないでいた。名門高だけあって守備は統率が取れていて硬く、攻め手が見つからない。坊主頭は伊達じゃないという所だろうか。
名門の象徴なのか、相手は選手全員が坊主頭。何故そんな事をする必要があるのかは分からないが、名門高のサッカー部は決まって選手達に坊主をさせるというのが多い。いくらロナウドが好きだとしても、ロナウドみたいに坊主にだけはしたくなかった。だから今の高校を選んだって所もある。
まあ一番の理由は、強い所に行くより、強い奴らを倒す事の方が楽しいって思っていたからだ。
俺に張り付くディフェンダーに近づく。
「だったらこんな事で文句言えない…、な!」
そいつは俺からなかなか視線を外さない。だがその時、中盤で1人抜かれたのを見て、ほんの少し俺から視線が逸れた。それを見逃さず、歩いていた俺は、一気にトップスピードに乗ってディフェンダーを置き去りにした。
俺の動きを見たボール保持者は、相手のディフェンスラインの間を切り裂くようなスルーパスを放った。スピードに乗った俺を止められる奴はいない。俺も良いタイミングで抜け出していく。
ペナルティーエリア直前でキーパーと1対1。
今日の俺は落ち着いていた。何もかもがスローモーションに見える。調子が良いときの感じだ。
キーパーを見ると、スタートが遅れたようだが飛び出してきている。シュートを打つ方にしても判断しづらいタイミングだ。するとキーパーが少し体を傾けるような動作をとった。
一度ボールを保持してもう一度見る。やはり体を横にして滑り込んでくるようだ。
俺はボールの下から少し浮かすようにチョンと蹴る。落ち着いて蹴ったそのボールは走る勢いそのままの強さでキーパーを越していく。
…と思った所で必死に伸ばしたキーパーの手にボールが触れた。それでもボールはゴールへと向かっていく。誰も追いつく事は出来ない。
でも無情にもボールはキーパーに触れた時に横回転を受けたようで逸れていき、惜しくもポストに当たって外に出ていってしまった。
俺は地面を蹴って悔しがる中、ボールに触れたキーパーが味方の選手達に、よくやった、と言われながら抱きつかれていた。
「おい、コーナーだ。ここで決めに行くぞ!」
後ろから走ってきた吉仲が叫びながらペナルティーエリアに向かってくる。
この後もコーナーキックがある。俺たちのチャンスなんだ。今は相手がピンチを防いだことでホッとしているかもしれない。
俺は後ろから来た吉仲とキッカーに近づいていく。
「ちょっといいか? 作戦があるんだが」
呼び止めた俺に近づき、3人で輪になって話し出した。
ここの所、コーナーキックで得点するのは、ゴール前でコーナーから遠い位置である『ファー』と呼ばれる位置にいる吉仲が多かった。逆に近い位置の『ニア』にいる俺は、ボールをゴール方向に流し込むようなヘッドをする事が多いが、あまり決める事はない。研究熱心そうな相手の事だ。そのヘッドが上手い吉仲にマークがつく事は容易に想像が出来た。実際前半もピッタリ体を寄せられていた吉仲は、まともにヘッドを打ててなかった。
「…で、それを上手く利用するんだ」
「?」
俺の言葉に最初、頭に『?』を浮かべていた2人だが、俺の話を聞いていくうちに口元に笑みを浮かべる。
そりゃ面白いな、と言って同意する吉仲を見て、キッカーもそれに頷いて続く。
「ならやってみるか」
※ ※ ※
俺たちはいつもどおりのポジションにつく。最初は相談をしていた俺たちを怪しんでいたが、俺たちの付いたポジションを見て何も無いと思ったのか、前半同様のポジショニングを取っていた。
キッカーはゆっくりとボールをセットしながらエリア内の様子を窺う。後半始まって間もなく、スコアレスドローの状況の為か、主審も早くしろと促してくることはなかった。
ようやくボールをセットし終えたキッカーがゆっくりと手をあげる。行くぞと言う合図だ。
その合図を見た俺は、エリア外に向かい早足で歩いていく。不審に思いながら追ってくる前半からの俺へのマーカー。
そしてキッカーが1歩踏み出す。瞬間、ファーにいた吉仲が俺のいなくなったニアへと走り出す。その動きを見て相手ディフェンダーがついていく。他の相手の奴らもそれに注意が向けられる。
なでしこジャパンがワールドカップ決勝で見せた澤の延長同点ゴールのシーンのようだ。
「…よし」
吉仲についているディフェンダーも含め、相手の選手達は吉仲へとボールが向かってくると思っているのだろう。
その予想しているであろう相手のペナルティーエリア内へとボールが上げられた。ボールは速く高い弾道でファーへと向かっていく。俺はその落下点へ向けて走りこんでいた。一旦エリア外に出た後、振り返った俺はついて来たディフェンダーと交差するようにもう一度エリア内へと進入していたのだ。
チラリと後ろを見る。ディフェンダーは迫ってきていたが、これなら追いつく前にヘディングできる。
吉仲へと注意がいったキーパーは意表を衝かれて尚、後ろに下がりながらジャンプをし、懸命に手を伸ばしてボールに触ろうとする。だがその思いも虚しくボールに触れる事が出来ず、そのまま俺へと向かってくる。
少し高くなった為、ジャンプをしながらのヘディング。しっかりとボールをおでこで受けた。後はそのボールをゴールに迎えられるのを見送るだけだった。
それは、本当に突然の出来事だった。
「え?」
俺は不意に体制が崩れていくのを感じる。誰かが俺にぶつかってきた感触がした。
見ると追いかけてきたディフェンダーが体を当ててきたのだ。
何やってんだか。ボールはもうゴールに向かってしまったのだから、そんな事をしても意味が無いと言うのに。
そう思いながらもう一度ボールへと視線を向けようとする。でもそれは叶いはしなかった。
『ガンッ』
音を聞いたと同時に後頭部に痛みが走る。視界がぶれる。どうやらポストにぶつけたようだ。
そのまま俺はゴールの中へ倒れこんだ。この衝撃はさすがにヤバイ。このゴールの後は一旦ピッチを去ることになりそうだ。
そんな事を思っていた俺に影が迫っていた。視界がぼやけ、それが何かは分からない。
何も分からないまま、そこへ二度目の衝撃が…。
側頭部へハンマーでもぶつけられたような痛みと共に、俺の意識は無くなる。視界はぼやけも何もなくなり、ただ暗くなっていくだけ。そんな中俺はゴールに転がるボールが見えた。
どうやらゴールが決まったようだ。
その瞬間、俺の意識は一気に無くなっていった。