バリア
その日、国家サチの空は、長い間見たことのない色をしていた。
灰色と赤に塗りつぶされていた雲が、わずかに薄く、柔らかな青みを帯びていたのだ。
研究所の地下実験室では、カイトとサチが最後の調整を終えた瞬間だった。
「……これで、起動するわよ」
サチの手が、長く冷たい金属レバーにかかった。
カイトは深く息を吸い込み、震える声で言った。
「サチ、頼む。ここまで来たんだ。失敗は許されない」
スイッチが押されると同時に、巨大な円形装置が低く唸りを上げた。
青白い光が部屋中を満たし、空気が一瞬ピンと張り詰めたように感じられる。
そしてーー街全体が包まれた。
透明で、しかし確かに存在する「熱を外に放出するバリア」が。
最初は何も変わらないように思えた。
だが数分後、国家サチの通りを吹き抜ける風が、これまでとはまるで違った。
熱を含まず、肌を優しく撫でる涼しさ。
それは、忘れかけていた感覚だった。
通りのカフェで氷のように冷えた空気を吸い込んだ老女が、震える声を上げた。
「……ああ……風が、、、ああ……」
子どもたちは両手を広げ、笑いながら走り出した。
「冷たい! 冷たい風がきた!」
広場では誰かが泣きながら叫んだ。
「やったぞ……! カイト夫妻だ! 本当にやりやがった!」
国庁舎の大時計が時を刻む頃、国家サチ全域の気温は急速に下がり始めた。
あまりの冷え込みに、やがて国民の間から別の声が上がった。
「ちょっと寒すぎないか? 指先がかじかんできたぞ!」
「微調整が必要だ!」
人々は笑いながらも、真剣に意見を出し合った。
数時間後、緊急会議が開かれた。
長机の前で、カイトがホログラム映像を指差しながら言った。
「このバリアを世界全体に展開すれば、地球は灼熱地獄から救われる。だが……資源も、時間も、もうあまり残っていない」
その場にいたサチの国民代表たちは、一瞬黙り込んだ。
やがて農夫の男が、固く握った拳を机に置いた。
「博士、やりましょう。俺たちは生き延びるためにここまで来たんだ」
若い女性が涙をこらえながら続ける。
「この国だけが涼しくなっても意味がない。私の家族は……まだ外の世界にいるんです」
老職人が、ゆっくりと頷いた。
「俺たち全員で手を貸そうじゃないか。これは俺たちの戦いだ」
会議室に集まった全員の視線が、カイト夫妻に集まった。
その目は、恐れも疑いもなく、ただ強い決意だけを宿していた。
カイトは深く息を吸い、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……分かった。我が国は立ち上がる。世界を覆うバリアを作る」
サチが静かに微笑み、手を差し出した。
「全員で、ね」
その瞬間、会議室の空気は一変した。
恐怖の中に、確かな希望の熱が灯った。
そしてその希望は、外の世界で暴れ狂う炎に真正面から立ち向かうための炎でもあった。