76 トレファン侯爵邸にて
ナーディアとイレーヌを、トレファン侯爵邸に送り届けると、厳重な護衛を配して、アルチュールとユークリッドはヴィスタル侯爵邸に戻って行った。
イレーヌを迎える準備の途中であろう部屋で、イレーヌとナーディアはお茶をしていた。
あまりにイロイロありすぎてお茶をする気分ではなかったが、お茶の香りが疲れを癒すような気がする。
「ものものしい警備よね」
「あんなことの後だもの、仕方ないわ。これであの人達が安心するなら」
他人事のように、部屋の周りに配置された警備を評するナーディアとイレーヌである。
部屋の中は、ナーディアとイレーヌがゆっくりと休めるように、お茶を用意した後、侍女達も下がり2人きりである。
「イレーヌ、怖かったわよね。よく頑張ったわ」
ナーディアがイレーヌのカップにお茶を注ぐ。
「とても怖かった。首に短剣が当てられて」
そっとカップをソーサーに置いたイレーヌは、まっすぐにナーディアを見た。
「それに悲しかった。知り合った頃のトーマスは優しくって、お父様にお願いして婚約をさせてもらったの。こんな人を好きだった時代があったなんて、自分が情けなかった」
ずっと好きでいる事も、好きでいてもらう事も、お互いの歩み寄りと敬意がないと続かないというのを、ナーディアもイレーヌも知った。
「私もバーミリオン王太子殿下と婚約解消したけど、いつからすれ違ったのか分からないわ。
殿下が側妃を娶ると宣言した時に、気持ちが終わったというのを感じたの」
ナーディアも共感する。
「でもね、トーマスに短剣を突きつけられて逃げる方法を考えていたら、一人でトーマスをやっつけるとか、逃げるとかしなくっていい、って分かったの。
我が家の護衛達が、すきあらば私を取り返そうと狙っているのが分かったから。
彼らがトーマスに飛び掛からないのは、私が人質に取られているから。なら、私が協力すれば、彼らはトーマスを捕らえられる。
そのチャンスをずっとはかっていたの」
ナーディアが盛大にこけたことで、トーマスがナーディアに一瞬だが視線がそれた。
「そう思うことができたのは、グランデの街で私達が隠れる事が出来たのは、イースデン公爵家の護衛が命がけで私達を逃がそうと守ってくれたから。
護衛は仕事とはいえ、信頼のできる存在だって。私を助ける為に動くって確信できたから」
「そうよね。
私達が全部できなくっていいんだわ。一人でトーマスを打ち負かさなくっても、いいんだわ。
それを言うと、殿下の婚約者時代、私は王太子妃にふさわさしくあろうとしてた。王太子の婚約者という殻を纏って、完璧でいけないと思ってたかも。
助けてくれる人は、周りにいっぱいいたのにね」
『私と同じところをケガしているわね』
突然、懐かしい声が聞こえて、ナーディアはドレスの隠しから石を入れてるサッシュを取り出した。
「アーニデヒルト様」
ナーディアとイレーヌの声が揃う。
『貴方達が無事でよかったわ。でも首にケガをしているみたいね。
あの街で北の方から欠片の気配がしたから、北に探しに行っていたら力を使い過ぎてしまったの。
だから、アルチュール達に声を届けるのが精一杯で』
「アーニデヒルト様のお姿が現われなかったのは、そういうことだったのですね」
『まだ姿を出せる程の力は回復してないの。だから声だけ』
アーニデヒルトにグランデの街の顛末と、ヴィスタル侯爵邸でのトーマスの暴挙を説明すると、アーニデヒルトはイレーヌの首の傷が気になるようだった。
ギロチンで首を斬られたアーニデヒルトと、同じ場所にある傷。
『力が尽きそう。少し休むわ』
アーニデヒルトの気配が消えた部屋で、ナーディアとイレーヌは目を合わせた。
「アーニデヒルト様という、未知の方とお話していると、トーマスがさらに小物に見えてきますね」
被害にあったイレーヌが溜息を尽く。
「だからって、許せませんよ」
ナーディアの剣幕にイレーヌは笑みを浮かべた。
「ええ、兄が処理するとなると陰湿で容赦ないと思います。私達なら、どうしても怖くなって手を緩めてしまうでしょうが、兄にはそれがありません」
イレーヌはアルチュールの性格を知っているからこそ、断言できる。それは、ナーディアも想像ができる事だったが、本当に恐ろしいのはユークリッドの方だというのを、二人は知らない。
読んでいただき、ありがとうございました。
やっと、アーニデヒルトが戻ってきました。




