74 イレーヌの救助
若い使用人が家令の指示を受け、アルチュールに伝えるべく王宮に向かった。
その様子を確認しながら警護の騎士達はトーマスを刺激しないように道を開けるが、トーマスが少しでも時間がかかるように広くは開けない。
トーマスもイレーヌを抱き寄せながら短剣を突きつけているので、歩みは慎重である。
ジリジリと緊張が周りを縛っていく。
「なぁ、一緒に死のう?」
耳元から聞こえてきた声に、イレーヌは瞳だけを動かしてトーマスを見る。
「西の丘の花畑が好きだったろう?
イレーヌがいけないんだよ? 僕と婚約解消して他の男と婚約するから」
優しそうに笑うトーマスは、愛しそうにイレーヌを見ている。
二人の視線が合ったが、イレーヌは怖すぎて視線を外せない。
優しいトーマスが好きだった、けれど今は、その優しい笑顔が怖くって不気味すぎる。
突然、玄関の方が騒がしくなった。
今日は、ナーディアとヴィスタル侯爵邸でお茶をする予定だった。その時間になって、ナーディアが来たのだ。
使用人も準備をしており周知されているが、ナーディアをイレーヌの部屋に通すわけにはいかない。
その時玄関では、ナーディアがヴィスタル侯爵邸の雰囲気がおかしいことに気がついていた。
ナーディアは嫡男の婚約者だ。
急な来訪ではなく予定通りの時間に来ているなら、必ず家令が迎えに出て来るはずなのに家令はいない。
対応している使用人がイレーヌは病気だと言うが、それならイースデン公爵家にお茶会の取り止めの書簡が来るはずなのにそれもなかった。
「イレーヌのお見舞いに行くわ。そこをどきなさい」
前に立ちはだかる使用人を押しどけるように、ナーディアは中に入った。
「お嬢様、どうかお待ちください」
トーマスを刺激しないように使用人も必死だ。声を控えて、ナーディアを引き留めようとする。
「イレーヌ様は眠られたばかりで、あとでご連絡いたしますので」
ナーディアにまで危害がおよんでは大変である、なんとしても帰ってもらわないといけない。
公爵令嬢として王妃教育も受けたナーディアである。使用人の様子が変なことに気がついていた。
ナーディアは、イレーヌの部屋に向かって走り出した、その横をナーディアの護衛が付き添う。急なことに対応しきれずに、使用人が振りきられた。
イレーヌの部屋は2階である。ナーディアが階段を上りきると、イレーヌの部屋の前に人だかりができているのが目に入った。
そこには、使用人だけでなく騎士服の警護の者も姿もある。
その人垣から、短剣を突きつけられたイレーヌがトーマスに連れられて出てきた。
「イレーヌ!!」
その様子で、ナーディアは使用人達の対応の意味を理解した。
慎重に動かねばならないと分かっているが、グランデの街でイレーヌがナーディアを助けてくれた、
今度は私がイレーヌを守る。
イレーヌの部屋を出た時に、階段を駆け上がって来たナーディアを見たトーマスは一瞬躊躇した。
それが、王太子の婚約者として見慣れたナーディアだったからだ。
一瞬だけ怯んだトーマスに、イレーヌは気がついた。
「ナーディア」
震える声は、喉に当てられた短剣を刺激する。
「絶対に助けるから」
ナーディアが力強く言うのを、トーマスが遮る。
「黙れ!」
ナーディアは、ちょっとでも犯人の意識をずらせれば、ヴィスタル侯爵家とイースデン公爵家の護衛がイレーヌを確保できるのではと考えて、自分に犯人の視線を持ってこさせようと動いた。
それは飛び出すはずだった。
だが、完璧な淑女教育を受けたナーディアだったが、自分の思うようには身体が動かなかった。階段を駆け上がってきたことで、体力が落ちてよろけてしまった。
ドッタン!!
大きな音を立てて、スカートの裾を踏みつけたナーディアが転んだのだ。
あまりの出来事に、皆の視線がナーディアにいった。
それは、トーマスもだった。
僅かに緩んだトーマスの拘束する手を、イレーヌは体重を後ろにかけて振り払い、後ろに倒れ込んだ。
さっき、トーマスが一瞬怯んだことで、イレーヌはチャンスを狙っていたのだ。
ここから連れ出されても殺される。
少しでもトーマスから離れれば、護衛が助けてくれる。信じる事をグランデの街で習った。
同時にヴィスタル侯爵家の護衛がトーマスに飛び掛かる。
トーマスがイレーヌに斬りかかろうとしたが、護衛の一人が身を挺してイレーヌを庇う。
イレーヌを庇う護衛の背中に、トーマスの短剣が振り落りてきた。
「きゃああ!」
イレーヌは床に倒れたが、イレーヌに被さるように庇って斬られた騎士の背中から血が飛び散る。
トーマスは、ヴィスタル侯爵家とイースデン公爵家の護衛達に取り押さえられた。
読んでくださり、ありがとうございました。
イレーヌもナーディアも頑張りました。




