65 イレーヌの婚約
ダルトン子爵邸で働かされていた人々は、街の診療所で治療を受け、出身地に戻されることになった。
後発部隊とともに事務官が来ていたので、事後処理は順調に進む。
ユークリッドは処理を後任に任せて、王都に戻る準備を優先していた。ナーディアとイレーヌを早く王都に戻したかったからだ。
今回の偽造紙幣は、運び出す前に押さえる事が出来たが、今までどれほどの量が作られ、市場に出回っているかは分からない。
国の根底を揺るがす大事件である。
押収した偽造紙幣は、後発隊の馬車に厳重な警備をつけて乗せられている。印刷機も同じ状態だ。
警備の騎士を残して、王都に帰る事になった。
ガナッシュの港街で代官の横領を発見したのも、このグランデの街で偽造紙幣の製造を発見したのも、ナーディア・イースデン公爵令嬢が同行している共通点がある。
ガナッシュではアルチュールが気がついたことになっており、ここではトレファン侯爵が発見したことになる。
だが、何故その街に行ったかというのは、ナーディアの希望だったからだ。
宰相はもちろんのこと、少し考えれば多くの人間が疑問に思うだろう。保養地でもなく、領地とも違う地に何故行きたかったのか?
アルチュール、ユークリッド、エルフレッドは王都に戻る馬車の中で話し合っていた。
アーニデヒルトの存在を隠すためには、ナーディアが注目されない方がいい。
向かいの席には、ナーディアとイレーヌが片寄せ合って座っている。
ダルトン子爵邸で少し休んだことで、顔色も良くなったようだ。
「お兄様、お話があります」
イレーヌがアルチュールに声をかけた。イレーヌはずっと考え続けていることがあった。
「なんだ?」
アルチュールはイレーヌに、ナーディアの付き添いを命じたが、こんな危険なことになるとは思っていなかった。
「私の婚約を解消したく、お兄様のお力添えをお願いしたいのです」
イレーヌの婚約者は伯爵家の嫡男で、イレーヌの希望で婚約になった経緯がある。
王太子が婚約者とは別の恋人を公にするようになって、賛同するかのように同様のことをするようになった男性が現われたが、彼もその一人である。
「賛成だ。あの平凡顔は好みじゃなかった。どこが良かったんだ?」
美醜で多くを決めるアルチュールである。
馬車の中では、残りの3人が成り行きを静かに見守っている。
「お兄様のキラキラが身近にあるので、平凡さに惹かれたのかもしれません。
ナーディアが王太子殿下と婚約を解消したのを、最初は王太子妃の地位を捨てて愚かだと思ってました。でも、本当は羨ましかった」
イレーヌはアルチュールをまっすぐに見た。
「わがままを言っていいですか? 浮気者の婚約者とは結婚したくありません」
「今回、僕は案外に妹が大事なんだと思ったよ。
あいつもバカだよな、お前ほど綺麗な娘はいないのに」
ニヤリと笑うアルチュールは、壮絶な美貌である。
側でエルフレッドとユークリッドも聞いていて、『案外に妹が大事なんだと思ったよ』この言葉にエルフレッドも共感していた。
「婚約解消の先輩として、私がイロイロ教えてあげるわ」
横からナーディアが口を挟んでくる。婚約解消の先輩というのも立派なことではないが、それで馬車の中の空気が穏やかになったからいいのだろう。
「ええ、お願いします」
イレーヌが頭を下げると、ナーディアはアルチュールが怪訝な表情をしたのに気がつかない。
「婚約期間が長いから、顔を見ると情に流されそうになるけど、そこは断固拒否よ」
「ふーん、流されそうになるんですか?」
アルチュールの言葉に、ナーディアがピクンと飛び跳ねた。
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