秋山図(1)
換言すれば『マリアお吟』や『奉教人の死』また『杜子春』を小説上のみならず我が身に顕現したかったのであろう。南無、その努力に…。
https://x.com/Glaqnbi/status/1900890568466604286(←ツイートのURL、コピペしてね)
和歌一首…芥川⑮秋山図
かつて見し名画は名画二つなしそも名画とうは目に拠るや
詞書:時を隔てて見た名画は名画でなくなっていた。さては偽物?…ではなくって、初見時の感動ばかりが時とともに進捗して、いつの間にか現物を凌駕していたからだと、そう小説では云っています…しかし本当にそうなのでしょうか?むしろ見る人の(感動する)心が進捗どころか鈍化したからなのではないか。
例えは悪いが詩人の感性は子供の頃が最良と云える。大人にその感性はもう望むべくもない。しかし芥川のそれ(こちらは詩性ではなく、小説上に於いて梵を求め、それを追求し続ける感性)は失せることなく、かつて垣間見た神性をここでは名画に換えて、描いてみたのでしょう。作品からは文字では梵を描き切れぬ、捉え切れぬ、芥川のじれったさが伝わって来るようです。秋山図を称して芥川は…
「画は青緑の設色です。渓の水が委蛇と流れたところに、村落や小橋が散在している、――その上に起した主峯の腹には、悠々とした秋の雲が、蛤粉の濃淡を重ねています。山は高房山の横点を重ねた、新雨を経たような翠黛ですが、それがまた硃を点じた、所々の叢林の紅葉と映発している美しさは、ほとんど何と形容して好いか、言葉の着けようさえありません。この絵はまさしく神品です」と煙客翁に云わせている。
※青空文庫『秋山図』あらすじ→ https://t.co/8hGxq21u4h
※朗読『秋山図』by 窪田等→ https://youtu.be/Z4K5sjSwlc0?si=CEKb956hX5ufu_Kx




