深層での取引
「ここは……最下層、なのか?」
やけに静まりかえったそこは、ダンジョンとは思えないほど人間も魔物も何もいない空間だった。
「なぜわざわざ最下層まで来たんだ? ここには魔物は出現しないんだろう?」
「出現しないからこそ、ここは拠点に向いている。」
加瀬が質問すると、アラガミの隊長はそう言って、テントを出すよう要求してきた。
拠点にする、ということはしばらくの期間まだダンジョンに滞在するのだろう。
そう考えた加瀬は、言われた通り荷物からテントを出しながらも先ほど聞いたことをもう一度質問してみた。
「食糧は大丈夫なのか?」
「我々の荷物にも食糧は入っている。一人につき二日分ずつだ」
一人につき二日、つまり全員で十日分である。
そして、ここに辿り着くまでかかった日数も十日。
つまり、加瀬が今背負っている食糧が尽きるまで最下層に滞在し続けられるということだ。
「予定通りってのはそういうことだったのか……」
引っかかっていた疑問が解消された加瀬は、テントの設営作業に移るのだった。
「ここで一度休憩を挟む」
拠点の設営が終わると、隊長がそう宣言した。
それを聞いた加瀬も、腰を下ろして休息を取ることにしたのだった。
それから数時間がたった。
加瀬は素材集め中は拠点待機で、アラガミの探索者が持って帰ってきた素材を自分のバッグパックに詰めるだけで良いと指示されていたが、アラガミの探索者達も拠点から出ていっている気配はない。
今日はこのまま休むのか。
加瀬がそう考えていた時だった。
最下層の入り口から、他の探索者の集団が入ってきたのだ。
加瀬が驚いている間に、アラガミの探索者たちは隊長を先頭にその集団へと歩み寄っていった。
加瀬のテントは入り口からは少し離れた場所に設置されていた。
そのため、彼らが何を話しているのかはわからない。
遠目から感じ取れる雰囲気だけではあるが、緊張感はありつつも対立しているわけではなさそうだ。
そして、アラガミの隊長と話している謎の探索者たちのリーダーらしき人物は、バックパックからケースのようなものを取り出し、それを開いてアラガミの隊長に見せているようであった。
それを見た加瀬は一つの考えが頭をよぎった。
これは企業同士の秘密裏の取引である、と。
正確には企業同士ではなく、企業の中にいる誰か個人による取引である、と。
ダンジョンでする取引というのは証拠の隠滅がしやすい。
それは機密性が高いのと同時に、取引として呼び出した相手を殺して物品だけを奪い、魔物に襲われたことにすることもできるということだ。
そのリスクを考慮すれば、対外的に秘密な取引をするだけなら、ダンジョン以外の場所で行った方がいい。
だが、徹底的に情報が漏れることを嫌った人間はこうしてダンジョンすら利用するのだろう。
それは、企業内部での権力争いをする者達の特徴ではないか、と加瀬は苦い思い出と共にそう考察した。
秘密を知る者をできるだけ少なくするために、この少人数でのダンジョンアタックにしたのだろう。
そして、それをもっともらしく見せるために、最下層にダンジョンボスがいないこのダンジョンを選んだのだ。
さらに、身体強化持ちの加瀬をポーターにすることで、アリバイのための最下層での素材集めも可能にしている。
渡りに船、と言っていたのはそのことだったのかもしれない。
加瀬がそう考えていると、アラガミの隊長は取引の品を検め終わった様子でケースを閉め地面に置き、今度は隊長自身のバックパックから同じようなケースを取り出し相手に手渡したのだった。