「悪役令嬢ね。役、だなんてずいぶんぬるいですわね」本物はただ静かに微笑むだけで終わらせるものですわよ
「マリアンヌ! 貴様との婚約を今この場で破棄する!」
隣国の貴族も招いての絢爛豪華な舞踏会の場で高らかに宣言したのは、この国の第二王子であるロベルトだった。
「……」
意気揚々と婚約破棄を告げたロベルトとは打って変わって、今まさに婚約を破棄された隣国の第一王女であるマリアンヌはじつに物静かで穏やかな表情を浮かべていた。
ロベルトの父である国王と、兄であり王太子でもあるサーベルトはこの場にはいない。
それぞれ他国との外交のために国を留守にしているのだ。
そもそも今回の舞踏会は、主宰はあくまでロベルトだが実質の運営は王族の血筋である公爵家が担っていた。王も公爵家が携わるならと、マリアンヌの母国でもある隣国の貴族を招いた舞踏会の開催を許可したのだ。
というより、ロベルトが舞踏会が開催される運びとなってから強引に舞踏会に出席すると言い出し、第二王子という名目上、仕方なく公爵家は彼を主宰にしたという経緯がある。
そして、彼はそんな舞踏会の場で婚約者であるマリアンヌに婚約破棄を叩きつけたのだ。
つまりは初めからロベルトはそれが狙いであり、マリアンヌに公の場で恥をかかせることを目的としていたのである。
「ああ、ロベルト様」
「おお、可哀想なジョセフィーヌ」
そんなロベルトにしなだれかかる令嬢がひとり。
胸元を盛大にアピールしたドレスを身に纏いながら、儚げで弱々しい様子を懸命にロベルトに魅せる令嬢。まだ女性の入口に立ったばかりの少女のような顔立ちでありながら、肉体ばかりが女へと成長した彼女は自らの武器をふんだんに活用してロベルトを骨抜きにしたようだ。
「貴様は我が国の学園において、さんざんジョセフィーヌに嫌がらせをしていたな。俺様がたまたまジョセフィーヌが落としたハンカチを拾ったことで彼女と話すようになり、婚約者である貴様はそれに激しく嫉妬した。
そうして貴様はジョセフィーヌに執拗に醜い嫌がらせを繰り返したのだ!」
豊満な胸元を押し付けるジョセフィーヌの肩を抱きながら、ロベルトは睨み付けるようにしてマリアンヌを糾弾した。
婚約者であるロベルトの国を深く理解するため。そんな名目でマリアンヌはこの国の学園に通っているのだ。
「……」
マリアンヌは語らない。
それは誤解だと。
謂われもない妄言だと。
そもそも婚約者に言い寄る女を牽制して何が悪いのだと開き直ったりなどするわけもない。
マリアンヌはただ静かに微笑むだけ。
語らずとも、佇むだけで全ては終わることを彼女は知っているから。
「ぬぐぐぐぐぐっ」
だが、ウンともスンとも返さないマリアンヌの姿はロベルトからすれば屈辱でしかなかった。
自国の貴族たちの面前で恥をかかせてやれば少しは堪えるはず。
ロベルトはそんな浅はかな目論見で、此度の悲劇の舞踏会を演出したのだ。
「そういうところだぞ! 貴様のその全てを見透かすかのような! 俺様を馬鹿にしたようなところが俺様は気に入らないのだ!」
ロベルトは堪らず本音を吐露する。
結局は、自分の思い通りにならないマリアンヌがロベルトは気にくわなかったのだ。
そこに、その気持ちに理解を示しながらもロベルトに従順で、かつ儚く弱々しく、じつに庇護欲をそそるジョセフィーヌが現れた。しかもマリアンヌに負けず劣らずのスタイルと来たものだ。
ロベルトはここぞとばかりにジョセフィーヌの言い分を都合よく信じ、結果的に此度の婚約破棄に至ったのだ。
「ああ。お可哀想なロベルト様っ」
「ジョセフィーヌ。俺様の気持ちを分かってくれるのはお前だけだ!」
「うふふふ」
そして、当然のようにそれらは全てジョセフィーヌによって誘導されたことだった。
下級貴族である彼女が成り上がるには少しでも上位の家に嫁ぐしかない。王族など理想も理想。
しかし王族というものは、基本的に幼少期にすでに婚約者が決まっているもの。選ばれなかった者は如何にして側室に収まるかを画策するしかない。
だが、下級貴族であるジョセフィーヌには側室でさえ夢のまた夢。
それでも一か八か、どうにか王族の正室に自分がなれやしないか。
考えに考えた結果、ジョセフィーヌは最もオトしやすそうなロベルトに狙いを定めたのだ。
「ああ。ロベルト様っ」
「ジョセフィーヌっ」
胸元を強調した服でごく自然に少し体を押し当ててやれば、ロベルトはすぐに自分の虜になった。
あとは方々に手を回して証言をでっち上げれば、あっという間に悲劇のヒロインが出来上がり、ロベルトは意気揚々と今日の婚約破棄に臨んでくれたのだ。
「……ふふ」
「……」
ロベルトの腕に抱かれながら、男からは見えないようにマリアンヌに対して勝ち誇った笑みを見せるジョセフィーヌ。
どうして男は女のこういう顔には気付けないのかしら。
マリアンヌはその様子を呆れた様子で傍観していた。
「ふん。貴様の言いたいことは分かっているぞ。
貴様がジョセフィーヌに嫌がらせをしていた証拠はあるのかと言いたいのだろう?」
「……」
そんなことを言うつもりはないし、マリアンヌの思惑などロベルトは何一つ分かっていないが、彼が狙いどおりに自ら破滅へ向けて舵を切り出したので、マリアンヌは黙って微笑むことにした。
多くを語るは掌の上。
ピエロは舞台でよく踊る。
マリアンヌは彼が饒舌がゆえに身を滅ぼすことを予見していた。
「出てこい!」
そしてロベルトが声をかけると、数人の令嬢が様子を見ていた観衆の中から現れた。
「……」
マリアンヌは彼女たちが身分よりも遥かに豪華なドレスや装飾品を身に着けていることにすぐに気が付いた。
どうやら、それが彼女たちに与えられた飴らしい。
「さあ! 話せ!
マリアンヌがジョセフィーヌに嫌がらせをしていた場面を、そなたたちが幾度となく目撃していたことを!」
まるでミュージカルを演じているかのように声をあげるロベルト。
完全に自分に酔っているロベルトの横で、ジョセフィーヌは令嬢たちをじっと見つめていた。
『それを受け取ったのなら、自分たちの身の振り方は分かるだろう?』
まるで、そう言いたげな瞳で。
「……え、と、そのぅ……」
「……」
「……っ」
不安げに口を開こうとする令嬢たちをマリアンヌも見つめた。
穏やかに優しく微笑みながら、それでいて彼女たちの心の奥底まで見透かすかのような目で。
『どちらを敵に回したいのかしら?』
令嬢たちはマリアンヌの視線から、皆一様にそんな言葉を感じ取った。
そして、令嬢たちは唇を震わせながら言葉を紡ぐ。
「……わ、私たちは、マリアンヌ様がジョセフィーヌ嬢に嫌がらせをしていたとする証言をするように、ロベルト殿下とジョセフィーヌ嬢に言われておりましたっ!」
「「なっ!!」」
令嬢たちは一息でそこまで言うと、身に着けていた豪奢な装飾品を次々に外していった。
「これもこれもこれも、その証言と引き換えに殿下たちからいただいたもの。ですが、これらはお返し致します! ドレスも後日、すぐにお返し致します。なんなら、金貨で代金をお支払いしましょう!」
「き、貴様ら……」
さすがにこの場でドレスを脱ぐわけにはいかず、また、基本的にドレスはその人に合わせて仕立てるので、受け取らないのならば代金で支払う必要があった。
安からぬ値段ではあるだろうが、令嬢たちはそれを支払ってでも証言をすることを拒絶してみせたのだ。
「……」
マリアンヌはただ微笑む。
賢い選択をした令嬢たちを褒めて遣わすかのように。
その穏やかな笑みを見て、令嬢たちはほっと胸を撫で下ろす。
当然、令嬢たちにはマリアンヌが事前に手を打っておいた。
マリアンヌはロベルトとジョセフィーヌの動きを常に部下に監視させており、彼女たちに嘘の証言をさせようとしている情報をすぐに入手した。
そしてマリアンヌは彼女たちと、彼女たちの両親のもとを訪ねたのだ。
『馬鹿なことをしたら、私がこの国を手中に収めた時にきっと後悔なさるでしょうね。
私は恩には恩で。仇には仇で返す主義ですの。
どうか賢明なご判断を下されることをお祈り申し上げておりますわ』
『っ!』
マリアンヌは爵位を持つ令嬢たちの親にさえ、そう言ってのけたのだ。
『あ、そうそう。恩には恩を、と申しました通り、此度の茶番でこちら側についていただけるのならば、いずれ必ず便宜を図ることをお約束いたしますわ』
マリアンヌはそれだけを告げて、令嬢たちの屋敷をあとにした。
鞭も飴も、あえてその内容を具体的に提示したりはしない。
人の想像力ほど豊かなものはないのだから。
そして鞭が苛烈なほど、最後に与える飴は極上の甘さを誇る。
マリアンヌはそのことをよく分かっているのだ。
「し、失礼致します!」
「おいっ! 待てっ!!」
令嬢たちは全ての装飾品を外して床に置くと、そそくさと観衆の中に引っ込んでいった。
今ごろ彼女たちの両親によくやったと称えられているだろう。
「……ちっ」
「ジョセフィーヌ?」
「あ! な、なんでもないですわ! み、みんな、ひどいですー」
「そうだな。可哀想なジョセフィーヌ」
「……」
マリアンヌは少しこの茶番に飽きてきていた。
予定調和の人形劇に興味を完全に失っていたのだ。
ジョセフィーヌは飴を与えるのが早すぎた。
そして、マリアンヌのように鞭のない状態での飴はすぐに裏切られる。
自らの肉体という飴で甘やかすことしか知らないジョセフィーヌに、ロベルト以外の人間を篭絡することは出来なかった。
「……そうか! わかったぞ!
マリアンヌ! 貴様、あの令嬢たちを買収したな! なんて卑怯なヤツだ!」
「ひどいですわ! マリアンヌ様っ!」
「……」
どうやらロベルトたちはまだ頑張るらしい。
マリアンヌは「それはおまえらだろ」という言葉が出そうになるのを堪えて、ただその時を待った。穏やかに、静かに微笑みながら。
そして、その時はすぐにやってきた。
「何の騒ぎだ!」
「なっ! 父上っ!?」
「やれやれ。せっかくの舞踏会が台無しじゃないか」
「サ、サーベルト王太子!?」
突然、ロベルトの父である国王と、兄であり王太子でもあるサーベルトが三人の前に現れ、ロベルトもジョセフィーヌも開いた口が塞がらなかった。
周りの観衆も、突然の出来事にざわざわと騒ぎだす。
「……」
三人の中でただ一人、マリアンヌだけが薄く微笑んでいた唇の口角を、気付かれないように少しだけ上げた。
これでようやく、くだらない茶番劇が終わるのだと。
「……な、な、なぜ、父上と兄上が、ここに?」
「そ、そ、そ、そうですわ。お二人は他国に、外交にい、行っていた、はずでは……ど、どうして?」
二人とも動揺を隠す余裕さえないようだった。
サーベルトは冷や汗をたらすジョセフィーヌに恐ろしく冷たい視線を落とす。
「貴様は王族に気安くモノを尋ねられる身分なのか?」
「うっ……も、申し訳……ありません」
首筋にナイフを当てられたような殺気と視線に、ジョセフィーヌは顔を真っ青にして俯いてしまった。
「あ、兄上。あまり、ジョセフィーヌを、いじめないで、くれ。彼女は俺の、こ、婚約者、なんだ……」
ロベルトは何とか体裁を保とうとジョセフィーヌを庇ってみせたが、言葉の最後の方は消え去りそうな声となっていた。
「……」
「ひっ!」
が、同様にサーベルトからの冷たい視線を受けて、ロベルトはジョセフィーヌと同じように床を見つめて固まってしまった。
「まあ、そう意地悪をするな、サーベルト」
「ち、父上……」
二人に軽蔑しきった視線を送るサーベルトの肩に手を置いて、国王が二人の前に立った。
その優しげな声にロベルトは助けを求めて顔を上げる。
国王はニコニコと優しげに、穏やかに微笑んでいた。
ロベルトは泣きそうな顔になりながらもその笑顔に少しだけ安心した。
「どれ。その娘がお前の新しい婚約者か? ん?」
「っ!」
国王が屈み、ジョセフィーヌの顔を覗き込む。
ジョセフィーヌは体をビクッ! と揺らした。
どうやら完全に怯えてしまっているようだ。
「可哀想に。サーベルトが脅かすから怖がっているじゃないか」
「……面目ない」
気まずい顔で頬をかくサーベルトの様子に、ロベルトは再び口が回る。
「そ、そうです! とても美しいでしょう? 彼女が俺の新しい……」
「婚約者か……。して、それは果たして誰が決めた?」
「ひっ」
懸命に身振り手振りをするロベルトを国王は顔を上げて見つめた。
その顔に笑みは一切なく、歴戦の王たる眼光がロベルトを貫いた。
ロベルトはその恐怖に腰が砕けてへたりこむ。
「……ロ、ロベルト、様ぁっ」
ジョセフィーヌは自分から王の視線が外れた一瞬を縫い、床を這ってロベルトの後ろに隠れた。
「ロベルト。貴様とマリアンヌの婚約は私と隣国の王との間で決められたものだ。
そこにはさまざまな契約が存在し、さまざまな利権が絡む。
貴様にはマリアンヌという大事な婚約者を蔑ろにする権利も、勝手に新たな婚約者を立てる権利もない!
ましてや、このような隣国の貴族を招いての舞踏会で婚約破棄を宣言し、大事な婚約者を辱めることなど、誰であろうとして良いことではないのだ!」
「ひ、ひいぃぃぃぃーーーっ!!」
「きゃっ!」
王の覇気にロベルトは腰が抜けたままで後退るが、すぐ後ろにジョセフィーヌがいることにも気付かずにぶつかってしまい、二人は舞踏会のど真ん中で転がることになった。
「……はぁ。なんという失態。なんという愚かさ。
ロベルトよ。貴様の愚行にはさんざん目を瞑ってきたが、さすがに今回ばかりは看過できん。
貴様を王族から外し、国外追放とする。
その見た目ばかりの女と、どこへなりと消えるがよい」
「そ、そんなっ! 父上! それだけはっ!」
「いやっ! そんなのいやよっ!」
「もう、貴様の父ではない」
「そ、そんなっ!」
「お待ちください」
「「「!!!」」」
国王から勘当を申し付けられたロベルトはジョセフィーヌとともにすがり付いたが、国王は取り合うつもりはないようだった。
しかしそこで、マリアンヌが静かに口を開いた。
国王もロベルトもジョセフィーヌも驚いたようにマリアンヌを振り向く。
「……」
ただ一人、サーベルトだけはその様子をじっと見つめていた。
マリアンヌは場が落ち着くのを待ってから、胸の前で指を組んで静かに語った。
「ロベルト様のしたことは確かに王家にとってあってはならない失態。
ですが、王族としての資格を剥奪しての国外追放は死刑宣告も同じ。
それでは、ロベルト様があまりにも可哀想ですわ」
「マ、マリアンヌ……」
「……」
地獄に仏。
ロベルトには今、マリアンヌが聖母のように見えていた。
一方で、ジョセフィーヌはそこに自分の名前が出てこないことに不安を感じてはいたが、今は成り行きを見守りながら千載一遇かもしれないチャンスを逃すまいと、マリアンヌの言葉に全神経を集中させていた。
「ふむ。情けをかけろと?
当事者であり恥をかかされたマリアンヌ自身がそう言うのならば、私としては考えないこともないが」
マリアンヌの陳情を受けた国王は顎に手を当てて話の続きを促した。
「ありがとうございます」
マリアンヌは丁寧にお辞儀をしてから少し考える仕草をしたあと、あらかじめ決めていた提案を国王に投げ掛ける。
「そうですね。
とはいえ、王家の権威を持ったままでは何かとやりづらいでしょうから、そこは国王の仰る通りに王族としての資格は剥奪。
しかし国外追放ではなく、領地を与えて辺境伯として静かに過ごしていただく、というのはいかがでしょうか」
「マ、マリアンヌ……。こんなに君に酷いことをした俺に……」
それは破格の待遇だった。
本来は処刑されても文句は言えない、外交問題に発展しかねない所業。
それを国外追放で収めようとした国王をさらに上回る恩情。場合によっては甘すぎると思われかねない配慮だった。
「……ふむ。して、どこの辺境伯になってもらうか……」
国王は初めからマリアンヌの陳情を受けるつもりでいた。馬鹿息子のせいで恥をかかせてしまったという負い目から。
「そうですね……東の、マーロイヤー地方などは如何でしょう?」
「!」
「ふむ。あそこなら静かだし、田舎で利権とも関わりがない。ちょうどいいかもしれんの」
その地方の名を出した瞬間に王太子のサーベルトは一瞬だけ顔色を変えたが、国王がすんなりと受け入れたことで慌てて自分を抑えた。
「それでいいかの? ロベルト?
もちろん、そこな令嬢も一緒だ。
どうせなら一家で移り住むといい。これだけの騒ぎを起こしたなら、王都ではちと過ごしにくいだろう」
「はっ! 父上とマリアンヌの恩情、慎んでお受け致します!」
ロベルトは最大級の配慮と恩情に心から感謝した。
しかも愛するジョセフィーヌとともに。
ロベルトにとってはこれ以上ない裁定だった。
「いや! 私はいやよ!!」
「ジョ、ジョセフィーヌ!?」
しかし、ジョセフィーヌは真っ青な顔で拒絶した。
彼女は、マリアンヌたちの真意を理解していたのだ。
「ジョセフィーヌ」
「!」
泣き叫ぶジョセフィーヌに、マリアンヌは穏やかな笑みを湛えながら歩み寄り、舞うようにして膝を折って目線を合わせた。
「貴女が決めたことでしょう?
『最期』まで、責任を持ちなさい」
「うっ! ……は、はい」
観衆には見えないように、一瞬だけジョセフィーヌを冷たく射抜いた視線。
それによってジョセフィーヌは喚くことを諦めたのだった。
「マリアンヌ。ありがとう、ありがとう。
本当に申し訳なかった」
その後、ロベルトはマリアンヌに何度も感謝と謝罪を繰り返して会場をあとにした。
うなだれ、絶望の顔をしたジョセフィーヌを連れて。
マリアンヌはそんな二人を、優しく微笑みながら見送っていた。
「……マーロイヤーは東の隣国との国境に位置する領地。そして、東の隣国は近年軍備を増強していて、まもなく我が国に攻め入るのではないかと密かに噂されている」
二人が見えなくなるまで笑顔で見送るマリアンヌの横に立ったサーベルトが、マリアンヌだけに聞こえる声でそう呟いた。
国王は愚息の暴走を招待客に謝罪し、国王主宰の舞踏会として、再び絢爛なパーティーを再開させた。
マリアンヌは穏やかな笑みを湛えたまま、サーベルトの呟きに静かに答える。
「……あれでも王族として、軍の指揮を執る訓練は受けています。その時が来たら、せいぜい国のために最前線で働いてもらいましょう。
もっとも、もしも襲撃を受けても王都からの援軍がマーロイヤーに着く頃には、敵国はすでにそこを占拠している可能性が高いでしょうけど」
マリアンヌとサーベルトは優雅にダンスを始めた人々に誘発されて、互いに手を取り合って踊り始めた。
その会話の内容を、他の誰かに聞かれないために。
「……マーロイヤーに、我が国にとって優良な資源や生産が少ないことも分かっていて、か?」
「当然でしょう?」
「……っ」
マリアンヌはあまりにも妖艶で美しい笑顔をサーベルトに見せた。その笑みにサーベルトは畏怖さえ抱いた。
「……私と父上は、とある人物からの伝令を受けて、急ぎ、自国に戻ってきた。
その伝令の主は分からなかったが、伝令を送ってきたのは王家専用の影。王家にとって重大な情報を伝える時にのみ動く信頼の置ける者たちだ。
伝令を送ってきたのが誰か分からないのに我々が帰国したのはそのためだ。
その手配をしたのは、いったい誰だったのだろうな」
サーベルトはその質問の答えにすでにたどり着いていた。それでも、彼女がそれにどう答えるのかが知りたくて、それを尋ねずにはいられなかった。
マリアンヌは少しだけ考えるような様子を見せたあと、わざとらしく小首をかしげた。
「……さあ? 無知な私には見当もつきませんわ。
少なくとも、その者たちを動かせるだけのカードを用意できる者、なのかもしれませんね」
「……君は、怖いな」
「……最大限の賛辞と受け取っておきますわ」
怖いと言いながら、サーベルトはマリアンヌの瞳から目を離せずにいた。
いったいどこまで視えているのか。
サーベルトは、自分がその瞳から離れられなくなる予感を感じていた。
「あ、ちなみに、国王陛下はたぶん全てを解った上で茶番に付き合ってくださってますわよ」
「!」
マリアンヌに言われて、サーベルトはマリアンヌがマーロイヤーを提案した際に眉ひとつ動かさなかった父の姿を思い出した。
自分が掴んでいる情報を国王である父が知らないはずがない。
国王は、それがある意味死罪を意味することを解った上で、マリアンヌの提案にのっかったのだ。
「……まったく。あの父上は」
「まあ、まさかジョセフィーヌの一家を丸ごと送り込むとは思いませんでしたけどね。
さすがは、私の父が友好関係でいようと思うだけのお方ですわ」
マリアンヌはロベルトとジョセフィーヌだけを死地に送れればいいと考えていたが、国王は余計な禍根を残さないために、ここぞとばかりにジョセフィーヌの一族全てをマーロイヤーに送ることを決めたのだ。
「……私も、まだまだだな」
「『それ』が分かるのなら、殿下はやはり王太子の器なのだと思いますわ」
「……ふっ」
マリアンヌと国王。
サーベルトは二人の知略を読みきれなかった自分を恥じて、自嘲気味に笑った。
そして、それをフォローしてくれるマリアンヌにはきっとこれからも敵わないなと、サーベルトは二人のこれからを予見して微笑んだ。
「……」
「……」
そして、マリアンヌは穏やかに微笑みながら黙った。
サーベルトからの次の言葉を待って。
サーベルトは自分がこれから言う言葉さえ、きっとマリアンヌの予定調和なのだと理解していながら、それを言わないわけにはいかなった。
それほどに、彼女に惹かれてしまったから。
サーベルトは曲の終わりでマリアンヌにひざまずいた。
「……マリアンヌ。私の、婚約者になってくれないか?」
「ふふふ。苦労しますわよ」
意を決したサーベルトの告白に、マリアンヌは皮肉めいた笑みを向けた。
こんな自分を娶るのは大変だぞ、と。
「だからこそだ。君を王妃とすることが、私に課せられた使命なのだろう」
「……本音は?」
「……君を他国に渡すぐらいなら、自国で囲ってしまった方がいい。君を、敵にはしたくない」
「ふふ。正直で宜しい」
「まったく。君は意地悪だな」
「よく言われます」
「っ」
マリアンヌのイタズラな笑みは、サーベルトの心をがっちりと掴んで離さなかった。
「しかし、王族としての思惑はあれど、君に惹かれたのは本当だ。これからも、私のことを惑わせてくれ。
私は、それに全力の愛でもって応えよう」
「ふふふ。なら、私も全力で貴方を愛しますね。
どうか、ついてきてくださいませ」
「……まったく。君ってやつは本当に……。
それで、返事は?」
サーベルトの差し出した手に、マリアンヌは自分の手をそっと重ねた。
「もちろん。喜んで」
その微笑みは、今までの何かを含んだ偽りの笑みではなく、彼女の心からの笑みのように見えた。
そして、そんな二人を祝福するように次の曲が流れだし、人々は二人を中心にして再び踊り出すのだった。




