リク閑話// Ich der Kater.
アンケート時にリクエスト頂いた、閑話「猫視点」です。
いつも通り本編とか関係が薄いため、読み飛ばして頂いても大丈夫です。
吾輩は猫である。
名をクライネという。生まれたのは、どこか違う場所だ。
籐籠に詰められ、気づいたらここにいた。
名前の意味は、いささか不本意ながら『ちび』である。
しかし主人から頂いた大事な名前である以上、不満などない。
いずれはもっと大きくなり、か弱い主を護る事こそが我輩の使命である。
一般的に猫族は忠誠心が薄いなどと思われがちであるが、我輩はそこらの猫とは一味違うのである。
そんな事を思いながら尻尾を高く掲げ、闊歩しているのは二階の廊下である。
石造りの廊下は冷たく、正直肉球が辛い。
普段なら空き部屋でぬくぬくと昼寝を決め込んでいるのだが、今日はそうもいかない。
ご主人であるところのローズマリー・ミュートスが、風邪で臥せっているからである。
それを聞いた以上、紳士的な猫族としては見舞いに行かずに何としよう。
しかし残念かつ腹立たしい事に、我輩には大きな障害がある。
「そこの毛玉、邪魔だ」
そら、噂をすればお出ましだ。
声と共に背後から編上靴が迫っている事に気づき、慌てて右に飛び退く。
抗議の鳴き声を上げて振り向けば、案の定、眉間に皺を寄せた男がこちらを見下していた。
我輩はこの銀髪──リヒャルト・ケルナーが嫌いである。
こいつのせいで、危うくボニファティウスなどという訳の分からぬ名をつけられる所だったのだ。
あまつさえ処分される可能性もあった。
更に言うと、ご主人に無礼を働いたらしい。
重ね重ね許しがたい事である。
そういった事情から背中を逆立てて睨みつけてやると、色素の薄い髪をした男は面倒くさそうに我輩をつまみ上げた。
「毛が散らばるだろうが。余所で丸まってろ」
「ええい、放せ無礼者!」
「にゃあにゃあうるせえ」
目一杯抵抗しながら自慢の尻尾で手首を打ってやる。
手元を攻撃された銀髪は、非常に嫌そうな顔をした。
そのまま投げ捨てるかのごとく、ひょいと手を放される。
我輩は空中でくるりと体を回転させ、再び石の床を踏んだ。
ご主人が嫌う服を着た男は、相変わらず憎々しげな目をこちらに向けてきた。
「うろちょろしてる暇があるなら、鼠の一匹でも取ったらどうだ」
「誰がお前の言う事なんか聞くか。鼠みたいな毛色のくせに」
悪態をつきたいのは山々なのに、猫の声帯を震わせるのはにゃあにゃあという鳴き声だけだ。
少々間抜けに響いてしまった抗議を内心恥じる。
しかし腹の立つ男は我輩を無視し、ご主人が眠っている部屋にさっさと入って行ってしまう。
力加減を誤ったのか、後ろ手に閉められた出入口は少々隙間が出来ていた。
好奇心も相まって、扉の隙間から鼻先を突っ込み、室内を覗き込んでみる。
奴は寝台の横に膝をつき、ご主人の髪に指を通していた。
まさかご主人が眠っている間に、不埒な事を企んでいるのではないか。
少々警戒度を高めて観察を続ける。
予想に相反し、ご主人はあっさりと目を覚ましたようだ。
今のところ別に悪さはしていないようなので、扉の影から様子を窺うだけに留める。
しかし、人間とは不思議なものだ。
喧嘩ばかりしているくせに、どうもあの銀髪はご主人が好きらしい。
馬鹿な男だ。
ご主人が欲しいのなら、さっさと捕まえて口説くなり押し倒すなりしてしまえば良いものを。
いや、後者の場合は奴に跳びかかってでも阻止せねばならない訳だが。
つまるところ、敵から見ていてもじれったいのである。
忠実な家猫である我輩はどう出ればよいのか、目下思案中だ。
そうやって気を抜いている内に、銀髪はご主人へと指を伸ばしかけていた。
いかん、このままではご主人が危ない。
いち早く危険を察知した我輩は、慌てて部屋に飛び込んだ。
寝台の足をすり抜け、頃合いを見計らって駆け登る。
膝へ滑りこむと、ご主人は一瞬だけ唖然とした表情をして我輩を抱き上げた。
寝間着を抜けて聞こえる心音は不自然な程に早い。思わずご主人の顔を見上げる。
銀髪は殺意の篭った視線をこちらに向けてきた。
「何の用だ、毛玉」
「毛玉とは何です、毛玉とは。可哀想なクライネ」
「こいつはさっきもそう言いましたよ」
まあ腹立たしくはあるが、そんな事はどうでもよい。
ご主人が回復されたようで何よりである。
嬉しかったので、ご主人の腕をすり抜けて身を乗り出した。
親愛の情を示すため、唇に吸いつく。
ちゅうという音と共に、ご主人は目を真ん丸くした。
銀髪が目を剥いて凍りつく。ざまを見ろ。
いくら苛立っても、小動物には手が出せまい。
内心勝ち誇りながら、銀髪がどう出るのか期待し、ご主人に追いやられた背中から顔を出す。
しかし予想に反し、奴はそのままご主人と言い合いを始めてしまった。
驚き引っ込んだついでに、ご主人の背中にじゃれ寄ってみる。
銀髪はどうも妬いているらしかった。
若干ばつが悪くなってきたため、今度は遠慮がちに様子を窺う。
八つ当たりめいた態度を取った銀髪が、足音も荒く部屋を出て行くところだった。
どうもやりすぎたらしい。
さて、どうしたものかと思案しながら寝台の上を歩き回る。
面食らったままのご主人は、困ったように呟いた。
「別に猫に嫉妬しなくても」
「でもご主人、あいつなりに頑張ったんですよ」
ご主人は同意を求めてきた。
邪魔をした事がきまり悪かったので、仕方なく銀髪を擁護してやる。
そう言ってはみたものの、残念ながら主に言葉は通じなかった。