訪問 (1)
「迷うなよ。探しに行くのは面倒だからな」
「はい?」
皿を片付けるために立ち上がると同時に、紙片を押しつけられたマリーは首を傾げた。
その拍子に、白いバレッタで結われた髪が尻尾のように揺れる。
頭上に疑問符を浮かべながら薄く皺の入った紙片を広げると、極端に省略された地図が少々崩れた字体で書き込まれていた。
上目遣いでそちらを窺うと、黒い制服のリヒャルトはいつも通りのすげない表情で見返してくる。
お礼を言うつもりだったのに、マリーの口をついて出たのは憎まれ口だった。
「この家に地図帳は無いのですか?」
「生まれも育ちもロルベアなんでね。田舎育ちのお嬢さんと違って地図は必要な……おい、やめろ」
リヒャルトは言い返そうとしたらしいが、足元に擦り寄ってきた猫がブーツで爪を研ごうとしている事に気づいたらしく、慌てて飛び退いた。
青年の憎々しげな一瞥を浴びたクライネは、毛を逆立てて相手を威嚇する。
それをよしよしと宥めながら、マリーは黒猫を抱き上げた。
そのまま非難がましく紫紺の瞳を青年に向ける。
「小動物相手に大人気ない」
田舎者呼ばわりされたことの腹立たしさも手伝い、マリーは子猫を弁護した。
リヒャルトは露骨に舌打ちして一旦背を向けたが、振り返ってマリーの髪を指差す。
「似合う」
あまりに居丈高な響きだったので、マリーはとっさに意味が理解出来なかった。
動きを止めた主人の胸から子猫が逃亡する。
一瞬の硬直が解けた後、マリーは顔を伏せた。
やり場に困った指を背で絡ませ、努めてつんつんとした声で答える。
「……ちょっと束ねただけですし、今日が初めての髪型ではありません」
「そうだったか?」
案の定覚えていないらしく、リヒャルトは眉宇を寄せる。
マリーは呆れて首を振った。同時に、高い位置で纏められた栗色の髪もゆらめく。
(いつもこんな態度なら、少しは良好な関係が築けるかもしれないのに)
埒もない考えにマリーは思わず嘆息した。
褒め言葉なら、それが誰の言ったものであろうと不快なはずがない。
例え相手が嫌いでもだ。
今朝はどうも妙なことばかり考えるようで、今日は早めの就寝を心がけようと決めた。
少女のそんな内心を知ってかあえて無視してか、銀髪の青年は「それより」と再び口を開く。
「ソフィアさんが遊びに来いと」
「……いつ頃のお話ですか?」
「明日」
この男に学習する気はないのだろうか。
いや、彼の事だから悪意でやっている可能性もある。
悪態の一つでも吐きたくなるのを、マリーはぐっと堪えた。
そろそろ彼の無茶な言い草に順応しつつある自分に、内心肩を落とす。
「……何を着ていけばいいと思います?」
「知るかよ」
どこか諦めの漂う問いに返ってきたのは、あくまで素っ気ない答えだった。
***
「迷うなよ」とマリーが怒り出すまで繰り返された後に教えられた住所は、ロルベア市内の一軒家である。
この辺りには珍しい木造の家を、マリーは少しだけ羨ましく思った。どこか故郷の香りを感じさせるからだ。
郷愁にかられながら、苔色の扉に備えられた呼び鈴を鳴らす。
ぱたぱたという足音と共に、「ちょっと待って下さいねー」という暢気な声が聞こえた。
日光に晒された漆喰の眩しい壁を眺め、待つ事数十秒。
扉の開く音と共に、ソフィアの少々激し過ぎる触れ合いに備えてマリーは軽く身構える。
しかし。
「やあ、こんにちはローズマリーさん」
「こ、こんにちは」
予想に反して、顔を出したのは金髪の若い男だった。
意外さに身じろぐマリー。
金色の猫っ毛をした青年は、少女を見てにいっと笑ってみせた。